西涼の巻・第二十六回:北郷一刀、楽文謙より罪の告白を受けること

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「その……」
 俺は、張り詰めた面持ちでこちらを見つめている凪に向けて、なんとか声を絞り出した。
「凪は俺との子が欲しいと思うわけ……だよな?」
「もちろんです」
 その答えは、全く迷い無く、打てば響くように返ってくる。その時ばかりは、凪は実に嬉しそうな笑みを浮かべるのだった。
「ですが」
 だが、すぐに、彼女の顔は再び曇ってしまう。
「そのようなことを考えることそのものが、華琳様の臣としてふさわしくないのです……」
 暗い顔のまま、凪は途切れ途切れの言葉を続けた。
「華琳様は……魏の国は、三国を率いて、いま大業をなそうとしております。そのような時に……己のわがままを通そうなど……。考えるだけでも罪と言えましょう」
「いやいや。別に考えるだけなら、なにも支障は無いだろう。そもそもわがままとも思えないし……」
「わがままです。少なくとも動くことでしかお役に立てない身にとっては」
「うーん……」
 俺は唸ってしまう。
 彼女の言うこともわからないではない部分もあると言えばある。
 だからといって、ここまで思い詰めるのは、ちょっと行き過ぎだ。その塩梅をどう説明すればいいものやら。
 そう考えているうちに、凪は自嘲のような表情になって言葉を続けていた。
「なにもこの身が特別重要だなどと言うつもりはありません。替わりはいくらでも効くでしょう。ですが、そうなれば、間違いなく隊長に負担が及びます」
「俺に?」
「もし、私が……いえ、私ではなくとも、魏の皆……つまりは、北伐の根幹に関わる誰かが懐妊したとすれば、隊長は喜んでその者の為すべきことの大半を引き受けるでしょう?」
 凪の問いかけは、ほとんど確認であって、問いといえるようなものではなかった。
 たしかに、俺は、彼女の言う通りにするだろう。
 だから、ここでは素直に頷いておいたのだ。
「それは本当にありがたいことですし、肩代わりされた者はとてつもなく感謝するでしょう。しかしながら、それでもやはり負担を強いることには違いないのです」
「まあ、そりゃ……」
 忙しくなるであろうとは思う。
 思うが……。
「いかに華琳様や隊長が素晴らしい方であっても、それはどうやっても重荷です。……いえ、違いますね。すでに様々なものを背負っておられるお二方が、これ以上背負う必要の無い重荷です」
「いやあ、それはどうだろうなあ」
「そうなのです」
 きっぱりと言い切る凪。
 まったく強情なんだから。
 とはいえ、ここまで話を聞いて、彼女が抱える問題のあらましは理解できた。
 要するに、生真面目すぎる凪は、自分の感情に折り合いがつけられないでいるのだ。
 たとえば俺だって、凪と子を成し、親子で歩くことを夢想しないわけではない。
 まあ、俺の場合、それが凪だけに留まらない上、結構な人数であるところが、人と違うところなんだけど。
 いや、まあ、あれだね。女の敵だとか、ちんこ将軍だとか、言われすぎだと思ってたけど、考えてみると俺って……。
 いやいや、いまはそれはいいんだ。
 ともあれ、俺と凪は思いを交わし合っていて、子供を含めた家族という未来を夢見るのは、不自然なことじゃない。
 だが、彼女は自分の感情の自然な延長線上に浮かび上がるそうした望みに、罪悪感を持ってしまっている。
 北伐という一大計画を前にしているだとか、彼女が魏の幹部であるだとか、表面的な理由は色々とあるだろう。
 だが、根本的な理由はおそらく違う。
 それは、きっと……いや、間違いなく俺のせいだ。
 彼女を安心させることの出来ない俺のせいだ。
「凪」
「はい」
「ごめんな」
「え?」
 頭を下げる俺に、彼女は呆けたような声を上げる。
 次いで、慌てた様子で彼女は叫んだ。
「隊長! 顔を上げてください!」
「ああ」
 すっと姿勢を戻す。頭を下げ続けて、彼女を戸惑わせるのは本意では無いからな。
 そんな俺の行動に、凪はほっとした様子を見せつつ、どこか奇妙な表情を浮かべている。
「あの……。隊長?」
「うん」
「なぜ、私は隊長に謝られたのでしょうか」
「凪に寂しい思いをさせちゃったからかな」
「寂しい……?」
 凪はこてんと首を傾げて不思議そうな表情を浮かべた。一本に編み込んだ髪が大きく揺れる。
「ああ。本当にすまなかった」
「いえ、隊長、私は……」
 否定しようとする凪を遮って、俺は淡々と続けた。
「お前たちの前から姿を消して」
「隊長!」
 その呼びかけは金切り声と言うに等しいものだった。
 凪があげるにはとてもふさわしくない声。
「それは、それは……! しかし、あれは……隊長!」
 彼女の言葉は混乱し、その息も荒い。
 武将たちの中でも、身を律することに長け、氣を操ることに長けた凪が、自分の体を制御出来ないでいる。
 それは、まさしく異常事態だ。
 だが、彼女自身はそれに気づいていない。
 いや、構うことが出来ない。
「私は……! いえ、華琳様が……違う。違うのです、隊長」
 俺は、つくづく思う。
 何故、彼女たちの前から。
 こんなにも俺のことを思ってくれる人たちの前から。
 消えなければいけなかったのかと。
 理由はきっとあるのだろうけれど、それでも、やはり納得できるものではない。
 まして、凪の頬に光るものを見れば。
 ぽろぽろとこぼれる涙の美しさを思えば。
「凪」
「隊長、私は」
 俺は、手を伸ばし、彼女の頬を拭う。こぼれ落ちる涙を拭いきることは出来なかったが、流れるままにしてはおけなかった。
「あ……れ……」
 あるいは、俺がそうすることでようやく彼女は自分が泣いていることに気づいたのかもしれない。
 次々に涙が落ちる目をさらに見開いて、彼女は驚いたような顔をする。
 そして、おずおずと自らの頬を撫でる俺の手に触れるのだった。
「ごめんな」
 それが最後の後押しだったんだろう。
 彼女は、俺に取りすがると、声をあげて泣き出した。

