西涼の巻・第九回:董仲穎、北郷一刀に涼州の状相を論じること

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「さて、はじめましょうか」
 俺の執務室には月と詠、それに陳宮の三人が集まっていた。
 すでに卓の上には大きな地図が広げられている。主に大陸北部が描かれた地図だ。
 その前に軍師服姿の詠が一人立ち、こちらはメイド服姿の月、それに俺と陳宮が座って彼女が話すのを聞いている。
「まず、涼州の位置はわかっているわよね?」
「長安の西方から北西に向かって伸びているんだよな。端っこは敦煌……だっけ?」
 敦煌は西の果てのオアシス都市。
 その先は、北はゴビの沙漠を経てモンゴル高原が、南は祁連山脈を経てチベット高原が存在する。つまりは草原の世界への入り口だ。
 ちなみに、砂漠と言い切るのは間違いらしい。ゴビとは沙漠──水が少なくまばらに草が生えている程度の土地を指すからだ。
 更に言えば、俺の時代のように砂漠化が進行していたりもしない。
「よく知っていらっしゃいますね」
「敦煌は映画……劇みたいなもので知っていただけだよ」
 月の問いに、頭をかいて答える。
 実際に映画の敦煌を見たことがあるわけではなくて、話を聞いたことがあるだけだしな。
 さすがに西涼に攻め込んだ時も、そのあたりまでは足を伸ばしていないし。
「まあ、正確に言うと、置かれた州が違ったりするんだけど、いまはそこは気にしないでおくわね。実際、長安までを司隷に含めて、そのすぐ横は涼州って状況認識のやつの方が多いだろうし」
「細かくは違うんだね」
「雍州やら置かれていた時代があるですよ。でも、それも入れ代わったりして、公式文書はともかく、文官でさえ浸透していないと思うです」
 陳宮が小声で補足してくれる。彼女も北方の情勢には興味があるのか、詠の指が走っていく地図に釘付けだ。
「あんたたちが攻めたのは、せいぜい隴西、金城までね」
 詠の指さすのは、長安の真西から少し北西にいったあたりまでだ。
 涼州全体からすれば入り口のような場所だが、洛陽を押さえる魏にとっては、その場所こそが重要でもある。極論だが、そこに敵対勢力がいなければ、さらに西方や北方に敵がいても勢力基盤を脅かされることはないのだ。
 もちろん、民の安全や、街道の安全を考えれば、それだけではすまないにしても。
「ボクと月の出身地も、隴西のこのあたり。翠はもう少し北西だと思うけど、そう変わらないわ」
「へぇ、そうなんだ。翠は出身自体はもっと西かと」
「漢の臣下として動くなら、そのあたりが限界なんです」
「漢の統治が及ばないってこと?」
 月の言葉に反応すると、陳宮が小さく鼻を鳴らしてきた。
「もっと生臭い話ですよ。三国が分立するいまの世はともかく、漢の朝廷は洛陽と長安を中心とする中原だけでまわっていたです。要するに、中原に近い郡の実力者でなければ、洛陽に居を構える朝廷に対して力を及ぼせない。朝廷のほうはいくら実力者であろうと、あまりに辺境の豪族は相手にしない。そういうことではないですか?」
 詠が苦笑しながら頷く。
「まあ、ねねの言う通りね」
 再び地図を指さし、そこから長安へまっすぐ線を引く詠。
 たしかに隴西、金城あたりからならば、長安はすぐに出張ってこられる場所だ。先程考えた通り、魏が確保しておかなければならない地域でもある。
「馬騰自身の求心力はもちろんのことだけど、豪族連合が馬騰という盟主を戴いたのは、その根拠地の位置関係も大きく関係してたってわけ。ボクたちが十常侍に呼ばれた理由も、中原にほど近い地域の権力者って意味合いが多分にあるわね」
「涼州豪族っていうだけで、田舎者扱いでしたけれどね」
 昔を思い出したのだろうか。月は困ったような、苦笑しているような、そんな顔をしていた。
「まあ、昔の情勢はともかく、話を続けるわね。隴西や金城から先は、武威、張掖、酒泉、敦煌というのが主要な郡。いま言った順番に北西に向けて連なってると考えてくれればいいわ」
 それぞれの郡を指さす詠につられて地図を見たが、隴西や金城に比べても、遥かに遠いぞ、敦煌。
 大陸の広さを実感せざるを得ない。
