洛陽の巻・第十四回:北郷、刃にその身をさらすこと

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 冥琳の執務室を出ると、もう日はとっぷりと暮れていた。廊下にも人影はなく、少々寂しく思いつつ自室への道を急ぐ。
 その最中、再びあの視線を感じた。
 足を止め、感じた方へ向くと、淡く影が動いた気がするが、どうにも判別がつかなかった。
「ん……」
 覚悟を決める。
「明命、いるんだろ」
 答えはない。無尽の廊下に、俺の声だけが響いていた。衛士が聞きつけたら何事かと集まってきかねない。
「出てきてくれないかな」
 気配すらしない。
 もしかしたら、あの一瞬だけで、どこかへ行ってしまったのではないかと思わせるくらいに。
「わかった。出てきてくれるまで、ここにいることにする」
 近くの柱にもたれかかり、目を閉じる。はたで見たら、一人芝居にしか見えないだろう。だが、俺は無駄なことをしているとは思えなかった。
 どれくらい経ったろう。微かな音が聞こえた。
「一刀様……」
 明命の声が、闇に沈んだ視界の中で、まるで見えるように感じられた。
「やあ、出てきてくれたね、ありがとう」
 目を開けば、周囲も闇に沈んでいる。その中に溶け込むような黒髪を持った少女が、傍らでしゅんと肩を落としていた。
「私は……その……」
「ねぇ、明命。一緒に歩こうか」
 そう言って歩きだす。明命は慌てて横についてきた。歩幅をあわせようとちょこちょこ小走りにするのが可愛らしい。
 明命の体力なら疲れることもないだろうが、彼女の歩幅にあうように、少しゆっくり歩くことにした。
 俺も少々興奮しているようだ。気をつけないと。
 自室に戻るには遠回りな道をわざと選んで城内を歩く。途中、暗くてつまずきそうになるのを明命が支えてくれた。
 その時握ってくれた手を離すことなく歩き続ける。彼女は俺の顔を見上げてきたが、嫌がるでもなくそのままにしていてくれた。
 空を見上げれば、明命の持つ魂切のように鋭い月。さえざえと降る月の光に、ぼんやりと浮かび上がる洛陽の城中。
 俺たちはたった二人きりで無人の城を探検しているかのような気持ちになる。
 世界にはいま、誰もいない。
 そんな錯覚さえ憶えるくらい、城は静かで、ただ、そこに広がっていた。
 明命の小さな手。そこから感じる体温。幻想的な風景の中で、それだけが俺をつなぎとめるもののような気がしてならなかった。
「あの朝」
 唐突に明命が口を開いたのは、いつのことだったか。影の城の中を歩く俺にはもはや時間の感覚がない。
「天幕から出てくる厳顔殿と袁紹殿を見て、私はうらやましいと思ってしまいました」
「え?」
「あの方々は一刀様に愛していただける。そう思うだけで、心の奥で何かがちりちり痛みました」
 闇の中で輝く明命の瞳は、吸い込まれるように深い。
「それ以来、一刀様のお顔を見る度に、胸が痛むようになりました。ついには一刀様の側にいなくても、一刀様のお顔を思い浮かべる度に苦しくてたまらないようになりました」
 きゅっ、と握られる手。その手が緊張のためか微かに汗ばんでいるのがわかる。
「そのくせ、一刀様の顔を見たくてたまらないのです。苦しいとわかっていても、一刀様のお側に行きたくてたまらないのです」
 明命の告白する声は、震えている。それを打ち明けるのが恐ろしいと言うように。
「私は病気だと思って、祭さまと冥琳さまに相談しました。そうしたら、病だと言われました。二人とも同じ病名をおっしゃいました」
「同じ?」
「はい。一刀様への恋の病だ、と」
 あの二人が言いそうなことだ。
「そして、一刀様に愛されている方々への思いは、嫉妬というのだと」
 そこはあえて言わなくてもいいんじゃないかと思うんだよ、祭。
「それ以来、一刀様の前に顔を出すことができなくなりました」
「そうだったんだ」
 そのあたりで、俺の部屋の前についてしまった。促すと黙ってついてくる。俺たちは部屋に入ってからも、明かりも灯さず、手をつないだままでいた。このぬくもりを手放したくなかったのだ。
「一刀様は、いつもいろんな方々に囲まれていました。お美しい方々、それにお猫様たち」
 ……明命の中では、俺のまわりの女性と猫は実は同程度に重要なのではないか、という恐るべき疑念がこの時俺の中を走った。
「私はあさましい娘なのです。みなさまのように、お猫様たちのように一刀様にこの身を……その……」
 彼女の顔が真っ赤になるのが薄闇の中でもはっきりわかる。明命は意を決したように喉をならすと、勢いよく言葉を発した。