 泣き疲れた凪を抱え込み、体全体で枕代わりになりながら、俺は考える。
 これは解決でもなんでもない。
 泣いて泣いて、泣き尽くして、彼女の混乱した感情は、一時は落ち着くところを見出すかもしれない。
 だが、所詮はそれは一時的なものにすぎない。
 彼女が思い詰めすぎた部分をほんの少し和らげたに過ぎない。
 彼女を本当の意味で心安らかにしてやれたわけじゃない。
 そのあたりをけして誤解してはいけないのだ。
 だが……。
「それでもな、凪」
 眠っている凪の背をさすりながら、俺は呟く。
「俺は、お前たちと……大好きな人たちとこの場所にいたい。こうしてずっと共に時を過ごしていきたい」
 聞こえていないのはわかっている。
 それでも。
「そのために、俺はいま動いている。そう感じているんだ。そう信じているんだ。だから……」
 それでも、俺は宣言せずにはいられない。
「約束するよ。ずっと、お前の側にいるよ、凪」
 穏やかな寝息を立てる彼女にそう告げて、俺もまたふわふわとした感覚の中に己の意識を解放していくのだった。

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西涼の巻・第二十六回:北郷一刀、楽文謙より罪の告白を受けること」への2件のフィードバック

  1. ただの子供連れの夫婦なら微笑ましくある光景だろうけど、それが自分の好きな人(今回の場合、一刀)とその友人(今回の場合、紫苑)と友人の子供(今回の場合、璃々)がまるで一つの家族に見えたら妬みもするでしょう。だから凪はそれほど悪くはないはずだけど、真面目というか真っ直ぐな彼女(凪)は罪悪感に苛まれるのでしょうね。

    •  そうなんですよねー。真面目すぎるのも大変です。
       でも、まあ、それもこれも一刀さんに原因があるわけですから、一刀さんに頑張ってもらうしかないでしょうなあ。

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