西涼の巻・第二十一回:北郷、歩兵を率いて騎兵と対すること

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 そんな経緯があって始まった模擬戦だが、ねねたちの提案によって、俺の側にずいぶんと不利な状況が設定されることとなった。
 なんと、西軍の俺の側には歩兵と工兵がほとんどで、騎兵がごくわずかしかいないのだ。
 東軍には騎兵が二万四千もいるのとは大違い。
 白蓮率いる白馬義従は歴戦の精兵で頼りになるとはいえ、二千はいかにも少ない。
「騎兵二万四千、か」
 払暁、小高い丘の上からでも見えてこない敵の数を口にしてみる。
 馬一族の騎兵が――蜀に残っていた兵も合わせて――一万一千も集まったこともあって、騎馬兵力は膨れ上がっていた。
 圧倒的な兵力といえる。
「歩兵は三万四千、工兵が千、白馬義従が二千。数では勝っていることになっておりますな」
「……わかって言ってるよね、子龍さん」
「ええ」
 騎兵の突破力、攻撃力の前には、多少の兵数の多寡など問題にならない。歩兵が十倍というならともかく、倍もいないでは。
 しかし、こんな状況でも、勝たないまでもいい勝負はしてみせなければならない。ねねたちの策のためにも、左軍の歩兵たちに自信を植えつけるためにも。
 あとついでに、俺を大将として将兵に認めさせるというのもあるな。
「じゃあ、最後の打ち合わせをしておこうか。魏将軍はどこかな?」
 周囲を見回して、薄暗がりの中、将たちを確認する。麗羽、斗詩、猪々子、それに祭。歩兵を担当する将は、文長さん以外、皆揃っていた。
 白蓮ももちろんいる。
「呼んできましょう」
 子龍さんが着物の長い袖を翻し、歩いていく。
 本陣には、ねねと詠の目論見通り、蓮華と小蓮、それに紫苑もいる。東軍の本陣には思春と桔梗、華琳と風、春蘭がいるはずだ。
 彼女たち観戦武官は指揮をすることはできないものの、アドバイスをすることまでは禁じられていない。
 さすがに華琳や風が口を出すことはないと思うが……。
 まあ、戦が面白くなるような口出しならする可能性はあるけどな。
「ねー、一刀ー」
「なんだ?」
「こっちには軍師いないのー?」
 そう、そこだ。
 小蓮が言う通り、こちらには軍師がいない。それぞれの部隊を率いる将軍はいても、全体を見通すのは俺一人に任されている。
 そのかわり、あちらには大将はいないのだが……。
「ねねは元々恋についてるし、詠は騎兵の根幹だからね」
 とはいえ、さすがに今回は、ねねには恋の部隊の様子だけを見てもらうことにしていた。
 ねねも詠も自由に動けるでは、いくらなんでもこちらの勝てる要素がなくなってしまうから。
「小蓮様、ご心配めさるな。儂もおるし、旦那様もおる。充分じゃろうて」
 祭がからからと笑う。おそらく、彼女は本気でそう思っているのだ。
 事実、朱の鬼面の奥で光る目は笑っていなかった。
 俺を見つめる視線には信頼が溢れている。
「……祭や一刀を疑うわけじゃないけどさー。たとえば、冥琳がいるといないとでは大きく違うよ?」
「小蓮。冥琳ほどの者は、この世のどこにもおらんぞ」
 蓮華が叱るように言い放つ。
 正しい言だ。
 軍師の才だけならば匹敵する者もいるだろうが、民政の腕、武将としての指揮能力。全てを兼ね備えるような人材はなかなかいない。華琳では王としての立場があって、比較しがたい。
 紫苑が孫呉の姫君たちの会話を聞きながら、婉然と笑みを浮かべた。
「ともかく、わたくしたちは一刀さんたちの指揮を見守るしかありませんわ。違いまして?」
「それはそうだ。騎馬の部隊もそうだが、それにどう対応するかは、私も楽しみにしている。期待していいのだろうな?」
 本当に楽しみにしてくれているのだろう。今日の蓮華は機嫌がいい。
 ねねと俺の目論見はともかく、この演習からなにか得るものがあれば嬉しく思う。
「もちろん」
 重圧をはねのけるように、簡潔に言ってのける俺だった。

 将が全員集まり軍議がはじまる頃に、ようやく辺りが明るくなった。蓮華たち観戦組は、同じ机についてはいるが端に控えている。
「さて、基本事項をもう一度確認しよう。
 この演習の期間は三日間。戦場は五十里四方。兵力は左軍全軍、六万を超える。大演習だ。夜襲、伏兵、なんでも許可されている。許されていないのは、殺すこと。これには馬も含まれる。武将のみんなは兵を相手にする時は、それだけは気をつけてもらいたい」
 今回の演習は、成都で行った模擬戦よりさらに安全に配慮している。槍も矢も、その先端は布で丸く覆い、傷つかないよう考えられているのだ。
 それですら、兵は死ぬ。
 落馬したり、転んだり、なにか避け損なったり。
 打ち所が悪ければ、それだけであっさりと人は死ぬ。
 だが、訓練をこなしていかなければ、本当の戦闘になった時、より多くの人が死んでしまう。そんな事態だけは避けねばならなかった。
「武将相手には、気をつけなくてよいということですかな?」
「武将相手に手を抜いていたら、こっちがやられちゃう。そうだろ?」
 子龍さんの交ぜっ返しは、緊張の裏返しだろうか?
