洛陽の巻・第十一回:冀州烏桓背きて鄴を狙わんとすること

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「ああっ、中で、もっと大きくなって……んうっ」
 俺の上で、汗をはじけさせ女の体が跳ねる。
「くしっ、ざしにされてるみたいですぅっ」
 彼女の腰の動きにあわせ、こちらも突き上げる。俺の体に接合部をこすりつけるように腰をうねらせる彼女の中はとても熱く、動くたびにまるで違う刺激を与えてくる。
「くっ」
 しっとりと掌に吸いつく彼女の肌をまさぐる手を腰にやり、がっちりと掴む。
「ふぇっ?」
 驚きに見開いたくりくりの目で見下ろしてくる彼女に微笑みかけ、強く己のものを押し込んでいく。
「ふわあああああっ」
 嬌声をあげ、襲い来る快感から逃げ出そうとするように腰をひねるのを押さえつけ、何度も何度も腰を打ちつける。
「ひぅっ、熱いです、ああ、一刀さん、あつい、あつっ、くふううう」
 びくりと大きく跳ね上がった体をさらに腕で拘束し、腰全体を押しつけるようにして、彼女の胎内をえぐる。
「ひぃっ」
 甲高い声をあげ、途端に力を失おうとする体の中に精を放つ。俺に向けて崩れ落ちようとしていた体が、二度三度とのけぞって揺れる。
「……あぅ……なか……で、びゅくびゅくって……」
 ふわり、と半ば意識を失ったような陶然とした笑みを浮かべて、彼女は俺に覆い被さってくる。どこかにぶつけないように片手で頭を支え、俺の肩口に導いてやる。体が傾いたせいで、まだ硬度を保っている上に、ことの後で敏感な俺のものが悲鳴をあげているが、ここは我慢のしどころだ。
「はふ……」
 さすがに本格的に胸の上に倒れられると限界で、彼女の中から俺のものが抜けてしまう。先程までの熱を感じなくなるのは少々寂しいが、こうして体にかかる重みを感じるのもいいものだ。
 はぁあああ、と大きな息を彼女はつく。
「気持ち、よかったぁ……」
 その声の調子に少し笑ってしまう。ゆっくりと頭をなでながら、彼女をもう少し楽な風に抱きしめる。
「なんだか風呂にでも入ったみたいだな」
「あれ、一刀さんは気持ちよくありませんでした?」
 不思議そうに大きな目を見開き訊ねてくるのがとてもかわいらしい。
「そりゃあ、気持ちよかったよ。七乃さんの中、とてもあったかくて」
 そう、いま俺に抱きついているのは張勲こと七乃さん。美羽の守役で、俺の管理下にあることになっているが、なにしろ自由な性質なのでそんな枠にははまってくれない。
「ふふ、じゃあ、いいじゃありませんか」
 微笑みながらじっと見つめていると、もうっ、と拗ねたように呟き、俺の首筋に唇をあててくる。強く首を吸われながら、俺は答える。
「それもそうだね」
「変な一刀さん」
 ふふふ、とお互いに笑いあう。彼女とは、こんな風に穏やかに体を重ねることが多い。最初は美羽と自分の身分を護るために体を差し出す、などと言ってきた――明らかに風あたりに吹き込まれた――彼女だったが、さすがにそれは丁重にお断りした。しかし、一緒に仕事をすることが多くなったこともあって、いつの間にか自然とお互いにこういう関係を愉しむようになっていたのだった。
 最初は俺の方が権力を笠に着て彼女を良いようにしているのではないかと悩んだりもしたのだが、さすがに何度も閨を共にすれば、彼女がいやいややっているのではなく純粋に愉しんでくれているのはわかる。
「七乃さん」
「はぁい?」
 ふわふわとどこか漂ってるような七乃さんに声をかける。
「按摩してあげようか?」
「え?」
「いや、なんだか疲れてるようだからさ」
「あー」
 へへ、と舌を出して笑う。
「やっぱりわかっちゃいますかー。お願いできますぅ?」
 いそいそと俺の上から下り、寝台にうつぶせになる七乃さん。つるんとしたおしりまでつながる綺麗な背中のラインを指でなぞってやると、ひゃっ、とかわいい声が飛び出した。
「一刀さんに抱かれるのって、それ自体もいいですけど、その後にこうしてもらえるのがさいっこうなんですよねー」
「それは嬉しいね」
 彼女の腿にまたがるような格好になりながら、肩からもみほぐしはじめる。だいぶこってるな、こりゃ。
 肩はがちがちすぎるので、まずはその周辺、腕と背中をほぐしていくことにする。七乃さんは気持ちよさげに小さくうーうー唸っている。まるで上機嫌な猫が喉を鳴らしているみたいだ。
 これらの按摩は、祭の目と額の瑕を診てもらった機会に華佗から習ったものだ。彼女の状態自体は経過を見るしかないとのことだったが、光に過敏になった目を酷使するようなことになると肩も凝るし、それにともなって体の線が歪むことがあるということで、俺が按摩術を習うことになったのだ。一緒に冥琳や明命も習っていたけど。
 華琳も強烈な頭痛持ちで、それ自体は華佗が取り除いたのだが、日々の激務にともなうこりやストレスからくる頭痛は止めようがないので、これも俺が揉みほぐす役を負っている。
 実際のところ、肩こり持ちは多いのでかなり重宝している。桂花ですら揉まれている間は大人しくしているくらいだ。
 とはいえ、いかに華佗直伝とはいえ俺はその手の才能があるわけじゃない。変に応用して下手を打ってはいけないと、教えてもらった基本を忠実に守っているだけだけど。冥琳などはさすがで、その後の勉強で、傷病からの復帰に役立つような揉み方等も体得しつつあるようだ。たまに俺も揉んでもらうが、気持ちよすぎて寝てしまうくらいで、やってもらっている冥琳に申し訳ない。
「お嬢さまが……ん、そこ、気持ちいいですぅ。美羽様が忙しくなって、私も、やっぱり……」
「まあなあ」
 美羽の献策は、いま徐々に形になろうとしている。特に軍制改革についてはすでに軍部のほうでも実際に動いていて、ほとんどの将はそれに忙殺されている。いま、城にいる面々でその忙しさから外れていられるのは麗羽たちくらいのものだ。祭なんか、さぼり酒が呑めないとぼやいては俺の秘蔵の酒を呑んでいく。呑む暇ないんじゃなかったの?
