西涼の巻・第十回:曹孟徳、北伐の企てを口にすること

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 どれだけ考えようと、天啓を得ることは出来ず、涼州問題は俺の中でひとまず脇に置かれ、漢中の問題を討議する時間となった。
 華琳と、柔らかそうな背もたれが大きく広がった椅子に寝そべった桂花の二人が壇上にある。そして、俺と風、沙和の三人――草案を発表する面々は並んでその二人に対している。
「そこの孕ませちんこ大将軍のおかげでこんな体だから、この格好で許してもらうわよ」
 露骨に沙和と風にだけ言って、寝椅子の上でふんぞりかえる桂花。
 そうすると、お腹が却って目立つ。細い体でよくもあれを支えているものだ。
「一刀はなにか反論とかはないの?」
 含み笑いしながら、華琳が尋ねてくるが、こちらとしてはどうしようもない。俺の子をその体に宿してくれているのは事実なわけだし。
「今回ばかりは桂花の言う通りだからしかたないよ。ああ、ただし、大将軍ではないな」
「ええい、うるさい。あんたのせいで、一時期本当に気持ち悪くて仕事にならなかったんだからね! 本気で反省なさいよ!」
 彼女の言っているのは悪阻のことだろうか。
 その時期は呉にいて仕事を分担してやることもできなかったわけで、本当に申し訳なく思う。悪阻自体をどうにかするのはどちらにせよ無理なのだけど。
「まあ、稟と同時はちょっと参ったけれど、子供自体は喜ばしいことなのだし、そのくらいにしておきなさい」
「……華琳様が仰るなら」
「はいはい、いちゃつくのはそれくらいで、そろそろ草案についての検討に移ってよいですかねー」
 いちゃついてないわよ、ばか! という桂花の抗議は無視され、風の言葉に応えて、華琳が手元の竹簡を持ち上げる。
「まず、一刀の案だけど、漢中の土地は蜀に割譲とは思い切った策ね」
 最初は俺か。華琳の言葉に応じて、自分の案の要約を口にする。
「漢中は要地だけど、実際に保持するとなると、相応の人や物資を送り込まなければならない。あの桟道を通してだよ。それはかなりの負担になる。だったらいっそ蜀に進呈してしまって恩を売る方がいいだろうと思ってね」
 面白そうに目を細める華琳。
 あの様子だと、採択するかどうかはともかく、まるで期待外れではなかったようだな。
「それに土地は譲るけど、人は取り込むことになる。五斗米道の信者は多いからね。俺が見た限りは危険思想でもないし、国の力になるだろう。屯田もまだ空いていることだしな」
 具体的には、漢中の戸籍を作り直し、移住を希望する人をその過程で募集するのだ。田畑の検地も一緒にやるから、税収の洗い直しにも繋がる。それは蜀にとってもよいことだろう。
「蜀は空っぽになった漢中を受け取る、か。ひどい男ね、一刀」
 意地悪な笑みを浮かべ頬杖をついた華琳。あの視線に全てを見透かされているような気がするのだよな。
「空っぽってほどじゃないと思うぞ、さすがに……」
 現実には、五斗米道の信者ではない者もいるし、信者であっても、土地を捨ててまで移動したいとは思わない者もいる。
 元々涼州や各地に縁がある人間はともかく、それ以外の人間が動くかどうかは怪しいものだ。
 ただ、あの南鄭の勢いを見ていると、都市部の人間はだいぶ減ってしまうだろう。
 総生産力がどれくらい落ちるかは試算してみないとわからないところだ。
「次、風の案。一刀と同じく、漢中を魏領に組み込むのは避けるのね。そのかわり、皇帝直轄地――天領とする、か」
「はい。帝のものという名目で、管理を魏と蜀両国で行いますー。これで、蜀の反発もある程度なだめられるものかと思いまして。さすがに全てを放棄するのは少々危ないと思いますので、二国の共同統治としました」
「両者の割合は?」
「魏が六、蜀が四というところですかね」
 資料に目を落としている桂花の質問に答える風。
「人民はおにーさんの案ほど積極的に取り込まず、希望者がいれば徐々に受け入れるという形を考えています。あんまり積極的だと、蜀側の反応が読めませんのでー」
「手堅い線か……」
 華琳はしばし考えた後で、次の竹簡を手にとる。
 沙和が昨日考えたものだろう。俺も多少は手伝ったけれど、実際にどんな形になったかはわからない。
「沙和の案。漢中の統治は天和たちに任せ、芸人の天国をつくる……?」
「そうなのー。南鄭で見た祭りはほんとーーっにすごかったの! あれを一度でなくしてしまうのはもったいないの。もちろん、旅芸人だけじゃなくて、書画、詩歌も含めた、いろんなものを集めて、後世に遺していくの。漢中全体をいろんな人たちが行き来できるようにして、新しいものを生み出すの!」
 驚いた。
 沙和が打ち出してきたのは、芸術都市、文化都市を作り上げる文化政策だ。
 この時代でも、文人たちを集め討論させたり、詩人たちに競わせたりということはあると聞くが、在野の芸人たちまで視野に入れるというのは聞いたことがない。
 ましてや、そこに人の行き来をつくり、流動性をもたせようというのは。
 俺と話していた時にはそんなことは口にしてなかったから、きっと、あの後考えついて、形にしたのだろう。華琳が形になっていない献策を受け取るわけがないし、必死で仕上げたのだ。
 笑顔の沙和をじっと見つめてみると、目尻がうまく普段通りの色に塗られていることに気づく。きっと、あの下にはくっきりと隈があるに違いない。
