西涼の巻・第二回:黄漢升、謀りて北郷と競わんとすること

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 不安はその翌日、現実のものとなってしまった。
「呉は蓮華さんと思春さんが率いる兵があわせて五百ですわね」
 俺たちは、その日、蜀から漢中、そして、長安、洛陽へといたる旅程の打ち合わせを行っていた。
 参加者は、魏から俺と沙和、呉からは蓮華と思春、蜀からは、黄忠──字は漢升さんと、趙子龍さん、それに翠の三人。
 今回の洛陽行きに参加する将たち、というわけだ。華雄が参加していないのは、俺の配下ということで、陪臣扱いになるためらしい。
 実を言うとそのあたりの序列やら参加基準というのがいまいちわかっていない。この場合、漢の官位とかは関係ないのかな?
「うむ。こちらに連れてきた数、そのままを連れて行く」
 漢升さんの確認に、蓮華が応じる。
 漢升さんは、落ち着いた雰囲気の美女だ。
 蜀陣営の中では、桔梗と並んで年かさの部類なのだろうが……桔梗のからっとした色気とは違い、まさしく女の艶というものを感じさせる女性だ。
 あれだけ胸が大きいのは弓を引くときの邪魔にならないのだろうか。
 うむ、脳内の桔梗と祭が笑っている。そういえば二人とも弓将のくせに大層なお胸でしたね。
「糧食のほうは……」
「ああ、自分たちで用意する。気にしないでくれ」
 漢升さんのとりまとめで、話は進んでいく。
「我が蜀は、わたくしの部隊が二百、白馬義従が千……。翠ちゃんは?」
「あたしは、念のため替え馬を連れてくくらいかな。星と一緒に白馬義従の面倒を見るよ」
「それは助かりますな。騎馬の扱いについては、やはり馬家の方々のほうが数段優れておりますからな」
 皆の話を書き留めていた漢升さんは、俺たちから提出された竹簡に目を通したところで、手を止めた。
「魏は、沙和さん、北郷さん、華雄さん、この三人だけですか?」
「ええ。漢中で兵が合流予定ですが、それまでは三人だけですね」
「久しぶりに隊長たちと旅行なのー」
 沙和が愉しそうに発言する。彼女の言うことだけ聞いていると、まるで遊びに行くみたいだ。久しぶりに馬を連ねるというのは事実だけれど。
「漢中にどれほどの兵がいるのかは知りませんけれど……。少々手薄ではありませんか?」
 眉間に皺を寄せて、苦々しげに言われる。それほど気にするようなことだろうか?
「手薄、ということはないでしょう。騎兵が千もいる集団を襲うような無謀な賊はいませんよ」
「いえ。全体ではなく、魏の手勢が少なすぎはしまいか、と」
「なにを気にしているのだ、紫苑。漢中より先は兵も合流すると言っておられるではないか。それよりこちらは蜀の領内。領内で襲われたなら恥じるべきは我らであって、北郷殿や沙和の責ではあるまい」
 子龍さんが、訝しげに漢升さんの反応に口をはさむ。彼女としても、なにを気にしているのかわからない、という表情だ。
 漢升さんは口調や表情は穏やかながらも、頑として言い募る。
「たしかにその通りね。でも、これは国と国とのことなのよ。わたくしたちや呉がしっかりと兵を出しているのに、両者を迎えるべき魏が兵を別の場所に留めているなどというのは怠慢というものではないかしら」
「あうぅ。隊長どうしようなの~」
 小声で泣きついてくる沙和の腕に手をあててなだめながら、言葉を選ぶ。
「礼を失した、というのなら申し訳ない。謝罪しましょう。しかし、漢中から兵を呼び寄せるとなれば時間もかかる。今回は漢中から、ということでお許しねがえないだろうか」
「呉としてはそれで問題なく思うが……。蜀の意向は異なるのか?」
 蓮華は、いったいなにを言っているのだという風に不思議そうな顔をしている。
 呉の立場からすると、俺は洛陽への案内人で、沙和はその途中でたまたま同行しただけだ。
 彼女にしてみれば、自らの身は自身で守るから、出迎えの兵など、儀礼上の最低限の人数以外は特に必要と思わないのだろう。呉の気風からすればそれが当然だ。
「蜀の総意というわけではありませんわ。ただ、わたくしがひっかかりますの」
 一方、蜀からしてみれば、蜀の大使を迎えるのにその対応かと侮られた感覚があるのかもしれない。
「そもそも、北郷さんは華琳さんの臣下でもなければ、どこかの領主でもない。ただの男ではありません?」
「紫苑」
 子龍さんの静かな呼びかけにも、漢升さんは答える様子がない。
 相変わらず微笑んだままだし、激昂している様子もないのだけれど、その微笑みがかえって怖い。
「それが、つい先程も魏を代表するかのような口をきいて。……いったいどのような権限で発言なさっておられるのかしら」
「我が呉に派遣された副使として、であろう。それ以外になにか必要なのか? いつからそのように権柄ずくになったのかな?」
 剣呑な空気を察してか、沈黙を保っていた思春が口を開く。蓮華に下手な発言をさせないためというのもあるのだろう。
「紫苑? 一体どうしたんだ?」
 翠が混乱した顔で問い掛ける。おそらく、ここにいる面々は、漢升さんが話をどこへ決着させようと思っているのか、そのこと自体はうすうすわかっている。
