西涼の巻・第十六回:賈文和、美しき耳飾りを得ること

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 俺にとって二人目の娘である千年(ちとせ)が生まれてから十日ほど。
 玄徳さんの返事待ちもあって、千年という幼名以外の名が定まっていない彼女は、腹違いの姉の阿喜と一緒に元気に泣き声を上げていた。
 片方が寝ていても、片方が泣きだすと決まってもう一方も泣き始める。おかげで稟と桔梗はおおわらわだ。部屋を離して泣き声が聞こえないようにしても、なぜか勘づいて泣きだすらしい。
「まあ、赤ん坊は泣くのが仕事ですからね」
「そうよのう」
 既に一月あまり阿喜につきあってきた稟は達観したものだ。それに答える桔梗は納得しているような口ぶりではあるものの、やはり疲れているような雰囲気もある。
 かなり楽なお産だったらしいのと元から頑健なこともあり、肉体的な回復は稟に比べてもだいぶ早いように思える。
 それなのに、毎日毎晩せわしなく乳を与える生活は、精神的な疲労を桔梗にもたらしているようだった。
 とはいえ、それも幸福感の裏返しではあるのだろうけれど。
「男は、種を蒔くばかりで、乳すら出ん。不公平とは思わぬか。のう、千年」
 授乳を終えた千年の背中をぽんぽんと優しく叩いてやりながら、語りかける桔梗。その姿はまさに母子の美しさを体現している。だというのに、言葉は辛辣だ。
 ぐずる阿喜をゆったりとあやしている稟もそれに頷く。
「一刀殿が子供の数だけ乳を出さなくてはいけないとなったら、大変そうですね」
 なんだか雲行きが怪しいので、話を少し逸らそう。
「そういえば、もし男が子供を産むようなことがあったら、男はお産の痛みに耐えきれずに死ぬとか聞いたことがあるな」
 昔、男が子供を産むことになる映画があったよな、と思い出す。
「ほほう」
「女性は、きちんと耐えられるってのは、まあ、それだけちゃんと考えて作られてるってことだろうね」
 ようやく泣き止んで寝息を立て始めた阿喜を、稟は慎重に寝台に横たえる。千年の方は既に夢の中だが、桔梗はまだ手放すつもりはないようだ。
「とはいえ、出産やその後の死亡率は高いですからね」
「うむ、命懸けよの」
 それについては本当に恐ろしい。
 産褥から回復せずに死んでしまう例は、この時代では珍しいことではない。幸い、城には設備が整っているし、栄養状態もいいおかげで、稟や桔梗、それに桂花や冥琳たちがそうなる確率は庶人たちよりはずいぶん低いとはいえ……。
「感謝している」
 溢れんばかりの気持ちを、こう伝えるしかないことのもどかしさ。
 手伝いたくても、せいぜいおむつの面倒をみるか、抱き上げてあやすことしかできない身では、どれだけ伝わっていることやら。
「男の俺にはできないことばかりだ」
 暗い顔になってしまっていたろうか。二人は顔を見合わせると、揃って笑みを見せた。
「お気にめさるな。愛しい男の子を産むはおなごの幸せ」
「そうです。駆けつけてくれるだけで嬉しいものですから……。私の時は薪割りはなさらなかったようですが」
 眼鏡を指で押し上げ、にやりと笑った稟が付け加えた言葉に、体中がかーっと熱くなる。
「そ、その話は勘弁してくれ」
 ああ、ここが自分の子供の部屋でなければ、転げ回っているところだ。
「薪割り場には、専用の場所が作られたと聞きますぞ」
「それどころか、一刀殿が割った薪はまだそのまま置かれていて、日々、女官たちが子宝に恵まれるとかなんとか言って、一本ずつ持ち去っていくとか」
「なんとなんと」
 二人の女性の会話は止まらない。
 消えてなくなりたいってのはこういうことを言うのだろうか。
「じょ、冗談だよな。な?」
 二人はぴたりと口を閉じ、俺の問いに無言で返してくる。その圧力に、俺は変な声が喉から漏れるのを我慢できない。
 そうして、二人ははじかれたように笑い声を上げる。
 楽しそうに。本当に楽しそうに。
 なぜか、俺の子供の母親たちは、子供ができてから急速に連帯感を獲得し、たまにこうして俺をからかっては遊んでいるのだ。
 子育ての鬱憤や疲れがこれで取れるなら、こうして笑いを提供するくらいは喜んで受け入れよう。
 しかし、と俺は思うのだった。
 世のお父さんたちは、みんなこんなに大変なのだろうか?

