西涼の巻・第二十八回:北郷一刀、覇王と共に江東の小覇王の葬儀に出発すること

1 2 3 4 5 6

 叛乱兵たちを振り払い、(しょう)にほど近い城塞の一つに走り込む頃には陽が中天に上りきっていた。
 譙は陳留の西南にあたるが、華琳の故地で、ここが敵に寝返っていたなら、もう他に頼るところはないというほど信頼を寄せている土地だった。
 幸い、叛乱はこの地に及んでいないらしく、故郷の英雄の突然の来訪に城の人々は慌てふためいていた。
 そこで色々と対処をした後にようやく一息つき、詠の説明を受けることとなる。
 会議のために部屋に籠もるなどという贅沢は出来ず、城壁の上から兵たちを指揮しながらの会話だった。
「それで?」
「華琳自身が使った手よ。囮にさせてもらったわ」
 こともなげに言う詠に驚いてしまう。たしかに、かつて不穏な諸侯をあぶり出すために華琳自身がその身を囮としたことはあった。
 だが、いまの時点でそんなことを詠が計画しているとは思いも寄らなかった。しかも、詠自身が囮の一行に混じっているなんて。
「私に知らせずに?」
 華琳自身はそれほど気にした様子はない。自分を道具にされたと怒るほど度量が狭いとは思わないが、この落ち着き様はおかしい。
 あるいは気づいていたのだろうか?
「こんなこと、起きなければそれでいいと思ってたしね。その場合、知る必要はないでしょ。起きなかった謀叛の話なんて」
 詠は肩をすくめて、横目で彼女を見つめる。
「それに、出発前から気づいていたんじゃないの?」
 しばらく沈黙が続いたが、からからと華琳が笑うことで、その沈黙は途切れた。
「ええ。あなたはともかく、桂花は私に隠し事なんかできないしね。あの子の反応がおもしろくてあえて聞かないでおいたけど。それから、霞を御者にするのはやり過ぎだと思うわ」
「安全を考えるとそれしかなかったのよ。華雄や祭でも一緒だったでしょ?」
「まあね」
 ちなみに、華雄や祭たちは志願したもののくじ引きでふるい落とされたらしい。
「えっと、桂花も関わってるのか? もう少し詳しく話してもらえないかな」
「いいわよ。あんた、司馬氏を気にしていたわよね?」
「ああ」
 司馬氏……司馬懿か。
 その名前は、複雑な感情を引き起こす。この世界のこと、元の世界のこと、そして、あるべき歴史と、この世界から消えた理由と。
「ボクと桂花は、彼らを見張っていたの。司馬氏は、当主が処刑されたものの他の者たちは生きていて、勢力を――しかも洛陽から遠くない河内に――保っていたからね。その後、おとなしくしていれば別に問題はなかったんだけど、少々不穏な動きをし始めたの。そのきっかけは、許攸が彼らの元に転がり込んだことかしらね」
「許攸……麗羽を頼ったものの、洛陽には来なかったわね。まあ、あれは、麗羽とも私とも昔なじみで、今更私に降るなんて容認できなかったんでしょうけれど」
 俺の世界でも、袁紹、許攸、曹操というのは悪童仲間だったという話があったな。こちらでもそうらしい。
 ということは、許攸も女性か。
 いや、華琳さんに詠さん。なんで揃って睨むのですか。何も不埒なことは考えていませんよ。
「許攸の手引きによって、もう一つ要素が加わる。こいつを批判した孔融が、密かに司馬氏と結んだのよ」
 孔融か。俺を批判した話はたしかに聞いたが、それは特に華琳や曹魏に抗するというのではなく、これまでの権威や秩序を重視しろ、という保守的な発想に過ぎなかったはずだ。
 俺や華琳からすれば少々うっとうしくはあるが、けして一方的に間違っていると糾弾できるほどのものではない。
 だが、不満を持つ者を集め、徒党を組み始めたとなれば問題が出てくる。まして、こんな叛乱を起こすとは……。
「それでも表だって反抗するのでなければ、放っておいてもよかったんだけどね」
 華琳はその言葉に、にぃと笑みを深くした。彼女は、地を這うような低い声で質す。
「本当?」
「……多少、誘導したことは否定しないけど」
 ばつが悪そうに呟く詠。
 ……追い込みをかけたんだな、こりゃ。
 しかし、それでも。
「でも、そもそも芽がなければ、花開きもしないものでしょ」
「そうね。この機会に動いてしまったのが、彼らの愚かさね」
「北伐の軍が動き始めれば、中原の兵力は極端に減る。そうなれば華琳を討てる。そんな風に思ってしまった……のか?」
「ええ。愚か者はどこまでいっても愚か者よ」
 だが、そう言い捨てる華琳は少し寂しげでもあった。
 他の者がその表情を読み取れることはないだろうけれど。
「ところで、うまく嵌めたのはいいけれど、叛乱が起きたと、洛陽にどう伝えるの? まさか大量の軍を伏せているわけでもないでしょう?」