 問題は、なぜそんなことをしたがるのか。その根本が理解できないことだ。
「翠ちゃん、あなただって知ってるでしょう。この男にまつわる噂を」
「噂?」
「ええ。北郷一刀は、月ちゃんと詠ちゃんを無理矢理犯して孕ませ、その膝下に下した、という噂。恋ちゃんとねねちゃんの飼っている動物たちを捕まえ、洛陽にしばりつけているという話。白蓮ちゃんを狙って、朝廷を動かしたという説。いくらでもありますわ」
 大きく息をのむ声が部屋に響く。果たして、誰がそれを発したのか、俺にはよく分からなかった。
「ちょっ、それはひどいなのー。いくら女好きの隊長でも無理矢理とかはないのー」
「漢升殿、庶人は上に立つものを貶して酒の肴にします。しかし、そのようなこと、貴殿が口にすることでしょうか?」
「あら、でも、わたくし、案外この噂も真実なのではないかと、北郷さんの言動を見て思いましたわ」
 俺が一言も発しない間に、話は進んでいく。
「このようになんの実態もないというのに驕り高ぶって、相手への礼すら失する男なら、やりかねませんでしょう?」
 沈黙が落ちる。怒りにしろ、呆れにしろ、引きつった顔が揃う中で、一人、漢升さんだけが穏やかな笑みを顔にはりつけたままなのが、少々場違いとも言えた。
 俺自身は自分の顔を見ることはできないが、きっとあきれ返った顔をしているだろうと思った。
「……ばからしいですな」
 子龍さんがまるで感情のない声でそう言って立ち上がる。
「興がそがれました。失礼いたします。北郷殿、白馬義従はしっかりと連れてまいりますので、ご心配無く」
 そう言って颯爽と去っていく背中は、ある意味一番の正解を掴んだ人間に見えた。
 とはいえ、全員がそうしてこの場を放棄してしまうわけにもいかない。
「一つ、問題を解決しましょうか」
 重苦しい沈黙を破ったのは、結局、俺のその一言だった。
「はい?」
「俺たち三人では手薄だ、という話ですよ」
 蓮華と思春の探るような視線が痛い。彼女たちからすれば、余計なことはやめておけ、と言いたいところだろう。沙和は一瞬辛そうな顔で俺を見たが、その後、諦めたのか、大きく肩をすくめた。
「蜀の陣営に負けないことを示して見せればいいでしょう。三人で、ね」
「……どういうことでしょう?」
「白馬義従はそもそも伯珪さんのものだし、子龍さんは行っちゃったから、黄忠さんと兵二百、それに翠に対して、こちらは三人で戦ってみればいいんですよ」
 漢升さんは、俺のその言葉に、その笑みを深くする。その行為が、まさに彼女が狙っていたことを示していた。
「それでお互いが伍すれば、手薄でもなんでもないということになるでしょう?」
 相手の意図通りであることはわかっていたが、誘っているのならば挑まねばなるまい。まして、あちらは計算違いをしている。本当に、三人で、いや、たった一人でも充分なのだ。
「どうですか?」
「本気ですの?」
 ゆったりと手を持ち上げ、笑みを刻む口元を隠し、問い掛ける漢升さん。慌てたように、指名された片割れの翠が声を上げる。
「あ、あたしは……」
「よかろう」
 だが、それを遮って、蓮華が立ち上がっていた。
「その戦、我ら呉が見届け人となろうではないか。日時は明後日正午、場所は後ほど桃香殿と協議して通達する。それでよいか」
「ええ」
「ああ、いいよ」
「あ、あの、ちょっと!」
 俺と漢升さんの頷きに、翠の抗議は黙殺される。しかし、漢升さんとの個人的な争いとしないためには、翠にも参加してもらわねば困るのだ。後々、翠がいなかったから対抗できた、などと言われても困る。
「では、そのように。それでは、失礼する。思春、行くぞ」
「はっ」
 短く言って、立ち去る蓮華と思春主従。
 ありゃ、かなり怒ってるな。打ち合わせに来たと思ったのに、俺と蜀との争いに巻き込まれたとなれば、生真面目な蓮華は怒りを覚えずにはいられまい。
 俺たちも断って席を立つ。後ろで、翠が漢升さんに噛みついているのを聞きながら、俺は自分の中の感情をなんとも制御できず苦しんでいた。
「隊長」
 しばらく廊下を一緒に歩いた後で、沙和が俺の腕を取り、二人で腕を組んで歩き始める。他国の城内で、ことさらに体をくっつけて歩くのは、おそらく俺のことを心配してくれているからだろう。
「すまん、沙和。巻き込んでしまって」
「ううん、それはいいの。でも、紫苑さんがあんな態度をとるっておかしいの。きっとなにかあるの」
「そっか。普段はああいう人じゃないんだね。そうじゃないかとは思ってたけど」
 彼女の温かな体温と、甘い香りに包まれていると、心の平衡がとれてくる。
「問題は、これが諸葛亮、鳳統の策なのか、彼女自身の思惑なのか、ってことだな」
「朱里ちゃんたちの?」
「その可能性もあるってことさ。でも、挑まれた以上は、逃げるわけにもいかないだろう。今回ばかりは、ね」
 沙和はなにか言いたそうにこちらを見上げていたが、結局呑み込んで、口を開いたときに言った言葉はおそらく先程考えていたこととは別だった。
「形としては隊長が挑んだことになってるのー」
「まあね、そこも含めて、策なんだと思うよ」
 さて、華雄にどう説明するかな、と俺はようやく回り始めた頭で考え始めていた。

