西涼の巻・第一回:錦馬超、誇りを棄てて北郷に跪くこと

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「怪談話?」
 建業を出発し、蜀を目指して長江を遡行しはじめてからしばらく経ったころ。
 思春がそんな話を持ってきた。
「ああ、水兵たちが、船底で唸り声と闇に燃える目を何度か目撃しているらしい」
「燃える目……ねえ」
 うさんくさそうに鼻を鳴らす詠。現実的な彼女にしてみれば、そんなもの信じられないだろう。
 ちなみに、怖がることを予想してだろうか、月たちはここにはいない。
「まあ、戯れ言と断じてもよいのだが……」
「俺たちの耳に入れるってことはなにか懸念が?」
「何者かが存在しているのではないかという疑念がある。食糧がな、減っているのだ」
 声を低めて、思春が言う。
「ねずみの仕業じゃないの?」
「もちろん、ねずみはいるだろう。あやつらは、どこにでもいるからな。だが、それにしては量がな」
 船に慣れた思春が言うのなら、それはそうなのだろう。実際にどれくらいがねずみなどの被害にあうものか、俺にはよくわからない。
「ふーむ」
「もちろん、両者に関係がないことも考えられる。あるいは、食糧は誰かが着服していて、怪談話はその攪乱に使われているのかもしれん」
「でも、誰かがいたとしたら、暗殺者……にしてはいままでまるで動いてないのはおかしいか。とすると単なる密航者? そんなのいるの?」
 だいたい、それなら船員に紛れた方が楽じゃないのかしら、とかぶつぶつ何事か考え始める詠。
「わからん。それはこれから調べる。だが、いずれにせよ、注意しておいてくれ」
「うん、そうだな」
「特に北郷」
「え?」
 急に名指しされて驚いてしまう。
「暗がりで女を抱いて、化け物と間違われぬよう注意することだな」
「そんなことしないよ!」
 思春だって知っているくせに。俺は外で女性を抱いたりしないぞ。そういうのが刺激になる女の子以外は。
「そうねー、気をつけるべきねー」
 まるで抑揚のない平板な声で思春に同意する詠の氷点下の視線を受けながら、俺は思わず頭を抱えてしまうのだった。

