西涼の巻・第十六回:賈文和、美しき耳飾りを得ること

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 華雄が操る馬車――といっても正確には驢馬の引く車なので、結構ゆっくりだ――の中で、詠が今回の目的を説明してくれる。閉鎖された空間に入った途端、普段の空気に戻れるのはさすがというかなんというか。
「これから、あんたに出された問いへの解答となるものを見せるわ」
「問いというと、補給の問題か?」
「そう。でも、補給だけの問題ではないわね」
 深く頷いた後で、詠は不機嫌そうに腕を組む。
「といっても、まだ手探りだからね。今回の行動が直に効果を現すかはわからない。北伐左軍の軍師って言ったって、魏でそうおおっぴらに動けるだけの基盤がないから。いまのボクには」
 そういえば、『賈駆』としての彼女にはまだ魏の官もないのだっけ。
 さらに言えば、洛陽に戻ってからの時間も短い。いくら稀代の軍師とはいえ、そうそうなんでもできるわけがない。
 とはいえ、詠のことだ。俺が心配するまでもなく、着々と準備を進めているに違いない。
「いまのところは、だろ」
「まあね。それで、お金は持ってきてくれた?」
「ああ。銅銭以外に、銀の小粒を持ってきたけど」
 資金が必要だと言われて、普段以上に金を持ってきている。よほど大口の取引か賄賂でもない限り、問題にならないだろう。
「そ。それならいいわ」
 会話が途切れたところで、窓から見える景色に意識が移った。
 この区画は……。
 北の市にほど近く、富裕層の住宅地帯に隣接したこの地区は、けして、治安は悪くない。
 ただ、出自が異民族だったり、遠くの国から来ていたりと差別されやすい層が多く居住しており、独自の雰囲気を持つ場所だ。
 公には認められていないが、自警団のようなものが存在していて、自分たちの揉め事は極力自分たちだけで解決しようとする。おかげで、警備隊が入り込みにくく、以前は苦労したものだ。
 いわば租界や外国人居留地のようなものだ。
 もちろん、そうした区画をあえて設けているわけではないのだが。
「交渉相手は異民族?」
「うん。血筋よりも、考え方の面でね。相手は生粋の商人よ」
 詠の答えに、俺は唸るしかなかった。
 馬車が止まり、こんこんと御者席から叩く音がした。
「着いたようね。いい? くれぐれも、あんたの正体は伏せるのよ」
「了解」
 先に馬車を出て、『奥方様』が降りるのに手を貸す。彼女が先頭、そのすぐあとに俺と華雄が並ぶ格好で、俺たちはある店を目指して歩き始めた。
 扉代わりだろう、垂れ下がった豪華な絨毯を押し退けて、店の中に入る。
 そこは、酒屋のように見えた。
 明かりとりの窓が少ないために、昼間だというのに薄暗い店内。そこでは酒の匂いとなにかの香の煙が常にたゆたい、視界をさらに頼りないものにしている。
 華雄は香の強さに顔をしかめていた。
 店の奥では、(うすもの)一枚の女性が、体の各所につけた装飾品や布をひらめかせて、くるくると回転している。
 褐色の肌にきらきらと光る瞳。その顔が、腕が、脚が見ている間に何度も何度も回転し、その度に新たな動きを見せてくれる。
 よく見れば、彼女は小さな敷物の上からはみ出ないよう巧みに高速回転しているのだった。
「あれも胡の踊り子ね」
 俺と華雄は、はぁと感嘆の声を出し、踊る美姫を見つめる。
「あんまりじろじろ見るな、このちんこ卿!」
「いや、そんなつもりじゃなくてだな……」
 小声で注意されて慌てて答える。
 とはいえ、網の目の大きな絹織物一枚だ。(うすもの)を通して色々見えてしまっている。薄暗いせいで余計にそれが妖艶に思えるのもまた事実。
「莫迦。あんたはいまボクの従者なんだから、大声でえらそうな口きくな」
 さらに早口でたしなめられ、失策を悟る。なんとか内心の動揺を隠し、出来るだけゆっくりと発音した。
「申し訳ありませんでした」
 その後で感心したように話しかけてみることにする。
「しかし、あの回り様はすごいですね、奥様」
「うむ。すばらしい身体能力」
「お前たちは見たことがなかったっけね、胡旋舞というのよ」
 そんなことを話しながら、奥に座っていた男の前に立つ詠。その傲然とした様は演技だとわかっていても、恐ろしいほどだった。
「お前、米とかいうんだってね」
 男が顔を上げる。焦げ茶の髪に白い肌、もじゃもじゃの髭と青みがかった瞳。見るからに漢人ではない、どこか遠い国の顔だちだった。
「はい。なにか御用でしょうか?」
