西涼の巻・第八回:北郷一刀、父となること

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 麗羽たちが同席していると話がややこしくなりそうだったので、彼女たちの部屋を辞し、伯珪さんを連れて自室に戻る。
 一人、祭だけが俺たちについてきた。
 部屋に入り、伯珪さんと俺が卓に座ると、祭は部屋の隅で壁にもたれかかった。基本的に、話には参加しないつもりのようだ。
「まずは、すまなかった」
 そう言って頭を下げる。
「え?」
「俺のせいで蜀を追放されることになったろう? 本当に悪かったと思っている。できることがあったら、なんでも言ってくれ」
 そこまで言うと、頭の上から声がかかった。
「おいおい、待ってくれ。私は別にそのことで、北郷殿を責めるつもりはないぞ」
 顔を上げると、困ったような伯珪さんがいる。前髪がゆっくりと揺れているのが妙に心に残った。
「そっか。ありがとうな」
「いや、それはいいんだけど……」
 伯珪さんは話題の接ぎ穂に困ったようで、少し目を泳がせていたが、不意に思い出したように言った。
「そういや、紫苑……っと、黄忠たちに桔梗のこと話したのか?」
「あ、紫苑の真名はもらってるよ。翠も。でも、桔梗って?」
「ほら……」
 伯珪さんは、自分のお腹のあたりに手をやって、なんだか大きいものを示す身振りをする。
 それで、妊娠の話だとわかった。
「ああ。そういや、桔梗は歓迎の祝宴にも出てこなかったな。蜀の人達はまだ知らないのか、もしかして……」
 蜀、呉の面々は昨日到着し、そのまま祝宴になったのだが、桔梗は出席していなかった。
 彼女もそろそろ臨月だし、余計なことをしたくないのかもしれない。
「桔梗は産み月には姿を隠そうとまでしておりましたからな。それもさすがに伯珪殿の追放で無理となりましたが、蜀の面々と余計なところで揉めとうないのでしょう」
「うーん。じゃあ、桔梗と紫苑たちが会う時には俺も同席すべきだろうな」
 祭の指摘にしばし考えて答えると、頷いてくれる。
 たぶん、今日の夕刻ごろには蜀の面々も落ち着くだろう。俺が彼女たちを大使の執務室に案内して、そこで桔梗と会うように設定するのがいいだろう。
 その旨を伝えると、祭は手配をしましょうと出て行った。
「さて、本題に入ろうか?」
「そうだな……」
 伯珪さんは決意を込めるように一つ大きく息を吸い、俺に向き直った。
「白馬義従は受け取った。今回の遠征で増えたのと合わせて、約二千。多くはないな。だが、私が言うのもなんだが、三国の騎兵の中でもかなりの精鋭だぞ。少なくとも、張遼の隊や馬超の隊と並ぶくらいにはな。それと、私。まあ、こちらは、麗羽たちに負けるくらいだ」
 当時の麗羽の勢いを考えれば、勝てるのはそれこそ華琳くらいだろう。それでさえ、麗羽のなにも考えていない行軍にこちらの全力でようやく抗し得ただけだからな。
「北郷殿は、これをどう評価する?」
「その様子だと、華琳にはすでに聞いているようだね」
 俺は即答を避ける。
 正直言えば、伯珪さんを評価できるほどに俺という人間の器が大きいのかどうか、そこに疑念がある。
「まあな。でも、華琳は自分のために働いてくれれば文句はないだろう。任されることは大変そうだけどさ」
「鎮北将軍を任されたんだろ。大層なものだよ」
 そう、華琳の伯珪さんへの期待はかなりのものだと思われる。そうでなければ、霞と同格の地位につけるはずがないのだ。
 俺はじっと考え、結局、彼女を評価するのではなく、自分をさらけ出すしかないのだと気づいた。
「正直に言うと、俺のところは、評価というか序列のようなものは特にないんだ」
「ない?」
「うん。俺の預かりや監督下ってのは要するに避難場所だから。魏に直にいるには──いろんな意味で──危ないとか、三国の秩序の中から弾き出されたり、名前を隠した方がいいと思う人物の逃げ場所になってるんだ。その中でもありがたいことに俺を主と仰いでくれる人もいるけれど」
 伯珪さんは無心に聞いてくれている。
「もちろん、俺には俺の考えがあるし、理想もある。けれど、それは華琳の行いを手助けすることで実現するものなんだ。彼女は魏の覇王であると同時に、漢の丞相として、この大陸全体のことを考え、様々なことを実行している。俺はそれを手助けし、新しい時代をつくりたい。だから、そのために、俺の下にいることになっている人たちの力を存分に借りるつもりだ。俺のところに来るってのはそういうこと。俺を通じて、魏や、漢、なによりもこの大陸の民たちのために働くっていうこと」
 そこまで言って肩をすくめる。
「俺を主と仰いで守り立てるなんて考えなくていい。極論だけど、自分のために俺を利用するのでもいいんだ。ただ一つ、この天下のことを考えてくれるならば」
