西涼の巻・第十九回:弓腰姫、自らの成すべき事を見つけること

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 夕映えの頃――。
 宴席を抜け出した俺は、シャオを探して場内を巡っていた。
 彼女は、翠に負けた後、どこかへ行ってしまったのだ。しばらくは一人にしてやろうと思って、皆放っておいたのだ。
 ところが、大会終了後の宴の時間になったら戻ってくるだろうと考えていた俺たちを他所に、彼女は姿を現さなかった。
 そこで思春から頼まれて、俺が探しに出ることになったのだ。思春が言ってくるということは、蓮華の意向も反映されているに違いない。
 しかし、立場上、蓮華も思春も宴を抜けるわけにはいかないし、呉の人間では洛陽内での動きに限界がある。
 そんなわけで、俺が選ばれたわけだ。蓮華としては複雑だろうが、シャオを心配する気持ちのほうがまさったのだろう。
 どれくらい探し回ったろうか。
 周々にくるまれるようにして空を見上げているシャオを見つけた頃には、すでに辺りは暗く、頭上からは星々がその光をふらせていた。
「やあ」
 こちらを向いた顔に涙の跡があることに気づいた素振りを見せずに、彼女の横に座る。
 シャオはなにも言わず、けれど、俺が座るのにも文句も言わず、黙って見ていた。周々が挨拶代わりか座り込んだ俺の手に尻尾をのせてくれる。
 しばらくは黙っていることにする。
 小蓮は空だけではなく、周囲の木々の葉や、そこについた花などにも視線を移していた。
「北の春は短い。一刀の言う通りだったね」
「そうだね」
 呉に比べれば、洛陽の春は短く、冬は長い。
 もっと北に行けば、冬はさらに長くなる。ふと、俺は呉にいるはずの雪蓮や冥琳たちとの距離を実感した。
「優勝は誰だったの?」
「春蘭だよ。翠は惜しくも準優勝」
「そっか」
 シャオはほっとしたように言う。その気持ちはなんとなくわかった。
 自分が負けた相手にはせめていいところまで行って欲しいものだからな。
「その後で恋と華雄が特別に打ち合いをしたんだけどさ」
「うん」
「いつまでも互角で終わらないんだよな。華琳が裁定して両者勝利ってことになったけど」
「ふぅん」
 本当にいつまでも打ち合うんだからな。見ていて美しいとさえ思える仕合だったが、決着をつける決定打がないではどうしようもない。
「一刀はどっちが勝ってたと思う?」
「え?」
「恋と華雄の」
 シャオの問いに、腕を組んで考える。
「そうだな。恋がお腹がすくまで粘れれば華雄かな。ただ、そこまで本気になるかどうか。どっちも気分屋だからね」
「華雄か。あれは強いよね」
 うんうんと大きく頷いて同意する。シャオは周々に深くもたれかかりながら、そっと呟いた。
「シャオね、華雄と祭にいっぱい鍛えてもらったんだ」
「へぇ」
 それで色々と得心がいった。
 あの歩法、それに槍に乗るほどの平衡感覚。
 あれを見て、華雄の動きを思い出すべきだったのだ。己の腕に止まった小鳥を飛ばす機さえ外すほどの拍子の取り方を。
 しかし、なぜだろう。
 あれを身につけるにはとてつもない修練が必要なはずだ。
 それをやり遂げるには、元々の才能もさることながら、毎日の努力が要求される。けして諦めず、見返りがなくとも行為を続けられるだけの動機が。
 まだまだ子供気分が抜けず、飽きっぽいところもあるシャオのことだ。それを続けるには、かなりの理由がなくてはならなかったはずだ。
 一体なにがあったのだろう?
