洛陽の巻・第九回:袁本初、その心の内を北郷に吐露すること

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「董卓様っ」
 硬直して棒立ちとなった少女の前に、華雄が走り寄りがばりと平伏する。
「董卓様、華雄でございます。生きておいでとは、この華雄、華雄めは……」
 後ろのほうは嗚咽に紛れて聞き取れない。少女は道に平伏する華雄に手をさしのべ、優しくその肩をなでる。
「華雄、やはり生きて……。あなたの消息だけはつかむことができず、長い間苦労をかけてしまったようです」
「いえ、わたくしのほうこそ、至らぬばかりに……。董卓様に、ご不自由を……」
「華雄……」
 董白……いや、董卓の目尻にも涙がにじんでいる。
 反董卓連合の戦いの中で死んだと思われていた同士の再会だ。胸中に飛来する思いも様々にあることだろう。俺もつられて涙ぐみそうだ。
「わふっ」
 ……そういう空気をまるで感じてないのもいるが。
「セキト……?」
 鳴き声につられて董卓が顔をあげる。犬を抱えている俺の姿を認め、不思議そうに首をかしげた。
「北郷さん……?」
 この場ではお邪魔虫だとは思うがしかたない。近づいて行くと、腕の中の犬は俺の手をするりと抜け出し、董卓の胸めがけてジャンプする。
「わっ……」
 なんとか受け止める董卓。セキトと呼ばれた犬は嬉しそうに鼻面を董卓の肩にこすりつけていた。
「会談以来だね。君が董卓だと知っていれば、もっと早く華雄に引き合わせていたのに」
「なに、あの会談におられたのですか。これは一生の不覚……っ」
 だん、と土を殴る華雄。本当に悔しそうだ。主と仰ぐ人間がすぐ側にいたというのに見逃していたというのでは確かに忸怩たる思いを抱くだろう。
「董卓の名は隠しておりましたから……」
 もう意味がありませんね、と少女は儚く笑う。
 董卓という名前からは想像もできないような笑み。この世界に来て色々慣れたと思っていたが、まだまだ奥は深い。
 しかし、この娘が董卓だとすると、あの眼鏡の娘は賈駆、あるいは陳宮か? いや、ずっと以前、何進の使いで呂布が華琳の下に来た時にもちんまいのが控えていた覚えがあるから……やはり賈駆か。
 華雄が、ざっと俺と董卓に体を向け、姿勢をただして、拳で大地を押さえるようにして礼を示す。
「董卓様! 北郷様!
 この華雄、董卓様が処刑されたという虚報に惑わされ、流浪の身と成り果て、遂に賊に身を堕とすまでになっておりました。そこを北郷様に助けて頂き、様々に受けた恩徳、いまだ返すにふさわしい働きはできておりませぬ。なれど、董卓様が生きておられるというのにこれに尽くさぬは臣下として不義でありましょう。北郷様を捨て董卓様に仕えるも不忠、董卓様を肯んぜず北郷様に仕えるも不忠。
 ここはひとつ、お二人にこの素っ首をさしあげることでお許しいただきたい! 御免っ」
「華雄! 止めよ!」
 どこに隠してあったのか、短剣を首筋に当てる華雄の行動を遮ったのは董卓の鋭い叫びだった。喉まで出かかっていた叱責を押し込めて、俺は彼女の行動を見守ることとする。
「し、しかし」
「愚か者が! 死を安易に選び取ることこそ不忠となぜ気づかぬかっ!」
 小さな体から裂帛の気合いが飛び出し、びりびりと空気が震える。抱えられているセキトはといえば耳をべったり伏せて震えている始末。その声に、さすがの華雄も剣を収めずにはいられなかったようだ。
「もうし、もうしわけも……」
 再び平伏し、嗚咽を繰り返す華雄の体を起こし、その涙でべちょべちょの顔を拭ってやる。
「落ち着いて、華雄。色々とごちゃごちゃになっているだろうけど、俺も董卓さんも、逃げたりしないんだから、ね」
「う、あ……」
「華雄」
 董卓さんが膝をつき、華雄の視線の高さに自分のそれをあわせる。