「ほんとは、んっ、めんどくさいこと嫌いなんですけどねー。ふぅ……でも、美羽さまはっ、はりきっちゃってるしー」
 たしかに美羽は意欲満々だ。自分の策が国家の体制そのものを変化させていくのだから、面白くてたまらないところだろう。もちろん、色々と問題はあって、苦労してはいるのだが……。
「今回のことでは、美羽さまの意地悪なとこ出てて面白いんですけどー」
 ちょっと口をとがらせて、七乃さんが愚痴る。ようやく背中の張りが取れてきたので、肩から首筋を揉み上げていく。
「美羽、頑張ってるし……正直、成長していると思う」
「そりゃあ、お嬢様ですものー。ひゃっ」
 結構重労働なので、どうしても汗をかく。その前も存分に動いていたわけだから、仕方のないことだが、その汗が七乃さんのぷるんぷるんした肌に落ちるのは申し訳ない。
「ごめん、ごめん」
 布で拭おうとすると、背中にまわされた腕が、俺の手をとった。
「ん?」
「そこが、本当は、ちょっと寂しいんですよねー」
 七乃さんは顔をあげずに呟くように言う。無理な姿勢で俺の手に触れる指が、惑うように揺れる。
「お嬢様、遠くにいっちゃう気がして」
 ぱたり、と戻った指を追うように、腕の先端から揉んでいくことにする。しばらくは、たまに漏らされる気持ちよさげな声だけが、部屋の中を支配する。
「知ってます? 私、一刀さんのこと殺しちゃおっかなー、って思ってたことあるんですよ。あ、一刀さんに庇護された時の話じゃないですよ」
 日頃、様々なプレッシャーに耐えているおかげか、それとももう体が手順を覚え込んでいるおかげか、唐突にそう言われても、俺は特に指の動きを乱すことなく、肩をほぐしにかかれた。
「おどろかないんですねぇ」
「そんな事言うってことは、もうそういうつもりはないんだろ?」
「そうですねぇ。元々目的じゃなくて、手段でしたから。お嬢様と一緒に魏を飛び出すには、混乱を引き起こさないといけないですけど、その時一番脆いと思えたのが一刀さんだっただけで。ただ、お嬢様を『悪い方向』へ進ませてるのは一刀さんだ、って思ってた時期もありますけどねー」
「七乃さ……」
「言わないで!」
 さすがにその言葉には腕が止まる。さっきまでゆるゆるに弛緩していた筋肉がきゅっと俺の腕の下で緊張しているのがよくわかる。
「私だってわかってますよぅ。だから、言わないでくださいよぉ」
 微かに震えた声が、如実に彼女の心情を物語る。
「うん」
 収縮した筋に逆らわず、ゆっくりと揉んでいく。はふぅ、と満足げな溜め息をつくまで、じっくりと七乃さんの体をゆるめていく。
 これでいいかな、と思えたところで、声をかける。
「美羽にとっての一番は、ずっと七乃さんだよ、きっと」
「あたりまえですぅ。私だって、一番大事なのはお嬢様以外ありえませんよー」
 声の調子が戻ってるな。よかった。
「俺は、何番目くらい?」
「三番目、ですかねー」
「へぇ」
 素直に驚く。好意を持ってくれているのはわかっていたが、まさかそんなに上位に食い込んでいるものだとは。
「一番は美羽様、二番目は自分、三番目は一刀さん」
 ぐい、と体を落とし、彼女の背中に迫る。もちろん、体重はかけないようにしている。鼻を襟足に突っ込んでこすりあげると、くすぐったそうに身をよじる。甘い、七乃さんの香りがした。
「嬉しいな」
「ええ、光栄に思ってくださいねー」
 腕が俺の首にまわり、ぐい、と頭を前にひっぱられる。その力に身を任せて彼女の顔の横に俺のそれを移動させると、途端に舌がのびてきた。こちらも口を開き、ちろちろとお互いに舌の先端を舐めあわせる。つかめそうでつかみきれないぬめった感覚が脳にまで響くようだ。
「硬いの、お尻にあたってますよぉ?」
「七乃さんの中に入りたがってるんだ」
 お互いに興奮を内に秘めたかすれた声でささやきあう。
「いいですよ……」
 彼女の足が広げられ、お尻が誘うように持ち上げられるのを、体にあたる感覚で知る。
「すぐ、入ってきちゃっていいですよ……」
 お互いに唇を、舌をついばみあいながらの睦言は、熱い吐息のよう。
「ん……」
 自分のものを手で支えて、彼女の入り口を探ると、触ってもいないのにとろとろの状態を維持していた。按摩の快楽と愛撫は違うはずだが、同じように感じ取ることも可能だということだろうか。肌に触れている間、俺だって興奮していたのは否定できないしな。
