西涼の巻・第八回:北郷一刀、父となること

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 漢中から関中――要は長安を中心とした一帯――に出ると、途端に通行が楽になる。
 地形的にもそうだが、古くからの都である長安・洛陽近辺は街道の整備に力が入れられているためだ。
 そもそも、蜀の場合、街道整備をしようにも山と谷ばかりでどうしようもないという事情もある。
 断崖に穴を穿ち、そこに柱を突きたてた上に敷かれた板を渡る、桟道と言われる道をつくらねば通行できない場所も多くあるくらいなのだから。
 ともあれ張三姉妹に美羽と七乃さん、それに魏の兵を加えた一行は一路長安を目指し、そこで霞たち鎮西府の歓待を受けることとなった。
 霞に馬岱さん、張遼隊も合流して、俺たちは最終目的地、洛陽を目指す。
 漢の都にして、魏の都。
 華琳たちの待つ場所へ。
「なんかすごい人数になっちゃったな」
 森の中で馬を進めていると、翠が馬を寄せ、話しかけてくる。
「ああ。武将勢はえらく多いよね」
 連れている兵の数は二千ほどに過ぎないというのに、名のある武将だけで十人を超える。
 事情を知らない人間が見れば、一体なんの行列かと首をひねることだろう。
「南鄭の人間がぞろぞろ着いてきたらどうしようかと思ったぜ」
「ん? 天女様だからか? たしかにそれは大変なことになるなあ」
 そういえば、そんな可能性もあったのだな、とのんきに考える。
 実際のところは、張魯さんはいい意味でも悪い意味でもかなりの曲者だと思う。そんな無謀なことを民にやらせるとは思えない。
「あの、さ」
 声をひそめて翠が呟くように言う。
「蒲公英とも話したんだけどさ、やっぱり、できたら鎮西府に入るのが、あたしとしては……」
 ああ、その件か。
 彼女としてはわざわざ洛陽まで行くのにどう転ぶかわからない、と心配でたまらないのだろう。
 しかし、いまなにか確実に保証できるわけでもないし……。
 そう考えていると、前から騎馬の兵が一人駆けてくる。先行偵察を任せている張遼隊のうちの一人だ。
「悪い。話は後で」
「わかった」
 さすがに事態をすぐに呑み込んでくれる翠を残し、前方の霞と沙和のほうへ馬を寄せる。
「将軍! 煙が上がっております!」
 兵が叫ぶのを聞いて、全身が緊張感に包まれる。
「なんだ。どこかの襲撃か?」
「いや、待ち。たぶん、信号や」
 厳しい調子で問い詰めると、霞に制止される。
 怪訝な顔をしていたのだろう、沙和が彼女の言葉を補足してくれた。
「真桜ちゃんが開発した色付き煙幕なのー。それを組み合わせて信号を送れるんだよ」
 ああ、そういうことか。投石機にのせていた信号弾を使っているんだな。
「まあ、信号の組み合わせが決められて通達されたんは最近やし、一刀は知ってるほうがおかし。で? なんて?」
 先を促す霞に、兵は報告を続ける。
「それが気づいた時には消えかけており、判別できませんでした。しかし、あれは一発目でしょう。二発目、三発目が上がるものかと」
「規定では、三回同じ信号を送ることになってるのー」
「よっしゃ。うちらがじかに確認しよ。沙和、一刀、行くで」
「了解」
 絶影を駆る霞に続いて、俺たちは馬を走らせる。
 うっそうと繁っていた木々がまばらになり始め、明らかに人の足が入っているのがわかる森の境界のあたりを抜けると、途端に視界が開けた。
 東の空に、白い煙が三つわだかまっている。見ている間に段々と広がりつつ薄まり消えていった。
「あれが二発目やな。白三連、か」
 霞が絶影の足を緩めながら言う。なにか意味があるのだろうが、符牒を知らない俺にはよくわからない。
「あ、三発目が上がるなの!」
 言われるままに見直すと、紫の煙が上がり、次いで青、それに白が続けて三回上がった。それを見ていた霞がぎりりと歯を鳴らす。
「紫、青、白三連」
 押し出すように言った言葉も、鋭い。
「どういうことだ?」
「紫はね、隊長のことなの」
「青は稟や。白三連は、緊急」
 華琳の側近にはそれぞれに色が割り振られているらしい。しかし、聞く限りではあまりよろしい内容とは思えない。
 ただし、そこで霞は少し首を傾げた。
「ただなあ……。今回、一刀に対して信号を打ち上げる予定はなかったはずや。なにしろ一刀自身に話が通ってへんわけやから」
「まあ、そりゃそうだろうな」
「せやから、とりあえずいつでも通じる緊急の信号にしたっちゅうのんはあるかもしれんよ」
「つまり?」
「それほどの緊急事態かどうかはわからん。ただ、なるべく早く顔出す方がええやろ」
 呼ばれていることには変わりないようだ。
 とはいえ、深刻になるべきかどうかはわからないといったところか。