「洛陽陥落以後、長い間、本当に苦労をかけてしまいました。私には、いまのあなたの行動だけで充分です。存分にあなたの忠節を頂きました。なにより、いまの私にはあなたにふさわしい働き場所を用意してあげることができません。ですから、どうか北郷さんの下で、この国のため……。いえ、この地に生きる民草のため、存分にあなたの力を振るってください。お願いです」
 セキトを抱えてない側の手で、ゆっくりと華雄の頭をなでる董卓。感極まったように大声をあげて泣く華雄を、俺たちは二人で抱きしめてやるのだった。

 邸に寄っていってはどうですか、という董卓さんの誘いに、すぐにまた訪ねさせてもらうからと断り、俺たちは二人共に早足で鎮西府に戻っていた。正式な使者を立てている以上、いきなり行くのはまずい。
「華雄は行ってきてよかったんだよ」
「いや……。無理だ、落ち着かん」
 表情をころころと変えて、華雄が言う。あれだけのことをしでかしてしまったので気恥ずかしいのかもしれない。
「それに、護衛の任もある」
「それはありがたいけどね」
 鎮西府につくと、俺と華雄は広間に入った。なにか事があれば作戦司令部となるのだろうが、現状では将クラスの人間のための歓談スペースでしかない。
 まだ馬岱が着任していないため、いまは霞の部下と俺が連れてきた面々しかいない。袁紹は俺が広間に入ってからそわそわしているようだが、さすがに逃げて行きはしないようだ。
 霞が、俺と華雄の顔つきを見てか、部下に下がるよう指示する。彼らが広間の扉を閉めるのを待って、俺は口を開いた。
「董卓に会ってきたよ」
 袁紹や祭たちの怪訝そうな顔の中、霞だけが予想していたように頷く。その彼女の下へ、華雄はつかつかと近づいていった。
「霞、なぜ言わなかった」
 全身の毛が逆立つほどの殺気が彼女から伝わる。俺へのものでないのにこの始末だ。しかし、それを受ける霞もさるもの。華雄の反応にかちんと来たのか、腕を組んで待ち構えていた。
「ちょぅ待ちぃや。三国会談の時も、大事な人紹介する言うて呼びにやったのに、逃げ回っとったんはあんたのほうやろ。だいたい、なんで恋たちといっしょに桃香のとこ行かんねん。そしたら、月っちにも合流できとったんやで」
「それは、その……道に迷って、だな。し、しかし、董卓様が生きておられることを話すことはできたろう」
 出鼻をくじかれた華雄がいつものように顎に手を当てて反論する。
「あほ。言えるわけないやろ。そりゃ、知っとる連中も多いけど、それにしたって暗黙の了解ちゅうやつがある。うちかて話したくないわけあるか。しかも、せっかく会わせよ思てるのに逃げられ続きやったらやな」
「そ、それはすまぬ。だが、だがな」
 俺は二人の間に入って、ぱんっと一つ手を打った。
「二人とも、そこまで」
「一刀」
「しかし……」
「そこまで、だよ。二人とも、元董卓軍の同僚として、色々言いたいことはわかる。わかるけど、ここはひとまず置いておこう」
 ね、と二人に笑みを向けると、渋々、といった様子で二人とも頷いてくれる。
「袁紹や祭にはさっぱりわからないことだし、ちゃんと最初から話を進めよう。袁紹、斗詩、猪々子、祭、ちょっとこっちに来て」
 そう言うと、俺は卓の一つに近づく。皆はそろってその卓についた。
「袁紹は反董卓連合の盟主だったけれど、董卓の顔は知っていた?」
「……顔。いえ、知りませんわ。たしか……涼州のあたりの出とか?」
 眉間に皺を寄せて考え込む袁紹。このあたり、仕草が美羽にそっくりだ。血のつながりとはこういうものなのだろうか。
 しかし、眉間に皺を寄せる癖は美羽も袁紹もなおすべきだろう。せっかくの美人が台無しになるのは惜しい。
「袁紹が知らないくらいだから、俺たちは当然知らない。洛陽に攻め入った時、俺の隊は二人の少女を保護したんだ。董卓の顔を知らない俺たちは、その二人が董卓に攫われたかなにかした娘さんだろうと思った。暴政の噂があったからね」
