西涼の巻・第九回:董仲穎、北郷一刀に涼州の状相を論じること

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 白蓮に給金を引き出す棚の合い鍵と仕掛け──どちらも真桜謹製で、この世界で破れるのは当人の真桜くらいだろう──を教え、鎮北府開府の資金として、銀の延べ板を渡したら目を白黒させていた。
 俺自身大きな金額を扱うことは少ないし、身構える気持ちもわかる。
 ちなみに、作業をしている間に棚にそれまでなかった冊子が入っているのに気づいた。
 どうやら、俺がいない間に管理していた祭と陳宮が、出入金の帳簿をつけてくれていたらしい。
 どうも、陳宮はこういうことの管理がずぼらだと黙っていられない性質らしい。身なりは小さいけれど、軍師としては才能があるのだろう。
 いま、俺は月たちを連れて、彼女たちがこれから暮らすことになる部屋を見に行っているところだ。
 彼女たちは城下に邸もあるのだが、今後は城内にいてもらうほうがなにかと便利だと判断したのだ。
 月たちとの洛陽での出会いを思い出して談笑しながら歩いていると、どこからか、風を切る音が聞こえてくる。
「ちんきゅーーーーーーーーーーきーーーくっ!」
 急激に近づいてくる敵意の篭もった気配。
 避けようとするが、後ろを歩いている月と詠のことを瞬時に思い出し、ためらってしまった。
 その一瞬にもはや避けようがない位置にその影は迫っている。俺の顔に近づく沓の裏が良く見えた。
「おっと危ない」
 横から金剛爆斧が差し出され、その何者かがくるくると柄の先端にひっかかって回転する。華雄がくりんと腕をひねると、どべっと音を立てて黒いものが庭先に落ちた。
「なにをするですか、華雄!」
 それは立ち上がると、黒い服を着た陳宮の姿に変わる。
 腕を振り上げて抗議している様は、なにか小さな生き物が自分を懸命に大きく見せているかのようだ。
 それに対して、華雄は金剛爆斧を戻しながら肩をすくめた。
「なに、と言ってもな。主たちの危険を未然に防いだだけだが」
「むきーっ。ねねは、恋殿とねねを引き裂いたへっぽこ主に天誅を加えようとしていたですよ! それを邪魔するとは不届き千万!」
「ねね……?」
 おや、恋が少しうろたえている。
「あのさ、ねね。いまの角度だと、こいつだけじゃなくて、こいつが転ぶことで、ボクや月も被害を受けるんだけど」
 俺や華雄と同じく足を止めた詠が冷静に指摘する。
「軍師たるもの、周辺被害もちゃんと計算しないとだめよ。狙うならちゃんとこいつ一人を狙いなさいよ」
 狙うのは肯定するのか、詠。
「む、むむむ……」
「ねね、無茶しちゃだめ」
 うなだれる陳宮に、とてとてと恋が近づいていき、こつんと頭に拳を落とす。
 痛くはないだろうが、しかられていることは明白で、陳宮は顔をくしゃくしゃにして泣き出しそうだ。
「恋殿ー、ねねはですねー」
「ご主人様は悪くない」
「しかしー!」
 ここは話題を変えた方がいいだろうと、先程から目についていた建物を指差した。
「あれ、あの建物って見たことないな」
 恋にくっついたままの陳宮が振り返ってつまらなさそうに答える。
「ああ。お前がいない間に新造したですよ」
「へぇ、何の宮?」
 詠と月が背のびして、庭木に隠れがちなその建物を見ようとする。
「こいつの子供たちのための棟ですよ」
 陳宮がさらっととんでもないことを言い出す。
「正確には魏の重臣たちが子を産んだ時のための養育棟ですが、桔梗もいずれ入ることになっているそうですから、そんな名目に意味はないです」
「俺の子供の建物ぉ?」
 見る限り、城内の他の建物と同じく、かなり重厚で大きなものなのだ。
 しかし、養育棟というのはそんなに必要なものなのだろうか。こちらの世界では普通なのかもしれないので、なんとも言えないが……。
「どうせ異母兄弟姉妹なのですから、乳幼児の間は母親同士助け合って育てるほうが効率がいいだろうと、華琳殿手ずから設計して作ったですよ。少し大きすぎる気がしないでもないですが」
 陳宮の感覚でも大きいのか。それでも華琳の設計となったら、気合いも入ることだろう。
「話によると、乳母や女官をあまり入れない予定らしいです」
「ふーん。慣習とは大きく外れるけど、華琳らしいといえばらしいのかしら。実際、重臣の子供となれば、乳母の選別も手間だし、間諜が入ることも考慮しなけりゃならないしね。今回のようにまとめて生まれるなら、お互いに面倒を見合えるから、たしかに合理的かもしれないわ」
「乳母の人や女官の人がいっぱいいるよりは、お母さんと一緒のほうがいいよね……」
 詠の実際的な感想に対して、月はなにかを重ねるような風情でその建物をじっと見つめていた。
「まあ、姉妹もたくさん出来るんだもの。きっと寂しくないでしょうよ」
「そうだね。詠ちゃん」
 あれ、たくさん作ること前提?