 しかし、怪談騒動は、予想以上にあっさりと解決した。
 夏口──北を流れる漢水が南を流れる長江に合流するあたり──まであと一日足らずというあたりで、本人がひょっこり顔を出したのである。
「しゃ、シャオ!?」
「周々まで、いままでどうやって隠れていたのやら……」
 緊急に魏・呉の幹部勢が集められた席上で、俺たちは白虎を引き連れた孫呉の末の姫君の姿に、そんな感想を漏らす。
「ふっふーん。明命直伝の隠形の術だもんねー」
 胸を張って自慢げに言うシャオに、がうがう、と周々が同意の声を鳴らす。
「小蓮一人ならともかく、こんなに大きな周々まで兵の目に入らぬとは……私は、兵たちをしかるべきか? 思春」
 もはやあきれ顔の姉姫蓮華は、厳しい声で腹心に問い掛けていた。
「それは……。恐ろしいことに、夜闇に紛れて、船団の他の船に乗り換えたりもしておられたようですし……」
「しかし、なぜ、今頃出てきたんだ?」
「んー。兵の引き締めが厳しくなって、そろそろ食糧調達が難しくなるなー、って思って」
 俺の問い掛けに、シャオは平然とした顔で答えてくれる。
「それに、夏口についたら、成都にいくのと漢中にいくので、船団が分かれるでしょ。どれに乗ってたらいいかわからなくなったら困るからねー」
 皺を寄せすぎて痛いのか、眉間を揉むようにしている蓮華が、そんな呑気なシャオの話を切り裂くように問いかけを発する。
「隠形に長けているのはわかった。だが、一体なんのつもりだ、小蓮」
「シャオも一刀と一緒に洛陽に行くの! あ、もちろん周々も一緒にね!」
 間髪を容れず、愉しげに返したシャオの言葉に、皆の視線が俺に突き刺さる。
「……北郷?」
 代表して、蓮華が尋ねてくる。蓮華さん、怒りのあまり呼び方が戻ってますよ。
「いや、俺は知らないぞ。こら、シャオ。勝手にそんなこと決めたらだめだろう。シャオは一国のお姫さまなんだから」
「ふんっ。シャオは孫呉の姫だけど、一刀のお妃様だもん。妻は夫のいるところについていくものなんだもーん」
 当然のように言い放つ言葉に、部屋の空気が凍りつく。視線が痛いのならまだしも、首筋には思春の重そうな大刀があてられて、命の危機さえ感じる。
「あの、とりあえず、建業に連絡とか……」
「そうね、いきなり姿を消してるんだから、本国では大騒ぎかもしれないわよ。まずは急使をたてないと」
 重苦しい空気を振り払うようにわたわたと言う月に詠が同意する。たしかに彼女の言う通り、雪蓮にまずは連絡せねばなるまい。思春の大刀は蓮華が合図して下げられた。
 でも、いま、チッって舌打ちしましたよね、舌打ち。
 聞こえるようにそれをするってのは、警告してくれてるってことなんだろうけど。たしかに、蓮華の我慢がどれほど続くのか怪しいところだ。
「シャオ、ちゃんと書き置きしてきたよ!」
 その言葉に、思春が少しほっとした顔をする。本当に書き置きをしてきているのなら、多少の騒ぎにはなっても国を挙げての大捜索などにはなっていないだろう。
「なんにしても、建業と連絡は取るべきだろう。で、どうする。夏口で船を仕立てて送り返すか?」
 華雄の問いに、ぶーと頬を膨らませるシャオ。
 恋は周々と遊んでいる。あっちは楽しそうだ。
「そうね、思春、船と兵はどうかしら?」
「夏口の兵をつかうしかありますまい。蜀や魏に通達した人数より極端に数を減らしますと、外交上問題が生じる恐れもあります。船は……船団のものを使わないなら、調達に時間がかかる可能性もありますが……」
 シャオも孫呉の姫君。そこらの商船や小舟は、格式よりも警備の問題で選べない。軍船を出させるとなれば、いかに蓮華といえど現地司令官と折衝をしなければなるまい。
 といってあまり時間をかけるわけにもいかない。成都への到着日程には多少の余裕が設けられているとはいえ、しっかり決められているのだから。
「シャオは洛陽に行くんだってばー!」
「黙れ、尚香!」
 びりびりと空気が震える。剣など抜いていないのに、痛みすら感じさせるその裂帛の気合いに、周々がぺたりと頭を床につけてしまう。
「お前は本国にあり、国王たる雪蓮姉様を補佐する立場であろう。そのようにわがままが通ると思うてか! いい加減にしろ!」
「だって……だって……」
 シャオの瞳に涙が盛り上がる。あ、まずい、これは泣く。
 そして、泣いてしまえば本質的な解決から余計に遠ざかる。
「と、とりあえずさ。夏口で雪蓮に連絡の使者をたてるとして、シャオはその返事が来るまで漢中に同道しもらうってのはどうかな?」
「漢中だと?」
「うん。成都に滞在する期間は三国の取り決めで七日間って決まってるし、返事を待つなら漢中の方がいいだろ。あそこからなら魏の兵がいるから、呉の兵を割いて送り返しても、雪蓮から派遣されるのを待っても問題ない。それに、西のほうはシャオは見たことないはずだ。これを機会に見知ってもらって帰るほうがいいんじゃない? 雪蓮が夏口に急を知らせていて、そこで引き渡す手筈が出来ているようなら別だけどね」
 腕を組み、考え込む蓮華。本人としてははやいところ都に送り返したいだろうが、国の重鎮としては外交儀礼を重視しないわけにもいかない。
「夏口で時間をとられるよりはまし……か。思春、漢中までの一人と一匹の食糧、都合つけてやって」
「はっ」
「月、詠、恋。すまんが、我らが成都に赴いている間、妹のこと、頼むな」
「はい。わかりました」
 頭を下げる蓮華に、月がぺこりと返礼する。シャオは俺に走り寄ると、腕をとってぶら下がるように抱きついてきた。
「さっすが一刀、やっさしー」
「いや、優しいわけじゃない。俺は、なるべく旅程に影響が出ないように配慮しただけだ。シャオ」
 できる限り厳しい声で言うと、衝撃を受けたように固まるシャオ。
「今回は勝手が過ぎる。蓮華がいなくなって、雪蓮の負担が増えるのはわかっていたはずだろ。それでも出てくるなら、せめて雪蓮に許しを得るべきだったよ。まして、俺の妃と言ってくれるなら、余計に考えるべきだった」
「だって……」
「シャオ」
 鋭く彼女の名を呼ぶ。姉である蓮華も、そして、他の人々も、じっと彼女のことを見つめていた。
「ごめん……ごめんなさい……」
 うつむいて、彼女は小さな声で謝罪の言葉を口にする。彼女に見えないように、蓮華が俺に頷いてくる。
「よし」
 わしゃわしゃと彼女の頭をなでた。
「本当にすまんな、蓮華」
「仕方あるまい。禍を転じて福と為し、敗に因りて功と為すという。シャオには今回のことで、色々と学んでもらうしかあるまい。」
 うー、と泣きそうなのをなんとか我慢しているシャオに、そっと耳打ちする。
「追いかけてきてくれたのは嬉しかったよ」
 それで、ぱぁっと晴れる顔にようやく安心して、俺たちは皆で笑いあうのだった。

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西涼の巻・第一回:錦馬超、誇りを棄てて北郷に跪くこと」への2件のフィードバック

  1. 翠ちゃん全裸(じゃないけど)待機ワロタw
    これ完全に黒歴史になるよねw

    何十年後・・・

    秋蘭「そういえば昔こんなことが・・・(ー_ー)〈チラッ」
    翠「?」
    秋蘭「一刀を寝台で隠れて待っていると、翠が・・・( ´艸`)プッ」
    翠「ナズェミテタンディス⁉」

    •  これはからかわれますよねー
       早めにからかってあげるほうが、きっと傷は浅く済む……かなあw

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