西涼の巻・第二十二回:次の呉王、戦場で内心を吐露すること

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 篝火が煌々と灯っているおかげで、丘の上の本陣は昼間とはいわずとも、夕暮れ時ほどの明るさが保たれていた。
 周囲からは丸見えだろうが、元々この場所は水のある集落という設定なので、攻撃側もよく把握しているということになっている。暗闇に隠したところでどうしようもないのだ。
 それに、本陣自体は四方を幕で覆っているし、中の動きは伝わらないはずだ。
 俺たちは、五度の突撃をしのぎきり、夜を迎えた。
 被害は、二千ほど。よく耐えたものだと思う。
 ここには、俺と見張りの兵しかいない。
 将たちはそれぞれの部隊に戻してある。夜のうちにやるべきことを指示している者もいれば、明日のために体を休めてもらっている者もいるだろう。
 明日、二日目は激戦だろうと予想し、その準備をしてもらっているのだ。

 俺自身も色々と用意をしているところで、扉がわりにしている垂れ幕が開き、赤い服に身を包んだ凛とした女性が現れる。呉の姫君──蓮華だ。
「ああ、こっちに残っていたのか」
「小蓮は戻した。紫苑が璃々の様子を見に帰るというので、それに同道させてもらってな」
 観戦武官はそれと示す旗を掲げて、演習場のどこへも移動することが許されている。シャオたちは、そうやって洛陽場内に戻って行ったのだろう。
 桔梗も千年の面倒を見るため、夜は帰っているはずだ。
 華琳たちはどうしてるかな?
 彼女たちなら、戦場でも書類仕事をこなすくらい慣れているはずではあるが。
「小蓮だがな」
「うん」
「明日は、あちらの軍にやろうと思っている。騎兵の指揮ぶりも見せておきたいのでな。よいか?」
「ああ、もちろん。紫苑も桔梗と交代するって言っていたしね」
 この口ぶりだと、蓮華はこちらに残るつもりだろう。
 呉では騎兵が中心になるということもないだろうし、こちらを参考にするつもりもあるのだろうか。
 蓮華はそのまま、近くの胡床に座り込んでしまった。なにか話があるのか、と思っても、こちらを奇妙な瞳でちらちら見てくるだけで、話しかけては来ない。
 俺は、確認していた被害報告の書き付けを置いて、立ち上がった。それにつられてか、彼女の視線が持ち上がるのがわかる。
「少し、周りを歩こうと思っていたんだけど、どうかな?」
「ああ、そうしようか」
 そういうことになった。

 護衛の兵はつけずに歩く。ここまで敵が入って来るようなら、それはもう負けだ。
「夜襲は?」
「今日はないと踏んでいる」
「ふむ?」
 横に並んで歩く蓮華の相槌は、理由を説明しろという意味だろう。
「実戦ならともかく、演習で馬を潰すのは嫌だろう? 夜襲はリスク……じゃない、危険性が高すぎる。これが勝負の決まりそうな時期ならともかく、初日から無理をするようなことはしないんじゃないかな」
 篝火で周囲が照らされているせいで却って闇の中に沈んでいる彼方の地平を、目を細めて見つめる。騎兵の本陣は、はて、いったいどの辺りだろう。
「来るとしたら明日の夜だな」
「誰が来る? 華雄か?」
「いや、霞だろう」
 それは俺にとっては、ほぼ確信に近い。だが、蓮華には得心がいかないようだった。火に照らされて、橙色に染まった顔が不思議そうにこちらを見ている。
「張遼か。それほど我が強い印象はなかったがな」
「そうじゃない。霞には成功させられる自信があるのさ。華雄や恋が率いる烏桓は強いが、まだ華雄たちと一体といえるほどには練りこまれていない。翠や蒲公英の隊も同じだ。彼女たちの場合、昔なじみだからまだいいけど、なにしろ集められてからの時間が少なすぎるからな。それに比べれば、張遼隊は部隊として訓練を積んできた。五つの隊の中で、いまの時点で最も怖いのは、張遼隊さ」
 突破力だけで言えば、何時の時点でも、張遼隊こそが最も恐ろしいのだけれど。
「ふうむ」
「それに、霞もあれで先にいきたがる性質だよ。ただ、周りがね……」
 董卓軍時代は華雄、魏軍に入ってからは春蘭がいたからな。しかたなく、抑え役にまわっているというのが正直なところだろう。
「周囲の環境か……」
 蓮華はそう呟いて、しばらく黙っていた。俺もなんとなく口をきいてはいけない気がして、二人、黙って歩く。
 蓮華が再び顔をこちらに向けて口を開いたのは、丘をほとんどまわりきった辺りでだった。
「小蓮に、お前と話すよう言われた」
 言葉を選び疲れたのか、彼女の声は少しかすれていた。
「あやつ曰く、意地を張るでも、喧嘩をするでも、好きにすればいいが、周りにわからぬようにしろ、だそうだ」
「はは……手厳しいな」
 シャオも言うようになったものだ。それよりも、その言葉を蓮華自身が平静に受け止めたのかどうかが気にかかる。今日の様子を見ると、大喧嘩をしたという風もなかったが。俺の視線に気づいたのか、彼女は謎めいた笑みを浮かべて、挑戦的に声を放つ。
「あるいは、お前を敵だと認識しろ、と」
 おやおや、さらに手厳しい。
「ただし、一刀を敵にすれば姉妹を敵に回すと思え、とも言われた」
 やれやれという風に首を振った後、彼女は真剣な顔に戻った。
「大きくなったな、あれは」
「ああ、本当に」
 その感慨は、俺などよりは遥かに大きいものだろう。シャオが生まれた時から共に生きてきた蓮華にとって、妹の成長は大きな意味を持つはずだ。
 俺も妹の成長を実感したときは……時は……。いや、そもそも、そんな時あったっけかな?