 天下の趙雲将軍が、緊張に包まれているとも思えないが……。
「ふふ、たしかに。相手には北郷六龍騎のうち、五龍がおりますからな」
 なんだか、不吉な単語を耳にした気がする。
「……えーと、ちょっと待った。なんだそれ」
 困惑する俺に、武将たちは目配せを交わし合っていたが、結局は祭が口を開いた。
 白蓮がうつむいて、その肩にどんよりとした影が見えるのは気のせいか。
「軍師殿が、騎兵の部隊を細かくわけ、色と番号をつけたことは知っておられますな?」
「ああ。百人隊ごとにわけて、運用するって聞いた」
 たしか、霞が碧、翠が緑、白蓮が白、蒲公英が緋色に、華雄が黒で、恋が赤だったか。
 それに百人隊の番号がついて、たとえば霞の部隊なら碧の一番から碧の五十番まで存在しているはずだ。
「いつからか、それぞれの色の名前に龍をつけたものが、隊全体の名として通るようになっておるのじゃ。ここにおる白蓮殿の部隊は、白龍隊というわけで」
「そこまではいい、そこまではいいんだ……」
 白蓮がうわ言のように繰り返す。それぞれの隊の愛称のようなものができるのは悪いことではない。むしろ、士気をあげるのにも役立つ。
 そこは、白蓮と同意だ。
「そのうちに、兵たちの間では、それぞれの隊を率いる武将六人を指して、六龍騎と呼ぶように。いまは左軍の中での呼び名でしかありませんが、この戦に勝てば、さぞ有名になることでしょうな。なあ、白龍殿?」
「白馬長史でも大概なのに、その呼び名はやめてくれぇ!!」
 白蓮が涙目で大声を上げるのに、周りの将軍たちはにやにや顔を隠さない。
 とはいえ、二つ名ができるというのは、それだけその人物が評価されていることでもあるし、兵たちが自発的に呼び出したのなら、それを否定するわけにもいかない。
「ま、まあ、それはいいだろう。兵は自分たちの将軍には憧れるものだろうし、その程度は甘受してもらわないと……な、白蓮。我慢してくれ」
「うぅ。わかったよぅ」
「しかし、子龍さんの言い方だと、その上になにか余計なものがくっついてたね?」
「それは、ほら、アニキが大将だから、どうしても」
 猪々子の能天気な声に、頭を抱える。
「勘弁してくれ……」
 白蓮の気持ちがよくわかった。なんてこっぱずかしい。
 ただ、六龍騎はともかく、北郷の名は冗談ごとではすまない。
 この軍はあくまで、魏と蜀――そして、いずれは西涼の中核となる面々の――ものであって、俺の軍では決してない。
 詠に話して、北郷の名を削った六龍騎だけが名を馳せるよう、噂でも流してもらうべきだろう。
 一度流れたものを消すには、別のもので上書きするのが一番だからな。
「よし、それはひとまず置いておこう。話を戻す。
 ともかく、なんでもありの演習だ。兵を殺さないことを除けば、実戦だと思って挑んでもらいたい。設定としては、我が方が水場である丘を占拠していて、相手は五胡、特に羌族の戦闘様式を真似ることになっている。
 勝利条件は、三つ。
 本陣を崩すこと、相手の兵を四分の一以上退場させること、華琳が勝敗を決するに足ると判断した場合。この三つだ」
「その最後が聞いた時からよくわからんのだが」
 文長さんが手を挙げて発言する。
 彼女は、成都で会った時とは違い、こちらでは――少なくとも公的な場や宴席については――普通に接してくれている。俺に隔意があるのではと不安だったが、そうでもないようだ。
 桔梗によれば、玄徳さんが関わることとなると『はりきって』しまうらしい。つまり、そこに関係しないときは冷静に判断も出来るし、ましてや無駄に敵意をむき出しにしたりはしないということだろう。
 さらに桔梗の評をひくなら『いくさ人としては、なかなかの者。ただ、若く、主への崇敬がいきすぎておる』ということだった。
