洛陽の巻・第五回:美周郎、歌を献じて天の御使いをもてなすこと

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「それでは、よろしくお願いしますっ」
 俺の目の前で、元気よく頭を下げるのは、呉の副使。周幼平こと明命だ。大使を務める上で魏のことをよく知っておきたいというので、冥琳から頼まれて俺がしばらく世話をすることになったのだ。
 どこかに案内するというのではなく、俺についてまわって色々自然に学びとろう、という意向らしい。
「うん。よろしくね。ええと、一応言っておくけど、内密の会談とかもないではないし、書類も見られるとまずいのもあるから……」
「はいっ、機密情報には触れないようにします!」
 少女はこくこくと大げさに頷いて見せる。
 いや、いつもこんなテンションなんだろうな。以前街で出会ったときもこんなんだったし。
 冥琳の長い黒髪も美しいけれど、この娘の黒髪も輝くようだ。冥琳より背が低いせいもあって、腰より長い黒髪が本当によく目立つ。そして、背に負う長大な刀も。
 あれ、自分の背丈くらいあるんじゃないのか?
「ねえ、ところで」
「はい」
 くりんとした瞳でまっすぐに見つめられる。なんだか可愛いな、この娘。いや、元から顔だちが可愛いのは知っているのだけど。
「その刀見せてもらえない?」
「これですか?」
 よいしょ、と背負っていた刀を下ろす。やっぱり日本刀に似ているなあ……。
「他国の城内ということで、封印してしまっているので……」
 明命と冥琳は全権大使ということで城内でも剣を佩くことを許されている――さすがに謁見の間などはだめだ――が、冥琳ははなから武裝していないし、明命のほうは刀の鞘と鍔を紙のこよりで結びつけてしまっていた。
 いざとなれば断ち切れるだろうが、軽々に剣を抜くことはないという姿勢は示せる。
「外しましょうか?」
「俺の国の刀に似ているんだよ。だから見せてもらおうと思ったんだけど、手間なら……」
「いえ、手間というほどではないのです。あとでなにか書き損じでもいただければ」
 そう言うと、明命は小さな刀――というより、あれはクナイかな?――を取り出し、こよりを断ち切っていく。
「一刀様が抜かれますか?」
「いや、他人の愛用の武器を手にするつもりはないよ。見せてくれればいい」
 呉の大使に様づけで呼ばれるのもまずい気もしないでもないのだが、明命いわく、『祭さまがお仕えするほどの人なのですから、そう呼ばせてください!』とのことなのでしかたあるまい。
 すらり、と長刀が抜かれる。執務室の温度が一瞬にして何度か下がった気がした。
「魂切といいます」
 俺の目の前にまっすぐ横たえてみせてくれる明命。俺はそれをじっくりと眺めると、ほう、と息を吐いた。
「綺麗だ。……でも、やっぱり俺の知っている刀とは違うな。ありがとう。しまってくれ」
「はい。天の国のお刀は、なにか違う鋼でできているのですか?」
「いや、そうじゃないんだ。反り方の違いだね。たぶん、製法の違いからくるんだろうけれど」
 明命の魂切は直刀だ。日本刀も古代では直刀だったと聞くが、一般に知られる打刀の反りを、明命の刀は有していない。
 刀がおさめられると、だいぶ落ち着いた。やはりいくら慣れたとはいえ、抜き身の武器を目の前にすると冷や汗をかくな。
「ありがとな。さて、じゃあ……今日は書類仕事もほとんど終わっているから……。んー」
 そうして俺は今日の予定を確認しなおすのだった。

「まずは街をまわろうか。明命は洛陽の街には慣れた?」
「はい、以前から何度かうかがっていますから。でも、やはり来るたびに人が増えています」
 俺たちは連れ立って町の大通りを歩いていた。たしかに人通りは多く、俺のいなかった間にもその数は増えているようだ。