 俺が変なことを考えている間に、蓮華は思案顔で話を続けている。
「あやつの言うことは正しい。私とお前の立場を考えればな」
「窮屈なもんだね、喧嘩一つできないって。官位なんて欲しくなかったんだけどなあ」
「私は慣れている。それに官位の問題ではないさ」
 その言葉を聞いて、少し考える。たしかに、官位の問題ではないのかもしれない。
「まあ、そうかもね」
 そのあたりで、本陣にたどり着いた。人払いをして、二人きりになる。兵が持ってきてくれた湯をそのまま注いで、白湯をすすった。
「いくつか尋ねたい」
「うん」
 白湯の熱が体に落ち着いたところで、蓮華が胡床の上の体をこちらに向けてくる。
「この陣の中にも、あるいは、東軍の陣の中にも、お前の女がいるな?」
「まあ……うん。お、多いよね」
 女性の問題でこじれただけに、いまそのことを言われると、心臓をなにかにぎゅうと握られたような気がしてきてしまう。
 ただし、事実は事実なので認めるしかない。
「ふん。実際は、人数だけでみれば大したことではないだろう」
「え?」
「大きな商家の主でも、婢や妾、使用人という名目で、十人、二十人の女を抱えている者も、まあ、いないではない。まして九卿ならば数十人程度。知っているか? 宦官でさえ、たくさんの女を侍らす者が多くいたのだ。欲のためか、ただの見栄か。私にはわからんがな」
 妻帯している宦官がいたという話は聞いたことがあったが、複数の女性を囲っていた宦官もいたのか。男性機能を失ったことの代償行為としての意味もあるのだろうか。
「数を揃え、ただ、金を、物をやるだけの女なら、大した話ではない」
 だが、と彼女は言う。
「以前、お前は、全てを幸せにしてみせると言った」
 問い掛ける目は真剣だ。青い瞳の奥に、怒りとも疑念ともつかぬ、なにかの感情の渦があるように思えた。
「そうだね」
「相手を戦地に連れて行くことも、その一環か?」
 一瞬、息を呑み言葉を失ったが、それでもなんとか普段と同じような笑みを浮かべられたと思う。俺ははっきりと、次の言葉を口にできた。
「戦う場所を用意してあげなきゃいけない者もいるだろう、中には、ね」
「ふうん。悪びれもしない。さすがと言うべきか」
 言葉を継ごうとして、制止される。
「私は、いまだにあの言葉を疑っている。だが、それでも、お前が本気だということはわかった。愛する者を指揮してみせるというならば、それは一つの覚悟であろう。だとするならば、誰を抱こうと、誰と情を交わそうと責めるべきではなかったのかもしれぬ。……いや、まずはそれは置いておこう。他のことを聞きたいが、よいか?」
「ああ、もちろん」
 矢継ぎ早に質問する意味はよくわからないが、彼女が納得してくれているならいいだろう、そう思えた。
「この戦、勝つか?」
「……この演習のことじゃないね?」
「ああ、北伐そのものだ」
 ならば、答えは決まっている。
「勝つよ」
 これは希望でも気概でもない。
 ただ、決まっていることなのだ。
 蜀の攻略戦が、洛陽から進軍を開始した瞬間から勝敗が定まっていたように、魏の戦というのは、はじめる前に勝利は約束されている。今回で言えば、魏・呉・蜀三国から合わせて五十万の兵力を集めた時点で、こちらの勝ちだ。
 あとは、いかにそれを現実のものとするか、だ。
「そうか。ならば、魏は膨れ上がるな。我らがもはや止めようがない程に」
 それはあまりに淡々としていて、言葉に含まれた意味を聞き逃してしまいそうなほどだった。徹底的に無感情なその声に、俺はひどく驚いた。
「これは魏のための戦じゃ……」
 弁明とも言えぬ言葉に、彼女はかぶりを振る。
「魏という枠など関係ない。曹操という覇王の力が膨れ上がることこそが問題なのだ」
「しかしだな……」
「なにも私は負けることや、華琳殿の力が削がれることを願っているわけではない。ただ、覇王の進む先がどこなのか、それがわからないのが不安なのだ」