 彼女は、周々の毛皮から体を離し、俺にもたれかかってきた。
「シャオ、考えたんだ。呉のためになるにはどうしたらいいか、って」
 その言葉はとてつもなく真摯で、決意に溢れるものだった。
「雪蓮姉様を支えるには、政治の勉強をする方がいいんだろうと思う。けど、そういうのってお姉ちゃんのほうが得意でしょ。人に会ったりするのも、お姉ちゃんのほうが信用されやすいし、シャオは――すっごく失礼な話だとは思うけど――まだまだなめられちゃうもん。だから、いまは武を磨こうと思ったの」
 俺は震えた。彼女の覚悟の重さに。
 そうか。
 彼女は、孫呉の姫として、自分がなすべきことを見つけたのか。
 彼女には知らされていない雪蓮の引退を考慮しても、彼女が王位を継ぐ可能性は低い。
 小蓮は呉の次の世代を代表する人間として期待されているものの、そこで求められるのは王としての立場ではない。
 王を支える頭脳であり、代行者としての口であり、王の手にある刃であり、盾であることだ。
 彼女はまず、刃であることを学ぼうとした。
 当代随一の武人たちの下で。
「祭は、前に教えられなかった分だーとかってすっごい厳しいんだよ。もう鬼かと思った」
 まあ、一度死んでるしな。
「華雄は、母様の娘なら充分資質はあるだろうって。祭のしごきを受けたシャオに、さらに訓練をさせるの。押しつけがましくはないけど、やらないといつまでも自分の鍛練をしながら待ってるのよ。ひどいと思わない?」
 酷いというより、華雄もよくつきあうものだ。
 俺みたいな弱い人間につきあえるくらいだから、教えることに関しての忍耐力はあるのだろう。だが、それにしても、わざわざそうするのは珍しいことだ。
 やはり、かつての強敵、孫文台の娘ということでなにか思うところがあるのか。
 雪蓮には武を誇るなと言い、シャオには武を授ける。
 この違いは、王という立場と、それを支える王族という違いを考えてのことだろうか。
「でも、すごいよね。二人に習ったことをやるだけで、思春に勝てそうだったもん。翠にもね」
 そこでシャオは顔を俺の肩に押しつけた。
 その体が震えているのがわかる。喉から嗚咽が漏れるのが聞こえる。俺の服を濡らしている彼女の涙も。
「悔しいなあ」
 ここで慰めを言うことは出来た。
 相手は蜀を代表する武闘派だし、西涼の錦馬超なんて武人なのだ。
 だが、翠の強さなど、実際に仕合った彼女が一番よくわかっていことなのだ。
 その代わり、俺は彼女を抱きしめた。
 胸にとりすがり、わんわんと泣いていた彼女の声がだんだんと小さくなり、嗚咽が治まり切るまで、俺は彼女を離そうとしなかった。
 その間ずっと、二人を守ろうとするかのように、周々がその大きな体で包み込んでくれていた。
「あー、すっきりした」
 袖で涙を拭い取ったシャオが顔を上げる。まだ目は真っ赤だが、たしかに涙はひいたようだった。
「ねぇ?」
 囁くように問い掛ける声は、吐息のようにかすれて甘い。
「シャオ。がんばったご褒美欲しいな」
「はは。泣き止んだ途端、それか」
 呆れたように言ったが、内心、俺は嬉しくてたまらなかった。
 微笑んでくれる、そのことだけでも、彼女は俺の心を明るくする。
 そんな単純なことに、今更ながらに気づいた。
 さらに密着し、目を閉じたシャオの顔に近づいて、唇を重ねる。
 あちらから開いた唇の隙間に舌を潜り込ませれば、小さな舌が懸命に応えてきた。お互いにからめ合うというよりは、遊ぶようにつっつき合い、舌先を舐め合う。
「シャオ」
「んぅ?」
「もっと、シャオが欲しい」
 まだ物足りないというように、俺の口の周りに軽いキスを降らせていたシャオの顔が、にんまりと笑みを刻む。
「ようやくシャオのこと認めてくれた?」
 言葉にはせずに、もう一度軽く口づける。だが、シャオの顔は曇ってしまった。
「でも、今日はだめだねー。残念」
「だめって?」
「だって、さすがに、大会参加したシャオがまるで宴席に顔を出さないのはまずいでしょ。いまなら、お開きには間に合うと思うよ。それに……お姉ちゃんたちが探しに来て、見られたら大変だよ?」
 シャオの言うことは、間違っていない。しかも、思春に続いてシャオを抱いているところまで蓮華に見られたら、もうなにをもってしても亀裂は修復できないだろう。
「それは……うん」
 とはいえ、それらは絶対的とは言えないわけで、特にシャオの小悪魔のような笑みを見ると、焦らされているのは俺の方なのではないかという疑念が強くなる。
「だから、名残惜しいけど、また今度、ね」
 彼女は一層華やかな笑みを残して、俺の腕の中からするりと抜け出した。
「さ。はやくいこ、一刀」
 どうやら、お姫様は一筋縄ではいかないようだった。

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