 警備隊長ではなくなって以来警邏の数は減っているので、その変化の度合いに驚く。
 警邏が頻繁な時は、細かい差異が積み重なっていく感じで、なかなか明確に意識には入ってこないのだ。そのかわり、誰が増えたか、というのはわかるのだけど。
 そんなことを考えていたら、無意識に警備隊の詰め所近くに出てしまった。ちょうど詰め所から凪と沙和が出てくるところに行き当たる。
「あー、隊長なのー」
「隊長、なにか御用ですか」
 嬉しそうにぶんぶん手を振る沙和と、いつも通り落ち着いた様子で応答する凪。
 だから、隊長じゃないんだって、もう……。
 隊長はお前じゃないか、凪。何度訂正してもなおらないので、あきらめかけている。
「おや、明命どのも」
「え? あ、明命ちゃん、いたんだ」
「こんにちはです。……やはり、凪さんがいるとうまくいきません……」
 後半の呟くような言葉が気にかかるが、あとで聞いておくか。
「明命が大使として赴任してきているのは二人とも知っているよね。冥琳から、彼女が魏に慣れることができるようにと頼まれているんだ。もちろん、華琳から許されている範囲でね」
 凪と沙和の警邏につきあう形でゆっくりと歩く。凪は警邏ということもあって、こちらを見ずに周囲を警戒しているが、沙和は俺と腕を組んで体重を預けてきている。いいのかね、これで。
「最近、街はどう?」
「んー、基本的には落ち着いてるの。ただ、人が増えて、蓄えもできてくるとそれを狙うやつらも出てくるの」
 困ったように言う沙和。人口の流入はたしかに統制の難しさを招く。職にあぶれるものも出てくるしな。
 しかし、胸があたっているんだけどな、沙和。
「盗みとか、掏摸とかでしょうか」
「掏摸くらいはどうとでもなるのですが、いま問題となっているのは高利貸しですね」
「高利貸し?」
「はい、悪銭禁止令が出たのはご存じかと思いますが」
「ああ」
 華琳が大陸を統一するまでの戦乱の時代、そしてそれ以前から王朝の政治自体がうまくいってなかったこともあり、貨幣経済は破綻を来していた。
 漢朝は銅銭を鋳造する力すらなくなり、これまで鋳造されていたものが使い回され続けている状態だったのだ。
 例外的に華琳がいた地方や、孫堅統治下などでは銅銭が鋳造され、きちんと流通していたのだが、それも黄巾の乱でおじゃん。
 大陸統一後のいまになって、ようやく新造銭を大々的に流通させることができるようになってきたというわけだ。
「悪銭ですか」
 明命が小首を傾げる。小動物っぽい仕草が可愛らしい。
 悪銭、というのは貨幣を半分に割ったり、周囲を削ったりして、嵩を増やした銭だ。
 たとえば、十銭の中央部分を打ち抜き、中央を八銭、周辺を六銭として闇で流通させる。その差額は作成者が持って行くわけだ。
 実際にはレートも日替わりして、悪銭を使う場合の方が損をすることも多い。
 レートを決めているのも、悪銭をつくっているのも闇社会に生きるやくざ者たちなのだから、庶人は最終的に損をするようにできているのだ。
 とはいえ、銅銭自体の数が不足し、良銭が手に入らない状況では、悪銭を使うなと言っても無理というもの。
 そして、悪銭すら使えないような地域では、物々交換しかなくなり、経済が停滞。余計にひどいことになる。
 新造銭を行き渡らせるのは、まさに急務だったのだ。
「俺が帰って来てすぐかな。悪銭製作者はもちろん、使用者も罰せられるようになったんだよな。都の近辺には新造銭が行き渡ったはずとして」
「そうです。その前に悪銭と新造銭を交換する期間がありましたから、現在でも使っているのは犯罪者、という解釈です」
 華琳がぼやいていたっけ。これでだいぶ蜀から銅を購入しなければならなかったとか。
 それでも、国家の根幹にかかわることなので、しかたのないところだろう。それで蜀に交易品が届き経済が活性化すれば、魏との交易も増える。循環がうまくいっている限りは皆が喜ぶようできるはずだ。
