西涼の巻・第二十八回:北郷一刀、覇王と共に江東の小覇王の葬儀に出発すること

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 翌日、再び親衛隊将校が馬車の扉を叩くことになった。
「今日はなにかしら?」
「その……陳留の兵たちが、一生の記念に丞相の馬車を自分たちで護衛してみたいと。注意はしたのですが、聞くだけ聞いてみてくれ、と申しまして」
「ふうん」
 華琳はそれを聞いて考え込む。さすがに、同道は許しても、直接の護衛を許してはいなかったのだが、それを望むとなると……。
「一刀はどう思う?」
「うーん。直衛の騎馬五百は残すとして、歩兵は先行偵察の任にあてて、今日一日だけ陳留の兵に護衛させてみるとかかな」
「詠は?」
 そう尋ねた時の、華琳の瞳が鋭く光るのに、俺は気づく。
 詠を試しているのだろうか。詠の能力は華琳も十分知っていると思うのだけれど。
「ボク? まあ、こいつの案でいいんじゃない? 少し修正するなら、親衛隊は後ろに置いて、行軍速度を守らせるほうがいいかもね」
「ふむ」
 華琳は、少し外の様子をうかがった。
 その眼が馬車の前後を守る騎馬の兵たちの姿に止まり、何事か納得したような表情を浮かべる。
「そうね」
 一つ頷き、彼女は指示を下した。
「では、騎馬はこのままに。歩兵は後ろに下げて、代わりにその兵たちを入れてやりなさい。ただし、今日の夜までよ。夜間行軍はあなたたちに任せるわ」
「わかりました」
 そして、速やかにそのように事が進んだ。
 兵たちへの褒美として、四方の窓を開ける。
 矢避けの網がかかっている上に、騎兵たちの列を隔ててだから直に華琳の姿が見えるわけもないが、やはり、締め切っているのとは印象が違うだろう。
「蓮華たちはもう建業についたかしらね?」
「だいぶ強行軍で行くって言ってたからな」
 蓮華と思春は、俺たちに先行すること十日。呉の十二万の兵を連れて、建業へ向かった。
 北伐のために集めた糧食はそのほとんどを魏軍に譲り渡し、ついてこられない兵は置き去りにする勢いで、彼女たちの軍は呉へととって返した。
 なにしろ、王の死去だ。
 国の事が心配でない兵など一人もいないだろう。もちろん、その意識レベルは、それぞれに違うだろう。
 だが、万が一混乱が起きれば、苦労するのが庶人であることは間違いないのだ。
 それが偽装だと知っている蓮華と思春ですら、その後の国の統治などを考えると、焦燥にかられずにはいられなかったろう。
 だから、彼らは一日でも早く建業にたどり着くため、一心不乱に進軍したはずだ。
「まあ、こちらはそれほど急ぐ必要はないけれど」
「ああ。とはいえ、北伐の軍を待たせているってのもあるからな」
 北伐の軍はすでに黄河を越え、あるいは、黄河を北上し、集結地へと向かっている。俺と華琳の帰還をもって、即時、進軍が開始される手筈になっているのだ。
 そんなことを話していると、ふと、外で兵の動きが慌ただしいのに気づいた。騎兵たちがざわつき、馬車が止まる。
「あれ?」
「そうきょろきょろするものじゃないわよ、一刀」
 後ろの窓にへばりつくようにして外を見ていると、落ち着き払った華琳に注意される。詠も、迷惑そうにこちらを見ている。
「いや、でも、おかしいんだ。後ろと前でなにか……」
 眼を細めて観察していると、何かが陽光を反射するのに気づいた。
 鎧ではない、もっと別の金属のなにかだ。
 その正体に気づき、俺は声を上げる。
「やつら、剣を抜いている!」
 居並ぶ兵たちが、前も後ろも全て足を止め、剣を抜いていた。その剣の連なりが、太陽の光を反射してきらきらと輝いているのだった。
 それに対して騎馬の兵たちは戸惑った様子も無く、しっかりとそれぞれの槍を握って馬車の周りを固めるように動き出していた。
「落ち着きなさい、一刀」
「お、落ち着けって、華琳。これは……」
 謀叛だぞ、と言いかけ、その言葉の重要さに、口にするのをためらう。
 だが――。
「謀叛よね」
 あっさりと、詠に言われてしまった。
 呆然と彼女たちの顔を見比べる。なぜ、この二人はこうも穏やかでいられるのだ?
「落ち着きなさい」
 再び静かな声で繰り返され、席に戻る。
 たしかに、俺が慌てても仕方のない部分もあるのだが……。
 それでも、やはり、なにかしなければ、この事態をなんとかしなければならないという衝動が体を突き動かそうとする。
「もし、三千五百が全て叛乱を企てているなら……」
「大丈夫でしょ、だって……」
 その声に答えるように、すいと御者が立ち上がる。その体を包んでいた外套が投げ捨てられ、そこから現れたのは――。
「うちがおるからなあ!」
「霞!?」
 飛龍偃月刀を構えるその姿は、確かに、神速と謳われる張遼将軍に他ならなかった。