「魯から聞いてね。いい石を扱っているとか」
「おお、それはそれは。魯大人からの紹介となれば、これはとっておきを出さねばなりません」
 男は顔をほころばせると、小さな皮袋を取り出して見せた。柔らかな分厚い皮を敷いた上に、そこからじゃらじゃらと宝石を落としていく。
 詠はそれを一瞥して、軽蔑したように鼻を鳴らした。
「期待外れだったようね。邪魔したわ。お前、酒代でも渡してあげて」
「おお、これは奥様。間違えました、間違えました。こちらの袋でした」
 立ち去ろうとした詠を、慌てて止める男。今度は手袋をはめて、慎重に袋から一個ずつ宝石や、装身具を出して並べていく。
「ふーん。なかなかね」
 詠は身を乗り出して、その一つ一つを確認するように覗き込む。眼鏡の奥の瞳が、鈍く光り、いくつかの宝石を指さした。
「これとこれ、それにこれとこれ、あとは下げていいわ」
 それを聞いて、男の顔が歪む。
「これは……お目が高い」
 どうやら見事良いものばかり選び取ったらしい。
 四つ残したうちから、詠はさらに二つを選び、それを順繰りに自分の体に合わせる。
「あなたはどう思うかしら、北?」
 北というのは俺の偽名のつもりか。わかりやすくていい。
「そうですね。こちらのほうがお似合いかと」
 俺が指さしたのは、濃い蜂蜜のような色合いの中に、ミルクのような白い縞の入った猫目石をあしらった耳飾りだ。
 石を厳選したのだろう。一対の猫の目は、まさに生きているかのように、薄暗い店内の少ない光に煌めいていた。
 もう一つは、こちらも耳飾りで、翡翠の玉でできていた。大ぶりな翡翠を鳥の翼の形に彫り込んである。彫刻の見事さといい、翡翠の碧の深さといい、最高級品だということが一目でわかった。
 しかし、詠の髪の色に似すぎていて同化してしまう。つけるならば、華雄のような髪の色の薄い女性のほうがいいだろう。
「そう。じゃあ、これをもらうわ。払ってやって、北」
 男が提示した値段を見て、驚きに目を見開きそうになるのをなんとかこらえる。銀の粒をふんだんに渡して、俺は支払いを終えた。
 その間、誰も俺たちに注目しようとしないのが奇妙だった。普通の店でこんなやりとりをすれば、物見高い酔客が寄ってくることだろう、しかし、ここではそんなことはないらしい。
 外国人商人の街、か……。
 その後、詠は俺にはわからない言葉――ペルシア語だろうか?――でその商人とひとしきり談笑すると、その店を後にするのだった。

「あれが客胡人。商胡とも呼ばれてるわね。洛陽まで来るのは珍しいけど。長安にはそれなりにいるわ」
 再び馬車の中に戻り、俺たちは話をはじめる。詠はすっかり先程までの奥方様から普段の彼女に戻っている。
 どうも本人にもあれは疲れるものらしい。肩をぐるぐる回したりしている。
「……白人、いや、コーカソイドていうんだっけかな」
 俺は、彼の顔を思い出し、呟く。白皙に紅毛碧眼。古いイメージの『ガイジン』だ。おそらくはペルシア地域、あるいはより近い中央アジアから来た人々の一人だろう。
「なにそれ?」
「いや、気にしないでくれ。そうか、あれが西域の商人か……」
 彼らがやってくるなら、西方からしかない。
 イランの地から、あるいはさらに遠くローマから渡ってくる文物を何度もの売り買いを経て運んでくる商人。
 そのうちで、最も東方の経路を担当するのが彼らだろう。
「そう。扱う商品は多岐にわたるけど、長距離交易をしているのは、今日買い求めたような石や馬、それに奴婢ね」
「奴婢……ね」
 現代世界の感覚からすれば、奴隷制というのは忌避の感情しか引き起こさないものだ。しかし、実際にあるものを見ぬふりをしてもしかたない。たしかに、数はそれほど多くなくとも、奴隷階級の人間というのは存在しているのだ。
 幸い、この国での奴隷の扱いはそれほど悪いものではなく、生殺与奪の権利はもちろん、虐待なども主人には許されない。そして、金銭や主人の申し出で奴隷からの解放を申請することも可能だ。
 それでもやはり、俺も華琳たちも人を売り買いするということに抵抗はあり、だんだんと廃止できるよう順次法律を整備しようとしてはいる。
「さっき見た踊り子の胡姫もその一種。高度な教育や芸をしこんで、重宝される存在を作り出すのね。おかげで、奴婢といっても、主人のほうがご機嫌をとらなきゃいけないこともあるらしいわ」
「そりゃ、大変だ」
「給金も当然高いから、自分で自分を解放するのも早くできるしね。まあ、奴婢という名目で、小規模な移住を進めているようなものかもね」
