西涼の巻・第二十回:陳公台、北郷のために奔走すること

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 茶と茶菓子を用意して、陳宮を迎える。
 保存食料の開発に力を入れている流琉が差し入れてくれたラスクのような、あるいは乾パンのようなお菓子があったのでそれを出すことにした。
 実際に兵に渡るときには糧食として配給されるから、俺のところに持ってきたように、砂糖はまぶさないのだろうけれど。
「ところで、こないだ恋殿から言われたのですが」
 とりあえずは、と二人で茶を楽しんでいるところで、陳宮が言い出した。
「そろそろお前にねねの真名を預けてやるべきではないかと」
「ほう?」
「左軍の中でねね一人ですからね。蜀勢はともかく」
 おそらく、恋は陳宮と俺が仲よくなることを期待しており、陳宮自身は政治的効果を考えると強くは反対することもないというところだろう。
 恋の親切からきているのだろうが、少々急ぎすぎかもしれない。
 まあ、ありがたいけどな。
「そりゃあ、真名をもらえれば嬉しいことは間違いないよ。ただ、知っての通り俺には一刀って名前しかないし、なにより、そういう政治的配慮とかでもらうものじゃないだろう。なんだったら、軍議の時は、皆、名か字で呼ぶことにしたっていい。公私の別をつけるのも悪くない」
 彼女はそれを聞いて、ぱりぽりとお菓子をかじった後、俺を覗き込むように身を乗り出してきた。
「ふーん」
「ど、どうした?」
「お前がねねの言うことにほいほいのってくるようなら、恋殿をなんとか説得して諦めてもらおうと思っていましたが、まあ、それなりに気骨はあるようですね」
 予想外だったという様に、鼻を鳴らす陳宮。
「ねねの真名、欲しいですか?」
 体を戻し、まっすぐ問い掛けられた。その大きな柿渋色の瞳が、俺の表情を何ひとつ逃さぬように観察している。
「そりゃ、預けてもらえるものなら、そうしたいと思っているよ」
 少し考えた後の答えはそんな平凡なものだった。
 仲よくしたいというのは本当だ。ただ、呉に連れて行ってやれず、一人で洛陽へ残してしまった負い目もある。
 俺の方から強く言えるわけもなかった。
「わかったです。ねねの真名は音々音です。ありがたく受け取るがいいです」
「へぇ、ねねね、と三回なのか」
「どういう意味ですか?」
 小首をかしげる音々音。恋といい、この主従はどこかあどけないところがある。
「いや、ねねって真名かと……。みんなそう呼んでたから」
 真名を貰っていなくとも、耳にすることはあるし、だいたいは識別できる。失礼になると思って、預かっていない真名を意識に上らせることはないけれど。
「そ、それは、恋殿が愛称として呼び始めてですね」
 なんだか慌てたような、ねね。うん、音々音より、呼びやすいし可愛いよな。俺もそう呼ぶことにしよう。
「そんなことはいいです。で、相談というのはなんですか」
「ああ、それなんだけど……。呉の面々とちょっと衝突していてね……」
 俺は、そこで、思春と蓮華との諸々の出来事を語った。
 彼女たちのことを、というよりは自分自身の行動を語る形であったが、ねねは充分理解したようだった。あまりに個人的なことなので、席を蹴って立ち去られるかとも思ったが、俺の立場や相手の立場を考慮して、聞いてくれているようだった。
 もちろん、恋に頼まれたという面が非常に大きいとは思うが。
「要はお前が見境なく女に手を出すから、軽蔑されたと。そういうことですね?」
「いや、見境ないわけじゃあ……」
「あっちはそう思ってますよ。違いますか?」
「それは……そうだな」
 あまりに容赦ない言葉に少し傷つくが、ねねの言うことももっともだ。俺がどう考えているかではなく、蓮華の考え方からアプローチしていくしかない。
「んー、時系列でまとめてみましょうか。まず、お前が盛っているのを目撃され、美羽との仲を知られたのが、五十日程前」
 盛ってるって。
「その後、口をきいてくれない時期が一月は続き、十日前の武術大会の頃には事務的な会話はできるようになっていた。これでいいですか?」
「ああ、そんなものだな」
 蓮華も、さすがに公式の場でも沈黙を保ち、全てを思春に任せておくのは限界があると感じたのだろう。
 公的な場では談笑程度なら応じてくれるようになった。
 ただ、それを離れると、本当に事務的な話しかしてくれないのが困りものだ。
「一応、軟化はしてきているですね。放っておいても、しばらくすれば普通に接するようになるのでは? 大使の任期はまだまだあるですよ」
 それではまずいのだ。
 なにしろ、あと三ヶ月もすれば雪蓮が『死に』、蓮華は帰国してしまう。
「いや、北伐開始前にはなんとかしておきたい」
「ああ……。たしかに、それを考えると急ぐ必要があるですね」
 事情を知らないねねは、あくまで北伐に支障が出ると考えたようだ。
 呉軍との連携が取れなかったら困るのは事実だ。国譲りの話がなければ、それも解決せねばならない動機になっていただろう。
「そうすると、最善はお前を認め、呉勢との交際を認めさせること。最低でも右軍と左軍がぎくしゃくしないような程度まで仲を修復すること。これが目標ということでいいですか?」
「うん、そうだな」
「わかったです。このねねにどーんと任せておくです」
 そう言って胸を張るねねの姿は、背伸びしている子供のようで危なっかしい気もしたが、不思議とその言葉だけは信用できる気がするのだった。