 まあ、自然と……うん。
 そうして、陳宮を加えて再び歩きだし、彼女たちの部屋についたところで、ふと思い出した。
「ああ、そうだ。詠、ちょっと聞きたいんだけど」
「なに?」
「あのさ。俺の知り合いで、翠以外で一番涼州に詳しいのって誰かな」
 翠が華琳と涼州の話をする前に、色々情報を仕入れておこうと思ったのだ。力になると約束した以上、なにかは考えないといけない。
 その問いに、部屋の中を見分していた詠の動きがぴたりと止まる。なぜか月も珍しく険しい顔をしていた。
「……ばかにしてるの?」
「え?」
 わけがわからず困った顔をするしかない。すると、詠と月は顔を見合わせて、二人共に大きく溜め息をついた。
「私たちです」
「え?」
「だから、涼州事情でしょ? ボクと月だってば。蜀にいた翠より詳しいくらいよ!」
 ああ、俺は間抜けだな。
 詠に強い口調で言われて、ようやく彼女たちの出身地を思い出す始末だ。
 董卓と賈駆の影響力については散々聞かされていたのに、どうも月と詠という二人と、そのことが結びついていなかったらしい。
「ええと、でも、離れてだいぶ……」
「ちゃんと情報は集めてるに決まってるでしょ。故郷なんだから知り合いもいっぱいいるんだし」
「ご、ごめん」
 結びついていなかったというより、結びつけたくなかったのかもしれないな。そう考えながら謝ると、詠はしかたないというように頷く。
「いいわよ、もう。よく考えたら、あんたと涼州の話ってろくにしたことなかったし。で、なにが知りたいわけ」
「あー、うん。全般的な現状とか」
「ふーん。……そうね、いつ? 地図とか必要でしょ」
 夕方は蜀の人達と会わないといけないし、夜だと聞いた後ゆっくり考えるというのが難しそうだ。
「じゃあ、そうだなあ……」
 時間を指定しようとすると、ちょいちょい、と服の袖をひっぱられた。見ると、恋が俺の服をつまんでいる。
「ん? なんだい、恋」
「ねねも」
 簡潔に言って、陳宮を指さす。陳宮は恋に指名されたからか、それほど嫌でもなさそうだ。
「えーと、涼州の話をする時に陳宮も同席させろってこと?」
「うん。ねね、頭いい」
 なるほど、彼女も軍師だ。涼州事情に詳しいかどうかわからないが、発想の手助けにはなるかもしれない。
 月と詠を見ると、彼女たちも頷いている。
「ねねちゃんの知恵も借りたらいいんじゃないでしょうか」
「そうだな、じゃあ、よろしく頼むよ」
「ふんっ! 恋殿が言うから、しかたなくお前に協力してやるですよ」
 陳宮は本当に恋一筋なんだなあ。
 まだ彼女とはそれほど接することができていないので細かい性格などはよくわからないが、恋が大好きなのはよくわかった。
 翌々日に翠と馬岱さんが華琳と話をする予定になっているはずだから、明日の昼にでも頼むと時間を決め、俺たちは部屋にどう荷物を運び込むかの相談をし始めたのだった。

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