「董卓様は暴政など!」
 華雄が憤懣やる方ないという感じで袁紹をにらみつける。しかたないところだろう。彼女とて、色々わかっているはずなのだが、やはり董卓に会って興奮しているんだろうな。
「うん、わかってる。あれは、やっぱり、袁紹たちが仕組んだのかな?」
 そのことを責めるつもりはない。あの当時の情勢を考えれば、都に入った者は誰でも攻め寄せられる可能性があったのだ。袁紹が盟主だっただけ、配下の群雄達が事態をコントロールできてましだったとも言える。
「ええと、たぶん、田豊さんが……、ああ違いますわね。そうそう、許攸さんがそういうお話を持ってきたんでしたよね? 斗詩さん」
「さあー……。すいません。あの頃、私たち軍事行動以外はあまり関われませんでしたから……」
「あたいたち、姫と本格的に親しく出来たのって、流浪し始めてからじゃないですかー」
 記憶が曖昧らしい袁紹は、二人を頼ろうとするが、配下の二人も知らないようだ。
 そうか、反董卓連合で実際に動きが出てからだったから顔文の二枚看板が目立っただけで、裏で推し進めたのは他の側近ってことか。そして、そのかつての臣下はいまや袁本初の下にはいない。
 三国に吸収された者も多くいるため、いまさら追求するわけにもいかないだろう。
「も、申し訳ございません、我が君。わたくし、よく憶えておりません……」
 なんと俺は縮こまる袁紹という世にも珍しいものを見ることが出来た!
 この人も反省とかするんだな……。これまでの認識を少々申し訳なく思う。
「袁紹の野望と周囲の謀臣の思惑が一致して、そのような噂が流れるに至ったというところでしょうな。君は臣の責任を負うが、だからといってその全てを制御できるわけでもない。華雄も霞殿も様々思いはあろうが、ここは呑み込んでおくことじゃ」
「まあ、うちはしゃあない思てるよ。十常侍の屑どもを早う始末できひんかったんはうちらの責任もあるし」
「うむぅ……」
 三者三様の祭、霞、華雄はひとまず置いて、話を続ける。
「そんなわけで、董卓自身を知らずに保護した俺たちは、彼女たちを劉備さんに預けることになった。その頃は華琳のところも余裕があったわけじゃないからね。その後は……霞がわかるのかな?」
「あー、ええと、うちも詳しゅうはわからんけど、月たちは名と身分を隠して、侍女をやっとったらしいわ。その後に呂布っちとねね――陳宮が劉備んとこに合流して、そん時に華雄もと思てたんやけど、違う(ちご)たわけやな。まあ、それはともかく、成都がうちらに陥落させられる直前に董卓、賈駆、呂布、陳宮の四人は成都を出され、長安に落ち着いたっちゅうわけや」
「ううむ、董卓様たちがそのような苦労をなされていたとは……」
 華雄は一転、ずーんと落ち込んでいる。確かに主が生きていることを知らず長い間別に行動していたと知れば、へこんでしまうのもわからないではない。
「それにしても董卓たちが生きておったとは、驚きですな」
 祭が生きているってこともかなりの驚愕の事実なんだけどな。なにしろ、俺たちは祭があの赤壁で炎に巻かれている姿を……あ、思い出したら気持ち悪くなってしまった。
「そうは言っても、黄巾党の張角、張宝、張梁ですら生きているくらいだからね……」
「は?」
「あら、祭はん知らなかったん? 天和、地和、人和がその張三姉妹やで」
 あっけに取られる祭に説明する霞。だが、その言葉を聞いて、さらに驚愕の声をあげる人達がいた。
「ええええぇぇ!!」
 斗詩と猪々子が仲良く声を揃えて驚く。猪々子なんてびっくりしすぎてのけぞっているくらいだ。その中で袁紹一人驚いていないのは、気づいていたのか気にもならないのか。
 うん、大物なのは大物なんだよな。
「斗詩たちも知らなかったの!? あんな近くにいたのに?」
「そ、そりゃあ、わかりませんよ。えー、地和ちゃんたちが黄巾の乱の首謀者なんですかー?」