 蓮華は卓の上にまとめてあった地図を引っ張りだし、それを広げて見せる。そこには、三国と南蛮、そして北方の五胡の土地が描かれている。
「政に携わるものならば、大なり小なり、先を見据えているものだ。その中で、深く考えているのは、王や軍師などの限られた者だけだろう。彼らは十年先、三十年先、百年先を考え、そのために動く。だが、それですら追いつかぬ。果たして、覇王はなにを見ているのだ?」
 腕を組みなおし、考える。
 果たして、華琳の見ているものとはなんだろう?
 その視界はあまりに広く、その思考はあまりに鋭く深い。俺などには想像もつかないものを見ている彼女の世界をどう説明したらいいか、戸惑う。
 しかし、答えなければいけない。そう思った。
「世界、だろうな」
「世界」
 おうむ返しに呟く蓮華の手元の地図を引き寄せる。
「この地図に描かれた地域だけじゃない。さらに広く、さらに遠く、大宛の果て、大秦に至るまで」
 蓮華の目が閉じる。目眩を感じた時のように手をやる先の額には、じんわりと汗がにじみ出ているのが見えた。
「もちろん、これは俺の想像であって、華琳自身はもっと別のものを見ているのかもしれない。けれど、少なくとも俺が理解できるところでは、彼女はこの大陸全てを見ているだろうと思うよ」
 彼女は、もごもごと、何事か口の中だけで呟いている。しばらくして、目を見開くと、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「では、お前は?」
「俺は王でもなんでもな……」
 続けようとした途中で、からかうような笑みと一緒に切り込まれた。
「いずれ覇王の夫となるであろう人物を、王族と言わずなんと言う?」
「あー、えーっと」
「そうでなくとも、私は、北郷一刀の見ているものが知りたい。……だめだろうか?」
 不安げにその青い瞳を揺らす蓮華の問い掛けを断ることのできる人間は、そうそうおるまい。
 彼女のその表情に強く惹きつけられながら、そんなことを思った。
「そうだな……。かつて、華琳は強い国を作ると言った。この国を平和にするために、強くするとね。そのこと自体は間違っているとは思わない。強ければ無駄な戦もしないですむんだから。
 けれど、それだけでは足りない気もするんだ。もちろん、漢の領土だけで考えれば、そう問題になることはないだろう。けれど、華琳はすでにその先、北方や西方に目を向けているし、それらを含めた大きなくくりの中では、力による発展はどこかで止まる。
 だから、俺は、そうした発展が止まった後にも、別の形で発展が出来るだけの素地を作っておきたい。以前、穏や亞莎に語った大規模な経済圏もその一環だ。
 三国や南蛮や五胡だけじゃない。さらに多くの人々を巻き込んだ物品の流れ、人の流れ、知識の流れ、金の流れを作りたい。そうすることで、一部でなにかが起きても、どこかでそれを補うことができる、そんな繋がりを作りたい。
 卑近な例で言えば、五胡の人たちが食料難に陥っても、将来の羊毛や馬の提供と引き換えに南方の物資が届くような、そんな連携を。
 もちろん、それには百年単位で時間がかかるかもしれない。だから、まずは華琳を支えて、この地域にしっかりと平和を根付かせたい。子供たちに戦乱で荒れた土地を残すのは嫌だからね。
 ……こんなところ、かな」
 孫呉の姫君は、じっと俺の話すことを聞いていたが、俺が口を閉じると、緊張が解けたかのようにふーっと大きく長い息をついた。
 そして、彼女の真名にふさわしい、光り輝く華の如き笑みを浮かべた。
「お前はおかしな男だ」
 その言葉に、まるで悪意はなく、俺はなんとなく蓮華の言葉がすとんと心の中で落ち着くような気がするのだった。

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