洛陽の巻・第八回:死せる董仲穎、その姿を長安に現すこと

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 深更、評議の間。

 こんな時間、こんなところに誰もいるはずがない。
 だが、俺は知っている。
 寝つけぬ夜に、華琳がこの場所でひとり何事か考え込んでいることがあるのを。
 覇王たる者が真夜中に何を悩むことがあるのか、凡夫にすぎない俺にはわからない。けれど、そういう時の華琳を見ると、抱きしめたくなる衝動にかられるのは確かだ。
 だが、もちろんそれをすることが許されるはずもない。
 俺は、必死でその衝動を押さえつけることになるのだ。そうしたくてたまらず、けれどそれをどうにか我慢している者が他にいることもある。
 もちろん、お互いに見て見ぬふりだ。
 しかし、今日に限っては華琳に個人的な用があって探しているために、もしそういう場に行き当たっても声をかけざるをえない。
 明日から彼女はしばらく視察に出るはずで、朝出かける前に話す時間はおそらくないからだ。
「華琳、いるー?」
 暗闇の中に呼びかける。何ヶ所かに灯火はある。だが、倒れて燃えたりしないよう覆い付きなので、俺にはとても見通せない。
 私室にも執務室にもいなかった。ここにいなければ、秋蘭か春蘭、あるいは桂花の部屋だろう。
 さすがに睦み合いの最中に入り込むほど野暮なことは出来ないから、諦める他ない。
「いるわよ」
「ひっ」
 (きざはし)の先にしつらえられた、たったひとりのための座所から、二つの声が聞こえた。
 一つは華琳、一つは……これは……。
「あー、お愉しみだったか。ごめん、明日にする」
 きびすを返そうとすると、華琳の声が呼び止めた。
「あら。いいわよ、ねえ、桂花」
「い、いやですっ」
 やっぱり桂花だったか。目を凝らすと、華琳の足元に座り込む桂花らしき姿が見える。
 おそらく二人ともあられもない姿だろう。
「あら、そうなの? 一刀が帰って来てからは二人きりで過ごすことも増えたから、てっきり桂花も慣れたと思っていたのだけど?」
「ち、ちがいます、あれはあの全身精液男が無理矢理……」
「あらあら、一刀のせいにするの? あれが無理矢理襲うほど女に困ることなんてないと思うけど。ねえ、一刀、私でも、秋蘭でも霞でも、よりどりみどりですものね」
「そ、それは……」
 ふふ、と小さく笑う華琳。その指がどこぞで蠢いたのか、桂花の喉から艶かしい鳴き声が漏れてくる。
「あらあら、一刀に見られて……?」
「ち、ちがいますっ! 華琳様が、はふっ、触ってくださるからっ」
 暗闇でもわかるように、華琳が顎をひいてみせる。近づいてこいということだろう。断れるはずもなく、ゆっくりと俺は彼女たちのいるところへ近づいて行く。
「く、くるな、このばかっ」
 さすがに近づいたのと闇に眼が慣れてきたのが相まって、彼女たちの裸身が白く輝くように見えてくる。
 華琳は肩から薄衣一枚まとっただけ。桂花はその足元で一糸まとわぬ姿で犬のように跪いている。
 以前のように足でも舐めさせているかと思ったのだが、そういうわけでもなく、華琳は脚に絡みつく桂花の体のやわらかさを楽しんでいるようだ。
 はげしさよりは、静かさの中の愛撫といったところか。
「それで、なんの話かしら」
 さすがに目を奪われている俺に、話すように言う華琳。猫をあやすように、桂花の喉をなでる彼女の指に視線が揺れる。
「ああ、長安に行くのに華雄と祭、袁紹一行を連れて行こうと思うんだけど……」
「麗羽を? 物好きねえ……」
 普段のからかうような口調ではなく、少々困ったような顔になっている。
「華琳様、長安には……」
「わかってるわ。……理由を」
 ん?
 桂花が口を挟むほどのことなのか?
 彼女の言葉自体はくぐもっていてよく聞こえなかったが……。
「呂布たちをはめた張本人だから……かな」
「へぇ」
 珍しく感嘆の声をあげる華琳。仕種で先をうながされる。
「元々同僚の華雄、それと敵対していたはずの袁紹、この二人が共にいることを示したいんだ。色々あるだろうけど、なんとかやってけますよってね」
「桂花」
「効果も見込めましょう。……しかし、もちろんより頑なにさせるかもしれません」
「そうね、私も同意見。わざわざ危難を増やしているかもしれないわよ」
 華琳の言うこともわかる。リスクに見合ったリターンがあるかというと、俺にも判断がつかないというのが本音だ。
「ただなあ、美羽からも頼まれているんだよ。それに、俺も袁紹と知り合っておきたいからね。今後はうちにいるんだろ?」
「あら、今度は麗羽?」
「これだから、男って……」
「な、何言ってるんだよ、そういうことじゃなくてだな……」
 華琳のおもしろがっている声に、慌てて反応したのはまずかったろうか。もっと余裕をもって対応しないとからかわれ続けそうな……。
 だが、華琳は笑みをひっこめて遠くを見やるような顔になった。
「やめろとは言わないけど。……麗羽ねえ」
「華琳とは昔なじみだったんだよね?」
 俺の世界の歴史にならえば、曹操は実際には袁紹の配下に近い立場だった時期があってもおかしくない。
 悪童仲間ということになっているが、家の力関係からしても、曹操の地盤確保の時期からしても、反董卓連合時代までは、曹操は袁紹に抱えられていたと見るほうが妥当なのだそうだ。