 そういえば、軍人奴隷に国をのっとられたなんて事例もあったな、と俺はおぼろげな記憶を掘り出してみる。
 さすがにそこまでの危険性はないだろうが……。
「で。彼らは涼州、特に西部には結構な数往来しているの。今回は、それを狙うわ」
 詠の言葉を考えてみる。
 補給に関することを頼んだのだから、当然内容はそのことだろう。そして、商人ならば、それらの物資を手に入れるのはたやすくはなくとも不可能ではない。
「彼らを、味方に引き込む?」
「そ。あれらは物資も人員も、人脈も持っているわ」
「客胡を引き入れて、現地での補給と諜報網を確保しようというのか」
 詠の狙いが見えてきて、思わず唸る。俺が要求してきた以上のものを持ってくるとは、さすがとしか言い様がない。
 商人のネットワークを使えば、物資どころではない、なにより貴重なものが手に入る。
 情報が。
「ええ」
 賞賛の表情を受けてか、詠の顔は少し自慢げに見えた。
「部族ごとに調略している暇はないもの。だから、彼らの情報網と輸送網を使う。中には軍閥を率いているのもいるから、そういうのは楽に吸収できるように持っていけるかもしれないし」
 そのあたりは望み薄だけどね、と彼女は付け加える。それでも、戦闘を必要以上に激化させないで済むかもしれない。
「ふうむ……。東からは自軍の補給、西からは商人によってもたらされる補給、か。そして、なにより、攻め入る先の情報。うまくいけば本当に有利になる手だけど、物資の対価は別としても、協力の見返りは必要だろう? 彼らになにを提供する?」
「長安までの自由通交権。関税免除のね」
 詠の言葉に驚きを隠せない。俺は息を呑んで、落ち着いてから言葉を押し出した。
「……それって、西涼はじめ占領地区では全面的に取り入れる予定じゃないか。実質、金城から長安までしか意味がないぞ」
 もちろん西涼建国までは魏の領内だから、意味をなすと言えばなすのだが。
「彼らはそれを知らないでしょ」
 肩をすくめて言う詠の顔は意地悪な笑みに彩られている。俺はそれに苦笑で返すしかなかった。
「知ってるのは、華琳、三軍師、あんたと凪、それにあんたから聞いたボクだけだもの。そういえば翠は知ってるの?」
「いや。翠は内政に関しては戦のあとに聞くと」
「ふうん」
 詠は少々不満そうだった。翠が内政に関して興味を示さない態度がお気に召さないらしい。
 翠の、やるべきことをやったあとでその後を考えようという態度も、詠のように、未来を見据えてそのために動いておくべきだという考えも、どちらも理解できる。
 わかるだけに、なんとも言えない。ただ、翠にはいい内政官が必要だろう。
「まあ、それはおいといて。実際のところ、西涼から長安までの短距離交易を牛耳れるだけでも大きいでしょ。文句を言うのもいるかもしれないけど、儲けが出始めれば収まるわ」
 彼女は顔を引き締め、身を乗り出して続ける。
「それに、勝てば問題ないわよ。彼らだって、勝利に貢献することの意味くらいわかるでしょ。まあ……たぶん、保険も兼ねて羌や鮮卑に通じる商人たちも出るだろうけどね」
「ん……。それは大丈夫なのか?」
「ええ。そういう場合、通例として彼らは一族を分けるの。たとえば、伯父と弟はこちらについて、兄は羌、叔父は鮮卑につく……といったようにね。一度肩入れしたなら、事が動いてる間は裏切らないわ。裏切ったって儲からないもの」
 どちらが勝とうとも、一族全体としては生き延びられるわけだ。
 そういえば、関ヶ原で、兄は東軍に、父と弟は西軍に分かれたりという逸話もあったっけ。
 まして、商人の世界なら、政治の舞台と違って、殺されることでもなければ勝った方を頼って、再び集まることもできる。
「で、実際にはどうやるんだ? 洛陽に来ているのが少数なら、長安で接触を持つか?」
 先程入った店でも、客胡は彼一人しか見なかった。この地域全体なら、もう少し多いだろうが、その中に、西方への大きな影響力を持っている人間がいるとは限らない。
 その問いには首を振られた。
「いえ、無理ね。こちらまで来ているのはまだまだ少ないし……。さっきの客胡の対応をみてわかったけど、大物を釣るにはやっぱりこのあたりじゃ不十分だわ」
 あの俺にはわからない言語での談笑の間に相手のことを探っていたということだろうか。
 この都の人間ならば、二カ国語、三カ国語を操る人間も珍しくはない。
 だが、あの言葉はその中でも特殊な部類に入るだろう。客胡という名称からして、一般に五胡と呼ばれる範疇をさらに外れた存在であることを示唆している。