「ふぅうううううっ」
 ゆっくり、ゆっくりと彼女のその場所を割り開いていく。俺のものに絡みつき、熱と弾力を伝えてくる彼女の内壁と襞。俺のものを誘い込むような蠕動すら感じる。
 あまりの快感に耐えきれなくなり、一気に進入する。
「あっ、奥まできたぁあ……」
 そのまま高く突き上げた尻をつぶすかのように何度も出し入れする。奥まで突き入れたあとで、浅いところをこすりあげ……。
 そんなことをしている時、扉が大きな音をたてた。
 どんどんと叩かれる音に二人で振り向き、さっと体を離す。
「旦那様! 夜分失礼いたします。華琳殿が評議の間へお呼びじゃ! お起きくだされ!」
 祭の声だ。華琳が俺を? すでに脱ぎ捨てた服を集めはじめている七乃さんと目線で会話を交わした後、大声で返す。
「わかった! 執務室にまわる。そちらにいてくれ!」
「わかりもうした!」
 ばたばたと祭がそちらへ移動していく音を聞く。ありゃ、わざとやってるな。
「じゃあ、七乃さんは、美羽のところへ」
「はぁい」
「なにが起きたかはわからないけど、気をつけて」
 すでに服を身につけた七乃さんは剣を佩いてこくりと頷く。俺も慌ててズボンをはき、上着をひっかけて、執務室につながるドアへ向かう。
「一刀さん」
 背後からかかる声に振り返る。
「続き、たのしみにしてますからねぇ」
 七乃さんはそう言ってちょっと意地悪そうに笑った。こりゃ、後で埋め合わせが大変だ……。

 二つの扉でしきられて小部屋となっている通路を通り抜け、執務室に入ると、むわっと暖かな空気が押し寄せてきた。見れば、祭がたらいに湯を張ったところに香油を入れている。柑橘系の香りが部屋中に広がっていた。
「さ、これで体を拭きなされ」
 湯をしぼった布を渡される。
「臭うかな?」
 素直に受け取り、下着姿になって体を拭いていく。
「華琳殿や秋蘭殿のように承知しておる者も多いでしょうが、それとてわざわざ他の女子の残り香を振りまいて機嫌を悪くさせることもありますまい」
「……悪いな、祭」
 布を返し、次に渡された香油を首筋と胸元に塗り込んでいく。すーすーして気持ちがいい。とろけるようになっていた頭にも芯が通っていくようだ。
「なんのなんの。儂ならば誰が居ようと気にしませぬでな。それをあてこんで儂を通されているような気がしてなりませんがの」
「はは、それだけ信頼されてるってことさ」
 衣服を整え、一度大きく頭を振る。
「よし、行こうか。なにか聞いてる?」
「いえ、一切。呼ばれたのも、旦那様はじめ側近のみのようで」
 早足で歩きながら、状況報告を聞く。空はまだ曙光を見せようともしない時間だ。もう少し遅ければ無理矢理でも朝だと思えるのだが、また中途半端な時間に……。よほどのことだろうか。
「そう……。じゃあ、他国でなにか起きたとかではなさそうだね」
「しかし、何事にしても、この時機を狙われると少々……」
 祭が懸念しているのは、美羽の案から出た一連の改革の足かせとなるかどうかということだろう。実際、いまのタイミングで軍を大々的に動かすわけにはいかない。
「ん……。ありがとう、祭」
 評議の間の扉の前には春蘭が立っていた。俺を見て目で扉の中を指し、己はそのまま中に入っていく。
「御武運を」
 その声を背に、俺は評議の間に足を踏み入れた。

「一刀で最後ね」
 俺が駆け込むと同時に春蘭と秋蘭によって扉が閉め切られる。評議の間を見渡すと、いるのは華琳に三軍師、春蘭、秋蘭、それに季衣と流琉だけだ。
「凪たちは?」
「あれらはどうせいまは動けん」
 秋蘭が俺の横を通り、普段の場所に行きがてら、そう疑問に答えていく。たしかに軍制改革の柱の一つは警備隊だから、それに携わる凪、沙和、真桜は動けないのも道理だ。
「はじめるわね。桂花」
「はい。報告によりますと、内烏桓が背いたそうです」
「烏桓? 北方ですっけ?」
「いえ、それは本家のほうですね。内烏桓は、何代も前に服属して漢の領内に移された部族の裔です」
 流琉の疑問を受けて、稟が進み出る。異民族対策は主に稟が担当しているためだろう。
「河北にだいたい五つの部族が散在しています。ほぼ現地に同化しているものもありますが、いまだに部族の結束が強いところもあります。今回はそのような部族の一つ、約八千が冀州で背いたとのこと。八千というのは、部族全員の数なので、兵数になおすと四、五千というところでしょう」
