西涼の巻・第十一回:郭奉孝、五胡の蠢動を語ること

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「五胡と言われる北方の部族のことはご存じかと思います」
 五胡――つまり、北方の異民族の総称だ。
 南方の百越と同じようなものだ。
「これはあいまいな概念で、たくさんの異人というほどの意味でしかありません。具体的には……そうですね、現状で問題となる、鮮卑、羌、烏桓、匈奴だけわかっていてもらえばいいでしょう」
 俺は卓に彫り上げられた地図を見て、大まかに指を差す。
「烏桓が北東、羌が北西……鮮卑と匈奴は北の方としか知らないな」
「それで充分です。現在最も盛況なのは鮮卑で、烏桓から羌に至るまでの北部を覆っています。匈奴はかつてはまさに北方の覇者でしたが、武帝の遠征や、その後の分裂、権力闘争に破れた一派の遥か西方への逃亡、鮮卑の興隆などにより往時の力はありません。とはいえ、いまだ侮れない勢力ではあります。……ただ、匈奴には親漢派が多いのも事実です」
「それだけ長い間色々やってきた相手ってことですねー。お互い手の内がわかってるので、その裏返しで信頼も生じてくるです」
「ふうむ」
 長い間関わりあっていく中で、その相手の性質を知り、尊敬するということもあるだろう。逆に知っているからこそ、嫌われるということもある。幸い、匈奴相手では漢の辺境を守る人々の行動は良い方向に働いているということだろうか。
「さて、我らの北伐は、計画では三度行う予定です。その三度の北伐で、羌、烏桓、匈奴を服属させ、鮮卑の主要な部分を支配下に組み入れます」
「鮮卑は全部じゃないんだね?」
「あまりに北に広がっているので、そのあたりまで追い詰めるのは得策ではないという考えです。また、各部族の中でも、我らに敵対する者の逃げ場所としても機能してもらいます」
 さすがに細かいところまで考えているな。
 もちろん、そういう風にうまく動くよう、稟たちが仕向けるのだろうけれど。
「最終的な形はまだ流動的ね。まずは一次、二次でどれほどの戦果を上げられるかも重要だし」
 華琳が稟の予測に対して現実的な補足を行う。
 そういえば、せっかく淹れてもらったのにお茶を飲んでいなかった。
 口に含むと、それだけで清冽な薫りが鼻に抜ける。苦みの中にわずかに感じる甘みとあいまって、頭が冴え渡るような気がしてくる。
「大前提として、我々が北伐を行う理由は三つあります。第一に良好な関係の断絶、第二に略奪の激化、第三に大連合体の樹立の可能性です」
 稟が指おり数えつつ、問題点を挙げていく。
「まず、五胡はつねに略奪を行うわけではありません。あちらの側に余剰物資がある場合、こちらの農産物と交換するといった交易を行うことのほうが多かったのです。もちろん、町の人間が特に必要としていない場合でも押し売りまがいに押しかけてきたことはありましたが、それとて武力を背景としたというほどのものではありません」
「漢人も、ちょっと迷惑だけど、隣人だししかたないか、という程度の感覚だったと思いますー」
「はっきり言えば、略奪は彼らが飢えた時、しかたなく行っていたことなのです。あくまで彼らから見れば、ですが……。
 さて、黄巾の乱少し前から、漢の体制は緩み、各地の治水工事などが行われず、また気候変動が多くあったり、群雄たちが割拠したりしたせいで河北、中原の生産力が落ちました。これは、五胡に分け与えるものがなくなったことを意味します。
 この時期から、一部を除いて彼らとの間に交易が行われなくなり、略奪一辺倒になってしまいました。
 幸い、我らは戦乱の時代を経て、再び生産力を取り戻しつつありますが、一度途切れた関係を取り戻すのはなまなかな努力ではままなりません。
 また、これは第二の問題とも関わるのですが、彼らが略奪の手軽さを覚えてしまったということもあります。追い詰められなければやらなかったことが常態化して、感覚が麻痺してしまったというのもあるでしょう。