 俺は、誇らしい気持ちを抑えることができなかった。
 あの沙和が……と。
 ただ、この時代で彼女の出した案を実行できるか、というと話は別なのだが……。
「面白いわね」
 華琳は竹簡に書かれた文字を指で追いながら、呟くように言った。それから、沙和に向けて少し困ったような顔をしてみせる。
「ただ、漢中の対策としては、筋違いね。採用できないわ」
「うぅ、残念なのー」
 しょんぼりする沙和。しかし、彼女の提案は間違いなく価値のあるものだ。これにめげないでくれるといいが。
「桂花、どう思う?」
「やはり、風の案が良くできていますね。ただ、民を積極的に受け入れる姿勢を示さなかった場合、蜀はともかく、五斗米道の反応が気になります。なにしろ宗教者の熱狂ですから、無視するような態度は逆効果かと」
「ふむ」
 桂花の言を受け、腕を組み考え込む魏の覇王。俺たちはもはや言い渡される結果を待つしかない。毎度この時間は胃が痛むな。
 華琳は一つ頷くと顔を上げる。
 その顔にはすでに確固たる決意が宿っている。
「一刀の案と風の案のいいところをとることにするわ。漢中は天領とし、南鄭の管理は魏が、それ以外の土地は蜀に委託する。検地を実施すると共に民の戸籍を作り直し、移住希望者を募りなさい。一年後には移住を開始できるように。責任者は誰がいい? 桂花」
真直(まぁち)……いえ、田豊あたりにやらせてみてはいかがでしょう。風か稟をその監督に」
 その答えに、華琳は片眉だけはねあげて、微笑みを浮かべる。
「あら、麗羽のところの人間を使うなんて、あなたも丸くなったわね」
「手は多いにこしたことはありませんから。それに、あれは剛情ですから、五斗米道の信者に圧倒されたりもしませんでしょう」
 からかい口調に、少しすました感じの桂花。
 口調は田豊のことを嫌っているかのように聞こえるが、実際はそうでもないだろう。
 役に立たない人間を彼女が華琳に推薦するわけがないのだから。少なくとも能力の面では信頼を置いているはずだ。
 もちろん、麗羽麾下の時代にはいろいろあったのだろうけど。
「では、風。稟が一線に戻るまではあなたが監督。稟が元気になった後でやりたいと言うなら代わってあげてもいいわよ」
「了解しましたー」
 そうして、全ては決まる。
 今回は俺の策の一部が採用されたが、もちろん、まるでかすりもしないこともある。
 だが、そんな時でも、華琳の決定を聞いていると、たしかにこれしかないと思わせるものがある。
 それがまさに王というものなのだろう。
「沙和、あなたの案は面白いけれど、漢中でやることではないわね。ただ、やる価値はあるとみたわ。芸事の範囲をさらに広げて、どんな人材を、どの場所に集めれば効果的か考えなさい。最初の段階では、金銭的な問題や土地の問題は置いておいていいわ。わかった?」
「りょ、了解なのー」
 沙和の案はかなり華琳のお気に召したようだ。実際に動くのがいつになるかわからないが、華琳がやるとなれば徹底的にやるだろう。
 俺は沙和に向けて、小さく手を振った。
 応援の気持ちが伝わったのか、華琳に新しい課題を出されて緊張した面持ちだった沙和がこちらを見て笑みを浮かべてくれる。その拍子にずれた眼鏡を慌ててなおす様子が、お茶目だ。
「ああ、風。布告は、天領とすることを先に。しばらくしてから、蜀にも委託することを出しましょう。一度に言えば、中途半端に反感を招くかもしれないけれど、一度反発させておいて、あちらにとって悪くない案を提示すれば文句も言えなくなるはずよ」
「そですねー」
「さすがだな」
 唸るように俺が言うと、華琳が鼻を鳴らす。
「実際、実利を考えれば文句なんか言わないはずなのよ。でも、領土問題は利益だけじゃなくて、面子や遺恨なんかがあるからね。あちらにとっても都合のいい環境を整えてやらないと」
 華琳は座りなおし、竹簡を片づけ始める。それをきっかけに、沙和や俺もそれぞれ資料を片づけていく。
「さて、漢中についてはひとまず終わり。沙和は下がっていいわ。一刀は翠たちを迎えに行って。次は彼女たちだから」
「了解」
 俺は華琳の言葉に従い、謁見の間を出るのだった。

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西涼の巻・第十回:曹孟徳、北伐の企てを口にすること」への5件のフィードバック

  1. 英雄譚から田豊の真名“真直(マァチ)”を引用してくるとは思わなかった(出番があるかは別にして)ですね。

    • 実は、英雄譚の真直のキャラデザが個人的にすごい好みなんですよね。
      なので、せっかくだからと真名だけでも出してみましたw 

  2. 恋姫英雄譚2 の桂花シナリオが若干消化不良だったので、一刀・桂花の絡みを期待してます。

    二人きりの時位はもう少し寄り添ってもいいのではないかと。。

    •  桂花さんの愛情表現は難しいですね。
       あまりきつすぎるのもなんですし、といってべたべたするのかというと……。
       まあ、男である一刀さんを構ってる時点で……というのもあるのでしょうが。

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