「五千とみても、こちらも八千は出さねばなるまい。痛いな」
「八千どころか、千も出せませんねー。いま、まともに動ける兵がいるわけないことはわかってるはずですよー」
 春蘭のもっともな反応に、風が指摘をする。彼女の言う通り、現状、軍は動きにくい。軍制改革にともない、ほとんど全ての部隊が編制を組み替え中なのだ。まるで動けないというわけではないが、下手に動かせば、連携のまるでとれない数だけ揃えた兵士の群れとなることは請け合いだ。
「親衛隊を出しますかー?」
 季衣が眠そうな声で聞いてくる。親衛隊はその性質上今回の改革とは無縁で通常の編制を保っているから、効果的なことは間違いない。
「たかだか地方の小規模叛乱に親衛隊を出すのはまずいわ」
「しかし、この際面子に拘ってもしかたあるまい」
 桂花の言葉に反発する秋蘭。それに対して桂花はむっとした顔を見せたが、ここで苛ついても益はないと思ったのか頭をふって表情を切り換える。おやおや、なんてこった、あの猫耳軍師殿がかみついてこないなんて、だいぶまずい状況じゃないか。
「いえ、面子の問題じゃないの。いま、うちの軍が編制を大幅に変えようとしているのは、蜀、呉なら当然掴んでるわ。でも、実際のところは読めてないはず。また、気の利いた賊や野心を持ったどこぞの太守も情勢を伺っているけど、内実までは掴めていない。ここで、親衛隊を出さざるを得ないほどの状況だと知れれば、それらが蠢きださないとも限らない。華琳様、私は親衛隊を出すのは反対いたします」
「とはいえ、いままともに編制を保っているのは、霞さんのところの鎮西府と親衛隊、それに工兵隊ぐらいなのは事実なのですよねー」
「鎮西府を動かせば、西への備えが手薄になっちゃうんじゃないですか?」
「工兵隊は、小規模すぎるね」
「たしかにそうだが、いまは……」
 喧々諤々議論は続く。いずれにせよ、叛乱は早期に鎮圧しなければならない。長引けば他の賊徒の策動を招きかねないし、他国の介入にもつながる。しかし、そこに対峙できる部隊がないのが問題なわけで……。
 そこまで考えて、なにか思いついたような気がしたが、その閃きは、掴みとる前にどこかへ行ってしまう。
「一刀、なにか?」
「んー、なんか頭の隅にひっかかってるんだよな」
 目ざとく見つけた華琳にちょっと待ってくれ、と言って、さらに己の思考と記憶を探る。
 なんだ、なにが気にかかるのだ?
 その時、不意にかっちりとどこかでピースがはまったように、記憶が意識の表層へ浮き上がってきた。
「あ、そうだ。もう一つあるじゃないか」
 俺の発言に全員の視線が集まる。
「そんなものがどこにあるっていうのよ。ついに頭に精液がまわったの、この孕ませ無責任男」
「いやいや、それがあるんだよ、桂花。水軍さ」
 ああ、という感嘆とも驚きとも取れない声が、評議の間に響く。
 魏水軍は発足二年にも満たない小組織だ。赤壁の戦い以後、戦訓を取り入れてつくられ、現在は河賊の取り締まりと貿易船の護衛が主な任務だ。水上戦に造詣が深い冥琳と明命が大使として赴任してきた後、彼女たちの協力を仰いで、より強力な軍に生まれ変わりつつあると聞く。小組織とは言ったものの、それは軍という単位で見たらそう見えるだけで、数万程度の人員はいる。戦闘員はたしか、一万二千というところだったはずだ。
「そういえばあったわね。陸上のことは畑違いと考えに入れていなかったけど、実際のところ、どう、秋蘭?」
「そうですね……。水軍とはいえ、元は軍の中で船酔いをしない者を集めただけで、実態は他と変わりません。たしか、陸上での訓練も多いはずです。ただ、大規模集団戦闘には慣れておりません。これについては今回は烏桓相手ですし、それほどの問題とはならないとも思いますが」
 頬杖をついて座っていた華琳が足を組み換え、諸将を睥睨する。あの様子だと水軍の出動に関してはほぼ決めている感じだろう。
「意見は?」
「船の扱いに熟練した兵に関しては出兵から除くべきかとー。もったいないですし、出撃の間船を見るものがなくなるのも困っちゃいますからー」
「できれば、周泰にも参陣を要請したいところです。呉の将ですが、いまの水軍をよく知る人物です」
 風と桂花が意見具申をしている間、稟は何事か考えている様子だった。
「稟?」