 もちろん、こちらとしましても、略奪行為が行われるとなれば、それなりの対処をして撃退します。これによって被害を受けた五胡たちは、この被害を穴埋めするために、強力な集団で略奪を行うこととなります。こうして略奪は激化をたどっているのです」
 そこで一度言葉を止めた稟は、俺の頭に情報がしみ入るようにか、茶を手にとって少し間を置く。
「だからといって、略奪に来られたら撃退しないわけにはいかないもんなあ……」
「そのとおりです。最後に、これは先程言った『より強力な集団』ということと根は同じなのですが、こちらが戦乱を終えたことで、彼らの方でも反応が生じています。まがりなりにも魏・呉・蜀という三つの国家によって統治がはじまったことにより塞内は安定し始めていますが、安定すれば、防備はより固くなりますからね。
 これに対抗するために、遊牧諸部族でも連合をつくる動きが起こるだろうと私は推測しています。その兆候などの細かい分析は後ほど一刀殿にも資料をお渡ししますが、私自身の計算では八年以内、風の考えでは五年以内に、強大な連合体が北方に立ち上がるでしょう。帝国と言う名を冠してもいいほどのものが」
 それは恐ろしい推測だ。
 遊牧部族が大同団結した国家は、総じて強力かつ巨大になる。
 ペルシアを膝下にくだしたスキタイしかり、世界帝国をつくりあげたモンゴルしかり。
 そして、五胡の眼から見れば、この世界の中原世界は群雄割拠を終え、華琳という覇者によって統合されていると映るだろう。
 農耕により膨大な生産力を持つ塞内と渡り合うため、遊牧民たちが強大な同盟や連合をつくろうとするという筋書きは充分ありえるものに思えた。
「豊かな国を狙うために、より強力な軍団が、略奪ではなく本格的な侵攻をはじめる可能性があるってことですねー」
「かつての匈奴再び、か」
「その匈奴と呼ばれるものも、あくまで匈奴という部族を中心とした諸部族の連合で、いまは独立している鮮卑や烏桓もその配下にいたものです。次にどこが中心となるかは別として、こちらが手を打たなければ、確実にそれは誕生するでしょう」
 稟の視線が地図から上がり、俺の視線と絡み合う。
 眼鏡の向こうの瞳に込められた力強さはなにを意味しているのか、すぐにわかった。
「だから、いま、というわけだね」
「そうです。漢土と北方、草原の世界を繋ぐには、いましかありません」
「簡単に言えば、塞内、塞外なんて言葉をなくしてしまうのが目的よ。彼らもまた、我らのうちに引き込んでしまえば、困ったときは援助できる。定住している人々を襲ったりしなくてもね」
 華琳の顔をうかがう。
 しれっとした表情の覇王の言葉は簡潔だが、しかし、真実を示してもいる。それが、こちら側の勝手な言い分であることを充分に承知した上で。
 俺は華琳と稟を見直し、そして、相変わらずぼーっとしている風を見て頬を緩めた。
 彼女が真剣な顔をしていないのだから、大丈夫。
 なんだかなんの根拠もなくそう思ってしまう。
「さて、では、第一次から第三次に至る計画について、説明していきましょう」
 俺が一つ頷いた後で、稟の説明が再びはじまる。
「簡単に言いますと、第一次で痛打を与え、第二次でそれを押し広げ、第三次で支配を確定させます」
「つまり、侵攻する土地自体は、一次から三次までほぼ同一なんですー」
 風が大雑把に指し示すあたりを注視する。
 北は……広い。
 中原だ河北だと言っているのがばからしくなるほど広い。そのことは地図にも表現されていた。
 待てよ。
 俺は考える。この地図、よくできすぎているな。
「二次で少し広げますけれどね。しかし、基本的には第一次北伐において、進めるところまで進んで……」
「あ、ちょっと待って」
「はい?」
 説明する稟を押しとどめ、華琳に確認する。
「この彫られた地図って、俺が渡したのを参考に?」
「ええ、もちろん。私たちの地図では、こんな北の果ての地形が詳しくわかるものはないもの」
「そっか……」
 深く頷く俺に、華琳がいたずらっぽく微笑む。
「ちなみに、彫ったのは私」
「華琳が自ら?」
