西涼の巻・第十五回:群雄集いて、古き戦を語り合うこと

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 結局恋と一晩を一緒に過ごしてしまった。といっても本当に一緒に寝ただけだが。
 まあ、あったかくていいにおいで幸せな目覚めではあった。
 ともあれ、その恋に、陳宮と共に北伐への参加をとりつけたことで、残すは霞と子龍さんとなった。
 霞は魏を抜けるという大事なこともあり、今日の昼に会う約束を既に取り付けてある。きちんと話をしたいからな。
 すると、あとは子龍さんだけということになる。
 ただ、あの人は、本当に神出鬼没で、どこにいるのやらさっぱりだ。
 朝の時間なら、蜀の人達と一緒にいるかと人をやってみたのだが、早朝にはどこかに出かけていたらしい。
「……恋、知ってる」
 猛然と朝食をたいらげた恋が話しかけてくる。俺のぶつぶつ呟く恨み言に反応したようだ。
「え?」
「星の居場所」
「いまいるところがわかるの?」
 どうやら、恋には子龍さんの居場所がわかるらしい。彼女は、んー……とどこかあらぬ方を見てから答える。
「……この時間だと、市に見回りに出てる」
「市ぃ?」
 なぜ子龍さんがそんなことをしているかはさっぱりわからなかったが、なにはともあれ恋の言葉に従って、俺は街へ出る用意をはじめるのだった。