 これですら、大陸全体から見れば東側の端に過ぎないというのに。
「このあたりになると、正直、漢の領土というのは半分名目ね」
「そういうものか」
「そりゃあ、武帝の前、匈奴に完全に押さえられていた時代とは違うからね。ある程度の影響力を及ぼせてはいるし、馬騰の豪族連合はこのあたりまで伸びていたけど、その豪族連中だって、馬騰に従いつつ五胡ともうまくやってるってのが大半ね」
 これまでの漢中と同じようなものだろうか。どちらにも税を納めることで、安全を保障していたのだろう。
 実際、漢の軍隊が羌や鮮卑に対してどれだけ力を発揮してくれていたかというと怪しいところだ。
「朝廷からすれば下手に騒がず税さえ納めてくれれば文句はない。逆に豪族たちも羌や鮮卑と戦ったり協定を結んだりしてなんとか自分の領土を安全に保てればいい、って感じかしらね」
「羌の人たちも、こちらに協力してくれる人や、子供を作って町に定住する人も多かったですから。中原とは感覚が違うのかも……」
 月たちの言葉は、実はかなり深いところを示しているのかもしれない。
 異民族の領土で普通に暮らす『漢人』もいれば、漢の町の中で過ごす『異民族』もいる。
 これは重要なことだ。
 そもそも異民族と簡単に言うが、民族というほど確たるくくりはないのかもしれない。隣の村の部族はちょっと違うという程度の感覚の場合もあるのではないか。
 また、俺たちは洛陽で『羌が攻めてきたから撃退した』という簡潔な報を受け取るが、それにはいろいろな状況が混じっているはずだ。
 たとえば脅し気味に交易を求めてきたのでこちらもなにがしかの対価を払って帰ってもらったという場合から、本気の略奪行を防いだ場合まで。
 そんなことを思いながら、地図を見直す。
「魏は実際、どのあたりまでかな。酒泉からの報告書なんかも見るけど」
「ボクがみるところ、張掖までかしら。酒泉も貢納はしてきているようだけど……」
「酒泉自体は従っているんじゃないでしょうか。あ、この場合、酒泉っていうのは、郡じゃなくて、中心の城市のことで……」
「んん?」
 珍しく月と詠の意見が矛盾している。
 いや、これは矛盾なのだろうか。
 本人たちは顔を見合わせているが、意見を違えるうんぬんより、俺たちにどう説明していいか迷っているようにも見える。
「もしかすると、面で考えない方がいいということですか?」
 何事か考えていた様子の陳宮が切り出すと、詠がようやくのように答える。
「ああ、そうね。面ではなくて、点で考えると言えばわかりやすいかも。中原のように城市があって、その周辺に小さな村々が広がっているというのはありえないし。酒泉郡ではなく、酒泉という都市だけは魏の勢力圏内と言えるわね。ただし、そこに至る街道まで勢力圏かというと難しいところね」
 その途中で勝手に関をつくって税をとってる軍閥もいるわけだから、と詠は続ける。
「ふうむ……村が広がっていないのはなぜだい?」
「水がないんです」
「川のような帯ではなく、点で水源があるのよ。沙漠だから」
 ああ、そういうことか。
 中原は黄河と長江という莫大な水源に恵まれている。本流を外れても、多くの支流が、水と豊かな土を運んできてくれる。
 一方、乾いた土地である涼州北西部では、水流は深く深く沈み、ところどころで地表近くに出て、一部だけを潤しているなんて状況なのではないか。比較的乾いているから、森は出来ずに草地だけになってしまうのだ。
「逆に言うと、畑を作ったりできるほど大規模な水源がある場所にはすでに都市があるわけ。旅や流通の中継点ともなるし」
「水源のある都市を漢人が支配し、その周辺、面である草原で羌たちが遊牧生活を送っている、ってことかな?」
「はい。それで認識は間違っていないかと思います。もちろん、漢人とはいっても、漢に従ってるわけではないことも多いので……」
「様々な勢力が入り乱れることになるわけだな」
「ええ、そうね。たとえば……」
 その後、詠が主体となって、涼州に散在する小軍閥の状況、羌と鮮卑の断続的な侵攻状況や、オアシス都市にすむ西方の商人たちの話など様々なことを聞かせてもらう。

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