「華琳と真逆だな」
 真逆、と表現したのはその忠誠の対象を華琳自身に定めるか、自分自身とするかの違いだろうか。
「まあ、でも、最終的にやることはそう変わらないけどね」
「そのあたりはな。国事も日常は雑事の積み重ねだ」
 一勢力を率いたこともある人だ、そのあたりは承知していることだろう。
 たとえどこに忠誠があろうと、それらの雑事から解き放たれることはないのだ。
 とはいえ、大きな決断は小さな決定の集大成として必然的に導かれる。そういう意味では、日々の雑務こそがもっとも重要な流れを決定しているとも言えるのだが。
「詠が、伯珪さんは蜀陣営の中でもなんでもできる貴重な人材だと評価していたよ。蜀を離れて孔明さんたちが痛手だろうと」
 詠の率直な評価だと思うが、それを言った途端、彼女の顔が曇った。
「なんでも……ね」
 呟いて、小さく嘆息する。
「なんでもそこそこはできる。でも、秀でたやつには勝てない。その程度さ」
「そうかな? 俺なんてもっと中途半端だよ。武術では伯珪さんに負けるし、戦争がうまいわけでもない。この世界の知識だけで言ったら、麗羽たちにだって負けるだろう」
 特に麗羽や美羽なんて、出自が出自だけに、宮中のしきたりや決まり事は本能レベルで刷り込まれているからな。
 それが常に役立つかどうかはともかく、知識量で勝負はできないだろう。
「足りないところは補い合えばいい。なんでもそれなりにできるんなら、秀でてるけど足りないところも多い人と伯珪さんを組ませれば、さらにすごいことができる。そういうことだろ?」
 彼女は俺の真意を測るように、じっと見つめてくる。視線を外さずになんとかその眼力に耐え切った。
「ふーん」
 感心したような呆れたような、なにか奇妙な声を出すと、彼女は不意に言った。
「北郷殿、刀を構えてみてくれないか?」
「ああ、いいよ。真剣でいいのかな?」
 立ち上がり、真桜に打ってもらった刀を手元に引き寄せる。
「うん。真剣で」
 すらりと抜き放ち、壁に向かって青眼に構える。その様子を、伯珪さんも椅子から離れて横から後ろから観察してきた。
「真剣を構えてこの武威か。たしかに強くはないのかもしれん」
「そうだろ?」
 再び椅子に戻った伯珪さんに、もう必要ないだろうと刀を納める。
「いや、すまん。わざわざ構えてもらったのに無礼なことを言ったな」
 俺が座りなおすのを見て、彼女はそう謝ってきた。しかし、どこか心ここにあらず、という印象を受ける。
 その後しばらくは、彼女は唸ったり、こめかみを揉んでみたり、なにやら悩んでいるようだったが、再び顔が上がった時には晴れ晴れとしていた。
「一つだけ、聞きたい」
「うん」
「私に烏桓を任せた意図は?」
「烏桓を知ってほしかったからだよ。攻めるにせよ守るにせよ、そして、烏桓の人々を守るためにも、まずは彼らを知らないとね」
 口に出すことでもないとは思ったが、しかし、答えてほしいという真摯な問いに答えないわけにもいかない。
 伯珪さんはこれにも少し驚いたように表情を変えた。
「よし、決めた」
 彼女は再び席から立ち上がり、俺の前で膝をつく。その姿に込められた気迫に思わず立ち上がってしまう。
「この公孫賛、いまこの時より、北郷殿の臣下となりましょう。主に捧げる我が真名は白蓮。泥中に咲く蓮のごとく、いかなるところでも働くことをお約束いたします」
 教本に書かれるような見事な礼に圧倒されながら、彼女からもらった大事な真名を口の中で何度か呟き、改めて、はっきりと口にする。
「白蓮」
「はっ」
「ありがとう。歓迎するよ」
 俺も姿勢を落とし、彼女の手を取る。その手を導き、二人で立ち上がりながら、彼女に笑いかける。
「でも、臣下とかって構えないで、仲間として加わってくれたら嬉しい。それと、俺のことは、一刀って呼んでくれ」
「わかった、一刀殿」
 そうして、白蓮のその笑顔を見ながら、殿もいらないんだけどな、等と思っていたのだった。

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西涼の巻・第八回:北郷一刀、父となること」への2件のフィードバック

  1. 名実ともに父親になった一刀。子供に何をしてあげられるか?何を伝え教えられるか?何を残せるか?親と言うのは何かと難しく大変なものですから。

    •  難しいですよねえ。
       一刀さんの場合、腹違いの兄弟姉妹が多数いることが約束されているので余計に、父の存在を示すことは大事ですしね。
       まあ、それでもそういうことで悩めるのは幸せなんだと思いますがw

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