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洛陽の巻・第三回:華雄、河岸に賊を討つこと

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 正直、戦闘中のことは毎回あまり憶えていられない。興奮と、幾重もの思考と、感情の渦の中で、現実と思考が渾然一体となって記憶を上書きしてしまっている。
 だが、その中でもはっきりしているものもある。
「一刀っ」
 あの声が
 いつも飄々としたその声が、喜色を込めて、俺の名を呼ぶ。
「霞っ」
 襲いくる槍の穂先を剣で弾き飛ばしながら答えれば、その声の先では飛龍偃月刀が幾合もふられ、その度に血が飛び、肉がつぶれていた。
 こちらに合流しようとしているものの、絶影の馬首には美羽がへばりついており、なかなかたどり着けないでいるようだ。
「一刀ぉ」
「美羽も、もう大丈夫だっ」
 意識を彼女たちに集中しすぎたのがいけなかったのだろう。
「旦那様!」
 側頭部に衝撃を感じた途端、俺の意識は闇に落ちた。

 俺は気を失ってしまったから、ここから先は、祭や華雄に後から聞いた話になる。

 祭の眼には、一刀へと向かう一本の矢が、まるで我が身を切り裂く刃のように見えていた。
 一刀を失うわけにはいかない。
 そんな、思考にするまでもない思念に体が応え、盾を構える。
 狙い違わず、矢は彼女の掲げた大盾に激突した。しかし、その途端に折れた矢が向きを変えて、すべるように一刀の頭部に吸い込まれて行く。
「旦那様!」
 一刀の眼がどろんと濁り、瞼が落ちて体中の力が抜ける。剣がその手から抜け落ち、体全体が馬上で崩れ落ちていく。
「旦那様ぁっ」
 必死でその体を抑える祭。横並びで走りつつ抱きかかえようとするが、馬が嫌がってあまり近づけず、腕で支えるのが精一杯だった。
「くっ」
 そんな状況は戦場でも目立たざるを得ない。
 好機とみた賊たちは、よってたかって槍を突き出し、弓を射た。祭は盾ではじき、あるいは馬を斜行させて避け、ひたすらに走ることだけを選択した。
 止まれば、それは死を意味する。

「一刀ぉおおおお」
 悲痛な叫びが爆発し、偃月刀がうなりをあげる。
 馬上の一刀がぐったりと力を失い、落ちそうになるのを脇にいた女が支えているのが見える。そして、わっとそれに群がる賊の数々が。
「おまえらああああ」
 怪我の痛みも、長時間規則的に刀を振るい続けてきた疲れも全てが吹き飛んだ。歯ごたえはないが数だけいる敵から戦闘能力を奪うにとどめていた飛龍偃月刀は、いまや死を賜る颶風と化した。
 一振りごとに、首が飛び、腕がちぎれ、真っ二つにされた体が大地へ落ちた。
「うわっ。ちょっ、ひええええ」
 馬首にしがみついている美羽が悲鳴を上げる。
 これまで霞がいかに自分に気を遣って戦っていたのか、彼女はいままさに痛感していた。偃月刀の刃が頭のすぐそばを通り、髪の毛を数本道連れにしていく。
「頭上げんなや! 上げたら死ぬ思え!」
「ううう、わかったのじゃああ」
 ぴったりと絶影にしがみつく。長時間の戦闘を経た絶影の熱くたぎった肌からは、湯気が立ちのぼりそうだ。
 霞がはさみつける腿の力の加減と膝で示される意図に寸分の狂いも無く従う絶影の筋肉が、己の体の下でうねるのがわかる。
「がんばるのじゃぞ」
 美羽は、空気を切り裂く裂帛の気合いと共に繰り出され続ける死の斬撃を背に感じつつ、そっと絶影の首をなでてやった。

 華雄は先頭にいたために、異変に気づくのが遅れた。
 だが、兵が動揺していることは、肌でわかる。金剛爆斧を振り抜きざま見やると、一刀が黄蓋に支えられているのが見えた。
 どこか負傷したのであろう。
「ええい、こんな時に」
 だが、いま止まるわけにはいかない。予想よりも賊の数が多かっただけに、突破は軽々とはいかないのだから。確実に突破し、そこで踏ん張るしかあるまい。
「我が名は華雄。武名をあげたくば、挑んでくるがいいっ」
 喧騒を貫く声で名乗りをあげる。
 十文字旗を持ち、部隊の先頭を疾駆する華雄はそれまでも賊たちの注目を集めていたが、この名乗りに腕に覚えがあるものが集まり始める。彼らは、競って華雄に斬りかかってきた。
「ふん、莫迦どもが……。しかし、見知った顔がないな。どこの賊だ?」
 相手が突き出す槍の穂先を斧の一振りで切り払いつつ、彼女は考える。
 たしかに美羽たちと集めた野盗の一団もいるにはいるようだが、連中はさすがに華雄の前に立つような無謀なことはしていなかった。
 実際、いま斬りかかってきているのも見知らぬ男たちだ。
「内輪で争っているというよりは、いくつかの賊の集団か?」
 そんなことを考えつつ、金剛爆斧をふるうと相手の腕を斬るというよりも潰してしまう。代わりにまた別の男が戦列に加わった。
「ええい、鬱陶しいな」
 実際はこの程度の相手なら五人や十人まとめてかかってきても簡単になぎ払えるのだが、いまは多少苦労しているくらいに見せかけないといけない。
 囮になるには本気を出すわけにもいかないのだ。
「文遠も荒れているようだし、困ったものだ」
 私はなにも考えず暴れる方が好きなのだがな、と華雄はらしくないことを独りごちた。