「まあ、ともかく、一刀は呼ばれとる。沙和。戻って呉の面子や蜀の面子に話通してき」
「了解なのー」
 沙和が霞の言葉に従って、森の中に馬を戻す。俺は霞の厳しい顔を見て、聞きたくはないが、聞かずにはいられないことを尋ねた。
「稟に関わることなんだろうか?」
「たぶんな」
 霞はきょろきょろと周囲を見回す。次いで、手をかざして地平のはるか向こうを見やった。
「ここから洛陽までは普通に進軍すれば二日半、一刀の馬の腕やと、華雄か恋あたりを連れて駆けて、一日ちょいってところか……」
「そうだな、霞や翠くらいうまければもっとはやく行けるんだろうけど……」
 もっと馬術を練習すべきだったと思っても、もう遅い。いまなにかが起きていて、俺が必要とされているというのに……。
 霞は俺に向き直ると、値踏みするように俺の全身を眺めまわした。
「……一刀。あんた、荷物になる気はあるか?」
「え? あ、うん。そりゃあ、はやく着けるなら……」
 以前は、文字通り荷物として馬にくくりつけられたことさえあるからな。あの時は意識がなかったけど……。
「よっしゃ、うちの後ろに乗り。そんで、ほら、腕を腹に持ってき。そこを予備のさらしで……」
 言われるままに霞の後ろに乗る。きちんと腕を回して掴まると、さらしが俺の体にかかり、彼女の体と俺自身を連結しはじめた。
「え? 霞、これって」
「絶影の本気は洒落ならんからな。振り落とされんように念のためや」
 どうやら、彼女は俺を乗せて、本気で絶影を駆るつもりらしい。
 神速と謳われる霞が本気で天下の名馬を走らせたなら、どんなことになるか俺には想像もつかなかった。
「行ってくれるんだね」
「いまさらやろ。稟と一刀のためや、なんでもしたるわい」
「……ありがと」
 密着して固定されているので、どうしても耳元で話すことになる。
 霞の甘い香りにふんわりと包まれながら礼を言うと、その横顔が赤くなっているのが少しだけ見えた。
 しばらく待っていると、沙和に連れられて、蓮華と思春、紫苑、翠、それに華雄に詠がやってきた。
 皆、さらしで固められた俺たち二人を見て驚いている。
「なにかあったそうだな」
「ああ。緊急事態らしい。すまないが、俺と霞は隊列を離れて、先に行かせてもらう」
 蓮華の問いに答えて頭を下げる。詠がうさんくさそうにこっちを見た。
「……その格好で?」
「こっちのほうがはやい」
 簡潔に答える霞を見て、溜め息をつく詠。霞の馬術については、彼女のほうがよほど知っているだろう。
「ま、そうだろうけどね……」
 それから、紫苑さんが困ったように顔をしかめる。
「あらあら大変。わたくしたちも急いだ方がよろしいのかしら?」
「いえ、呼ばれているのは俺みたいなので……。皆は無理をしない程度に進んで下さい。このままの進軍速度でも三日あれば充分着きますし」
「はい、わかりましたわ」
 蓮華と思春も頷いて、呉と蜀の面々が納得してくれたということで、霞が指示を下し始める。
「沙和、うちとこの隊はあんたに任せたで」
「はーい」
「それと、うちらは先行くけど、念のために替え馬を連れて、誰ぞが追って欲しいんや。まあ、万が一っちゅうことで、必要はないかもしれんけどな。華雄、あんたか恋がやってくれるか?」
「おう」
「ちょっと待った」
 華雄が力強く頷いたところに、翠が割って入った。
「華雄でも問題ないだろうけど、あたしのほうがはやいだろ。替え馬も、黄鵬と麒麟を連れて行ける」
 霞と華雄、それに俺は顔を見合わせ、次に紫苑の方を見やる。彼女にも軽く頷かれたので、俺が代表して答える。
「すまない。好意に甘えさえてもらおう」
 しかし、神速張遼に錦馬超の追随か。なんと贅沢な話だ。
「よっしゃ、翠任せたで。ほら、絶影。一刀のため踏ん張りや」
 霞が一声くれると絶影は風のように駆けだす。
 力強く地を蹴るその動きを頼もしく思いながらも、俺の心は不安という名の炎にじりじりと焼け焦がされるようだった。

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西涼の巻・第八回:北郷一刀、父となること」への2件のフィードバック

  1. 名実ともに父親になった一刀。子供に何をしてあげられるか?何を伝え教えられるか?何を残せるか?親と言うのは何かと難しく大変なものですから。

    •  難しいですよねえ。
       一刀さんの場合、腹違いの兄弟姉妹が多数いることが約束されているので余計に、父の存在を示すことは大事ですしね。
       まあ、それでもそういうことで悩めるのは幸せなんだと思いますがw

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