 そして、聞こえてくる悲鳴と、何かがぶつかり、粉砕される音。
 その音の出所――後方を見やれば、そこには、一本の道ができあがろうとしていた。
 血しぶきと、人の苦鳴と、肉と骨をまとめて切り裂く刃のうなる音。それらによって作り上げられた真っ直ぐな道が。
 兵たちの列を切り裂きながら、それは真っ赤な帯を描き出していく。
 肉はちぎれ、骨は断たれ、命は大地へ血と共に呑み込まれていく。
 そこを吹き抜けるのは、颶風。
 そして、その風は、方天画戟を持つ呂奉先の姿へと結実する。
「……恋も、いる」
「恋!」
 あまりの出来事に、しわぶき一つ漏れなかった。
 馬車を押し包もうとしていた兵たちは、勝利を確信していたのだろう。肉と血の塊に成りはてた同輩たちの骸を前に、ただ、呆然とするしかなかった。その動揺は前方の兵にも伝わったのか、剣を構えた兵たちは進むことを逡巡している。
 そして、どこに紛れていたのやら絶影にまたがった霞に指揮された騎兵たちは、その間に音もなく攻撃態勢を整えていた。
 よく見れば、騎兵には張遼隊の百人長たちが多くいるのだった。
「あはははは」
 嘲りを含んだ笑いがはじけた。
 長く長く尾を引くその笑いはあまりに恐ろしい。
 その笑い声をたてている人物の顔を、俺は唖然と見ているしかない。彼女は馬車から出ると、傲然と言い放った。
「我が策なれり!!」
 その姿――鬼謀の人、賈駆のそんな姿に眼を細めて、楽しそうに魏の覇王が微笑む。
「説明してもらうわよ、詠」
「うん、いいわよ。でも、いまは無理」
「わかっているわ」
 短い会話を交わして、詠は御者席にのぼり、しっかりと手綱を握る。
「霞、恋、思い切りやっちゃって! 馬車はボクが進める!」
「了解や」
「ん」
 その言葉を合図に、全てが動き始めたようだった。
 なかばやけっぱちな怒声が上がり、前後の兵たちが襲いかかってくる。前方を霞の率いる騎兵が斬り開き、後方を恋が守る。
 おそらくは、さらに後ろに位置する親衛隊も攻撃を仕掛けているだろう。
 そして、馬車が猛然たる勢いで走り出した。
「さあ、一刀。いま私たちに期待されているのは、せいぜいここで動かない事よ」
「あ、ああ……」
 そう言われ、手を握られる。その温もりに救われたような気分がして、俺は、周囲で行われる戦いがいい結果になってくれるよう祈る余裕を取り戻すのだった。

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