「我が名は華雄。武名をあげたくば、挑んでくるがいいっ」
 前方で華雄将軍が名乗りを上げる。そのおかげか、祭と一刀にかかる圧力が一瞬緩んだ。その間に祭は、一刀の体に手を回し、ぐんにゃりとした体を力任せにひっぱりよせ、己の鞍の前にまたがらせることに成功した。
 近づいてみて彼が息をしていることにほっと一安心する。
「旦那様……」
 さすがに力業で息が切れる。祭は呼吸を整えつつ、一刀の体を固定しようとした。
 だが、そんなことをしていれば隙が生じる。
 彼女たちをめがけて一斉に突き出される数本の槍。その全てを盾で防いだ、と思ったその瞬間、盾を引き寄せる腕が護るべき一刀の体にひっかかった。
「しまっ」
 軽く浮いた盾に、賊の刀がふり下ろされる。反動で跳ね上がった盾の縁が、祭の額に強く打ちつけられた。
 ばちんと火花が飛び、視界が暗くなる。
 呼吸が乱れる。意識が濁る。
 まず……これは、いつもの……。
 とぎれとぎれの思考の中で、祭は己の体が自我の支配から脱しようとするのを予感する。
 だめだ、だめだ、だめだ。
 いま、自分が倒れれば、この手の中にいる大事なお人も死んでしまう。
 ――そうじゃ。二度と、儂は二度とあのような……。
 明滅する意識をなんとかとらえようとするも、連続的にばちんばちんと火花が飛ぶ。
 視界が真っ赤に燃えあがる。
 ――燃える、燃える、江が燃える。
 燃え盛る船の上で、彼女は叫ぶ。
『この老躯、孫呉の礎となろう! 我が人生に、なんの後悔があろうか!』
 そうじゃ、儂はあの時……。
 ――広がるは夕暮れの戦場。真っ赤に燃え上がる空の下。
 矢に射たれ、死にゆく女性を彼女と二人の少女たちが見送っている。
『呉の民を、娘たちを……』
『堅殿、堅殿、炎蓮(いぇんれん)様ぁあああ!』1
 あの時、あの時掴み損ねた腕を、儂は……。
 ――浮かぶのは愛しい人たちの。
 冥琳――いつまでも泣き虫は変わらぬの。涙を見せぬのは褒めてやる。
 雪蓮さま――華琳殿の膝下に下り、いかに過ごしておられましょうや。孫呉の命脈は保たれておるや否や。
 炎蓮さま――あの頃に戻れたならば、また再びあなたと戦場を駆けましょう。この武の全てを捧げて。
 なれど……。
 一人の男の顔が脳裏に浮かぶ。
 否、それは、その時たしかに目にしている顔であった。
 視界が一刀の気を失った顔を中心に晴れ渡る。
 彼女はいま、愛しい人をその手に抱いて疾駆している最中であったことをようやくのように思い出していた。
「ははっ」
 大笑する祭の顔は晴れやかだった。襲いくる矢を、槍を、剣を、事も無げに弾き飛ばす。
「堅殿、策殿、年甲斐もなく恋に生きる老骨をお笑い下され」
 撃ちかかってきたのを盾でひょいとはね上げると、面白いように武器が折れるか飛ぶかする。その中の一つが落ちてくるところを彼女は掴み取った。
 それは、鉄鞭とよばれる武具だった。棒状にした鉄の塊のところどころに、より鍛えた鋼の環をはめて打撃力を強めた武器だ。
「じゃが、儂は死んだのです。赤壁で江東の武者黄蓋は死に申した」
 盾で一刀を守りつつ、鉄鞭をふるう。撃ち当たった者の頬の肉をはじき飛ばし、あるいは肩の骨を打ち砕き、粗末な鎧を陥没させながら、彼女は馬を走らせる。
「旦那様に生まれ変わらせていただいたこの身は、もはや呉の体にあらず。一身これ五臓六腑に至るまで全て旦那様がもの!」
 目の前に立ちふさがる賊どもを散々に打ち据えつつ、いまや再び目覚めた武将は馬を駆る速度を上げた。張遼隊の兵士たちを追い越しつつ、先頭へと急ぐ。
 そこでは華雄が賊を相手に道を切り拓いていた。その横に並び、賊共を軽々となぎ倒していく彼女を見て、華雄が目を丸くする。
