西涼の巻・第十七回:諸将、兵を鼓舞せんと武の技を競うこと

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 詠から頼まれていた書類を届けようと歩いていたら、廊下の向こうから、当の軍師殿が早足で向かってくるのが見えた。
 ちょうどいい。
 美羽たちから、長安を発ってこれから西域に向かうという報告も来ていることだし、この機会に話しておくとしよう。
「おーい、詠」
「ん……?」
 きょろきょろと辺りを見回していた詠は俺に気づいて駆け寄ってくる。
「いいとこにいたわ。あんた、ここに来るまでに、祭を見かけなかった!?」
「いや?」
 部屋からここまでは、誰とも会っていない。見かけたのは、せいぜい歩哨や、同じように書類を持って歩く文官くらいだ。
 ただ、左脇の茂みの奥に、特徴的な長い銀髪が見えるのはどうしたことだろう。
 どうやら、詠はそれに気づいていないらしいのだ。
「祭に用事か?」
「用事か、じゃないわよ」
「おいおい、どうしたんだよ」
 ぷりぷりとした詠をなだめるように言うと、彼女は疲れたような口調で教えてくれる。
「教練を頼んでいるのに、姿が見えないのよ。また酒でも飲んでるんでしょうけど。……初期の訓練ほど経験がものを言うのに……」
 俺は茂みのほうをちらっと見て、それでも詠が気づかないのに肩をすくめた。
「まあ、とりあえずは、猪々子たちか華雄にでも変わってもらうといい。祭は俺が探しておくから。あ、これ。報告書と、頼まれてたものな」
「ん」
 彼女は書類を受け取ると、中身がきちんとあるのを確認して、たしかに、と頷く。
 そのタイミングで美羽たちのことも告げておいた。そちらの計画は順調に進んでいるという報は、彼女にとって少しは心安まる材料になったようだった。
 しかたないというようにひょいと肩をすくめる詠。
「まあ……うん。祭のほうは、見つけたらちゃんと言っておいてよね?」
「ああ、わかった」
 詠は頭を切り換えた様子で、廊下を足早に戻っていく。俺はその彼女の背が見えなくなるまで見送って、茂みの奥へと歩を進めた。
 思った通り、低木で囲まれた空間に小さな卓と胡床を持ち込んで、酒杯を傾けている一人の武人の姿があった。
「やあ、祭」
 遮光眼鏡をかけた迫力ある美女は、酒杯を持ち上げて、歓迎の意を示してくれた。まあ、声をかけるまでもなく気配で気づいていただろうけどな。
 胡床を手渡され、それに腰掛けて彼女と相対することになる。
「詠から逃げてるんだって?」
「逃げているわけではありませぬ。現に、旦那様はしっかり見つけられたではありませぬか」
「まあね。でも、怠けてるんだろ?」
「ふふん」
 さらに言うと、祭は楽しそうに笑った。
「旦那様の下にも、若い衆が増えてきましたでな、そろそろ老体は楽をさせてもらおうかと」
 俺は思わず冥琳の言葉を思い出して、笑ってしまった。呉の頭脳は、やはり的確に物事をとらえている。
「冥琳が言っていたよ。あの方が怠けられるなら、その国は平和ということだと」
「はは。言うてくれるわ、あの泣き虫小娘が」
 冥琳の言葉だと聞いて、一瞬虚をつかれたようになっていた祭だったが、余計に大きな声で笑いだした。
「さて、俺もご相伴に与ろうか」
「おや、いいのですかな?」
「これまで働き詰めにしてしまったからね、少しくらいは」
 俺が胸元から酒杯を取り出すと、彼女はにやりと笑って酒を注いでくれた。二人で酒杯を乾し、お互いに注ぎ合う。
「権殿とはいかがですかな」
「まだ口すらきいてもらえないね。思春は事務的な話はしてくれるけど、これまでのようには……。シャオが以前通りなのだけが救いさ」
「儂が口を出してもこじれるばかりじゃろう。こればかりは旦那様が解決せねばなりませんの」
「そうなんだよなあ」
 苦笑いを返しつつ、ぐいと酒を呷る。
「ところで。北伐のこと、どう思う?」
 そう切り出してみると、すっと表情が変わった。一瞬だけ、眼鏡の向こうの目が細まった気がした。
「おや? 旦那様はこの戦について、お疑いか?」
「ああ、いやいや。俺自身はまったく疑ってない。華琳につきあう責任もその意志もあるからね。ただ……みんなはどうなのかな、ってね」
 背に走った悪寒を振り払ってしっかりと否定する。意図を誤解されて、なにかしでかされたらたまったものではないからな。祭は抑制の利いている方ではあるが、それでも猛る心を持つ武人には違いない。
 華琳ははっきりとは口にしなかったが、今回のことは、俺が地図を渡したことも大きな要因だろう。魏の覇王、そしてその側近たちが、『大陸』という概念をさらに広めたのは間違いない。
 そうした視野の下、新たな秩序を望んでいることも。
 ただ、それと同じ視野を、誰もが持てるわけではない。
