西涼の巻・第十九回:弓腰姫、自らの成すべき事を見つけること

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 武術大会の観客達は、俺と同じく、信じられないものを見ている気分だったろう。
 そもそも呂奉先が不参加だったり、桂花の出産で一日延期になったりと、なにか変なことが起きてもおかしくない大会であると思っている者もいたことだろう。
 だが、そうした人ですら、この光景は予想できなかったはずだ。
 あの小蓮が、西涼の錦馬超と伍しているとは。
 世間でも、武将たちの大まかな強さや資質というものの噂は広く流れている。もちろん、誤りも多い。それでも、世で言われる評価というのは、思ったよりも鋭いものだ。
 武という点で見れば、錦馬超は世に知られた一流の武人だった。
 それに対して孫尚香は王族であり、その資質は孫家の一員として評価されていても、まだまだ経験が浅く、一流には遠いという見方が大半だったはずだ。
 それが、翠の槍を受けるばかりではなく、己の攻撃をも繰り出している。ほら、いまも手に持った圏――月華美人で翠の十文字槍を弾いて見せた。
 そもそも、小蓮が後半戦に残っていること自体が快挙だ。
 一回戦で明らかに相手を侮っていた蒲公英を下したのは、油断していた蒲公英の側に問題があったから、これは参考にならない。
 だが、続く二回戦では、負けたとはいえ思春相手に善戦していた。俺が見る限りは、あの思春の本気すら引き出していた。
 思春が以前から小蓮の為人、そして、鍛錬の具合を知っているはずだということを考え合わせれば、これは実に快挙と言える。
 しかも、その後に敗者復活戦で、紫苑に打ち勝ち、後半戦に進むとは。
「あらあら……わたくしとの時には隠していた技ですわね、いまの」
 紫苑が指摘するものの、俺にはその技がどれなのかもよくわからない。おそらく、達人級にしかわからない玄妙なものなのだろう。
 今日の貴賓席には、仕合の付き添いについていない大会参加者が集まっている。代わりに華琳が審判として仕合場にいた。
 斗詩と猪々子が副審をやっているのは少々奇妙な図だが、麗羽が、まるで大会主催者のように華琳の後ろに控えているのに比べればまだましだろう。
「わたくしが春蘭さんの打ち込みを受けていなければ、あれを受け止められましたかしら……。さてさて」
 春蘭に吹き飛ばされるようにして負け、シャオとの敗者復活戦に挑んだ紫苑がそんなことを口にする。
「いいえ、無理ね。一戦一戦強くなっているようですもの……。あの伸びの早さは驚異的。……やっぱり、若さかしら……」
 なんだか鬼気せまる感じでぶつぶつ呟く紫苑に声をかけると大変なことになりそうなので聞かなかったことにしておこう。
 うん。そうしよう。
 それよりも、と俺は小蓮と翠の戦いに視線を戻した。
 十文字槍がうなりを上げる。
 だが、その先に狙ったはずの体はなく、間一髪で避けた小蓮が残したひらひらとした布だけがそこに残る。
 とはいえ、十文字槍はその名の通り、ただの槍ではない。突きだけではなく、引き戻す時にも横の刃でひっかけ、絡めとることが可能だ。
 翠の手元がわずかに動くだけで、槍の穂先は横にするりと動き、小蓮の腕に向かった。
 瞬時に引き戻された横刃は、しかし、小蓮の服すら捉えることはなかった。いつの間にか、彼女は翠の攻撃範囲から消えている。
 跳ね飛んだわけでもなく、ただ、滑るように、あるいは、翠の放つ銀閃の勢いに押し出されるようになめらかに移動していたのだ。
「すごい、あの歩法」
 その冴えは、流琉が小さく呟くほど。
 小蓮のイメージからすれば、ぴょんぴょんと跳ね回るほうがらしいだろう。
 しかし、彼女の体は柳が揺れるようにしなやかに、ゆったりと移動しているように見えた。
 もちろん、そう見えるだけで、実際には思ってもみないほどの距離を移動しているのだが……。
 彼女はあんな動き方をいったいどうやって習得したのだろう。
「うーん。やっぱりたんぽぽが手の内見せすぎたかなあ」
 翠に、付き添いよりも、戦いをしっかり見て勉強しろと貴賓席にいるように言われたらしい蒲公英が落ち込んだ調子で言うのに、紫苑が厳しくも優しい声で指摘する。
「たしかに、蒲公英ちゃんと翠ちゃんの動きは似ているけどそのままではないし、似ている者から学びとれたなら、それは蒲公英ちゃんの責ではなく、小蓮ちゃんの功よ。なにより、あの動きと間合いの取り方……あれは相手を選ばないわ」
「でも、ちょっと攻撃が弱いような気もするなあ」
 季衣が不満そうに言う。それは、翠が三段突きを決め、ふわりふわりと避けた小蓮が、翠の体勢の戻る隙を狙って圏を振り下ろすのを見ながらの言だ。