「せっかくの職人を口封じに殺したりするのは嫌だもの。でも、地形を頭に入れるのは為政者として当然のことだし、楽しかったわよ」
 まあ、華琳だからな。
 彫刻の才くらいあるだろうと素直に思ってしまう。
「おかげで、図上演習が何度もできました。我々の計画はその結実でもあります」
 ちらっと横目で華琳のことを見る稟。
 その頬が少し赤く染まっているが、鼻血が出ることはない。以前を考えると、稟も鍛えられたものだな。
「さて、第一次北伐以後ですが、一次で確保した都市や水場を拠点に、第二次北伐でそれらをつないでいきます。第三次北伐は、反対派を放逐するための総仕上げとなります」
「つまり、最も大事なのは第一次か……」
 そこでつまずくと、その後がどうしようもなくなる。華琳たちのことだから、準備を怠ったりはしないだろうが、それでも、激戦が予想される。
「では、第一次北伐の詳しい説明に移ります」
 言いながら、稟は地図の上に、粘土細工の兵のミニチュアをぽん、ぽん、ぽん、と三つ置いていく。
「第一次北伐では、軍を三つにわけます。左、右、中央です。中央軍は魏軍のみで構成、左軍は蜀軍と魏軍の連合軍、右軍は魏、呉の連合軍です」
 そのうちの一つ、旧都許昌のあたりに置いた兵をこてんと倒す。
「ただし、実際には右軍はほとんど動きません。郷士軍中心の、後衛部隊です」
「へえ」
「理由があるのよ、一刀」
 華琳が手を伸ばし、倒れた兵士を拾い上げ、洛陽の位置に置き直す。その白い指がゆっくりとその兵士の形をなぞって動く。
「呉軍約十二万は一度洛陽に集まるけれど、そこで――もちろん、偽装だけど――雪蓮死去の報が届くの。急遽本国に戻る蓮華は、その十二万を連れて建業に入城するってわけ」
「ああ……。蓮華に継がせるためのお膳立ての一つか」
 また派手な話だ。
 十万を超える軍を動かすだけでも相当の苦労だろうに……。
 蓮華の円滑な継承というのは、雪蓮と冥琳にとって、それだけのことをするだけの価値があるということなのだろう。
「そのかわり、呉からは、糧食をたっぷり安価で提供してもらうことになってますねー」
「一応は表面上の取り決めを破ることになる穴埋めってことか」
「それでも、益は出る値つけです。さすがに呉としてもそこまで損をするつもりはないでしょう」
 風の言葉に少し安心する。あんまり無茶をやると、呉の体力を削ってしまう。
 そこまですると禍根が残る。
「軍事的には、先の遼東征伐を見て、その近縁にいる烏桓が恭順を申し出てきているため、東方はわざわざ軍を動かす必要がないというのもあります。戦わずとも降ってくれるというものを、無駄に刺激する必要はありません」
 それはそうだ。
 しかし、猪々子は手応えがなさすぎると言っていたが、烏桓に鳴り響くほどの戦だったようだぞ。
 一体どんなに激しく打ち破ってきたのやら。今度、詳しく聞いてみよう。
「そういうわけで、右軍は凪が中心となり、呉から供出される糧食と合わせて、他の二軍に補給を行います」
 補給作業というのは非常に重要なわりに、地味で面倒なために敬遠されがちだ。しかし、水と食べ物がない軍はどうやっても動かない。
 律儀な凪なら、この地道な作業をしっかりやり遂げてくれるだろう。納得の配置と言える。
「中央軍は華琳様、春蘭、蜀から戻る予定の秋蘭、季衣か流琉どちらか一人が将軍として率います。率いる兵数は約三十万」
「まさに曹魏の本気だな」
「ですが、実は中央軍の侵攻経路である匈奴・鮮卑の一部は、以前から調略を進めています。具体的には、一刀殿が消えてから、すぐに」
 稟が中央軍を示す粘土兵をまっすぐ北に向けて動かす。
 その眼鏡が反射して彼女の表情を隠す。それと共に、部屋の温度が急に下がった気がした。
 風と華琳が目線を外している気がするのはなんだろう。
 なぜか、俺はその時蛇に睨まれた蛙のような心持ちになっていた。
「そ、そうなんだ」
 震えながら答えると、稟の雰囲気が一変し普段の表情に戻る。
 い、いまのは一体なんだったんだろうな?