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西涼の巻・第二回:黄漢升、謀りて北郷と競わんとすること」への4件のフィードバック

  1. 初コメントです。 この作品「玄朝秘史」は外史まとめサイトで投稿されてた頃に出逢い拝見させて頂いていました。最近此方のサイトを見つけ改めて楽しませて(誤字脱字をたまに見受けられますが)頂いてます。 「玄朝秘史」を含め、魏ENDその後を記した外史(他の作家さんのSS作品等)にてちょくちょく見られるのですが蜀陣営は何かと三国同盟を揺るがしかねない問題を起こしてたりします。武将(主に焔耶)よりも軍師(ぶっちゃけ朱里)の方が和平を乱す要因になりがちですよね・・・何でなのでしょう?

    •  難しいところですが……。蜀が確保している土地がどこまでいっても田舎な上資源が少ないというのがやはり難点ではないでしょうか。
       お金の面でも、魏、呉に比べればやはり厳しいものがあります。
       そして、それらを理解してしまうのが軍師陣だということではないでしょうか。
       その上で、思い切ったことをしないとどうにもならないと思い詰めてしまうのは、在地の武将ではなく、他所から来た立場故かなとも思います。
       あくまで私見ではありますが、いかがでしょうか。
       まあ、もちろん、作風によってはそんなことはまるでなかったりするとは思いますけども……。

       誤字脱字については気をつけてはいるのですが、潰しきれず申し訳無いです。はい。

  2. 一刀、ポカリ作んなよっ!(笑)
    策(?)に振り回されてオロオロする翠の萌え。
    あれ?前もこんな感想書いたような・・・?

    そして身に覚えがありすぎて、噂を否定できない一刀サン。
    そりゃ朝から、ちゅっちゅかしてたら、そんな噂も流れるわな。

    •  水分補給大事!w
       翠さんはしかたないですね。策謀に誘おうにもまっすぐすぎてたぶん乗ってくれないし、といって星ほど割り切れないという。蜀だと翠と白蓮はそのあたり苦労しがちですかねw

       噂は、根本はそこまで間違ってないというか……実際、毎晩ですからねぇw

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