 混乱する斗詩たちに、簡単に事情を話して聞かせる。それを聞いた彼女たちは色々あるんですねえ、と感慨に耽っているようだった。
「ともあれ、今回の旦那様に与えられた任は董卓、賈駆、陳宮、呂布を洛陽に連れて行くこと、となりますかな。この面々だと意思決定は賈駆か董卓でありましょう。呂布を説得しようという目論見は外れましたな」
「しかし、董卓様は呂布よりは話が通じやすいと思うぞ」
「確かに月は聞く耳もたんちゅうことはないやろけど、問題は賈駆っちやなー。詠は依怙地なとこあるさかい」
 謀士賈駆、か。俺の知っている歴史と同じほどの人物なら、その頭脳の冴えは恐ろしいものだろう。
 あの時の眼鏡をかけた娘のことを思い出してみる。確かに、頭の回りそうな娘だった。
「なんにしてもまずは顔合わせだよ。今回の遭遇は突発的だったしね」
「せやな。まあ、ゆっくり説得したらええよ。うちも協力するしな」
「うむ、私も出来るだけのことをしよう」
 今後のことを少し打ち合わせ、今日はそれで解散となった。その打ち合わせの間、袁紹が普段の笑みをひっこめて何事か考えているのが俺は少々気になっていた。

 董卓たちの邸は、この間の遭遇場所にほど近い、静かな屋敷町の突き当たりにあった。元々屋敷町は、町の大城壁を背にする形で長々と続いていたようなのだが、董卓邸はその端、角地にあたる。
「ずいぶん……物々しいですな」
 鬼の面をつけた祭――たぶん、これが正装のつもりなんだろう――が、小さく耳打ちしてくる。
「え?」
 ご覧なされと促され、彼女の指の先を追うと威圧的な門がある。
 歩いてきた時もこの町並みの中ではかなり大きな門だと思ったが、近づいてみるとなお大きい。いや、大きいというよりは重厚感があると言ったほうがいいだろう。まるで、洛陽の門を見るようだ。
「分厚い門の上、門樓には狭間が切ってあるのが見えましょう。いまは人はおりませんが、いつでも矢を射かけられる配置ですな。周囲の邸とはものが違う」
「角地なのも、攻められる方向を少なくするためか……。さすが賈駆、というべきかな」
「それだけで済めばよろしいが……」
 すでに連絡してあったため、門の横の通用門が少し開かれ、その向こうに、見覚えのあるちびっこの姿があった。淡い髪に大きな瞳の少女は黒と白が基調の服に身を包み、不機嫌そうに俺たちがやってくるのを見ている。
 陳宮、字はたしか公台。三国志の物語を知っている者にとっては、当初曹操に仕え、後に呂布を引き入れた人物ということになるが、この世界では当初から呂布の下にいるらしい。そもそも年齢的に、華琳の下に来ている暇がないだろう。
「おー、ねね、久しぶりー」
「張遼どの、お久しぶりなのです。本日のお客人は、張遼どの、華雄どの、袁紹どの、文醜どの、顔良どの、黄権どの、北郷一刀どのの七人で間違いありませんですね?」
「お、おう」
 親しげに話しかける霞に、硬い調子で返す陳宮。その様子に少々驚いたのか、霞は珍しくどもって応える。
 これは、少々厄介だな。華雄に霞と顔なじみもいるとはいえ最初から歓迎されるとは思っていなかったが、ここまで心を許していないとは。
「兵士はいないようですね。結構です。ついてくるがいいです」
 俺たちを招き入れ、通用門をしっかり閉めると、陳宮はそう言って歩きだした。俺たちは声もなくそれにしたがって歩く。皆、言いたいことはあるだろうが、袁紹でさえ黙っている状況――非常にありがたい――では口を開く者などいるわけもない。
 屋敷の中は緑がいっぱいだった。まるで林の中にいるかのようにみっしりと木々や竹が植えられて、その中に小道のようなものがしつらえられている感じだ。
「すごい庭だね」
 話しかけてみても、陳宮から返事はない。
「ちょっと、ちびっこ! わ、我が君が話しかけて……むぐぐぐ」
