西涼の巻・第十回:曹孟徳、北伐の企てを口にすること

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 翠たちが待つ次の間につくと、なぜか翠と馬岱さんに混じって、メイド服姿の詠がそこで待っていた。
「あれ、どうしたんだ」
「これ、読みなさい」
 差し出されたのは、分厚い紙の束。
 これを今すぐ読めというのか。そんな時間がどこにあるというのだ。
「いまは……」
 そう言いかけて、詠の目が真っ赤に充血していることに気づく。
 そして、彼女が無意味なことをするわけがないという事実にも。
「概要は最初にまとめてあるわ。後は裏付けの資料。概要だけなら、それほど時間はかからない」
 俺は頷くと、部屋の前にいた親衛隊の女性に、少し遅れるとの言伝を華琳にしてくれるよう頼み、それを読み始める。
「おいおい。曹操との謁見だぞ、勝手に伸ばして大丈夫かぁ?」
 呆れたような翠を、仁王立ちの詠はじろりと横目で睨みつけ、言い放つ。
「伸ばす価値はあるわ。あんたにとっても、涼州にとっても」
「そ、それならいいけどさあ……」
「お姉様よわーい」
「う、うるさい。涼州のこと考えてるってんだから、しかたないだろ。詠だって涼州の人間なんだし……」
 俺はそんなじゃれあいのような言葉の応酬を聞きながら、猛烈な勢いで彼女が持ってきてくれた草案を読み進む。
「これは……」
 さっきから一歩も動かない――おそらくは動くとふらついてしまうのだろう――詠がまとめた案を見て、俺は驚かざるを得なかった。
「もちろん、これをそのまま使わなくてもいいわ。ただ、ボクたちが考える現状の最善はこれ。華琳がなにか考えるきっかけくらいにはなるでしょ」
「……徹夜したのか?」
「大したことじゃないわよ」
 ぱたぱたと手を振るその姿はたしかに可愛らしいメイドさんのはずなのに、なぜか軍師たる賈駆の堂々たる姿にしか見えなかった。
「ありがとう、詠」
「ねねにも言うことね。あの娘もだいぶがんばったんだから。ともかく、ボクはできる限りのことをしたから。後は任せたわよ」
「ああ、任された」
 ぼすんっと長椅子に倒れるように座り込む詠をしっかり見据えて、俺はそう答える。
 そうして、俺は二人の馬将軍を振り返った。
「すまない、翠に馬岱さん。曹丞相の許に案内しよう」