「……あ、いえ、水軍に関しては問題ないと思われます。ただ、他国の将といえば、と思い出したことがありまして」
 彼女の言葉は、そこで途切れた。評議の間の扉がものすごい勢いで叩かれ、ぐわんぐわんとものすごい音を立てる。春蘭が何者だ、と怒り狂って扉をあける。
「ああ、もう来てしまったようですね」
 怒髪天をつかんばかりの春蘭の制止をものともせず、彼女を上回る憤怒の表情で評議の間に走り込んできたのは、蜀の正使、公孫賛伯珪その人だった。

「冀州烏桓が背いたそうだな!」
 鬼気せまる表情で詰め寄る公孫賛。普段の大人しやかな挙措は一切なく、戦時にも見せなかったような感情むき出しの態度は、不自然ささえ感じさせる。
「耳が早いのね。しかし、これは魏の国内のこと。蜀には関係がないんじゃないかしら?」
「いや、異民族に対しては三国が協調してこれにあたると取り決められているはず。私は蜀の正使として、鎮圧に協力を申し入れる」
 あまりの剣幕に不思議そうな顔をした華琳のやんわりとした拒絶にも整然と反論してみる伯珪さん。しかたなく、桂花がそれに答える。
「……たしかにその取り決めはあるけれど、あれは、国外からの侵入に対して想定されているもので……」
「異民族は異民族。烏桓は烏桓だろう。違うか?」
 間違ってはいないから始末に困る。しかし、伯珪さんはこんな人だったか? 一体なにに彼女は憤激しているのだ。
「伯珪殿、なにをそのように猛っておられるのです?」
 唇にわずかに笑みをのせた稟が嘲るように訊ねる。
「まさか、家族の仇が烏桓だから、烏桓と名のつくものは叩き潰さずにはいられないとでも? まさかまさか、蜀の大使どのがそのような私怨で動きますまいな」
「ぐっ」
 嘲弄のような言葉は、釘を刺すためのものだろうか。たしかにその言葉を聞いた途端、伯珪さんも息をのんで黙り込んだ。家族の仇、か……。それなら、彼女の普段とは違う言動も理解できる。
 しかし、反応を見るにしても、稟の言葉がきつすぎる気がするけど……。
 うつむいてわなわなと震える伯珪さんをじっと見つめる俺たち。華琳はその様子を興味深そうに眺めている。
「……とはいえ、蜀が鎮圧に協力してくれるというならば、それはそれで受けておくが上策かと、ましてや、名にしおう白馬義従ですから。公孫賛殿、御身は何名ほどの兵を出していただける予定でしょうかな?」
「に、二百だ。いま洛陽にいる私の部下全員を投入できる」
 伯珪さんの白馬長史という異名は三国でも知れ渡るほどのものだ。白馬義従と呼ばれるその部下達は精強な騎馬部隊で、たとえ二百といえども、軽々とその数倍の敵を屠ることだろう。
「どうでしょう、華琳様。ここは公孫賛殿にご助力いただいては」
 一転優しげな声で華琳に受け入れをすすめる稟。なるほどな、伯珪さんをからめとるつもりか。頭を冷やさせようというのもあるんだろうけど。
「その話、わしも一口のらせてもらおうか」
 伯珪さんが走り込んできたせいで開いていた扉の隙間から、するりと入り込んできた人影がよく通る声で発言する。たわわな胸に、腰から下げた酒瓶が目を引く。
「厳顔? いつの間に」
「いまですな。白蓮(ぱいれん)殿がどこぞに消えてしまったと聞きましてな。急いで来た次第。まさかこのような愉しげなことをやっておろうとは。わしの弓隊二百も喧嘩の数に入れていただきたい」
 厳顔の本当に面白げな顔を見て、華琳ははぁ、一つ息をつく。
「まったく……」
 魏の主はぐるりと側近の顔を見渡す。反駁の声を出したい者はいるだろうが、いまの視線でどれもが黙ってしまう。白馬長史と弓将厳顔の手並みを拝見してみようというのもあるのだろう。蜀との決戦は実際のところ、俺たちが侵攻をはじめた時点で勝っていたようなものだしな。
「いいわ、白蓮、蜀からの協力を受けましょう。ただし、我が方から出す総大将の命にはきちんと従ってもらうわよ。桔梗もいいわね」
「も、もちろんだとも」
「承知。して、総大将殿はどなたかな?」
 誰もが動かなかった。臆しているのではない。蜀の二人がいるだけに、我先にというわけにもいかないのだ。まして、いま高級幹部が動けない本当の内情を知らせるわけにもいくまい。
 現実的には誰を出すにしてもいま進めている作業は遅れざるをえないわけだが……。
「北郷一刀よ」
 事務仕事の効率を考えると、春蘭かな。とにかく早めに討伐を終えてもらって……って。
 え? 華琳さん?
