西涼の巻・第五回:北郷、祭りの中で幻影と対峙すること

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「じゃあ、食事をとってきましょうか」
「ごはん……」
 詠の言葉に、嬉しそうに恋がこくこくと頷く。その様子を月がにこにこと見つめている。
 木づくりの卓がいくつも並べられた店頭で繰り広げられるその愛くるしい光景に、俺はなんとも和んでしまう。
 今日はこの三人と祭りを見に来ていた。
 昨日は昼に呉の面々、夜には美羽と七乃さんと三人で来ているし、おとといは昼に天和、夜に人和と来た。
 一番こういうお祭騒ぎが好きそうな沙和は、提出するはずの報告書が書き上がっていないとかで、ずっと城にこもりっぱなしだ。
 まったく、ぎりぎりまでやらない癖はまだなおっていないんだな。せっかくの楽しみをそれで逃していたら世話はないっていうのに。
 ちなみに、一応は、この見物行も警邏という名目になっている。
 俺たちが到着した時すでに三日目だった祭りは、後半戦の六日目に入って、さらなる活況を見せていた。
 だが、その一方でこれだけ人が集まり、熱狂していれば、当たり前のことではあるが喧嘩や揉め事も起こっている。俺たちは祭り見物をしながら、揉め事が起きていないかも見て回っているのだった。
「じゃあ、俺はここで待っているよ。酒もあるからな」
「ん、了解。まあ、このくらいの店ならなにかあっても恋なら一飛びで戻ってこられるし。じゃ、いこっか、月、恋」
 声をかけて歩きだそうとする詠に、小声で囁く。
「詠、恋の料理は、抑え目にな。もしくは店主に話を」
「わかってるわよ」
 三人はそうして、店の奥、食事が並べられているところへ向かっていく。南鄭の街の食事どころはよほどの高級店でない限り、この街独特の方式を採っている。
 酒を飲む客は、まず酒を頼み、瓶で買い取る。いま、俺の目の前にも先程購入した酒瓶が置いてあるように。
 次いで、食事に関しては、並べられた料理を好きなだけ自分で皿に取り分けてくる。俺の世界で言うと、ビュッフェ形式というやつだ。
 ただし、料金形態は変わっていて、客が自分でこれだけと判断した分だけ支払うのだ。
 これは五斗米道の義舎の方式を流用したものだ。義舎では、信者たちの寄付でまかなわれた食事が常に用意されていて、誰でも腹一杯になるまでただで食べることが出来る。
 もちろん、持ち帰ったりすることは許されていないし、たいていは食べる代わりに自発的に義舎で奉仕活動を行っているが、いかに困窮しようと義舎に来れば飢えることがないのはたしかだ。
 その精神が、この南鄭では普通の飲食店にまで徹底されている。いくらの支払いでもいいということは、金がない人間は金を払わなくても料理をとって食べられるということだ。
 もちろん、俺たちのような立場の人間や豊かな商人はそれなりに――寄付も含めて――金を置いていくことになる。
 そんな喜捨的性格を持つ方式なので、恋が食べ尽くしてしまうのはまずい。それが故の耳打ちだった。
 ちなみに、酒は腹を満たすものではなく嗜好品扱いなので、必ず買わねばならないというわけ。
 さて、彼女たちが戻ってくるまで俺は酒でも飲んでいることにしよう。
 そう思って一人手酌する。
「相席よろしいかな」
 少しぼうっとしていたらしい。声につられて見上げると、壮年の白髪の男性が卓につこうとしていた。
「あ、はい。仲間が後で来ますけど、それでいいなら」
「おお、そうか。儂は長居するつもりはないでな。知り合いを見つけるまで邪魔させてもらおう」
 言いながら、彼は酒瓶を置き、俺と同じように飲み始める。
 武術、体力系の芸人さんだろうか?
 その格好を見て思う。体の迫力が尋常ではない。がっしりとした筋骨隆々の体はまるで熊と虎のいいところを合わせたかのように大きく、そして鋭い。剃刀と鉈の長所を併せ持つ、という表現がたまにあるが、そんな感じだ。
 壮年とはいえ衰えを見せない体に、燕尾服の上着だけを着たような格好。だが、半裸程度では、この祭りの中では目立たない。
 白いふんどしはともかく、胸のブラジャーみたいなのはなんなのかよくわからないが……。たぶん、衣装なのだろう。頭も特徴的で、たしか角髪(みずら)とかいう古代の日本の髪型によく似た結い方をしていた。
 あれ、でも、この人、どこかで……。