 翠の謁見は、両脇に桂花と風という二人の軍師を侍らせた華琳と対する形で行われた。今度は俺も魏の側ということで、壇の脇に控えている。
「いいわよ」
 涼州の民の帰還を許してほしいという申し出に、華琳はあっさりと首肯した。
「ただし、民は土地が失われていた場合、我が方で用意した屯田に入ること。兵は武裝を解除して民として土着するか、土地の軍――つまりは我が軍に入ること。これが条件」
 こんなにも簡単に肯定されると思っていなかったのか、翠はあっけにとられた様子だったが、すぐに気を取り直して問い直す。
「そ、それは、兵一人一人が選べるのか?」
「ええ。そうしてくれて構わないわ。実戦経験のある兵に武器を持たせたまま野放しにはしたくないだけだもの」
 華琳は優雅に足を組み直し、翠を見下ろして言う。
「ただし、あなたたち馬一族はまた別よ」
 当然の反応だろう。その後に発せられる言葉は当然のように予想できた。
「蜀を離れなさい。これが条件。魏に仕えろなんて言わないわ。昔通り、漢の臣下として働いてくれればいいわ」
「それは……あたしだけならいいけど……」
「どうするの、お姉様……」
 相談し始める二人を見て、いまだろうと決意する。
「あー。ちょっといいかな」
「あら、一刀、なにかしら。わざわざ会見を遅らせた言い訳でもしてくれるの?」
 そんなに怒らなくてもいいだろうと言いたくなるくらい怒ってる。
 しかも俺だけに。
 まあ、遅れて来た時点で、この場を追い出されなかっただけでありがたいわけだけど。
「いくつか提案がある」
「おにーさんがですかー?」
 風が口元を隠しながら、こちらに視線をくれる。
 桂花はまた余計なことをとでも言いそうな渋面を作っており、華琳は相変わらず不愉快そうにこちらをねめつけている。
「興味を惹けると思うぞ」
「ふうん? 言ってみなさい。ただし」
 華琳はその先を続けない。つまらないことを言ったら、叱責されるどころか、失望されるだろう。それはとてつもなく恐ろしいことだ。
 だが、俺の手元には詠たちが作ってくれた草案がある。
「わかっているさ。かいつまんで言うと、翠を王として、西涼王国を樹立する」
 自分の言葉のもたらすであろう衝撃を予想して身構えた。
 翠は喉から変な声を出して固まってしまい、風はにやにやと俺を見つめていた。馬岱さんは理解しているのかいないのかあまり気にした様子でもなく、華琳は静かに黙っている。
 一人、桂花だけが噛みついてきた。
「あんた、なに言ってるのかわかってる?」
「最後まで聞いてくれよ。俺が提案するのは、涼州の西北部――具体的には武威郡から先、敦煌までを西涼として独立させる計画だ。知っての通り、涼州の中でも実効支配ができているのは張掖郡あたりまで。そこで、さらに西方を魏、蜀の二国で切り取り、西涼王国を成立させる」
 華琳が止めようとしないので、話を続ける。
 翠は相変わらず固まったままで、後ろで結んだ長い髪の毛がかすかに揺れているのが見えた。
「西涼は魏の属国とする。蜀や呉みたいな同盟国じゃない。属国だ。だから、王も、魏の側から翠と指定する。しかし、蜀も領土の安定に協力することで、一定の影響力を保つことができる。まあ、こちらは魏にとっては損かもしれないが、兵を損なわずに済むということと、協力関係を強めるということで考えてほしい。実際、西涼が西涼として自らの利を求めるならば、魏、蜀、そして、いずれは呉とも良好な関係を保つことが賢明だと考えるはずで……」
 そこまで言ったところで、俺を制止するように華琳の手が上がる。
「待ちなさい、一刀。その手に持ってるのは、まとめたもの?」
「ああ」
「ちょっと見せて」
 求めに応じ、壇を上がって彼女に手渡した。
 しばらくの間、彼女が頁を繰る音だけが謁見の間に響く。
 ようやく立て直したらしい翠が、睨みつけるような目線で尋ねてくるが、いまは動くわけにもいかない。
「これ、一刀が考えたの?」
「いや、詠と陳宮だ。俺じゃ思いつかない。もちろん、責任は俺にある」
 紙の束をぱたんと閉じ、顔を上げる華琳。俺を見るその視線が妙に優しいのはなぜだろう。
「知りもしないで、よくこんなものをつくるわ。賈駆と陳宮の二人をあなたの下に置いているのは失敗かもしれないわね」
「えっと……」
 言葉だけをみれば辛辣だが、俺から見る限り、彼女の態度は明らかに二人を称賛している。一体、なにがそんなにも華琳の琴線に触れたのだろう。
 そして、彼女は静かに宣言するのだった。
「魏、呉、蜀の三国は、半年後、総勢五十万の兵力をもって漢土の安寧を乱す五胡を伐つ。すなわち、北伐を決行するのよ」

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西涼の巻・第十回:曹孟徳、北伐の企てを口にすること」への5件のフィードバック

  1. 英雄譚から田豊の真名“真直(マァチ)”を引用してくるとは思わなかった(出番があるかは別にして)ですね。

    • 実は、英雄譚の真直のキャラデザが個人的にすごい好みなんですよね。
      なので、せっかくだからと真名だけでも出してみましたw 

  2. 恋姫英雄譚2 の桂花シナリオが若干消化不良だったので、一刀・桂花の絡みを期待してます。

    二人きりの時位はもう少し寄り添ってもいいのではないかと。。

    •  桂花さんの愛情表現は難しいですね。
       あまりきつすぎるのもなんですし、といってべたべたするのかというと……。
       まあ、男である一刀さんを構ってる時点で……というのもあるのでしょうが。

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