「あの方々と同じように、この身をむさぼって欲しい。そう思いました!」
 握ってないほうの手が、俺の袖をつかむ。
「そしてなにより、一刀様に愛されたいと、そう思ってしまったのです」
 必死の告白。それをまっすぐぶつけてきてくれたことを、心底感謝する。
「あさましくなんかないよ」
 ぎゅつ、と彼女の体を抱きしめる。その時、はじめて、この娘の小ささを実感した。やっぱり、明命も年齢相応のかわいい女の子なんだ。そう思えた途端、胸の中をそれまでもくすぶっていた熱い感情が支配した。
「か、一刀様っ」
 慌てたように腕の中でじたばた動く明命を無理矢理のように抱きしめ続ける。本気で抵抗されたら力で勝てるはずもないが、明命の動きはだんだんとおさまっていった。
「明命、俺、明命のこと、大好きだよ」
「でも、でも! 一刀様は、祭さまの大事なお人です。冥琳さまの愛しいお人です。私などが……」
「大好き、だよ」
 彼女の顎を持ち上げ、しっかりと目を見つめ合って言い切る。
「でも……」
「何度でも言うよ? 大好きだ」
 困ったような顔が、徐々にほころび、ついに大輪の華が開くように、顔中が喜色に染まる。
「私も、大好きです!」
 元気よく言い放った明命の唇を、思わず俺は奪っていたのだった。

 寝台の上で、黒い髪に埋もれるように、明命の裸身が輝く。淡い褐色の肌が、少し緊張気味に固まっている。服を脱がせる時も思ったけれど、この引き締まった体は美しい。
 呉のとんでもない胸の持ち主たちの中では慎ましい方になってしまう胸も、その頂で尖る鴇色の突起といい、全体の形といい、すばらしいものだ。
 なにより、肌が美しい。歴戦の勇士のはずなのに、瑕がまるで見えないその肌は、一度触れると二度と離したくないと思えるくらい柔らかく瑞々しかった。
「ええと、明命はこういうことは……」
「はい! はじめてです。ですから、一刀様の良いようになさってください!」
「ん……。じゃあ、ゆっくりいこうね」
 がちがちに緊張しているというわけではないが、やはり恥ずかしさを感じているらしい明命の体を開こうと、肌の上に指をすべらせる。
 ぷりぷりとした肌はどこを押しても心地よい反発を感じさせた。
「私の事はいいですから、一刀様が楽しまれるようにしてくださってもいいんですが……」
「明命を感じさせるのが、俺は愉しいんだよ。だから、素直に感じてくれると嬉しい」
「はい!」
 元気に言うと、俺の手の動きを感じるのに集中するためか、目を瞑る。俺はそんな明命が可愛くてしかたなくて、思わず、頬にキスを降らせた。少しくすぐったげに体が震えたが、緊張が高まるでもなく、俺のするように任せてくれている。
 視界を闇に落として肌を触れ合っているのが安心感を誘発するのか、明命の腕が俺の体を確かめるようにゆったりと動く。
 俺はそれにリズムを同調させるように、明命の肌を愛撫した。ひっかくようなこするような、少し強い刺激と、羽毛が触れるような弱い刺激を交互に与えていく。
「ふぅっ」
荒い息が彼女の唇から漏れる。待っていた反応を得て、愛撫をさらに広くした。
 腕から指、脇腹、腰、そして、まんまるなお尻と、張りのある太股。
「はぁっ、はぁっ、はあっ」
 彼女の息がさらに荒くなる。俺の与える刺激を求めて肌が蠢きはじめるのを感じる。
 緩急の刺激を予想して身構えるところに、逆のリズムで強弱をつけてやると、びっくりしたのか、艶やかな声が思わずといった感じでもれる。
「ひうっ」
 今度は徹底的に弱い刺激を乳首の周りで、ゆっくりと……触れぬよう、しかし、存在はわかるように。
「あ、あのっ!」
「なんだい、明命」
「い、意地悪されてるような気がするのです!」
「うん。意地悪しているからね」
 そう言いつつ、すでにうるみはじめている秘所とクリトリスをさっと軽く、あくまで軽くこすってやる。
「ひゅわっ」
「ここを触るのはまだまだ先だよ?」
 そう言うと明命の顔が泣きそうな、けれど、希望を捨てきれないような奇妙な表情に変わった。熱い吐息をまぜて、彼女の耳に低く囁く。
「お望み通り、むさぼりつくしてあげるよ」
 真っ赤に染まった顔が、懸命にこくこくと頷きを返してきた。

「だいたい、コツがわかってきました!」
 そう言われたのは、すでに四度彼女の中に精を放った後のことだった。坐位のまま抱き合っていたのを、俺が寝るような形になるよう促される。
「私が上になります。いいですか?」
「ああ、もちろん」
 さすがに硬度を失っているものにまたがるようにして、彼女は俺の上に乗る。そのまま、ぐっと体を傾け、俺の耳元に口を近づけた。彼女の香りと息が首元をくすぐって、気持ちいい。
 ん?