 姿形から芸人の一人だとばかり思っていたその人をよくよく見てみれば、どこか見覚えがある。俺は自らの記憶をなんとか掘り起こそうとした。
「あの、失礼ですが、華佗さんのお知り合いではないですか?」
 ようやく頭の中でつながったその人の顔と記憶を頼りにそう言うと、酒杯を傾けていたその人は、がははと笑う。
「おお。だぁりんを知っているのか。たしかに儂とは深い深い関係者」
 だぁりん?
「そうか、よかった。華佗とは懇意にしているんですよ。たぶん、華佗のところで、何度かすれ違ってるかと」
 たしか、洛陽で華佗が逗留する宿を訪ねた時に、二度ほど見かけた覚えがある。その時は祭を連れていたせいもあって、声を交わすことはなかったが……。
「む、そうか。それは失礼なことをしたな。儂ももうろくしたか」
「いやいや、まだそんなお歳でもないでしょう」
 とてもじゃないが、衰えがあるとは思えない。
「うむ。儂のお胸はまだまだ真っ赤に燃えておるわい」
 お胸?
 ともかく、遠隔の地で共通の知り合いを持つ二人が出会えたのもなにかの縁と、酒を酌み交わす。
「ところで、青年」
 何度か酒杯を乾した後で、その人はよく通る声で尋ねてきた。
「このにぎやかな祭りの中で、そのように暗い顔をしているのはなぜかな?」
「うっ。俺、暗い顔していました?」
 反射的に苦笑いを浮かべる。まったく心当たりがないわけではないから。
「おお。それはもう祭りの喧騒の中で浮き上がるほどにな」
「参ったな……」
 酒を注いでもらいながら、頭をかく。
「無理にきこうとは言わんぞ。ただ、吐き出せるならば、近いうちに吐き出すことを勧めるな。心の苦しみは体の病となることもある。あるいは、集中を妨げて、大事なところで失敗を招く。病魔は鍼でやっつけてくれるだろうが、その原因を取り除くまでは至らぬ事もある。気をつけることだ」
 さすがは華佗の知り合いだな。あるいは、彼もどちらかの五斗米道の関係者なのかもしれない。言うことは正論で、すんなりと受け入れることが出来た。
 そして、なぜか俺は、この人になら心の奥底でわだかまっているものを晒してもいいのではないか、そう思えたのだった。
「幸せすぎて、不安なんですよ」
 なにも答えはない。ただ、口が動くのに任せて、俺は話してしまう。
「自分でも贅沢な悩みだと思うんです。でも……」
「いや、青年。待つのだ」
 続けようとしたところを、鋭い言葉で制される。やはり、くだらない悩みだろうか、と思ったところで、重々しく彼は宣言するように言った。
「それは、とてもとても重要なこと。照れや謙遜でごまかしてはならぬ」
「そ、そうでしょうか」
 思っていたのとはまるで違う肯定に迎えられ、俺は思わず持っていた酒杯を置いて姿勢を正してしまう。
「そうだ。だから、青年。きちんと落ち着いて話すのだ。けして自分を卑下したり、どうでもいいことだなどと思ってはいかんぞ。簡単に縮めるのもいかん。物事というのは要約すればするほど本質とはかけ離れていくのだ」
「は、はい」
 その人の妙な迫力に、そう素直に答えるしかない。実際、俺は話を聞いてほしがっていたのかもしれない。
「実を言うと、俺、この大陸の人間じゃないんですよ」
 天の御遣いという呼び名を出すのはためらわれた。あくまで一人の男として、俺は話をする。
「ふむ」
「だから、係累もいない、後ろ楯もない。そんな状況でこの国に来て……。幸い、曹孟徳――いまだと曹丞相ですか。彼女に拾ってもらって、それから彼女の側近みたいなことをやらせてもらっています」
 考えてみれば、華琳が自勢力をたちあげていく途中で拾われたわけで、時期もよかったよな。
「仲間たちは曹丞相の下にいるくらいだから、すごい人ばっかりで、でも、俺とも仲よくしてくれてて。それと、いまでは、部下や庇護している人間が幾人もいて……。その人たちが、とてつもなく有能なんで、曹丞相から仕事をもらっても助けてもらいながら、こなしているんです」
「ふむ。よい上司、よい仲間、よい部下か」
「ええ、そうです。それに……その、ありがたいことに俺を好きになってくれる人もいるんです。俺も彼女たちのことが大好きで……なによりも大事です」
 それは間違いないことで、これだけは自信をもって言える。
「不安、というのはその女性(にょしょう)たちのことかな? 美人すぎる妻を持つと不安になるともいうが……。む、するとだぁりんは……」
