北郷朝五十皇家列伝・麗袁家の項[袁紹]

 麗袁家(あるいは北袁家)は袁紹に発する皇家である。
 よく、中央に残った美袁家(もしくは南袁家)と対になって語られるが、歴史の上での接点はせいぜい三代目までが主であり、その後は独自の発展を遂げる。
 ……(中略)……実際には麗袁家の北上は巷間思われるよりもずっと早い。国家を形成するにいたらなかったのは、土着の鮮卑、匈奴を取り込むために国家としての体裁をとらなかっただけであり、実際には初代袁紹の時代には、すでに北方に地盤を築いていたと見るのが正しい。
 ……(中略)……麗袁家集団の中で、最も早く王に封じられるのは、顔家であり、三年を経て文家が同様に王国を形成する。
 これら二つを盾と矛として、袁家はついに北方にその姿を表す。多くの皇家が立てた王国群の中でも飛び抜けて巨大な領地を持つ国家の誕生であった。
 ただし、もちろん、いかに領土が広くても、その生産能力は中原に比ぶるべくもなく、そのために麗袁家集団には常にさらなる拡大が求められ……(中略)……
 後に麗氏がルーシと変わり、さらにロシアと変わったのはご存じの通りである。そして、ロシアには石油をはじめとする埋没資源が多く埋もれていることは言うまでもない。
 初代の袁紹の「旅の果てに宝を見つけよ」という遺言は、十数代を経てキエフの地で実現を遂げた。これぞまさに歴史のいたずらというべきもので……(後略)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です