西涼の巻・第二十一回:北郷、歩兵を率いて騎兵と対すること

1 2 3

 ねねの話を詳しく聞くに連れ、詠の眉間の皺が深くなっていくのが如実にわかった。
 椅子を動かして蹴りの範囲から逃げようとしたら、すでに椅子に彼女の脚が絡んでいて動けなかった。
「なんかやってるのは知ってたけど、そんなことだったとはね」
 詠の静かな声が恐ろしい。眼鏡の奥で瞳が鈍い光を放つ。
「たしかに、ボクたちは、いまはあんたの下で保護を受けてる身よ」
 ぎりぎりと歯を食いしばる音が聞こえてきそうだ。
「でもね、北郷一刀。陳公台は立派な軍師なの。そりゃあね、見た目から言ったらボクだって、彼女だって、子供みたいに見えるかもしれない。でも、ボクたちは献策して、判断して、ちゃんと事を実行に移せる。そうしてきたの。それが生業なの」
 静かに言い聞かせるように続いた言葉は、そこで急にはね上がった。
「それを! なに個人的なことでこき使ってるの! ふざけんじゃないわよ!」
 その通り。詠の言うことは正しい。
 といってこの怒りを避けるために、こちらの言い分を黙っているのも卑怯な気がした。彼女が正しいからこそ、真摯に答えねばならないこともある。
「詠、俺は……」
「待ってください」
 俺の反論は、ねね本人によって遮られた。
「詠がねねのために怒ってくれているのはよくわかるです。しかし、いかにへぼとはいえ、主が精神的に休まらないならば、助けるのも我らの役目ではないですか」
「ねね……」
「それに、大鴻臚と呉の王族が不和というのは、政治的にも危ういですよ。それをどうにかするのは、軍師の任としても問題ないでしょう?」
 問い掛けるような顔の詠に、挑むような視線のねね。
 その視線で、二人はいくつもの言葉を交わしているように見えた。
「……あんた、こいつのこと嫌ってなかった?」
「そりゃ、まあ、恋殿と引き離されたのは寂しかったですが、いまさらです。一度引き受けたなら、任を全うするのがねねの流儀です。恋殿の御名を汚さぬためにも」
 詠は、ふうと息を吐き、椅子に深く腰掛けなおした。ねねもとことこと歩いてきて、詠の隣に座る。
「……そう。わかった。怒鳴って悪かったわ。ただ……」
 詠とねね、二人の軍師の視線が俺に向く。
「女に関する不始末なんて……。いい加減にしなさいよね」
「それに関しては同意ですね。二度目はないですぞ」
「は、はい」
 四つの目の圧力に、膝に手を揃えて頭を下げてしまう。
「で、さっきの話に戻しましょうか。模擬戦で蓮華をやっつけて認めさせるって?」
「はい。こいつと蓮華がそれぞれに率いてですね……」
「だめね」
 ねねの言葉を最後まで聞かず、詠は切って捨てた。
「考えてもみなさい。蓮華はそもそも左軍ではないし、旗下の将軍たちと一緒に戦ってきたわけでもない。訓練を共に経験し、それ以外でも一緒に過ごしてきたこいつが将たちを使いこなして勝ったとしても、それは当然のこと。多少は認める部分もあるでしょうけれど、反発を招く可能性も高いわ」
「しかしですね……」
「呉軍を引っ張りだすわけにもなあ。あれはあくまで後方部隊だし」
 実際には北伐には参加すらしないのだが、それをいま言うわけにもいかない。
「いい? 対峙するばかりが相手を認める術ではないのよ、ねね」
 詠の言葉に、ねねが考え込む。しばらくすると、ぽんっと手を打って顔を上げる。
「そうか、わかった。こいつの側で指揮の冴えを見せてやればいいですね?」
「そうね、それもいいかもしれない。どうせなら、紫苑たちも呼んで、三国合同で観戦ということにしたらどうかしら」
「むむ。たしかにそのほうが自然にできますね」
 うまく誘導しているな、詠。このあたりは、さすがに場数が違う。
「できれば、不利な状況で、このへぼ主が鮮やかに勝つのがいいでしょう」
「お、おいおい。無茶を……」
「それならいい手があるわ」
 詠がねねを手招きし、耳打ちする。話を聞くうちに、にんまりとした笑みの形に変わっていく顔。
「そいつはいいですね!」
 にっこりと笑いあう二人の軍師の姿を見て、なぜかいやな予感しかしない俺だった。

1 2 3

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です