 阿喜と千年の寝顔を脳裏に浮かべながら、俺は詠との待ち合わせ場所に向かった。
「なにをにやにやしてんの」
 つくなり不機嫌そうに言われたので口を開こうとしたものの、その前に詠の報が俺に顔を近づけ、すんすんと鼻を鳴らし出した。彼女はそれで納得したように頷く。
「ああ、子供たちね。まあ、それならしかたないか」
「え、よくわかるな」
「乳臭いもの」
 よくかぎつけるものだ。あるいは女性だからかもしれない。
 彼女の体が元の位置に戻ったところで、俺は見慣れない詠の姿を上から下まで見つめなおす。普段とは違い、赤や緑の原色が用いられた派手な着物だ。
 金糸、銀糸もほうぼうに彩られて、美しいものだが……。
「おめかししてるね。似合ってるけど、ちょっと派手すぎないか?」
 正直、詠はもっと可愛らしい格好か、きりっとした雰囲気の方がより似合うと思う。もちろん、元がいいからなにを着てもある程度は着こなすんだけれど。
「変装よ」
 特になんの思い入れもないのだろう。さらっと流された。そこに、歩み寄る影一つ。
「馬車の用意ができたぞ、『奥方』」
 一瞬、何事かと思った。
 あの華雄が襟元をしっかり閉じた丈の長い薄青の着物を着ている。
 普段、余計なものをつけると動きが鈍る、とか言ってかなり薄着しかしない、あの華雄が。
「ありがとう」
 普段は絶対にしないもったいぶった態度で、華雄に礼を言う詠。華雄のほうもそれを受けて丁寧にお辞儀をしている。
 ぽかーんと口を開けて見ている俺に気づいたのだろう、二人は揃って笑いだした。
「これから行くところでは、あまり肌を露出してると、身分が低く見られるらしいからな。得物を隠すにもちょうどいい。どうだ?」
 くるり、とその場で回転して見せる華雄。薄青の着物の表面には渦を描く紋様が描かれ、彼女の体の線を錯覚するように作用しているようだ。
 服の下に武器を隠してあるのだろうが、さっぱりわからない。
「うん。似合ってるけど、やっぱり普段のほうが好きだなあ」
「ふふん」
 満更でもないらしい。
「今回は華雄はボクの御者ってことになってるから、それなりにね」
 二人の反応を見て不安になる。身分を隠し変装を要するなら、俺の役目はなんだ?
「ええと。じゃあ、俺の格好はいいのかな?」
「あんたはボクの書生役だから、普通の服で問題ないわ。『ぽりえすてる』じゃなければね」
 そう言いながら詠は俺の体を見回し、満足そうに頷く。たしかに今日は現代製品やそれに似せたものは身につけていない。
 あまり高いものもつけてないはずだ。
 まあ、その安い高いというのも華琳基準ではあるが……。
「じゃあ、行くわよ」
「ああ」
「ああ、じゃない!『はい、奥方様』」
 ののしりと共にぴしゃりと腕を打たれる。
 叱責を受けるのは珍しくないが、これほど手ひどいのは初めてだ。普段の罵声がいかに優しいものなのか、その時思い知った。
「は、はい、奥方様」
 慌ててへりくだって後を追いかけながら、詠って案外演技派なのだな、と感心するのだった。

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