 袁紹があまりの反応の悪さに痺れを切らしたのか声をあげるが、斗詩と猪々子に止められていた。ちびっこと呼ばれた途端、陳宮の肩がぴくんとはねたが……そこに触れたらだめなんだろうな。
 そんな風に少々ぎこちない空気の中、俺たちは邸内に通された。
 すでに董卓、賈駆、呂布の三人は円卓について俺たちを待っていた。卓の上には豪華な料理と茶が用意されており、一転歓迎ムードだ。戸惑いつつ、うながされて席につく。
 軽く自己紹介を済ませたあとで、霞の鎮西将軍就任を祝い、華雄の無事を祝い、董卓たちの無事を祝って、和気あいあいと会談は進む。
 しかし、肝心の用事を切り出そうとすると、たいていが賈駆によってするりとうまくかわされ、話題をそらされる。
 呂布が無口でほとんど喋らず料理を食べており、董卓があまり表に出るタイプではないので、俺たちが相手をするのはほとんどが賈駆と陳宮という軍師組で、余計にうまく誘導されている感がある。
 途中、この間の犬がわふわふ言いながら乱入してくるに至って確信した。彼女たちは俺に話をさせない気だ。
 なぜか俺の膝の上に陣取ったセキト――もしかして、この世界の赤兎馬なのか、これ――に、犬に害にならなさそうなものを卓から取ってやりながら、どう切り出すか悩む。どう話を持っていっても、彼女たちはすり抜けてしまうだろう。
 多少礼儀に外れるが、直接切り込むしかあるまい。
「ええと、董卓さん、賈駆さん、呂布さんに陳宮さん。聞いてほしいことがある」
「ん? 今日は挨拶と聞いてたけど、なにかボクたちに話があるの? そんなの聞いてないわよ、霞」
「とにかく聞いてくれ。実は君たちに洛陽に来てほしいんだ」
「洛陽なら、この間の三国会談で行ったばかりです」
「まあ、また訪ねるわよ」
 またはぐらかそうとする二人の軍師少女の言葉にかぶせるように発言する。
「そういうことじゃない、洛陽に定住してほしいんだ」
 俺がようやくそれを言うと、間髪を容れずに、眼鏡の少女が言った。
「いや」
 と。
「華琳の部下になれという話じゃなくて、ただ洛陽に……」
「すでに否定しましたぞ」
 言い募ろうとする俺を遮り、さらにそれに董卓が続く。
「皆さんとお会いするのは愉しいですが、私たちはここでひっそりと暮らしていきたいのです」
「しかし、董卓様……」
 思わずと言った様子で華雄が口を挟む。彼女にしてみれば、董卓たちが洛陽に来てくれれば俺に仕えるのと並行して色々と世話ができると考えているのだろう。
 その様を見て、はあ、と賈駆が大きく溜め息をつく。
「まったく……」
 呆れたように言いながら、華雄のまっすぐさには不快を感じる様子もなく、代わりに俺をにらみつける。
「あんたたちも魏の中枢近くにいるんだったら、涼州兵が蜀から離れて帰還したことくらい知ってるでしょ? あれは月が蜀を離れたからよ。月が生きていることが公にならなくても、それだけの精兵が集まる。たとえボクたちが華琳に仕えるわけじゃなくても、洛陽に居を移せば、そういう動きが起きかねないの。恋だってそう。動けばそれだけの反響がある。ボクたちはね、そういうのとは無縁でいたいの」
 その懸念はわかる。というよりも、俺はその点こそが彼女たちを洛陽に招く意味だと思っていたからだ。
「影響があるのはわかる。でも、それはそこまで大きな影響にはならないんじゃないか。洛陽に移るだけならば」
「どういうことよ」
「確かに、君たちがいま蜀に戻れば、三国は緊張を強めるだろう。だけど、三国のパワーバラ……いや、勢力の均衡を崩せるのは、君たちが蜀についた場合だけだよ」
 多少は興味を惹けたのか、相変わらずおいしそうに料理をたいらげている呂布を除く三人が俺を伺うように見つめてくる。