「うん、それはないわ。正真正銘いまある兵力は、連れてきた親衛隊と、ここの守備兵三千だけ」
「それじゃあ……」
 そこで、さっきまで兵たちにみなの旗――紺碧の張旗、深紅の呂旗、丸に十文字、そして、なにより曹の牙門旗――を立たせていた恋が、すっと近づいて、話しかけてきた。
「……大丈夫」
「え?」
「鳩さん飛ばした」
 どうやら、伝書鳩を連れてきていたらしい。恋によると、洛陽にいるねねのところに帰るようにしつけられているのだそうだ。
 彼女の言によれば『もう二羽いる』とのことなので、なにかあれば、簡単な文書を送ることができるわけだ。
 それでも、軍が洛陽を発して、この砦に至るまでは数日かかるだろう。その間は保たせる事を考えなければならない。
「いま帰ったでー」
 ちょうどそこに、偵察に出ていた霞が軽い足取りで城壁への階段を上ってくる。
「展開している兵力は?」
 俺たちは眼下の大地を見下ろす。そこにはいまのところ軍の姿はないが、遥か彼方に砂塵が舞っている。大軍が近づいている証拠だ。
「約二万五千ってとこやな。伏兵はないと思うけど、わからんな」
 さらっと言い放つ霞。
 なんと、こちらの兵力の五倍以上だ。親衛隊は、さすがの精兵で、先ほどの敵中突破でもほとんど数を減らしていないが、この砦の守備兵を合わせても四千五百足らずに過ぎない。
 援軍を待つにしても少々分が悪い。
「ふうん。では、陳留の兵というのは偽装ね。あそこまで掌握していたなら、もっと兵がいるでしょう」
 ああ、そうか。
 華琳の言葉で俺は気づいた。陳留は魏の旧都だけに、それなりの兵が配備されている。
 もし、そこが奪われ支配されていたとしたら、さらなる数が動員されていたことだろう。
「陳留の兵を装って暗殺した後、他の勢力を糾合しながら洛陽を攻める予定だったんでしょ。陳留を引きずり込む気だったか、罪をなすりつけて攻める気だったか」
「孔融たちの性格からすると後者ね。許攸が幼なじみだとか言い立てて、大きな顔をする予定だったに違いないわ」
 大きな状況の分析を終えたところで、詠が霞のほうを向く。
「霞、伏兵がないと判断した要因ってあるの?」
「魏の正規兵の鎧着てるんと、賊丸出しのかっこしとるんが混じっとる。寄せ集めやったら、伏兵なんておかれへんやろ」
「鎧を着てるのも、本当に正規兵なのか、怪しいところだな」
 孔融や司馬氏がいかに勢力を誇っていても、魏の正規兵をどれだけ動員できるかというと疑問だ。叛乱なんて賭けにのるのは、もっと追い詰められた者だろう。
 ただ、何も知らされず動かされ、巻き込まれ、もう逃れようのない兵も混じってはいるだろうが……。
「でも、元々魏の兵だったのが、戦後解雇されて傭兵になっている例は多いから、油断はできないか」
「そうね。警戒はしてもしきれない。詠、ここの兵は?」
「北伐でだいぶ動員されたから、魏の標準より少し下回るくらいね。郷士軍の標準くらいかしら」
 郷里の英雄である曹操への忠誠だけは親衛隊なみよ、と詠は付け加える。
「ちなみに、籠城するだけの水、食料、武器の蓄えはあるって」
「そう。じゃあ、もう一度城を回って、それらを確認するのと、守備兵を千人ごとにまとめて、庭に整列させるの、お願いできる?」
「わかったわ」
 詠が城の中に消え、その間に華琳は小さな紙に何かを書き付けている。
 流琉へ当てた書状だろう。恋に言って鳩を出してもらい、手紙を足にくくりつける。
 そうして鳩を放すと、二度、三度城の上でゆっくりと円を描いた後、西北の方向――洛陽へと飛び去っていった。
「霞、あの騎兵は親衛隊じゃないわね。張遼隊?」
「せや。百人長が二十人おる」
「あらあら。贅沢な話」
 親衛隊の騎兵は、魏の中でも飛び抜けて優秀な兵だ。
 だが、それでさえ張遼隊の一騎当千の騎兵たちにはかなわない。しかも、五百人の兵の中に、百人隊を統括する百人長が二十人もいるとは。
 北伐の軍のほうが心配になってしまうのだが、霞のことだから、そのあたりは大丈夫なのだろう。きっと。
「ああ、そうだ、一刀」
 思い出したように呼びかけられる。
「ん?」
「いまは霞と恋の指揮権をもらうわよ。いちいちあなたを経由している暇がないわ」
 そりゃそうだ。
 形式面を重視するならば、華琳は霞たちに直接命令できない。しかし、戦場でそんな悠長なことを言っていられるわけもない。
「ああ、そうだな。霞、恋、いいかい?」
「そりゃあ、かまへんで」
「ご主人様がいいならいい」
 つい先日まで華琳の部下だった霞はもちろん、恋もこっくりと頷いてくれる。
「じゃあ、そうしてくれ」
 そういうことになった。

1 2 3 4 5 6

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です