「じゃあ、どうする?」
 軍師殿はそこで声をひそめる。馬車の中で誰が聞くわけもないが、そのあたりは、習慣というものだろう。
「七乃と美羽、それに天和たちの説得、頼める?」
「天和?」
 その名前と涼州という組み合わせで、かつてのことを思い出さないわけがない。そういえば、羊で入場料を払おうとするので困ると言っていたが、今度は馬で支払われるかもしれないな。
 しかし、詠の情報収集能力はさすがだ。魏が行っていたこともお見通しらしい。
「俺たちが涼州を攻めた時と同じ手か」
「基本はね」
 美羽と七乃さんを同行させろと言うからには、もう一手あるというわけだ。
「表では張三姉妹、裏では七乃たちに動いてもらうわ。美羽のあの調子は、客胡には付け入りやすそうに見えるものよ。そこを七乃が逆に突くってわけ。二枚舌の相手には慣れてるからね、あの二人は」
「翻弄するのは得意だろうな」
 本人たちが自覚しているかどうかはともかくとして。
 それに、彼女たちなら、少なくとも損をしない取引をしてのけるだろう。
「天和たちについては、華琳とも話す必要がある。それと、美羽たちは……そんなに遠出させて大丈夫かな?」
「大丈夫でしょ。いまさら逃げないわよ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
 わかってるわよ、と鼻で笑われた。
「安全かといえば、そうでもないわ。洛陽にいるのと同じくらいには、ね。もちろん、戦がはじまれば天和たちと一緒に下がってもらうわよ」
 天和たちは、公演ができるとなれば嫌がることはないだろう。もちろん、魏の領内とは名ばかりの地域に行くのだから、安全確保に兵をつけるなどの支援は当然としても。
 美羽たちは、漢中での様子からして張三姉妹との相性は悪くはなさそうだ。芸事でライバル視しているところがあるから、逆にそこに集中して他の部分では衝突する要素がないのだろう。
 交渉の中心が美羽と七乃さんであることに多少の不安はあるものの、詠の言う通り、少々汚い相手でも渡り合えるだろうことは確実だ。
 問題は、あまりにも無茶苦茶な条件をつけて、相手の恨みを買うことくらいだろう。そこは美羽に……いや、七乃さんにしっかり暴走しないよう言いつけないとな。
「わかった、話してみよう」
「そ。じゃあ、これ、美羽にあげて」
「え?」
 両耳から猫の目の飾りを取り外し、差し出してくるのに驚いてしまう。取り外したあとが落ち着かないのか、首を何度か振る詠。
 彼女の髪が揺れる姿に、何故だかどきりとしてしまう。
「洛陽にいる商人との顔つなぎと思って購ったけど……。そっちは期待外れだったから。ちょうどいいでしょ、蜂蜜色が綺麗だし、美羽も喜ぶんじゃない?」
 それは間違いなく喜ぶだろう。この猫目石はその色の深さもさることながら、その加工もすばらしい。
 球体の完璧さを崩さないよう注意深く磨き上げられ、そのデザインと調和するように、金と銀で留め具を作り上げられた、まさに芸術品だ。
 俺は差し出された耳飾りをじっと見つめ、受け取ることができなかった。不思議そうに首をかしげる詠の瞳を見つめ、結論を出す。
「いや……。それは詠が持っていてくれ」
「え、そう? じゃあ、代金はあとで……」
「いや。それはいらない。俺からの贈り物と思ってつけてくれると嬉しい」
 俺の金から出しているのだから問題ないはずだ。
「で、でも高かったわよ」
「平気で俺に出させてたじゃないか」
「そりゃ、だって、軍務に必要ならあの程度の金を渋る必要はないもの。ボクはそう思ったから……。でも、個人の贈り物って考えたら……その……」
 ごにょごにょと語尾が怪しくなる彼女を安心させたくて、笑みを浮かべる。
「俺は、詠に似合うと思って選んだんだ。だから、詠に持っていてほしい」
「でも、こういうのは、もっとかわいい娘に……」
「詠のためのものだ」
「うー……」
 彼女のよくわからない反論に被せるように言い切ったら、真っ赤になって、うつむかれてしまった。しかし、差し出された手は戻り、自らの耳にぱちり、ぱちり、と深く輝く猫の瞳をつけてくれる。うん、よく似合うな。
 ……たしかに高い買い物ではあったが。
「……ありがと」
 囁くように言われた言葉になにか言及すると、かえって蹴りでも飛んできそうなので、俺は黙っていた。
 それでも結局、にやにやすんな、このちんこ! と蹴られてしまうことになるのだが。

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