 ごにょごにょとなにか言っているが、おそらくそれは俺には聞かせないでいい部分なのだろう。
「いえ、違います」
 俺はぐっと拳を握り込む。
「それは……俺の、力の無さ、です」
 彼はうつむいた俺を覗き込むようにして観察し、しばらくしてから言った。
「曹孟徳の側近を長くやっておるのに、か?」
「たしかに、か……曹丞相は無能者が側にいることは許しません。でも、俺自身はともかく、俺の周りにはさっきも言ったように優秀な人が多いんです。俺がもらった案件を、彼女たちは瞬く間に解決してくれます。だから、その……本来、その仕事をなし遂げたと言われるべきは彼女たちで、俺ではありません。俺が彼女の側にいられるのは、この大陸とは違う場所の多少の知識と、周りの人間の力、それと、なんとかがんばってるのも足していいかもしれません」
 中途半端なのかもしれないな、と自分で思う。俺がもっと無能なら、華琳はおそらく簡単な部署につけて、それなりに使いこなしていただろう。あるいは、もっと有能なら……。さて、その自分は想像できないな。
「己の力の無さのために、いまある幸せが失われてしまうやもしれぬ。それが恐ろしい、と」
「ええ。その通りです」
 見つめられる目の光の強さに、じっとりとした汗が肌を覆っていく。
「それだけの危機感があれば、おそらく、青年は精一杯努力しておるのだろう。それが足りないなどと他人の儂は言えん」
 一瞬落胆した後に、俺は恥ずかしさに顔に血が集まるのを感じる。おそらく、俺はこの時、叱咤してほしかったのだ。まだまだ修行が足りないと。
 その裏側で、努力さえすれば力ある人間になれるのだと言われたかったのだ。
 なんという傲慢、なんという甘え。
 そんな俺を見透かすように、その人はゆっくりと話を続ける。
「だがな、青年。おぬしが期待されているそのこと……出来ぬ、と決めたのは誰だ?」
「それは……」
 彼が杯を乾すのを、じっと見つめながら、俺はその問いに固まり続けていた。
「己で狭めれば、世界も狭まる」
 吟ずるように言うその言葉のなんと力強いことか。彼は何事か思い出すようにここではないどこかを見つめていた。
「心が後悔や不安で満たされていては、思わず拳を握ってしまい、未来を掴みとるための掌を開くことも出来ん。違うかな、青年」
 彼はにっと笑う。その笑みの邪気の無さは、これまで感じたことがないようなものだった。
「這いつくばって、血を吐いて、それでも一歩も進めなくなったなら、己を信頼してくれる人々に頼ればよいではないか。もっとも、おぬしがそうなるより前に、周りの者は頼ってほしいと思うだろうが、な」
 それは正しい。俺は周りに頼っていい。いや、そうするしかないのだ。
 しかし、それでいいのか。本当に?
「この大陸にはいい言葉があるぞ。天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず、とな」
 孟子の言葉だったか。それはたしかに正しい言葉なのだろう。俺もそれを実感しているし、人の和を作り上げることを考えて動いてはいる。
 けれど、果たして、それを実行するだけの地力が俺にあるのだろうか。これまではうまく行ってくれたけれど、それを今後もやっていけるとは限らないのではないか。

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西涼の巻・第五回:北郷、祭りの中で幻影と対峙すること」への2件のフィードバック

  1. 一刀、容姿で只者じゃないって気づけよ!(笑)
    卑弥呼さんは中の人が師匠なだけは有りますね~。
    なんとなくですが、一刀の生き方が、マイケミの
    『welcome to the black parade』のように感じました。

    そして、最後の風ちゃんに萌えたw

    •  あの筋肉見たら、普通は気づくと思うんですが……w
       祭りの空気が一刀さんを酔わせていたんでしょうねw
       卑弥呼さんは恋姫の登場人物の中では、人生経験が一番豊富なはずですからね。若者が迷うのにしっかり導いてあげられるのはさすがですね。

       風の歌声は癒しですw

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