西涼の巻・第二十八回:北郷一刀、覇王と共に江東の小覇王の葬儀に出発すること

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 呉への出発の日は、珍しくどしゃ降りだった。
 自分も濡れずにすむ大きさの傘を華琳に差し掛けながら庭に出ると、すでに馬車が用意されている。
 俺と真桜たちが呉に向かった時のものよりさらに大きく、立派だった。
「……一刀、これはあなたの手配?」
「え、ああ。詠に頼んで、真桜製の馬車を用意させたけど」
「ふうん、そう。詠が……ね」
 なぜか、華琳の視線は御者に向かっている。
 御者は編み笠のようなものを深くかぶっていて顔は見えないが、この雨の中なら当然だろう。いずれ、親衛隊の誰かだろう。
 本当は徐晃――香風(しゃんふー)が立候補してたんだけど、あの子にもやることがあるしな。
 それに、斧をぐるぐる回すと馬車もスピードアップするとか言い出しかねないし……。
「他のがいいなら、いまから用意させるけど……?」
 気が進まないように見える華琳にそう促す。
 ただし、彼女が乗るための馬車となると、安全性にも居住性にも考慮せねばならず、同等のものを探すというのは大変ではある。
 それでも華琳が望むなら、俺はそれをかなえるだろう。
「いえ、これでいいわ」
 しばらく考えた後で、華琳はそう言って続けた。
「さ、濡れるわ。早く乗りましょう」
「ああ」
 なにが気にかかったのだろう。
 不機嫌というわけでもないので、不手際があったわけではなさそうだ。
 そう考えながら馬車に乗り込むと、すでに詠が待っていた。
 彼女自身は――心情的な問題はともかく――別に葬儀に参加せずともいいのだが、北伐の軍を動かす関係で、俺についている必要があるのだ。
「ふふ。それにしても」
 服についた水滴を拭いながら、華琳は小さく笑う。
「北伐で忙殺されているとはいえ、将がほとんど赴かない。これが偽装だと知らなければ、魏はずいぶん薄情な集団だと思われているでしょうね」
「あー、たしかになあ。しかし、動かすわけにもいかないってのが実情だし……」
「蜀だって、桃香と鈴々(りんりん)だけでしょ。曹魏の主が赴くならば、十分じゃない?」
「それでも、呉の民の孫家へのあこがれはたいしたものだから。そのあたりは、蓮華に任せるしかないけれど」
 会話が途切れたところで、改めて馬車の中を見回す。
 内部はかなりゆったりと作られていた。俺は華琳の対面に座っているのだが、その間に卓を挟んでもそれなりの距離がある。
 話すのに支障があるほどではないが、両側の人間が書類を広げられるくらいには広い。実際、詠は華琳の隣ですでに書類を広げてなにか仕事をしていた。
 四方に大きな窓があるのは明かりとりではない。明かりは天窓とそこからの反射で十分だからだ。
 空が暗い今日のような時は、ろうそくを灯すことで中は十分に明るくなる。
 これは、華琳が顔を見せなければならない立場だからだ。
 もちろん、それらの窓は全て金属の細かい網に覆われ、矢などが通らない処置が施されている。その上に鉄板入りの鎧戸を閉めれば、防御は完璧だ。
 さすがは真桜、よく考えられている。
「ところで、一刀。秋蘭と真桜を呼び戻す代わりに送る人間は選んだの?」
 普通のものとはまるで違う滑るような走り出しで場所が動き始めると、華琳は四方の鎧戸を閉めるよう命じて、仕事の話を始める。
「ああ。呉には沮授、蜀には田豊かな。あとは、荀攸を樊城に」
「樊城?」
 樊城は長江の支流、漢水流域の城郭だ。
 対岸の襄陽と並んで軍事上重要な拠点でもある。俺の世界の歴史で言えば、徐晃と関羽が対峙した土地として知る者も多いのではないだろうか。
「漢水を通じて、二国の大使の間の連絡を取ってもらうんだ。南方の情報全般もとりまとめて洛陽に送ってもらうことになるだろう」
 漢水は上流に漢中があり、その下流では長江に合流して建業まで通じている。そのどちらにも連絡が取れる樊城は理想的な場所だ。
 交易の要ともなる場所でもあり、一人、高級文官を置いておきたい場所だ。
「ということは田豊は漢中……南鄭に置いたままにするのね?」
「漢中の問題が完全に解決するまでは、そうだ」
 華琳は、こつこつと卓を指で叩く。
「漢中はたしかに要所。成都で桃香たちの近くにいられないのは問題があるけれど、そこはより下級の人間を置くことで対処するしかないわね。もちろん、南鄭と成都の間の連絡はしっかりさせないといけないわ。でも、悪くはないかもね」
「そのあたりは紫苑たちとも折衝中だが、漢中の安定を睨んで、連絡を密に取ることについては同意を得られているよ」
