西涼の巻・第十八回:蜀将ら、密命を受けること

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「……一刀さん?」
「ん?」
 それから、彼女が小さな声で俺に呼びかけたのは、しばらく経ってからのことだった。
 お互いに茶を飲み、くつろいだ空気が漂った後のことだ。
「別の話をさせていただいても?」
「ああ。説教も早々に終わったらおかしいしな」
「そうですわね」
 それから、彼女は居住まいをただし、口を開く。
「おかしな話ですの。」
 紫苑は笑みを浮かべ、そう話し始める。なんだかその静かな笑みに険があるのはなぜだろう。
 俺に対してのものでもなさそうなのだが……。
「星ちゃんからの書簡のことなのですけれど」
「ほう」
「彼女を北伐左軍に入れ、雛里ちゃんが抜ける代わりに言いつけられたことがあると書かれてましたわ」
「なにか条件があったのかい? こちらに来た報告にはなかったけどな」
 そう、なにもなかったはず。
 特別な条件などがあれば、俺にも話が下りてこないはずがないし、華琳も合意している秘密の話なら、紫苑がここで口にするわけもない。
「それはもちろん、密命ですもの」
「ああ、蜀の側のか。いいのかい、話しちゃって」
「いいんですのよ。命とも言えない命ですもの」
 彼女はそう言って、呆れたように続けた。
「誰でもよいから、色仕掛けで北郷一刀を籠絡せよ、ですって」
 ぶはっ。俺は思わず口に含んでいた茶を吐き出してしまった。既に喉に落ちかけていた分が変なところに入って、むせ返る。
「げほっ、ごほっ。酷い……勘違いだなあ」
 紫苑が手を伸ばし、俺の背中を優しくさすってくれる。その手の温かさが心地いい。
「本当に。艶本の読みすぎですわね」
「実際、それで、なにか有利になるってわけでもないだろうに」
 その言葉に、紫苑は思案深げに眉根を寄せ、視線をさまよわせる。
「どうも、本国には、西涼の話が歪んで伝わっているようですわね」
「西涼?」
「西涼の建国は我が蜀にとってもよいことですわ。これまでの仲間が経営する同盟国が北にできれば、西北の五胡の圧力も減りますし、交易も促進されますものね。しかし、蜀よりもその益を受けるのは、なによりも涼州の民、わけても馬一族であることは間違いありません」
 彼女の言うことはわかる。
 蜀の一武将から、諸王・諸侯に登るというのはなかなかないことだ。しかし、それを翠が望んでいたかというと、それはまた別の話だろう。
「そりゃあね。でも、その分、翠たちは責任も負うことになる。俺は、彼女たちに正直申し訳ない気持ちもあるんだ。後悔しているわけじゃないけど」
「承知しておりますわ。それでもやはり、得をしたと見る者が圧倒的でしょう」
「魏にも蜀にも翠たちにも、みんなに得になるよう、詠たちが考えてくれたわけだしね」
 しかし、この話はどこに繋がるのだろう。聞く限り、西涼建国自体はきちんと伝わっていると思うのだが。
「本国では、そう思っておりませんわ。一刀さんが……その、翠ちゃんと蒲公英ちゃんのことを召し上げることで馬一族を優遇した、と見ているようですわね」
「……はぁ」
 うん。慣れてきた。
 俺、そういうの慣れてきたよ。悲しいことに。
 とはいえ、さすがに呆れるというか、体中から力が抜けるというか。
 なんとも反応のしようがない。
「たしかに西涼建国は魏にとっても蜀にとっても、西涼にとっても良い策。わたくしから見れば、北伐の最初の取り決めである飛び地領よりも良いものだと思います。しかし、それを一刀さんの横槍と見てしまった者がいるのでしょう」
 発案自体は後からだからな。取り決めを変更したことで、反感を買ったであろうことは間違いない。
 そのことで責めるというなら、こちらに言い分はあっても責められること自体に文句はない。
 ただし、誤解を解く機会は与えて欲しい。
「それだけ一刀さんの影響力を評価しているということでしょう。ただし、かなり間違った前提で物事を考えているようですわね。桔梗の出産が明らかになったというのもあるのでしょうけれど……」
 ふと思い当たることがあった。成都滞在一日目の夜のことだ。
 そもそも誇り高い錦馬超ともあろうものが、俺に頭を下げるのはともかく、部屋に忍び込み、裸――といっても下着姿――で待つなどということを思いつけるものだろうか?
 あるいは、そこに誰かの入れ知恵があったのではなかろうか。
 俺は、そんなことを思う。
 ただ、それ以外にも疑問に思うことはあるのだ。
「でも、その籠絡とかいうのは、桔梗で充分じゃないか? いや、別に籠絡されてはいないけど、その理論で言えば、俺は蜀にも肩入れするはずじゃないか? 千年って子もいるんだ」
 その問いに、紫苑はさも当然のように言う。
「それだけでは足りないということでしょうね。実際、蜀に有利なことなどしていただいておりませんもの。桔梗はそのようなこと望んだりしないのですから当然ですけど」
「うーん」
 腕を組んで唸ってみても答えがひねり出せるわけでもない。
 俺についての誤解が浸透していて、その上で蜀の大軍師二人が俺を引き入れる必要ありと結論を出してしまったとしたら、俺がどうにかできるのは、せいぜい、子龍さんや文長さんに、士元さんの勘違いですよと告げることくらいだ。
 既に紫苑はそれを理解していて、あえて俺に秘密を打ち明けてくれている。それは、文長さんや子龍さんに酷なことをさせないようにだろう。
 考え込んでいると、紫苑の体がもたれかかってきた。肩に乗るその重みと熱。そして、鼻をくすぐる甘い香り。
「そこで、一つ提案なのですけど」
「なんだい? 紫苑が皆に代わって籠絡しようと?」
「それも手かと考えましたけれど」
 冗談めいて言う俺に、ささやくように彼女は言う。その声に乗った艶が俺の心を揺さぶる。
「それでは結局の所、蜀の誰もが一刀さんの本当の姿を認識することもなく、迷いの中に落ち込むだけだと思いますの」
「なるほど」
 紫苑はそこで体を離し、真剣な顔で声を張った。
 感じていた熱が消えていくのが実に惜しい。だが、いまはその熱を味わうときでは無い。
「ですから、わたくしたちに、あなたを理解する機会をいただきたく」
「理解?」
「ええ。なんでも構いません。語り合う時間や、共に過ごす作業など、少しでも我々に意識を向けていただければ。なにしろ、これまでろくにそうした時間がなかったわけですもの」
 言われて、俺は唸ってしまう。
 華琳をはじめとする魏の面々とは、共に戦い、共に生きてきた。
 雪蓮や冥琳たちの知己を得て、呉に住まう人たちを知ることも出来た。
 だが、蜀の人たちと、知り合う機会はこれまで無かった。それが共に戦おうというのだ。
 まったく彼女の言う通り、俺たちは理解しなければならない。お互いのことを。
「うん。大歓迎だよ」
「ありがとうございます」
 嬉しそうな笑み。
 その笑みを見ていると、もっともっと彼女を楽しませたくなる。
 俺は、まず、彼女を深く知りたいと思った。
「そうだな。それじゃあ、まずは時間を見つけてデートしよう。紫苑」
「でぇと?」
「お出かけするのさ。璃々ちゃんも連れてね」
 聞いたことの無いであろう言葉に戸惑う紫苑にそう言って、俺は紫苑の言う通り、蜀の将たちとふれあう時間をなんとかひねりだそうと決心するのだった。