「さすがに、都じゃ悪銭を使う人もほしがる人もいなくなったのー。でも、悪銭で儲けていたやつらはそれじゃ面白くないから、新しい儲けを考えたらしいの」
「それで、高利貸し、ですか。借りる人はいるのでしょうか。身ぐるみはがれるのはわかりきっていると思うのですが」
「つながっている賭場やいかがわしい店でさんざん金を吐き出させてから貸し付けるとか」
「借りざるを得ないということですか。悪質ですね!」
 凪たちの会話を聞きながら、俺は考える。高利貸しが横行している事実も問題だが、それだけではないはずだ。
 悪銭は高利貸しの儲けでは追い付かないほど、浸透していたし、儲かっていたはずなのだから。
「暴利をむさぼることで、新造銭自体の価値を危うくして、また悪銭横行に戻すという狙いもあるかもしれないな。流通自体を阻害することもできる」
「それは……我々では判断しかねます」
 凪が困ったように言う。
 それもそうだ。
 凪や沙和は経済に詳しくはないだろうし。いや、沙和は流行に敏感なところがあるから、案外流れを理解していてもおかしくはないかもしれない。
「うん。俺から桂花に話してみるよ。他に困ったことはない?」
 そう言うと、沙和がぐっと俺の腕を引っ張りながら言った。
「あ、そうなの。隊長、人和ちゃんたちに、袁紹たちをどうにかしてって言っておいてほしいの」
「袁紹?」
 あれ、あのひとたち、まだ洛陽にいるの?
「袁紹、文醜、顔良の三人とむねむね団とやらですね。暴走しているというほどではないのですが、少々……」
 ……彼女たちの場合、普通にしているつもりでも、まわりに迷惑をかけられるというすばらしい才能を備えているようだからなあ……。
「大食い記録で店を梯子したりしてるのー。大食いはいいけど、食いつくすまでやっちゃうのはちょっと」
「あとは、賭場で暴れるくらいですか。イカサマをやっているところだったので、自業自得ではありますが。むねむね団は、特に何をしているというわけでもないのですが、袁紹を輿にのせて練り歩いているのが不気味だと住人が」
 あの集団か……。俺は櫓をひいてつっこんでくる筋肉達磨の集団を思い出して、ちょっと気持ち悪くなる。あれを見ていると、どうしてもある人物を思い出してしまうんだよなあ。
「わかった、それも相談しておく」
 しかし、袁紹は華琳でさえあまり手を出したくない相手なのだ。
 そういうのが押しつけられるのは……俺、だよなあ。ふう、と一つため息をつく。
「ああ、そうそう、真桜が隊長からの依頼がどうとか言っていました。急いではいないと思いますが、工房に顔を出してやってください」
 ん、そうか。あれができたのか。
「わかった。ありがとう。じゃあ、俺たちは城に戻るから、警邏がんばってな」
 沙和が俺の腕をひっぱる。振り払うのは俺だって厭だが、いっしょにいると沙和がいつまでも警邏に集中しそうにないし、しかたない。
「えー、隊長おごってくれないのー」
「こら、沙和。では、失礼します、隊長」
「今度おごってなのー」
 はいはい、と笑顔を返しながら、俺と明命は沙和と凪の二人と別れた。

 明命を連れて、真桜の工房やらなにやらを巡ったあとで、美羽と七乃さんにあてがわれた執務室に寄った。彼女たち二人は俺と同じようにフリーの問題処理係になっている。
 俺もそうだけど、武官としても文官としても飛び抜けているわけでないのが困りどころだよな。
「うう……」
 部屋に入ると、美羽が机に突っ伏して青い顔をしてうなっていた。
「どうしたの、あれ」
「ああ、お嬢様ですか? 命じられた貧民街と民屯の視察でかなり衝撃を受けられたようで。……実を言うと、私もなんですけどね」
 こちらもかすかに青ざめている七乃さん。