「一刀、あなたに兵一万、公孫賛隊と厳顔隊の指揮を任せるわ。いいわね?」
 にっこりと、一点の曇りもない笑顔で宣言する華琳。もちろん、それに否やを唱えることは許されていないのだった。

「一刀、一度だけ断る機会をあげる。どうしても厭なら、いま言って」
 各々仮眠をとるように言われて解散した後、まんじりともできずに華琳に呼び出されるはめになった。だが、改めて空高く昇りつつある太陽の光の下でそう言われた時、俺の心は決まっていた。
「いや、受けるよ。……ありがとな、華琳」
 本来は将に向けられるべきではない気遣いに感謝をすると、一瞬だけ微笑みが浮かび、優しげな女の子の顔が覗いたが、すぐに魏の覇王の顔へと変わる。
「そ」
 短く言って庭を歩き出す彼女の後を追いかける。周囲を見渡すようにしながら彼女は歩く。何かを警戒しているという感じでもないのだが、何を探しているのだろう。
「今後覆すことは許されないわよ。いい? 一度受けた以上、今回の討伐の責任と権限は全て、一刀、あなたのものよ。一万の兵の命を背負う重み存分に味わいなさい。ああ、それと、白蓮と桔梗はそれほど気にしてはだめよ」
 俺もこれまで従軍したことはあるが、それはたいていが華琳の直近で、沙和たちを率いるにしても大軍の中で一翼を担うというのがせいぜいだった。万の規模で独立して動くのは今回が初めてだ。
「とはいえ、今は急ぐから、具体的な用意に関しては、あなたに任せるわけにはいかない。納得できる?」
「ああ、輜重隊の用意からなにから全部やっていたら間に合わないものな」
「そのあたりはすでに手配中よ。後で報告がくるから、礼を言っておきなさい」
「了解。それで、ここにいるのは、なんでだ?」
 相変わらず華琳はきょろきょろとあたりを伺っている。庭園に日が強く照りはじめ、そこらでひっくり返ったら気持ちよさそうだが、そんなことは許されまい。
「麗羽たちを探しているのよ」
「麗羽?」
「叛乱の舞台は冀州っていうのは聞いたでしょ。元々、あそこは麗羽の根拠地。麗羽はともかく、顔良あたりは地形からなにから把握しているはずよ。どうせ、あれらは暇をしてるのだから、連れて行きなさい」
 思わず足を止める。そこまで気を回してくれているとは。一人で重責に押しつぶされそうになっていたのが莫迦みたいだ。
 庭にいないってことは、工房あたりかしらね……。と方向転換する華琳を慌てて追いかける。
「悪い。なにからなにまで」
「……無理なことをさせるつもりはないわ」
 ぶっきらぼうに言う華琳の首筋が淡く朱に染まっているのを、俺は指摘したりはしなかった。
「長引けば、民のためにもならない。本当は、華雄や祭をつけられればいいんでしょうけど」
 祭は美羽の計画推進の根幹要員となっているし、華雄は董卓たちを洛陽に迎えるために、改めて長安に向かっている。董卓たち四人だけなら移り住むのにそれほど手間はかからないのだが、なにしろ呂布が連れている『家族』は説き伏せて聞いてくれるわけでもない。受け入れる側の邸でも、去る方でも色々準備が必要になるのだ。
 そんなわけで、いまのところ洛陽には、賈駆と陳宮の軍師組が先行し、華雄は長安での後始末を担当しているわけだ。
「しかたないな。みな忙しいからなあ」
 よくよく考えてみれば、気軽に動けるのは、俺くらいしかいないのだ。季衣か流琉なら動けなくはないが、あんな状態の伯珪さんを預けられるわけもない。
「厭な時に動いてくれたものよ。果たして、こちらの動きまで読んでのことなのかはいまはわからないけど、調べてみるつもりよ」
 後ろに誰もいないといいんだけどな。蜀、呉に限らず、国外の烏桓や匈奴をはじめとする異民族の力は脅威だ。そして、魏、呉、蜀三国の運営が上手くいけばいくほど、その冨と繁栄を狙おうとする者達は増えるのだ。
「さて、ここにいるといいんだけど」
 真桜の大型兵器用工房に着くと、華琳はそう一人ごちた。工房は増築に次ぐ増築を経て、かなりの巨大建造物となっている。見上げると首が痛くなるくらいで、俺がいた時代の飛行機格納庫を思わせる。
 新型櫓の実験機とかをここでつくるのだからしょうがないのだが……。ちなみに相変わらずつきまとった、門から出られないという問題は、宮城の壁を崩し新しい専用門をつくることで解決した。この工房自体が門にぴったりくっつく形で大幅に建て増しされた経緯がある。
「こんなところにいるのかね。工房なら、あっちのほうが……」