「蜀に涼州兵及び涼州に影響力を持つ董卓さんがつく意味ってのは、こうだと思う。蜀の生命線は、南方と西方だ。南方は南蛮、西方は涼州。この際南方はおいとくけど、西方に限ると、シルクロード……ってのは後世の呼び方なんだっけ……ええと、とにかく西方の遥か彼方からの文物が流入する道を押さえられるってのは大きい。
 しかし、現状、涼州は魏ががっちり押さえている。そこにせめて貿易面で食い込もうと考えた場合、董卓さんの影響力は魅力的だろう。魏にしても、精鋭の兵と董卓さんの影響力を行使されるのは警戒せざるをえない。
 しかし、呉についた場合や魏についた場合は、それほどの影響力を持たない。さっきも言った通り魏はすでに涼州を支配しているし、呉はあまりに離れているからね」
 ようやく皆が聞いてくれる状況で、俺はなんとか話を進めていく。
「現状、君たちは長安にいる。三国からすれば、どこにつかないにしても魏の保護下にいるとみなされるだろう。でも、それは不安定だ。董卓さんや賈駆さんは生きてないことになっているけど、どこからか聞きつけて担ぎだそうとする人もいるかもしれない。呂布さんたちも同様だよね。華琳だって不安定要素を取り除きたい。だから、手元に置きたいんだよ」
「こちらの意向は無視ってわけですか。毎度のやり方です」
 陳宮がぷーとむくれて攻撃的な言葉を吐く。確かにそう言われれば反論はできないのだ。
 華琳にしてみれば、大陸の安寧を考えてのことだろうが、彼女たちの立場から見れば、俺こそが安寧を乱す闖入者に他ならない。
「ま、そういう世の中なのはよく分かってるわ。でもね、追い詰められたなら、こちらもそれなりの考えはあるわよ?」
 がたんと音を立てて、賈駆は席を立つ。腰に手を当て、俺を睥睨して彼女は宣言した。
「ボクたちは、独立不羈を誓ったの。ボクたちはここから出るつもりはないし、なんの野心もない。ただ、放っておいてくれればいい。帰って華琳にそう伝えるといいわ」
 賈駆の宣言は、けして独りよがりなものというわけでもないらしい。董卓も陳宮も同意するように頷いている。一人呂布だけが我関せずとばかりに料理をぱくついている。
 なんか、季衣を思い出すなぁ。
「独立、か……。ならば、この館が攻め落とされたならば、なんとする?」
 俺が言葉を脳内で選ぼうとしていると、祭が切り込んだ。彼女は今日は酒を飲むこともなく、これまで大人しくしていたのだが……。
「あんた、黄権って言ったっけ。聞かない名前だけど、呂布相手にことを構えるつもり?」
 黙々と料理を頬張っていた赤毛の少女が、自分の名前を聞いて顔をあげる。
「そのようなことするまでもない。長安の商家にふれを出すまでじゃ。この邸に関わるものと商いをすることまかりならん、と」
 賈駆の顔が歪み、軽蔑するように祭をにらみつける。
「お、おい、祭」
 制しようとする俺に、目線で合図を送ってくる祭。俺はそれで彼女に任せることにした。華雄と霞が口を挟みたそうにしていたが、それも抑えることにする。
 しかし、袁紹たちは今日は静かだな。猪々子は食べてばっかりだが。
「兵糧攻めとは卑怯なのですよー!」
「……ごはん……」
 陳宮の発言は図らずも彼女たちの弱点を露呈していた。確かに呂布という武や董卓の持つ影響力は脅威だが、それ以外はただの四人の少女にすぎないのだ。しかし、呂布の哀しそうな顔は見ているだけで辛い。
「先に旦那様も言っておった通り、曹魏に仕えよとは言わん。ただ、洛陽に来てもらえればよいのじゃ。不羈というなら、洛陽の城下でもよかろう。どこにおっても誇りを保てばよい」
 その言葉は彼女の生涯を知っている俺たちにしてみれば、とても重いものだ。江東の虎の片腕として暴れ回った女傑が、美羽の下で過ごした雌伏の時のなんと長かったことか。
「それは……」
 痛いところを突かれたのか、思わずといった風に董卓が声を漏らす。それを慌てて賈駆が止めようとするところなど、動揺が明らかだ。
