西涼の巻・第二十七回:孫伯符、周公瑾共に死すの報が都に届くこと

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 夏の終わりだった。
 無論それは暦の上で、実際にはまだまだ暑さはこれからが本番と言えるのだが、いまはそんなことは関係ない。
 ただ、妙に蒸し暑く、風の一つもない、そんな日にその報せはやってきた。
 すなわち――。

 江東の小覇王、呉王孫策――薨去(こうきょ)

 俺は、祭に一つ頼みごとをしてから、華琳の部屋に急いだ。
 ちょうど、蓮華と思春も呼ばれていたらしい。静かに部屋に入ると、華琳が目線で、まずは黙っていろと合図してきた。
 小さく頷いて、扉の前に立つ。
「姉様が死んだだと! あり得ぬ。誤りであろう!」
「しかも、公瑾殿もほぼ同時に亡くなったと? そのようなことが……。殉死なされたとでも……。いや、産後の肥立ちが……?」
「そういう急使が来ているの。それと、蓮華、あなたに王位を譲るという遺言もね」
「そんな、そのような……」
 崩れ落ちようとする蓮華を思春が支える。
 そう、いまの蓮華に膝をつくことは許されない。
 そのことに気づいたのか、彼女はぐっと拳を握りこんで踏ん張ってみせる。涙一つ流れぬ彼女の顔を見ていると、胸がつまった。
 扉が開き、祭が部屋に滑り込む。彼女は持ってきた箱を俺に見せてくれた。
 その様子を確認したのだろう華琳が、俺に声をかける。
「一刀」
「ん」
 呼びかけに前に出る。俺の後ろに細長い木箱を捧げ持つようにした祭が続いた。
 思春がその光景を見て、はっと何事かに気づいたように体を反らせている。
「そ、それは北郷。まさか、お前、あの時から……」
「ああ、思春は知ってるんだったな。そう。あの時からずっと託されていたんだよ」
 祭が跪き、こちらに掲げてくる木箱の中から、一本の剣を取り出す。
 黒塗りの鞘に収められたその剣は、けして、宝剣と言えるほど飾りたてられてはいない。
 だが、その剣こそは、常に孫呉の主の腰にあり、孫家の敵を屠り続けた業物。
「なんかい、はおう……」
 呆然と呟くのも無理はない。蓮華が、ここに南海覇王があることを予測することなどできるはずがないのだから。
 俺は両手で南海覇王を捧げ持ち、礼に則って彼女に問う。
「我が友孫伯符より、何事かあった時には、必ず孫仲謀へ渡すようにと託されたこの南海覇王。受け取るや否や?」
「わ、わたしは……」
 震える声で何事か言おうとした蓮華に、床に跪いたままの祭が、被っていた鬼面を外し、鋭く声をかける。
「わかっておりますな、権殿。これを受け取るということの意味を」
 その時、祭はたしかに孫呉の宿将に戻っていた。江東の虎に仕え、江東の小覇王に仕えた、勇猛果敢な武将に。
 蓮華は、彼女の言葉にゆっくりと頷く。
「わかっている。これは、孫呉の主の印」
 固まったようになっていた思春が、慌てたように祭とは反対側に跪く。思春のそんな様子は、俺もあまり見たことがなかった。
「母様と姉様が佩いていたこの剣、手にする意味はわかっている」
 彼女は俺の手の上にある南海覇王をその手に握った。
 しばらく、そのまま、ただ握っていただけだったが、引き寄せる力が加わったことで、俺は手を離し、後ろに下がる。
「私は姉様の跡を襲い、孫家の主となる。そして、呉の民のため、呉王となろう」
 その宣言は、華琳の執務室に大きく響いた。
 立ち上がり、手を鳴らす華琳――いや、魏の覇王にして漢の丞相、曹孟徳。
「孫仲謀、よくぞ言った。この曹孟徳が全て見届けたぞ」
 無言で軽く礼をして、蓮華はその腰に南海覇王を佩く。その姿を見ていると、なぜか自然と胸が熱くなる。
「ようやっと、ようやっと、儂らの時代が終わったのじゃのう」
 滂沱の涙を流す祭を止めるものはいなかった。
 邪魔してはいけない。そうわかっていたから。
 一段落ついた頃、思春が立ち上がり、疲れたように華琳に向かった。
「ともかく、伝えてきた急使にも会わせてもらいたいのだが」
「ええ、どうぞ」
 華琳の声に従って扉が開き、二人の女性が入ってくる。彼女たちはなぜかフードのようなものを深く被り、その顔を隠していた。
「……おいおい」
 思わず小さく吐いた声に反応したのは華琳の満面の笑みだけ。
 蓮華と思春は動揺が続いているのか、不審そうな顔をしているし、祭は小さい子供のいたずらを見つけた時のような表情を浮かべている。
 その衣装を見た時から、いやな予感はした。
 なにしろ、彼女たち二人は、以前に俺が思春のために仕立てたはずの古典的なメイド服に身を包んでいたからだ。
 服を持ち上げるように盛り上がった胸のサイズが思春とだいぶ違うけれど。
「貴様ら、孫権様の前で頭巾を取らぬは無礼であろう。顔を明かせ」
 思春が、メイド服に気づいているのかいないのか、怒気も露わに二人の前に立ち、彼女たちが深くかぶったフードを剥ぎ取る。
 そこに表れたのは、祭と同じ鬼面。
 だが、片方は雪のように白く、片方は闇のように黒い。
 隠れていない口元と、フードからこぼれ落ちた――片方は蓮華とまるで同じ色の、片方は漆黒の――輝くような長髪。
 それになにより彼女たちの体型や雰囲気は、見慣れた者にはすぐにそれと判別できるものだった。
「はーい、急使の孫奉でーす」
「お、同じく周護だ」
 ばればれであった。

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