「さて、いかな大軍師といえども、問題の本質を分析してみなくては解決策を得ることはできないのですよ。あ、お茶おかわりです」
「はいよ」
 ついでに俺のお茶も一緒に淹れに行く。
 ねねは腕を組んで、ぶつぶつと考え事をしていたが、俺がお茶を置くと無意識のように手を伸ばして軽くすすった。
 あちっと舌を出してくるのはご愛嬌。わたわたとお菓子を口に含んで熱さを忘れようとする様子がなんとも可愛らしい。
 しばらくして、彼女は顔を上げる。
「ねねが思うに、問題は、袁家と孫家の関わりにもありますね。そのあたり、わだかまりは解けていないのでしょうか」
「そりゃあそうじゃないかなあ……」
 特に、蓮華は美羽にほとんど接していないはずだ。
 雪蓮のようにいきなり斬りつけることはないだろうが、複雑な思いはあることだろう。
 ただ、それを表面に出すことはないはずだ。現状、大陸の運営に関わっている人々の誰もが、それぞれに負けた勝ったという因縁を持っているが、それを言い出せばなにもはじまらなくなってしまう。
 以前、麗羽たちがじゃれていたのとはわけが違う。
 だが、心の奥底には、なにかは残っているのかもしれない。
「となると、美羽たちが洛陽にいないのが困りものですね。まず、美羽たちのほうを一角の人物と認めさせられれば、それに手を出したお前も、まあ、なんとか正当化されたかもしれないですよ」
「ああ、そう言われれば……。でも、美羽も七乃さんも今更呼び戻すわけにもいかないし、客胡との交渉の内容を喧伝するのもな」
 それに成果だけを見せても、蓮華が納得するとも思えない。本当にわだかまりがなくなるのは、彼女が美羽と接することではないかと思う。
「しかたないです。まずは別の方向から考えてみるです」
 ねねは紙を取り出して、何事か書きつけていく。
「ええと、呉の面々で、お前が相手にしているのは誰と誰ですか?」
「雪蓮と冥琳、小蓮に思春、明命、亞莎、穏。あ、祭は含むのかな?」
「ほぼ全員ではないですか!?」
 驚かれた。
 たしかに考えてみれば、呉の重臣のほとんどと愛を交わしているのだな。それを言ったら、魏の重臣は全員なのだが。
「となると、呉の人間に仲立ちを頼むというのは逆効果な可能性が高いですね……。しかし、そうなると……」
 そこまで言ったところで、ねねはふと顔を上げた。何事か疑問に思ったのか、首をかしげている。
「ところで、お前はなぜ、そんなにも多くの女を欲するのですか?」
「へ?」
「もちろん、地位からすれば、血を残すためにも複数の妻や妾を持つことは珍しくありません。でも、だからといって、名のある武将、軍師、王族を軒並みというのは、少々行き過ぎの気がしてならないですよ」
「そ、そう仰ってもですね……」
 なぜかかしこまってしまう俺。
 ねねは大まじめらしく、腕を組んで考え考え、質問してくる。
「もちろん、お前がただ単に欲望のおもむくままに手を出している可能性もあるですし、生来、並外れて色事に対する欲が強いということも考えられます。詠が言っているようにちんこの化身なのかもしれません」
 いや、真剣な顔でそんなこと言われましても……。天の御遣いでも大概と思ったが、そんな化身にされてしまうとは。
 お釈迦様の邪魔でもすればいいのか?
「あるいは……と、ねねは考えざるを得ないですよ」
 彼女はぎゅっと眉間に皺を刻み、俺のことを見つめてきた。
「なにか、深刻な悩みでもあるですか?」
「悩み……?」
「はい。これは書で読んだ話ですが、人は、なにか足りないものがあると感じると、それを追い求めます。しかし、それがけして手に入らないときは、別の形で補おうとするのですよ。たとえば、ひたすら己を痛めつけることに没頭したり、酒に耽溺したり、蒐集に血道をあげたりするです」
 わからないでもない。なにかを埋めようと必死になることというのはあるものだ。
 心の中の幻影――そうではないと信じてはいたが、誰にもそうと認めてもらえなかったもの――を守るために、寝る間も惜しんで知識をため込んだりとか。
「それが、お前の場合、女だったりはしませんか?」
 かっ、と頭に血が上った。