 私的な会話ができるほどの時間はまだ過ごせていないが、兵の動かし方はたしかにうまいものだと思う。
 華雄や恋と同じく、自分が前に出ることで、兵を率いていくタイプだ。
「うーん。たとえば、兵糧を全て焼いてしまうとかかな。そうなれば、勝敗は決まるからね」
「要は、華琳さんを納得させるだけの働きをすればいいってことですよね?」
 これも、手を挙げた斗詩。その隣で麗羽が頷いていると思ったら、居眠りして首を振っていただけだった。
 ……まあ、斗詩が聞いていればいいか。
「そうだね。まずはしっかりと戦をすればいいのさ」
 その言葉に皆が頷く。疑問を呈した文長さんも同様だった。
「しかし、こちらはほとんどが歩兵。騎兵の隙を突くというのは厳しいでしょう。あちらがそれをやるならともかく。すると、やはり目指すは相手の数を減らすことになりますな。じゃが……騎兵六千を減らすのは厳しいですぞ」
「そうだね、正直厳しい。ただ、歩兵側には有利な条件もある。騎兵は、乗り手が馬から落ちれば死亡とみなされること、こちらが水源となる丘を占拠している設定だけにあちらは自力で運べるだけの水と乾燥食糧しか持っていないってことだ。食べ物が乏しいのは、演習とは言え士気に関わる。特にこっちにはたっぷり水と食糧があるからね」
 ただし、張遼隊のように訓練された部隊にそれは通用しないのだが。そんなことは諸将は承知のことだろう。あえて言うまでもない。
「また、実際に作ると馬を損なうので落とし穴は作らないが、落とし穴地帯を見届け人の華琳に届けることで、そこに入った馬群も退場させられる。ただし、一度使うと、そこには自軍の兵も入れなくなるから気をつけて」
 すでに皆に通達はしていることを、繰り返す。こちらには工兵が多数いるが、彼らの一部は、今回、罠を作っているふりを続けてもらわねばならないだろう。
「もう一つ。相手には大将がいない。本来の命令系統からすると、軍師である詠、あるいは五胡をよく知る翠が大将となるべきだけど、今回はそれをしていない。追い詰められない限りは誰か一人の指導者を選ぶことはしない、と取り決めがある」
「なんでそんなことするのー?」
「これも、五胡を再現しているのさ。いま、羌にも匈奴にも、単一の強力な指導者はいない。鮮卑は多少組織化されているという話もあるけど、二万を超える兵を抱えている族長はいないはずだ。多くても、五、六千。だから、二万四千の敵がいるとしたら、それは、四人から六人程度の指導者によって構成されていることになる」
「つまり、現在の東軍のように」
 蓮華の言葉に強く首肯する。
 部族ごとの寄せ集めと、常日頃共に訓練している兵を率いる将軍たちでは、その連携具合は比べ物にならないだろうが、そのあたりまで再現できるわけもない。
「うーん、これって、実際のところ、守りきればこっちの勝ちと言ってもいいんじゃないの?」
「そうだね。でも、やっぱり勝ちを狙いたい」
 何事か考えていたらしい猪々子が手を挙げて発言するのに、決意を込めて答える。
 居並ぶ将軍たちは、その言葉に一様に頷いていた。やはり、やるからには勝利を目指すべきだ。
 少なくとも大将の俺がそうでないと、将軍たちのやる気まで殺いでしまうことになる。
「ただ、一日目の今日は守りで行く。これは演習だから、行動を共にする騎兵の力を兵たちに知ってもらうためにも、しっかりぶつかっておく必要があるんだ」
「相手の出方を見るためにも、そうすべきだろう」
「まずは、お手並み拝見、じゃな」
 文長さんと祭が賛同し、他も納得する。誰か意見のある人はと見回して、発言する者がいないので最後の確認を終えた。
「それじゃあ、がんばろう」
 そうして、皆はそれぞれにやるべきことをするために解散した。

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