 そっか……。そういう意図だったから成功かな。
 ちょっと強烈だったかもしれないけど、意識を変えてもらわないとね。
 なにしろ、もう袁家の名前での後押しは期待できない。蜂蜜を確保するにも仕事をしてもらわないと。
 彼女たちには、これからも色々見てもらう予定だ。いかに戦乱は終わったとはいえ、ひどい状況はまだまだあるのだ。その中から、なにか問題を見つけ出してくれれば、と期待している。彼女たちなりの見方、というのがどこかにあるはずだから。
 俺だと時代が違いすぎて、見識が突拍子なさすぎるので、その緩衝材になってくれるのが理想なのだが……。
「そうそう、園丁の親方が探していたよ。花が入ったとかなんとか?」
「あ、ほんとですか。お嬢様、お花がきたそうですよ」
 七乃さんの顔がほころぶ。一方の美羽は声をかけられてもぐでーとのびたままだ。
「はーなー?」
「ほら、蜂さんのための」
「おお! そうじゃった」
 がば、と起き上がる美羽。まさに今泣いた烏がもう笑ったという感じだ。
「おいしい蜂蜜のために、花を植えるのじゃー」
 腕を振りつつ宣言し、ふと首をかしげる。
「ところで、蜂というのはどれくらいの距離まで蜜を探しにいくのじゃ?」
「さあ? どうなんですか、一刀さん」
 二人とも見事に無責任な笑顔だな、おい。
 養蜂してみたら、と提案したのは俺だからしかたないけど。
「たしか……二、三㎞だったかなあ」
「きろ?」
「ああ、ええと、五から七里四方くらいかな」
「んー。じゃったら、城の中ならたいがいはどこに植えても問題ないの……じゃろか、七乃」
 思案げな美羽の額にしわがよる。彼女はこの頃、こうしてまじめに物事を考えようとするようになったが、あの眉間にしわをつくるくせはやめるようにしたほうがいいなあ。かわいいからなかなか言えないけど、今度七乃さんにこっそり注意しておこう。
「そうですねー」
「城の中に蜂の巣箱を設置するのか?」
「そうじゃ、妾たちが世話するにはそれしかなかろ」
「昔なら、部下に言えばよかったんですけどねー」
 また華琳に言って場所譲ってもらわないとなあ。
 本当は美羽たちにも部下をつけてあげられればいいのだろうが、平時になって軍部でさえ異民族対策の部隊以外は数を減らされている状況ではなかなかそうもいかない。
 二人はそんな俺の考えはよそに、愉しそうに土いじりの準備をしている。最終的には二人とも飽きてしまって園丁の人達がやることになるのは目に見えているのだが。
「あ、そうだ、祭を知らない?」
「華雄といっしょにどこぞに行ったような……?」
 華雄といっしょか。じゃあ、鍛練かな?
「ありがとう、じゃあ、また様子見に来るよ。花の手入れがんばってね」
「はーい、一刀さん、またですー」
「またなのじゃ。七乃、いくぞー、蜂蜜のため進軍じゃー」
「おー」
 にぎやかな声を背に廊下に出る。明命が音も立てずそれに続いた。
「……明命、見事に無視されていたね」
 まさか、まだ以前の遺恨を引きずっているのだろうか?
「はい、お邪魔にならぬよう気配を消していましたから」
「あ、あぁ、そう……」
 そういう……もんなのか?
 そういえば、さっき、『凪がいるとうまくいかない』って言っていたような。あれは、氣を操る凪相手だと気配を消しきれないということなのか……。
 なんだか、彼女に一度命を狙われたらどうやっても助からないような気がするんだが、これは考えすぎだろうか?
「で、でも、いろんな人に紹介もしたいから、あんまり気配を消してばっかりもね」
「わかりました! 適度に消します!」
「う、うん、そうだね……」
 俺は、彼女のあまりにまっすぐな瞳に、それ以上なにも言うことが出来なかったのだった。

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