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西涼の巻・第十八回:蜀将ら、密命を受けること」への2件のフィードバック

  1. 産みの苦しみは女だけのモノで男には理解できないし、理解してやれない事柄だけどお産に立ち合いたいと言うのは男の理屈(我儘)でしかないとは思うけど、“親になる”という事を意識すると立ち合った方が良いのだろうな。
    最近、夫婦別姓や女性の再婚期間問題等が騒がれている件についてどう思われますか?
    個人的には子供の事を考えたら、同姓の方が都合が良いとは思うけど。再婚期間に関しては医学的見識を基に再設定するべきと考えてはいるけど、実際どうしたら納得するかねぇ。

    •  難しいですよねー。
       さすがに一刀さんのように連続して、別々の女性のお産に直面しなくてはいけなかったりする人は少ないと思いますが……。
       それでも、出産の時の話とかは、ずっと覚えていられるらしいですからねえ。あまりおかしなことも出来ませんよねw
       私としては、できる限り女性が望むとおりに出来るのが一番かなと思います。

       再婚期間は、子供のDNA鑑定がしっかり出来るようになれば問題なくなる気はしますがねえ。100%ではありませんけども。
       夫婦別姓については、個人的には答えが出ていない問題ですね。なんとなく同姓でいいんじゃないの? と思いつつ、でも、色々と考えてしまうというか。
       とはいえ、人間って、選択できることが多すぎても迷ってしまうところがありますからね。そのあたりどうなのだろうなあと思ったりします。
       法律は解釈の問題とかもあって、法的判断と専門外の人の感情的判断とが乖離することもよくあることで、どう制定していくかは非常に難しいのだと思います。

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