西涼の巻・第二十八回:北郷一刀、覇王と共に江東の小覇王の葬儀に出発すること

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 目を覚ませば、心地いい柔らかさと、いい香り、それにとても懐かしい温もりに包まれていた。
 なんだか、安心するような、また眠りに戻りたくなるような。
「おはよう、一刀」
 上から声が降ってきて、そちらに顔を向ければ、ぼんやりとした視界の中に、見下ろす華琳の美しい顔がある。
 その華琳の顔に照らし出されるように、段々ともやが晴れてはっきりする視界と意識。
「ん……。あ、あれ?」
 日数がかかる旅だから、俺たちはこの馬車の中で夜を過ごすことが多い。座席を簡易寝台として利用することはできるが、その場合、一列に一人で、二人しか寝そべることができない。
 だから、たいていは俺が床で寝て、華琳と詠がそれぞれ座席を変形させた寝台で眠ることが多かった。ただ、時折、座った姿勢のまま眠ってしまうこともあった。
 今日は、そのどちらでもない。
 座ったままの華琳の膝の上に、倒れ込んでいる俺の体。
「華琳の膝で寝ちゃったのか。ごめん!」
 それを認識した途端、跳ね起きる。もちろん、華琳にぶつからないよう注意して。
「別に謝ることはないわよ。あなたはこの世で唯一、私の膝で眠れる男なのだから」
 こともなげに言われて、言葉に詰まる。
 さすがに痺れたのか、腿を揉んでいるのは見なかったことにしておいたほうがいいのだろうか。
「あー。えっと、ありがとう」
 昨日はかなり遅くまで三人で議論をして……そのまま意識を失ってしまったわけだ。
 膝枕をしてもらえるのは嬉しいけれど、あまり長時間は負担になってしまうから気をつけなきゃな。
 頭を振って意識をさらに鮮明にしようとしていると、大きく鼻を鳴らす音がした。
「膝どころか、触れられる男はこいつ一人の間違いじゃないの」
 詠が怒ったような呆れたような顔でこちらを見ていた。彼女は座席をちゃんと寝台にして寝ていたらしい。掛け布を片付けているところだった。
「そうとも言うわね」
 まったく、とぶつぶつ愚痴を呟きながら、寝台を座席に戻す詠。今日はどうもご機嫌斜めだな。
 寝不足なのかもしれないけれど……。
 まずは水分だと作り付けの棚から竹筒を取り出す。ぬるい水だが、問題はないだろう。三人分の杯を出して、それぞれに注いで回る。
 その杯を取る詠の手つきも荒々しい。
 なにか怒らせるようなことをしたろうか。あるいは、昨日意識を失う前になにか大事なことでも話していたか。
 困り顔になっていたのか、華琳がにやにやと笑いながら、体を近づけてくる。ぴったりと俺の腕にくっついて、耳元で囁かれる。
「ふふ。詠はね、自分の膝に倒れ込んでくれなかったので、拗ねているのよ」
 囁きと言っても、密閉された車内だ。耳ざとい詠には聞こえていた――あるいは華琳が聞かせていた――ようで、顔を真っ赤にする。
「な、ちがっ……! 馬鹿言わないでよ。いくら、あんただからって言っていいことと悪いことが……」
 すっと腕から離れていく重み。華琳はふふんと小さく笑うと、詠に向けて言った。
「長いとは言わないけどそれなりに距離のある旅ですもの。まだ機会はあるわよ」
「だから、ボクはそんなこと望んでなーいっ」
 強い口調で反駁する詠の顔は相変わらず真っ赤だ。
 もう少し表情を隠す術を身につけたほうがいいのではないかとも思うのだが、こんな詠を可愛いと思ってしまうのも事実だ。
 そして、こういう時は口を出したら泥沼だということがわかっている俺は、一人黙って水をすするのだった。

 そんなたわいないやりとりをしていると、馬車が動きを止めた。
「あら?」
 それと共に、こんこんと独特のリズムで扉が叩かれる。親衛隊の者が入室を求める際のノックの仕方を、ここでも使っているのだ。
 念のため覗き窓から外を見てみると、そこにいたのは俺も顔なじみの親衛隊の将校だった。
 華琳好みの美女だが、もちろん、いまは完全武装で、物々しい。
 華琳にその名を告げると、開けるように促される。
「なに?」
 扉を開けると、将校は跪き、主の言葉に応じた。
「物見の兵から連絡がきまして、陳留から派遣された兵たちが、しばらくお供をしたいと集まっているそうです」
「数は?」
「三千五百ほど」
 結構多い。
 今回、連れてきているのは、親衛隊の中でも騎馬が五百、歩兵が千といったところだ。もちろん華琳の旅に同行するのだから、親衛隊の中でも最精鋭。
 魏兵の中の最高峰と言っていい。その行軍に、現地の兵がついてこられるものだろうかという疑問もある。
 しかし、兵や現地の指揮官たちの気持ちを考えれば、無下に断るのも良策とは言えない。
 覇王として恐れられているとはいえ、華琳は自国内ではかなりの信望を集めてもいる。そんな彼女をほんの数日だけでも間近で護衛できたとなれば箔もつくし、名誉ともなる。
 士気を高めるためには悪くない手だった。
「物見遊山の旅ではないわ。きちんと行軍についてこられるならば同道を許可すると言いなさい」
「はっ」
「それでも、実際にはついてこられないでしょう。多少は手加減してやりなさいよね」
 その言葉に、彼女はにやりと笑う。
「わかっております」
 そうして、馬車は再び動き始めた。

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