 俺は、普段真桜がいるはずの工房の方を指さす。こちらは――強度を別にすると――普通の建物で、武器の研ぎ出しや絡操の開発に使われる。
「麗羽はとにかく大きなものが好きだから、よく入り浸ってるらしいのよ」
 ああ……わかる気がする。実際、可動櫓とか運用してたものな。真桜の投石機にしてやられたけど、それなりの用意をしていない相手には有効な代物だったはず。
 中に入ってみれば、なにやら櫓のようなものの前で麗羽達と真桜が話し込んでいた。
「操作は……」
「あの腕木がな……」
 見ると、櫓の上の大きな装置のあたりには斗詩がいて色々眺めているようだ。猪々子は麗羽の横でなんか暇そうにしているけど。彼女の場合、接近戦のほうが好みだろうしな。
「おーい、麗羽ー、真桜ー」
「我が君!」
「あら、華琳様にたいちょ、どうしたん?」
 声をかけつつ近づいていくと、斗詩も気づいたようで、櫓の上から手を振っている。
「麗羽たちに話があるんだけど、顔良も下ろしてもらえる?」
「わたくしたちに? まあ、いいですわ、猪々子さん?」
「ういー。斗ぉ詩ぃ~。下りてこーい」
 はーい、と元気よく答えが返って、斗詩の姿は櫓の中に消えた。内部に梯子か階段があるんだろう。
「あ、せやったら斗詩はんが下りてくる前に、たいちょにあれ渡しとこ」
「ん?」
 ごそごそと作業服の中を探る真桜。元々細かい釘やら工具やらを入れておくためにポケットがたくさんついているせいか、真桜の作業服はなんでも出てきそうなイメージがある。
「ほら、これや」
 瑕がつかないようにか、丁寧に小袋に入れられたそれを俺ではなく、麗羽に渡す。
「ほれ、麗羽はん、たいちょにつけてもらいーな」
「気恥ずかしいですけど、華琳さんもいますし、ちょうどいいかもしれませんわね」
 言いながら、小袋から麗羽が取り出したのは黒い首輪だった。
 大きさだけ見れば成犬用にも見えるが、ぬめるように輝く磨き上げられた黒革といい、縁取りに使われた見事な銀糸といい、裏打ちされた柔らかそうな布の質感といい、ただのペット用の首輪には見えない。ましてや、接合部分は三重になった黄金の鎖が垂れているのだから。たぶん、あれ、本物の金だぞ。
 麗羽はそれを恭しく掲げると、俺に差し出してきた。
「えと……」
「わたくしの首輪ですわ、我が君」
 満面の笑顔と共に宣言する麗羽。
 あれ、なに言ってるの?
「れい、は、の……?」
「……一刀?」
 ああ、華琳の表情がとてつもなくにこやかなのに、まとう雰囲気が吹雪のごとく凍てついていますよ。そして、猪々子と真桜のニヤニヤ笑いがひどいです。
「あら、我が君、忘れてしまわれましたの?」
 いけませんわ、とちょっと拗ねた顔で注意される。この表情が出るとなにも言えなくなっちゃうんだよなあ。
「以前、妙才さんの猫に首輪をなさっていた時に、約束したじゃありませんか」
 約束?
 いくら麗羽がたまに素っ頓狂なことを言い出すからといって、明らかな嘘をついたりはしない。誤解と思い込みと行き違いでとんでもないことになっていることはあっても、約束を騙るようなことはありえない。
 とすると、俺が忘れているのだ。
 俺は平静な顔を保ったまま、なんとか思い出そうともがく。勘違いなら、訂正して……。
「あ!」
 記憶の底に埋もれていた風景が、不意に蘇り、俺は大声で叫んでいた。

 そう、あれは、秋蘭の猫――たしか、名前は聖通だったか――に試作品の首輪をつけてやっている時、たまたま麗羽が通りがかって……。
「それをつけると、所有されている、という証に?」
「うん。呂布は布をまきつけているけど、それだけじゃ外れちゃうかもしれないし、ひっかかると危ないこともあるからね。ほら、この城にはこいつみたいに秋蘭の猫もいるし、ちゃんと区別つくようにと思ってさ。真桜にそれぞれつくってもらう予定なんだ」
 こちらにも首輪はあるが、罪人がつけるようなもので、ペット用というのはないから概念を説明するのに苦労したが、一度飲み込めば真桜のことだ。首を傷つけたりしないようなのを作り上げてくれた。
 呂布の家族たちの首輪は赤、秋蘭の猫たちのは青。これなら見分けがつかないなんてこともないだろう。
 よし、つけられた。はじめてつけるものなのでちょっと邪魔そうにしているが、きついってわけでもなさそうだし、いずれ慣れるだろう。ごめんな、と聖通の背をなでてやる。お前の旦那さんは文叔さんですか?