 実際に市に来てみると、恋の言った意味がよく分かった。
 そこでは、華蝶仮面とチンピラとの大立ち回りが繰り広げられていたのだ。
 だが、それも、方々から駆けつけてくる警備隊によって終幕を迎えようとしている。チンピラを叩き伏せ、台詞とポーズをばっちり決めてから、華蝶仮面は大きく飛び上がり、どこへともなく消えていった。
 その挙動は素早く、俺にはどこに行ったかもわからない。
 だが、恋にはその動きが見えていたらしい。
 すっと上がる指が、一つの路地を差している。
「……あの裏」
「ん、急ごう」
 周囲に群れる野次馬を縫って、路地裏に向かう。いまは、人々の意識は捕縛されるチンピラと、野次馬を解散させようとする警備隊に向かっているので、俺たちの行動を咎めようとする人間はいない。
 まあ、いたとしても、警備隊には俺の顔は知れているから止められはしないのだが。
 狭苦しい路地裏にたどり着くと、ちょうど子龍さんが仮面を外そうとしているところだった。
「子龍さん」
 一瞬、ぎくりと体が震えたように思った。
 だが、その指はかえってゆったりとその仮面を胸元に収め、その身はこちらに優雅に振り返ってみせる。
「これはこれは。まずいところを見られてしまったようですな」
「いや、仮面のことなら、南鄭で初めて見た時から気づいていたから大丈夫だよ」
 それまで余裕の表情だったのが、一瞬にして焦りに包まれるのは見ていて面白いくらいだった。
 子龍さんのこんな顔、初めて見る。
「それは……。さすが、と言うしかありませぬな」
 いやいや、なんで気づかれないと思うんだ、あれで。
「あの関雲長たちでさえ気づかないというのに。いや、恋には最初から気づかれておりましたが」
「……恋も、前、ちょうちょ、つけてた」
 恋まで華蝶仮面やってたことあるのか。そして、関将軍は気づかないのか。
 色々とすごいぞ、蜀。
「まあ、別にばらしてまわったりはしないよ」
「それは助かります」
 そう言うと、表情が目に見えて和らぐ。俺は路地を出て歩こうと彼女を誘った。
 すでに野次馬たちが三々五々解散しはじめている脇を何食わぬ顔で歩く俺たち。
「しかし、この街の警備隊は素早いですな」
「鍛えましたから」
 警備隊は俺が任されていただけあって、色々と実験もしたからな。
 うまく行かなかったものもあるが、しっかりと根付いたものもある。
 俺がいなくなった後は凪が引き継いだわけだが、郷士軍の運営で忙しいはずの彼女は、いまでもたまに街中の警邏を担当していたりする。
 その勤勉さと責任感には、本当に頭が下がる。
「それに、数が違う」
 事件の処理に走り回る隊員のうちに顔見知りを見つけて、手を振る。
 あちらは俺に気づくと直立不動だ。若い隊員の間では俺のことが妙に伝説化している感がある。沙和が教練の時に景気づけに語っているせいもあるかもしれないな。
 仕事に戻るよう身振りで示し、二人と共に歩を進める。
「特に郷士軍が出来てからは、軍と訓練が一本化されたからね。所定の数を供給できるようになったんだ」
 俺が隊長をしていた頃は、各部署の充足率が八割を超えることは、まずなかった。一番いいところでようやく九割といったところだったろう。
 それが軍との垣根がなくなることで、充足率はほぼ十割を実現することとなった。平和になって、軍よりは警備にという事情があるのかもしれないが、喜ばしいことだ。
「それにしても……いや、さすがは帝都洛陽というべきでしょうな」
 子龍さんが称賛した洛陽の街は、天子のおわす帝都であり、魏の都でもある。そのどちらの比重が大きいのか、俺にはよくわからない。
 民にとっては、それはほとんど同一の意味となっているのではないだろうか。
 道を行く人々の動きを眺め、そんなことを思う。
「今日は子龍さんと話をしに来たんだ。紫苑に言われてね」
 華蝶騒ぎの余波もないあたりにまで来たところで、本題を口にする。雑踏の中だが、俺たちの会話を聞き取れる人間はあまりいないだろう。なにしろ、子龍さんも恋も武器を携えているから、自然と人が距離を取る。
「ああ、北伐参加の件ですな」
 子龍さんは通りがかりに屋台の肉まんを三つ買い上げ、一つを俺、一つを恋にくれる。
 ありがたくいただいて、はむはむと熱いそれを頬張りながら歩いた。
「簡単に言いますと、鳳士元の代わりに私が参加するのではいかがか、というお話ですよ」
「ほう」
「紫苑が懸念するようなややこしいこともありますが、なにより、戦場は涼州。その地を良く知る錦馬超や賈駆を差し置いて鳳雛が出張るほどのことはありますまい。と言って魏延は――私が言うのもなんですが――まだまだ危なっかしい。翠たちは主力ですから、お守りなどさせている余裕はありませんでしょうからな。となれば、私あたりが適任であろうと」
 子龍さんの言は、筋が通っているように思える。
 羌相手となれば、翠やたんぽぽの経験と、詠の知識が物を言う。そこに立場的に上の士元さんを据えるよりは、子龍さんのようなそつなくこなせる人を置いておいたほうが、なにかと都合がいいだろう。
 だが、士元さんを送り込むことで立場を上にしておきたいと思う人も本国にはいるだろう。そのあたりと衝突したりはしないだろうか。
「それで、蜀側は納得するのかな? 子龍さんが参加してくれるとなれば心強いけど」
「そこは、左軍の大将である御方に一筆書いてもらえば、我が主を説得するのもたやすくなるというもの。いかが?」
「俺の一筆か……」
 悪くない落としどころかもしれない。ごり押しと言われない程度の『要請』にしておけば、反感を招くこともないだろう。
「うん。わかった」
 よろしく頼む、と頭を下げる。
「重畳、重畳。実を言いますと、北郷殿の指揮の程、見てみたい気持ちもありましてな」
「おやおや」
 子龍さんの流し目は、本気なのか戯れているのか、奇妙な色をしていて、俺は冷や汗が背を流れるのを感じていた。
「あまり過度に期待しないでくれよ」
「まあ、実際に見せるのは北辺の民に、ですかな」
「そうだね。彼らにとって、羌や鮮卑と俺たちと、どっちが迷惑なのかはよくわからないところだけれど」
 戦を起こす大義はあっても、これは侵略に他ならない。
 戦というものはそういうものだし、ましてや、華琳は覇王だ。そのことにいまさら疑念をさしはさむつもりはないが、そうであるという事実だけは忘れてはいけない。
「錦馬超が彼らの希望となりましょう。それを裏切らぬことです」
 子龍さんの言葉に、ぎりと奥歯を噛みしめる。俺は、随分と翠に重荷を背負わせてしまっていた。
「肝に銘じる」
 短く言うと、それまでの雰囲気を振り払うように子龍さんが明るく言葉を放った。
「では、私は、文をいただいたならすぐにでも蜀に発つこととしましょう」
「あれ、桔梗の出産まではいるんじゃなかったの?」
「いやいや、その桔梗から頼まれているのですよ。劉玄徳の字のうち、一字を子の名としてもらい受けられないか。そんな願いを書きつけた書簡を届けるようにと」
 名前はどうしようかと桔梗と相談した時に、あてがあるからしばらく待ってくれと言われたのはそれだったか。
 そうすると、厳玄か厳徳になるのだろうか?
「それに、うまく行けば私も北伐に派遣され、再び洛陽に来ますからな。赤子の顔はそれまで楽しみにしておくということで」
「そっか。じゃあ、頼めるかな。文面は紫苑や桔梗とも相談することにして……。そうだな、明日には渡せるようにしておくよ」
「お願いします」
 話がまとまったところで、ほっとして彼女に笑みを向ける。子龍さんからも艶然とした笑みが返ってきて、俺たちは二人で微笑みあう。
 そこに、つんつんとひっぱられる感覚があった。
「……ご主人様」
「ん? どうした、恋」
「……あれ、おいしそう」
 指さす先には、いま揚がったばかりの胡麻団子を並べていく屋台がある。香ばしい香りがここまで漂ってくる。
 たしかにおいしそうだ。
「んー。そんなに食べて、お昼ごはん入るか?」
「……大丈夫」
 こくこく頷く恋。まあ、彼女は大丈夫だろうな。俺と子龍さんは先程の肉まんもあって、危うい気がするが……。
 軽く体を動かせばいいか。
「じゃあ、今度は俺が出すよ。子龍さんも食べるよね?」
「ええ、ありがたく頂戴いたしましょう」
 そうして、俺が胡麻団子を注文していると、その後ろで動く気配があったので振り返る。そこには子龍さんが恋を捕まえて、なにか耳打ちしている光景があった。
 そうして何事か囁かれている恋が、妙に赤くなっているのが気にかかった。
 一体、なにを言われたのだろうな?

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