 こちらの歴史では、反董卓連合時点では華琳は自分の地盤を着々と築いていたわけだから、そこまでのつながりがあるとも限らないのだが。
「ええ、同じ門下で学んだ仲よ。まあ、あれがどれほど学べたかどうかは知らないけど、袁家の名前を求めて集まってくる人間はいたのだから、人脈形成はできたでしょうね」
「最初から仲が悪かったの?」
 袁紹と華琳は、外的要因だけを見ると、よく似ている。金髪で――ついでにくるくるで――とびきりの美少女で、かわいい女の子が大好きな上に傲岸不遜。
 もちろん中身はまるきり違うけれど。
 最初から同族嫌悪で嫌いあっていたのだろうか。
「いいえ。まあ、顔はそこそこだけど、それ以外は特に興味がなかったわね。それに、今はともかく、当時の袁家の威勢ときたら、それはもう凄いものだったのよ。敵にまわす必要もないでしょう」
「それもそうだな……じゃあ、なにかきっかけが?」
「私のほうはあまり興味がなかったのだけれど、あちらが執拗に誘ってきてね。しかたないから、麗羽の主催する茶会やらに出るようになったあたりまでは普通だったわね。彼女や取り巻きは色々言ってきたけど、礼儀以上のことは対応しないで我慢したわ。あの頃は、いずれ宮中に入って、ああいうつまらないおしゃべりにつきあう必要があるだろうなんて思っていたもので、いい訓練だと思ったの。いま考えるとばかばかしい限りだけど」
 自慢話とかてんこもりだったんだろうか。よく耐えたな、華琳。
 そこで、彼女は少々話しにくそうに口籠もったが、溜め息を一つ吐いて続けた。
「関係が悪化したのはね。恋文をもらってからよ」
「袁紹から!?」
「ええ」
 はあ、そんなことが……。女性同士の関係というのは難しいのだな。
 華琳は俺の驚いた顔を見て、深い深い溜め息をまた一つ吐いた。
「本気の恋文なら、私だってそこまで嫌がらないわよ。丁重にお断りするだろうけど、それだけのこと。問題は、それがなんとも稚拙な企みだったことね」
 ああ、いやだいやだ、と華琳は手を振る。
 その手にじゃれつくようにする桂花が可愛らしい。こいつも、華琳相手だと本当にしおらしいからなあ……。
「私を呼び出す場所が、あからさまにあやしいところでね。結局、私は行きもしなかった。それ以来、見事に麗羽の態度が悪化して、私は一切あいつの催しには呼ばれなくなったわ。それについては正直ありがたかったけど」
 そうか、そんなことが……。学生時代の友は一生の友だというが、学生時代の敵は一生の敵になるんだろうか?
 そんなことを俺が考えていると、桂花が不意に考え深げな声をあげた。
「そのお話、以前も聞いたのですが……。少々気になることが」
「なに?」
「その当時でも、袁家は権謀術数を方々にしかけています。そして、それらは取り巻きにいた田豊、沮授あたりがやっていたはず」
 桂花の指摘で、華琳は視線を斜め上に向けた。なにかを思い出そうとしているかのようだ。
「そのお話で、華琳様が秋蘭たちに調査を命じたというような話も聞いたことがありません。と、すると、文を見ただけでわかるような策だったということでしょう。さすがに、そのような愚かなことを、袁紹本人はともかく、周りが許すでしょうか」
「でもさ、袁紹ってかなり愚か……と言える策をしかけてなかったか? 官渡の前でも……」
「莫迦ね、それは、袁紹の支配力が袁家の中で確立してからの話でしょ。いくら名家の跡取りといえども、いえ、複雑に因習の鎖で縛られる名家ならばこそ、手習いに出されるような時期は一人で全てを掌握することは不可能。華琳様のようなすばらしい才能でもなければね」
 それに、と桂花は続ける。
「実際、官渡の時期だって、あれが部下の進言をきちんと容れていたら、私たちの勝利は遠ざかっていたはずよ。たとえすばらしいものを持っていても、それを使いこなせないからこその愚かさ。まさに天命から外れた外道ね」
 ふふん、と笑って見せる桂花。そういえば、こいつも袁紹を見限って華琳の下に走った口だっけ。それにしても、内容は冷静で分析的なのだが、言ってる当人が素っ裸だからなあ。
「確かに……あれは麗羽の手だった」
 ぽつり、と華琳が呟く。古い記憶を呼び起こすように、掠れた声。
「思い出したわ、あいつが書いた呼び出し場所と似た音の、けれど、まるで字の違う高級料亭があったわ。密会に使われる類の、ね」
 積年の疑問が解決したかのような晴れ晴れとした笑顔で彼女は言う。
「あらあら、ことによると、麗羽は本気だったのかもしれないわ」
「あくまで推論ですね」
「ええ、過ぎたことだし、これ以上ほじくり返すつもりはないわ。でも、そうね、一刀」
 魏の覇王の顔に戻った華琳がじっと俺を見つめる。見透かすように、楽しむように。
「憶えておきなさい。あれは、一番大事なところでとちる娘よ。それをわかった上で連れて行くというなら……。ええ、使ってみなさい。あれを使いこなす術を見せてくれること、期待しているわ」
 覇王の裁定は下った。俺は、その後、厳顔についての話をひとくさりした後、華琳のおもちゃになって桂花をなぶり、桂花が気絶した横で華琳自身をなぶり、朝までたっぷり搾り取られることになるのだが、それはまた別の話だ。

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