 手数でいえば小蓮は翠よりもずっと少ない。もし当たったとしても、彼女の力ではそれほどの打撃を与えられないかもしれない。
 特に季衣からすると、彼女の力は頼りないくらいのものであるはずだ。
「いや、あの体格でお二人ほど膂力があるというのは珍しいですから……」
 凪がそう指摘する。
 そりゃあ、この二人ほどの破壊力を持った武将もいないからな。
 この二人の体格がよくなったらどれほどのものになるのだろうと考えを及ばせて、背筋が凍えた。
 ちなみに一番につっこみそうな沙和が貴賓席にいないのは、教練長官として兵の監視の役を任されているからだ。
「それにしてもなあ」
「翠さんの間合いの取り方がすごいってことだよ。……見て、季衣!」
 思わず流琉が指差すほどのことが、そこでは起こっていた。
 強烈な突きの最中、ふんわりと浮かび上がるように地を蹴った小蓮が、銀閃が引き戻される前に、その刃の上に乗ったのだ。
「なっ」
 驚きのあまりか、翠の動きが止まる。いや、その瞬間、会場内の全ての動きが止まったように思えた。
 三本の刃の付け根に立つ小蓮は、その顔にいたずらっぽい笑みを張り付けたまま翠を見下ろす。
 圏を持った両手は後ろにまわり、攻撃を出すために引き絞られている。だが、彼女の重みが加わった銀閃を支える正面の翠には、その腕の動きは見ることができない。
「なんていう平衡感覚……」
「それよりも、足元を見てください。振り落とされないように、いえ、翠殿が振り落とせないように重心の移動と、足の動きで制御しているのです。あれは……これまで見せた歩法の応用でしょう」
 凪たちが解説してくれているが、俺にはその姿がとても信じられない。
 翠の保持する十文字槍の上に立つのは、まるで白と薄桃の妖精だ。その背に羽がないのが不思議なくらいの。
 しかし、この状況はどう解すればいいのだろう。振り落とされずに済むのならば、小蓮が攻撃を受けることはない。
 といって、月華美人のリーチでは、小蓮から翠に攻撃するというのも難しい。この状態を保てば、それだけ翠は疲弊するが、それを狙っているのだろうか?
 なんとか振り落とそうと槍を動かす翠と、それに対してバランスを保つ小蓮。
 そんな膠着状態を手に汗握り見つめながら、俺はそう疑問に思わざるを得なかった。
「ねぇ、あれって、どっちが有利なの?」
 季衣もわからなかったのだろう。素直に疑問を口にする。
「そうねえ……。攻撃の機会を自分で作れる小蓮ちゃんが有利なのは間違いないけれど、ああやって武器の上に留まるのも、体力と、なにより神経をすり減らすことでしょう。翠ちゃんの疲労はさらに上でしょうけど、長引くとどちらも厳しいんじゃないかしら」
「お姉様が銀閃を捨てるのを待ってるとか? そうすれば、武器もない状態のお姉様を攻撃できるわけだし」
「それはあるかもしれません。疲労を蓄積させ、武器を失わせれば、小蓮殿の打撃でも痛打を与えられるでしょう」
 月華美人が飛ばせるタイプだったらなあ。
 俺は残念に思う。
 こちらの武術で使う『圏』は、形は似ていてもチャクラムのような投擲武器ではない。ものによっては内外に刃がついていて斬撃を伴うものもあるが、基本は手の先で使う打撃武器だ。
 その武器を、彼女は構え続けている。翠が槍を戻し、己の間合いに入るのを待っているのか、あるいは諦めて武器を落とすのを待っているのか。
 そして、膠着状態は破られた。
「あーーっ、もうっ」
 自棄になったような翠の声が響き、その手から斜め下に向かって叩きつけるように、槍が離れる。
「勝った!」
 付き添いで仕合場にいる蓮華の喜びの叫びは、観戦者たちの多くの思いを代表するものだったろう。
 落ちる槍の速度に、己の跳ねる力を加えて飛び出した小蓮の腕が振られる。武器を失った翠には防御するしかなく、そのままの軌道なら、間違いなく月華美人が翠の首を刈る。
 そう、誰もが思った。
 だが、まるで弓から解き放たれた矢のように飛び出たのは小蓮だけではなく、翠のほうもだった。
 突っ込んでくる小蓮の体を抱き留めるように跳ねた翠が月華美人をかいくぐり、小蓮の腹にその頭を突き立てる。
 翠の頭の後ろでまとめられた長い髪が、彼女の動きを受けて、ふんわりと持ち上がり、揺れた。
「ぐぅ……」
 それだけ呻いて、だらりと垂れる小蓮の体。それは、ずるずると翠にまとわりつくようにしながら、地に落ちた。
「ず、頭突き……」
 呆然とする俺たちをよそに華琳が勝利を宣言し、翠が喜んで腕を上げる。
「最後は、お姉様の単純さが勝ったね」
 最後に、蒲公英が褒めているのかどうなのかよくわからない感想で、この戦いを締めくくった。

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