「これまでの戦は、いわば内乱だ。相手もこちらも戦の作法も同じなら、食べるものも喋る言葉も同じ。何代か遡ってみても、同じような生活をしていた。そんな相手との戦いだった」
 少なくとも、漢という国が基礎にあったわけだ。実際には言葉が通じないような場合もあったろうが、漢の支配下という大きなくくりの中にはあったはずだ。
「今度はまるで違う。生き方自体が、ね」
 祭はじっと俺の話を聞いている。
「異なる気候、異なる風景、異なる生活習慣。そして、異なる言語の下にある民を征服しに行く戦だ。疑問に思ってもおかしくない」
 祭は杯を置くと、どこかで聞いたことのある一節を口にした。
兵者國之大事(兵とは国の大事なり)、死生之地、存亡之道、不可不察也(察せざるべからざるなり)
「孫子だね」
 軍を起こすのは、国家にとって重大事であり、よく考えなければいけない。
 孫子に最初に書かれている部分がそれだ。
「一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法」
 そして、それを判断する基本事項が、道、天、地、将に法と五つの要素。
 道とは、まさに正道を歩んでいるか。戦に義があると民が信じ、兵が腑に落ちているか。
 天とは、季節や時期の問題。いかに有利な時期に戦をしかけられるのか。
 地とは、地勢のこと。さすがに攻め入る先であるから、これはかなり分が悪い。
 将については言うまでも無い。
 そして、法……軍を律し、兵を統制することにかけて、華琳ほど熱心な君主はいない。
 それらを考えると……。
「五胡と三国を比べるに、劣っているは地勢のみ。こればかりは攻めるのじゃからしかたありますまい。これくらいは、皆、覚悟の上じゃろうて」
 そこまで言ったところで、祭は、にかっと豪快な笑みを浮かべた。
「まあ、そんなことよりも、じゃ」
 ふとその瞳が、遠くを見つめる。ここではないどこか、あるいは空のはるか向こうを。
「儂はかつて文台様にお会いした折、この方とならばこの天下の乱れを糾し、天子様をお助けできると信じたものじゃ。文台様が亡くなられた後、雪蓮様の天稟を見、周家のご令嬢の才に触れ、孫呉の天下を確信もした。そして、旦那様に再びこの世に目覚めさせていただいた折には……」
「お、折には……?」
 黙って凝視される圧力に耐えきれなくて尋ねるものの、彼女ははぐらかすように手をひらひらさせる。
「いや、これは黙っておくとしましょうか」
 うう。ずるいぞ、祭。
「儂は、旦那様を信じておると、そういうことじゃ。お気にめさるな」
 なんだか落ち込みそうになったところを、ばんばんと肩を叩かれる。
「もちろん、旦那様の下には様々な者がおり、それぞれの理由で身を寄せておる。そこに魏や呉のような忠節を求めるのは酷というものじゃ。それでも、皆、旦那様に信頼を寄せております。そうでなければ、どこぞへ身を隠し、逃げておることじゃろうて。故に、儂が言えるのは一つ」
 祭は改めて酒杯を掲げると、明々白々な道理を説くように言葉をつむいだ。
「旦那様が揺らがねば、皆も揺らぐことはないじゃろう。そのことのみよ」
 彼女の言葉を呑み込んで一つ唸る。
「そうか。ありがとう。祭」
 俺たちはその後、祭の隊の左軍における動向などを話しているうちに夢中になってしまい、探しに来た月に見つかって、詠にこってりとしぼられることになるのだった。

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西涼の巻・第十七回:諸将、兵を鼓舞せんと武の技を競うこと」への2件のフィードバック

  1. 常々思う事ですが、斗詩はもう少し評価されても良いと思うのだけど….何故、あんなにも地味な扱いなのか。
    作品とは関係の無い話ですが、現在の日本の景気が良くないのは政府の政策だけが原因じゃなくて企業(特に、大手企業)にも原因の一端が有るのに誰もそこには文句を付けないだよな…..。
    PS3、PS4、PSVITAで「仮面ライダー バトライドウォー創世」が来年の2月に発売されのだけど、BLACKやRXの声優は倉田てつを氏が担当してくれるのだろうか気になるところだ….シャドームーンの声優は勿論てらそままさき氏だとしんじたい。

    •  まあ、麗羽様ご一行は、評価しづらいところはありますね。
       あの人たちがギャグでいてもらわないと、他が困るので

       現代の政治や経済だと、国際情勢やらが複雑に絡み合いすぎて、個人の活躍範囲が減りますよね-。そのあたり、物語の舞台が古い時代とかファンタジーになってしまう要因でもあると思います。

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