 彼女の言葉で、昔の――俺の言うことをまるで信じようとしない周囲とぶつかり、わけも知らず焦燥にかられていた頃の事を思い出していたからか、余計にぐらぐらと煮えたぎる感情に呑み込まれてしまう。
「ひっ」
 気づけば、ねねが悲鳴を上げ、真っ青な顔で椅子ごと俺から遠ざかろうとしていた。
「ご、誤解しないでほしいのです。違うのです。お前が女を蒐集品のように扱っているということではないのです!!」
 その言葉で、意識が平静に戻る。いつの間にか握りこんでいた拳の中で、菓子が粉々になっていた。
「ご、ごめん、ねね」
 落ち着けるためにお茶を一気に飲む。しばらく震えていたねねも、同じように茶を飲んで、ようやく元の位置に戻った。
「うぅ、へっぽこ主に脅されたですー」
 恨めしそうに見上げてくるねねの顔が、まだ少し青い。
「うぅー」
「ちょ、ちょっと待ってろ」
 そう言って、俺はつながってる扉を通じて私室にかけこむ。たしか、このあたりに……と目当てのものを探し当て、器に入れて部屋に戻る。
「ほら、飴なんかどうだ。おいしいって評判の飴だったんだぞ」
 彼女はそれをうさんくさげに見ていたが、手を伸ばすと一つ取り、口に放り込んだ。ころころと舐めているのが、頬の形でわかる。
「ふう。まあ、いいでしょう。許すです」
 許すのか。
 彼女が、美羽や猪々子と似ている気がするのはなぜだろう。
 そういえば、袁家の三人といえば、こないだも薪割り場でせっかく割った薪をなにかに使えないかと思って、さらに小さく割ってジェンガを作ってみたら、もう夢中になって遊んでいたな。
 まあ、それはともかく。
「話を戻しましょう。悩みうんぬんはいいです。なにか、これという理由はないのですか?」
「うーん」
「明確なものはないのですね」
「そうだなあ。みんな可愛くて尊敬できる女の子たちだし……。強いて言えばそれが理由だと……」
 そう言うと、呆れたように鼻を鳴らされた。
「それ、蓮華に言えますか?」
「無理です。はい」
 いや、言えるのは言える。
 実際に、みんな尊敬できるし、可愛いし、愛おしい女性たちなのだから。ただ、いまの状況で蓮華にそれを伝えても悪い結果にしかならないだろう。
「まったく……。要は女好きは間違いないってことですね。幸い、恋殿には手を出していないようなのでよいですが……」
 まずい。
 恋とキスしたり、一緒に寝たりしていることをねねに知られたら、大変なことになりそうだ。
 最初の一件以来、たまに『ちゅー』をねだり、寝床に潜り込んでくる恋は可愛くてしかたないものの、まだ一線は越えていないのでねねの言葉を否定する必要もないだろう。手を出していないというのは、嘘ではないからな、嘘では。
「美羽たちは洛陽にいない。手を出しすぎて呉勢を通じての懐柔も難しい。根本的な理由は女好き。これでは、策の練りようがないですね」
「すいません」
 怒ったようなねねに、なぜだか謝ってしまう。
「仕方ないです。ここは、正攻法でいくしかありません」
「正攻法というと?」
 俺の問いに、ねねは胸を張って答えてくれた。
「つまり、お前という男をできる限り理解してもらうのですよ。蓮華たちに」

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西涼の巻・第二十回:陳公台、北郷のために奔走すること」への2件のフィードバック

  1. 男が女やハーレム等を求めるのは、生物学的な“雄”としての本能に由来するものなので言い方は悪いけど、至極当然で自然な事です。まぁ、人間は野性的な本能と理性的な感情で思考する生き物だから“一夫多妻”を容認するか否かで揉めたりもする。

    •  この時代だと、力とお金さえあればなにしようとあんまり文句言われませんしねぇ。
       たぶん、あの問いかけは、ねねなりの一刀を理解しようとするものなのでしょう。蓮華に理解させるためには彼女自身が理解しなければいけませんからね。

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