「そう。じゃあ、荀攸は樊城の太守として、沮授と田豊はそれぞれの大使として派遣しましょう」
 華琳の決定を紙に書き留め、印をもらう。
 簡単な書き付けだが、華琳の印があれば、正式な命令文書となる。
 魏では、格式張った命令書も普通に通用しているが、こういった華琳自身のその時々の判断を示すものも通用する。柔軟な組織の証拠でもあるのだが、文書偽造を警戒して嫌がる者も中にはいる。
 ただ、これまで華琳の印を偽造しようとした例は一件しかない。
 その一件の犯人が、それはもう凄まじい処罰を下されただけに、以後そんなことを試そうとする人間が出なかったのだ。
「秋蘭にはすでに帰還命令を出してあるし、真桜は私たちと一緒に戻すとして、三人の派遣を早めないとね。いえ、二人だったっけ?」
 印をしまいながら首をかしげる華琳。
 そのあまりにあどけない顔つきにどきりとさせられる。たまに、こうして真剣な話をしている時やもっとどうということもない意外な時に、彼女の年齢にふさわしい表情を浮かべるのに、俺はたまらなく惹かれてしまう。
 その一方で、この表情を独占したいという浅ましい欲望が頭をもたげる己の心の狭量さが厭になったりするのだが。
「ああ、そうだね、田豊はすでに動いてるよ」
「いいでしょう。では、ちゃんとその三人を通じて呉と蜀との交渉などを実現させること。それで、洛陽のほうは一人ずつにするのね?」
「ああ、それで十分だと思うよ。ただ、やはり、ある程度の地位のある人間じゃないとまずいとは思う。呉は小蓮で問題ないけどさ」
 それを聞いて、華琳は何事か考え込む。
 先ほどのように検討しているという様子ではなく、深く物事を考えている様だった。
 彼女がそうして考え始めると、膨大な関連事項にまで思考が及び、突拍子もない反応となって返ってくることもある。
「洛陽で各国の重臣が語り合えるという状況は、正直なところ私にとっては好ましい。おそらくは桃香や蓮華にとっても悪くない。それでも、やはり、問題もある。そこが、我が曹魏の都でもあることよ」
 つまり、蓮華が以前言っていた問題に戻るわけだ。魏が一方的に重臣を人質に取っている、と。
 だが、洛陽は魏の都であると同時に漢の都でもあり、国中の情報や人が集まる地でもある。各国の人間が顔を合わせるにはもってこいの場所だ。
「いっそのこと遷都でもしたら?」
 それまで黙って他の作業をしていた詠が顔をあげないままに言う。
「遷都ですって?」
「うん。といっても、漢の都は洛陽のままにして、魏の都をもう少し北にするのよ。具体的には冀州に」
 ふふんと鼻を鳴らして、華琳は先を促す。
 詠は相変わらず他の書き物をしながら、言葉を続けていた。
「北伐が成功すれば、いずれにせよ北方経営を考えないといけないでしょ。西は西涼に任せるとしても、東側は魏が面倒を見ないといけない。だったら、あまり南に重きを置くのはよくないでしょ」
「……鄴あたりにでも遷都しろと?」
「そうね。そのあたりでいいんじゃない?」
 鄴といえば、俺の世界では曹操が銅雀台を作った場所だったか。
 鄴から洛陽を遠隔支配することで、丞相の影響力と、漢の運営そのものを切り離したわけだ。
 俺は頭の中で、位置関係を思い返し、整理し直す。
 現在は五胡の領土である場所を北伐で征服した際、洛陽というのはかなり南方に位置することになってしまう。しかし、その拠点としての重要性が下がるわけではない。そうなると、洛陽や長安といった昔ながらの都との連絡を保ちつつ、北方を睨むことの出来る場所が必要となってくるわけだが……。
「いっそ、都を三つ持つのはどうだろう?」
 ふと思いついたことを口にしてみる。
「三つ?」
「長安、洛陽、鄴。このうち洛陽は漢の都のままでいい。魏の都として、長安を西都、鄴を東都とするんだ」
 それこそ、役割を分担してもいい。行政機構を担当する都と、司法、立法を担う都を別にしたっていいのだ。
「おもしろい案ね。でも、十年先の話ならともかく、大使をどうにかしようとする話で、それはだめ」
 華琳は笑いながらも、ぴしゃりと嗜めるように言う。
 やはり、思いつきだというのが読まれていたらしい。俺はしかたないというように苦笑いを返してみせた。
「まあ、あとは蓮華と桃香と話し合ってみないと。あなたも建業で話してみなさい」
「了解」
 そうして、俺たちはいくつもの案件を話し合いながら、馬車に揺られていくのだった。

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