「長安でないといかん理由などないじゃろ。故地でもなし、縁者がおるとも聞かん。ただ、洛陽にいないのは、曹魏の秩序に巻き込まれるのを避けた結果と見たが、どうじゃ?」
 じっと祭の鬼面をにらみつけていた賈駆が、ついに諦めたようにがっくりと肩を落とした。
「ええ、そうね。洛陽で悪い理由はない。でも、ボクたちの意志を無視して無理矢理移住させられるなんて業腹だわ」
 そこまで言うと、彼女はにやり、と悪戯っ子が新しい悪戯を思いついた時のような悪い笑顔を浮かべた。
「そうね。移住してもいいわよ」
「詠ちゃん!?」
「賈駆どの!?」
「落ち着きなさいよ、月もねねも。ただし、条件をつけさせてもらうわ」
 にらみつける対象を祭から俺に移して、彼女は言う。
「それくらい、いいわよね?」
「えっと、それは条件次第だけど……」
「寛大な条件よ? そこの袁紹と部下のあわせて三馬鹿を洛陽での邸に、下女として派遣してくれればいいだけ」
 突然指名された猪々子がぶっとくわえていたものを吐き出す。斗詩はぽかーんとして動きを止めた。あまりのことに思考停止しているらしい。
「どう? 受けられないんだったら……」
 受けられるはずがない、と踏んでいるのだろう。賈駆の顔は得意満面だった。普通に考えればそれは正しい。あの袁紹が、下女の仕事などにつくわけがない。いかなる理由にせよそんなことをすれば、袁家の権威は地に堕ちる。
 だが、彼女の言葉を遮る声が一つ。
「よろしいですわ」
 全員――いや、呂布以外――の眼が、その声の主に集まった。いつも通りの笑顔を浮かべたまま、金髪をふりたてて彼女は言う。
「下働き、お受けしましょう。ああ、でも、わたくし一人で充分ですわ。三人分働いて見せましょう」
 それは、袁本初の平静とまったく変わらぬ声であった。
「麗羽様、また莫迦なこと……」
「姫、わかってるんですか、下女って言ったらなんでも……」
「お黙りなさい!」
 斗詩と猪々子がいつものように慌てて止めに入るのを、一喝して黙らせる袁紹。
「この袁本初の言をなんと心得るか!……これは、わたくしの決めたこと」
 きっぱりと言い切る袁紹に、普段と違う気迫を感じたのか、猪々子は口をぱくぱく動かすばかりでなにも言うことができない。
 斗詩が、なぜか俺の方を見ながら、頭をぺこぺこ下げているのはどうにかしてくれ、ということだろうな。
「そんな、ばかな……」
 一方、賈駆のほうは、愕然とした表情で、よろよろと後退っていた。無理難題をつきつけてみたらあっさりと承諾されたのでは、謀を巡らす暇もないだろう。
「董卓さん?」
「え、は、はい」
 俺は董卓に話しかける。彼女も呆然としていたが、反応はしてくれた。
「今日はここまでとしませんか。もちろん、先程の交換条件もなしで」
 我が君!? とすっとんきょうな声が聞こえてくるが、無視しておく。なんだか暴れ出して猪々子に止められている金髪の女性のことはこの際、鬼となって無視しなければならないのだ。
「ええ……それがいいと思います。ね、詠ちゃん」
「……あとで文を届けるわ」
 むっつりと何事か考えている様子で、賈駆は俺をねめつけながらそう言った。

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洛陽の巻・第九回:袁本初、その心の内を北郷に吐露すること」への2件のフィードバック

  1. 詠ちゃんプギャーの回でした(笑)彼女は案外、突発的な出来事に弱いんですよね。
    ドッキリをそれ以上のドッキリを返されたというか(笑)

    •  本来、麗羽さまは良くも悪くもぶれないキャラですからねー。
       この変化はさすがに読めないでしょうね。
       まあ、詠ちゃんは、あれっ?ってなってるときが可愛いと思いますw

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