「ですから、ほとんどの部族に関しては、戦闘は行われないか、行われても儀礼的なものです。しかし、だからこそ、華琳様や夏侯の両将軍に大軍団を率いて出てもらわねばならないのです。いくら実際に強くても、名前がない将軍の少数の兵に負けたでは、服属する部族の面子がつぶれます」
 なかなか難しいものだ。
 とはいえ、行軍するだけで相手が折れてくれるなら、そのほうがいい。お互い被害を出すのは恨みを残しかねないからな。
 また、実際にそれだけの兵を揃えて行軍することで、魏の力をはっきり示すことができる。
 三十万の兵を長駆させるのは、本当に大変なのだ。
「大兵力と看板武将の出陣は、戦闘のためというよりは、戦闘を回避させたり、相手を納得させたりするためか」
「はい。調略がそこまで進んでいない部族であっても、他の部族の状況や、大軍団を見ることで諦めてもらいます。二年の調略によって、魏の精強さ、華琳様の投降者への慈悲深さは五胡の間に深く静かに浸透しています。ある程度の線を越えれば、雪崩を打って支配下に降るでしょう」
 そして、稟は三つ目の兵士を手にとり、涼州にそれを置いた。
「ですから、第一次北伐の最激戦地は、左軍の担当範囲、北西の羌と鮮卑を降す任務となります」
「左軍は蜀と合同……。西涼か」
「はい、そうなりますねー」
 その時、カンカンカン、とくぐもった金属音が連続して鳴った。
「伝声管ね」
 稟が慌てて伝声管の蓋を開けると、途端に、その中から桂花の大声が響いてきた。
「ちょっと、稟、おりてきて! 郭奕が泣いてて、紫苑が言うにはどうやらお腹がすいてるらしいのよ」
「すぐ行きます」
 ぱたり、と伝声管の蓋を閉じ、すっと立ち上がる稟。
 胸のあたりを押さえているのは、郭奕のことを考えて、胸が張っているからだろうか。
「では、華琳様……」
「ええ、行ってらっしゃい。お腹いっぱい飲ませてあげなきゃね」
 その言葉を受けて、稟は部屋を出て行く。
 部屋を出た途端に、ばたばたと足音が急に激しくなるのはご愛嬌というところだ。
 さすがに、あの広い階段で転ぶことはないだろう。手すりもついていたことだし。
 彼女の足音を聞きながら、部屋にいる面々は皆優しい笑顔を浮かべていた。

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西涼の巻・第十一回:郭奉孝、五胡の蠢動を語ること」への2件のフィードバック

  1. 作品の感想とは関係なくて申し訳有りませんが。ここ最近、GHQと日教祖の業の深さを感じるような報道に呆れています。
    これまた関係ないのですが、特撮作品は好きですか?

    •  教育というのは実に難しいものだと思います。
       国家政策となると余計に。
       特撮に関しては、見るのは好きですが知識はあまりないので、作品間でのつながりとか出されるとほへーっとなってしまうほうです。

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