 かかる息の調子が違うことに気づく。荒い息ではなく、長く鎮めた息づかい。これは……。
「お静かに、一刀様」
 低い声が耳をうつ。少し離れれば聞こえなくなるような闇の声だ。
「何者かの気配がします」
 驚きの声を懸命に呑み込む。不自然さを示さないようにか、明命の手は、俺の体のあちこちを愛撫し続けてくれる。それがだいぶ不安を取り除いてくれた。
「私を抱いているような演技をしてください。おそらく、射精の瞬間を狙ってきますので、そのようなこともお願いできれば」
「実際にはしないってことだね」
「はい」
「刀、届く?」
「問題ありません」
 一つ頷く。すると、明命の体が起き上がり、いかにも俺のものを挿入したかのように腰をくいくいと動かす。実際には、彼女の下生えに、萎えたそれが隠れるように位置を調整している。あの高さに腰を維持するのは大変だろうに……。
「このようにっ、んんっ、動けばよろしいでしょうかっ?」
「ああ、いいよ。そう、腰は上下じゃなくて、前後や左右でもいいんだ、明命」
 我ながら少々下手くそな気がするが、なんとかセリフを言う。こもっている切迫感を、興奮だと受け取ってくれれば幸いだが……。
「ああ、いいです。一刀様、一刀様っ」
 明命の艶声も、少々硬い。
「ほら、明命、ここ弱いだろ」
「ああ、だめです。いまは私がっ」
 俺たちは文字通り必死の演技を続ける。体の芯が冷えるように冷めきっているのに、それでいて最高に興奮していると示さなければいけない。
「あっう、ふううっ、くうううっ」
 明命の嬌声が、最高潮に近づいていく。実際にはその目は瞑られているようで瞑られておらず、らんらんと気力を貯めて輝いている。そのことに、俺たちを狙う何者かは、果たして気づいているだろうか。
「明命、明命っ。ああああっ」
 偽りの絶頂を無理矢理叫ぶ。腰を突き上げるふりをすると、その瞬間、わずかに感じていた明命の重みが消えた。
 膝で飛び跳ねた明命はいつの間にか握られた魂切を鞘ごと振り抜いていた。その先――天井の隅で、何かの影が蠢くのが、俺にも少しだけ見えた気がした。
 そうだ! 俺は恐ろしいことに気づいた。魂切は――封印されている!
 紙のこよりによる封印だが、咄嗟の時に外すのは難しいはずだ。だからこそ、彼女は鞘ごと打ったのだ。それが、果たして敵に気づかれるか……。
 床に降り立った彼女は、両手で魂切を構える。鞘を左手で引くように……。
 その時、天井に張りついていた影が動いた。
「させません!」
 瞬間、光が走った。
 そう思えた時には、すでに全てが終わっていた。
 どさりと床に二つの物体が転がる。両断された敵の上半身と、下半身が。
 抜き身の魂切をその屍に向け、明命は警戒を解かずにいるようだった。やおら、魂切を構えなおし、死体の両腕を切断し、胸を突き刺す。
「み、明命?」
「念のためです。奇怪な儀式や秘薬により、体が切られたくらいでは動けるようにする術があります。……今回は違ったようです。驚かせました」
「いや、いいんだ。怪我は?」
 ようやく起き上がれた俺は、布を取り出して、部屋の隅の水瓶につけた。
「はい、大丈夫です。あ、自分でやります」
 俺が濡らした布を持って、血に塗れた彼女の肌に触れようとすると、明命は少し困ったような顔をした。
「いや、俺にさせてくれ」
「……はい」
 しばしの逡巡の後、素直に頷き、魂切を納める明命。刀を離そうとしない少女の肌を、丹念に拭いていく。すぐに、持っていた布が真っ赤に染まった。何枚も何枚も布を取り替え、彼女の肌を清めていく。この肌を血で汚した相手が許せない。
 そんな俺を、明命はなんだか慈しむような微笑みで見ていてくれた。
「しかし、なんだったんだろうな」
 血臭ふんぷんたる現場で言うことでもないが、俺はあえてのんきにそう言った。
「刺客……だと思います」
「……どちらへの?」
 恐る恐る最悪の答えを予想しながら訊く。
 そして、明命は予想通り、恐るべき答えを出したのだった。すなわち、
「やつは、間違いなく、一刀様を狙っておりました」
 と。

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