「妙才さんが青、呂布さんが赤でしたら、我が君は何色に?」
「ん?」
 意味がわからずに聖通の喉をくすぐりながら麗羽の顔を見上げると、彼女は婉然と微笑んでいた。
「わたくし、我が君のものでしょう?」
 ああ、艶めかした冗談を言っているのか。さすが、風雅なお姫様は違うな。
「そうだな、俺は黒だろうな。麗羽なら、黒に銀の縁取りで金の鎖を垂らしたら似合うんじゃないかな」
「あら、それは素敵ですわ。真桜さんに言いつけておきましょう」
「ははは、そうだね。それがいいよ」

「あー、うん、した。約束した」
 たしかに、言った通りの出来だ。俺が言ったイメージだけで、よくこんなにまとまったデザインを作り上げるな。すごいぞ、麗羽と真桜。
「……か、ず、と?」
 いや、華琳さん、痛いです。なにもされてないのに、なんだかすごい体中がちくちくします。そして、下りてきた斗詩やさっきまで笑っていた猪々子達まで完全に固まっています。
「華琳さん、さっきからうるさいですわよ。我が君につけていただいたらいくらでもお話は聞いてさしあげますから、少しだまっていてくださる?」
「なっ」
 麗羽の面罵に固まる華琳。なんだかんだ言っても、麗羽は変わらないなあ。華琳の気迫なんて感じてもいないからな。
 ともあれ、これは俺の勘違いから発したことだが、はっきりと約束している以上、ここで何か言い訳をしようものなら、事態は悪化の一途をたどるに決まっている。それに、彼女がこれで満足してくれるなら……。
 そう決心した俺は、麗羽の捧げ持つ首輪をさっと取ると、喜色満面上体を伏せて差し出してくる彼女の首にそれをはめる。麗羽の体が戻ると、顎を傾け喉をさらけ出すようにさせて、接合部の金鎖を一つずつもう片方の金具にはめこんでやる。
 麗羽の白い肌に、その黒革と金の鎖でつくられた拘束具は、ひどく映えた。
「あ、たいちょ、言い忘れとったけど、それ一回はめたらとれへんからな。太い鎖やないし、どうしてもっていうんやったら切れるけど」
「……真桜、そういうことは……」
「よろしいのですわ。取る必要もありませんし」
 もう呆れたのかむっつりと黙り込んだ華琳に対して、こちらは本当に嬉しそうだ。おさまりも気にならないのか、うっとりとした顔で、首にはまったそれを確かめるように指でなでている。
「さて、華琳さん、お話でしたわね。お約束通り、お聞きしますわよ?」
「……あなたって、ほんと、私の神経逆撫でするの得意よね」
 ひくひくと顔を引きつらせていた華琳は、しかし、あまりにうきうきとした麗羽の態度を見て毒気を抜かれたのか、大きく深呼吸して態度を改めた。
「手短に言うわね。冀州で叛乱が起きた。今回の討伐軍大将はこの一刀。冀州はあなた達がよく知っている場所だから手助けを頼みたいのだけど」
「いいですわよ。おーっほっほっほ」
 あっさりと承諾する麗羽。おまけに久しぶりに高笑いを一つ。
「どこの下郎の軍か知りませんけれど、このわたくしたちが我が君につけば、恐れるものなどありませんわ。ねえ、斗詩さん、猪々子さん」
 さすがに歴戦の将は話が早い。細かいことを言わずとも、ちゃんと物事が伝わっているようだ。……いや、麗羽たちのことだから、後で何度か念押ししてやる必要はあるだろうが……。
「久しぶりの実戦だなあ、斗詩」
「そうだね、文ちゃん。一刀さん、よろしくお願いします」
 戦えることに喜びを見出している猪々子と、ぺこりとお辞儀をしてくる斗詩。
 そういえば、斗詩はようやく俺のことを名前で呼んでくれるようになった。どうやら、麗羽と俺がそういう関係になった後は、もう名前で呼ぶことを許していたようだ。よくわからない基準だが、まあ、各々の主従のことには口を出すべきじゃないだろうしな。
「じゃあ、詳しくは後で知らせるわ。出立の準備だけしてちょうだい。いくわよ、一刀」
「おう」
 真桜となにやら打ち合わせをはじめた斗詩と、そわそわと落ち着かない猪々子、それに愉快そうに高笑いを続ける麗羽をおいて、俺たちは工房を出る。
 出る間に一度だけ振り向いて、俺は、麗羽を見つめた。そもそもそれを意図してデザインしたのだろう。黒の首輪はたしかに彼女に似合っていた。
 こうして、麗羽は首輪をつけて生活することになったわけだが……いいのかね、これで。

 工房を出たところで、腕を掴まれ、ずんずんと早足で歩く華琳に引きずられるようにして歩く。
「お、おい、華琳」
 庭の木陰に引きずり込まれ、何をされるのかと身構えたところに、彼女の体が近づいて、唇に熱い感触が触れた。
「かり……」
 口を開くと、舌が入り込んでくる。見れば懸命に爪先立ちをして、目を閉じ俺の唇をむさぼることに集中する女の子が、そこにいた。
 がむしゃらな舌に応えて、中腰になり彼女の小さい体を抱きしめながら、熱い熱い吐息を二人で交換する。舌が絡み合い、唾液が交じり合い、二人のリズムが一致し始めたところで、華琳が体をひいた。
 物足りないと思っているのは俺だけではないらしく、華琳も何度か俺の唇の近くについばむようなキスをふらせるが、ついにそれをやめて息を整える。
「続きは帰って来てから、ね」
 無理矢理のように強い口調で言う。おそらく、もう時間がなくて出立を見送ることはできないだろうから、と矢継ぎ早に進軍の指示や兵糧についての準備の話などをした後で、華琳は真っ赤な顔をして俺に寄り添った。
「無事に帰って来ないと、承知しないわよ」
 そう言った時の華琳は紛れもなく、魏の覇王ではなく一人の少女に他ならなかった。

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