「華雄、旦那様は生きておられる。気を失のうておられるだけじゃ。突破して、その場で方円陣を敷くぞ」
「お、おい?」
 唖然とする華雄に、困ったようにうなる。
「ええい。説明は後じゃ、後」
 華雄が納得せぬ表情ながらも頷き、金剛爆斧をふるう。本気のその一撃は、さきほどまで手こずっているように見えていた賊四人をまとめて吹き飛ばした。
「うーむ。お主、強うなったのう」
 こちらも幾人かの武器を砕きつつ、感嘆の声を漏らすと、華雄は顔をしかめた。
「どうせ汜水関で関羽に負けたとかいう話を聞いていたのだろう。私も飽きるほど聞いたがな」
「まあ、敗軍の将はしかたなかろ……。儂とて、黄蓋は赤壁で負けたおり助けられたが、兵が厠に放置して死んだなどと言われておったわい。じゃが、儂が言っておるのは、もっと昔の話じゃ。文台様に髪を切られて泣いておった頃のな」
「阿呆。いつの話だ」
 呆れたように、怒ったように言う華雄に、祭は涼しい顔だ。
「いずれにしても、敗走にも噂にも腐らず己の武を磨くとは、感心なことじゃ」
 背後で鬼神と化している張遼を見やる。その勢いはまるで減じず、人無き野を行くがごとく、賊の群れを斬り飛ばしながら彼女たちに近づいてくる。
「張遼とは手合わせしたこともあるが、明らかに強うなっておる。戦がなくなった上でこれほど強くなるとは、若さか……いや、懸けるもの、か」
 ふと、腕の中の一刀を見る。
 彼女は、笑みを浮かべながら、その人をより強くかき抱いた。
 目の前にきた賊徒を吹き飛ばすと、それに周囲の賊たちが巻き込まれ、ちょうど手勢の薄い部分が開けた。そこを過ぎれば、もうほとんど人はいない。
「さあ、道が開けたぞ! それ、行けっ」
 兵士たちに一声かけて、華雄と共に飛び出す祭。一気呵成に駆け抜けると、華雄はすべるように馬から降り、十文字旗を高々と掲げた。
「北郷一刀ここにあり、文遠、来ませい!」
 その声に張遼の顔が振り向き、瞳が光る。了承の証しに、彼女は二度三度と偃月刀をふるって馬を進めた。
「総員、下馬戦闘に備えよ! 張遼殿を迎え入れるように方陣を組むんじゃ。馬は中央に集めておけ!」
 祭のほうは兵に指示を与えながら馬から下り、盾を大地に突きたてると、そこに隠れるように一刀の体を座らせる。
「旦那様、しばしお待ちくだされ」
 兵の一人に一刀を見ているように命じ、近づいてこようとする絶影を眺める。その馬首に揺れる金の絹糸のような髪を見て、彼女は苦々しげに笑った。
「呉の将であった儂が、魏の兵を率い、あの袁術めを助けようとしておるとはの」
 自嘲気味に呟いた言葉は、戦場の喧騒に消えてゆく。
「じゃが、いまやこの身は呉の将にあらず。旦那様が手足。旦那様が矛」
 ぐっと鉄鞭を握り、方円を組む兵の間をぬって華雄の横に並んだ。
「きけええい、賊どもよ」
 祭の大音声は天も割れよとばかりに響きわたった。それは、その戦場にいる者たちが一瞬とはいえ動きを止めるほどであった。
「我は黄蓋、字は公覆。北郷軍一の矛! ほれ、華雄、お前もあらためて名乗りをあげい」
「ええい、調子が狂う。出陣前のしおらしさはどこへいった。
きけい、我が名は華雄。北郷軍一の太刀。命が惜しくなくばかかってくるがいい!」
 二人の名乗りを聞いた途端、霞は驚愕の声をあげずにはいられなかった。
「華雄はともかく、黄蓋やて? 一体どういうこっちゃ」
「ひえええ、おばけじゃあ!」
 美羽に至っては顔を絶影のたてがみに埋めたまま、ぶるぶる震える始末だ。
「せやけど……」
 黄蓋と華雄の苛烈な攻撃の数々に気圧されつつある賊の群れをなぎ払い、切り捨て、馬蹄で踏みつぶしながら、霞は十文字の旗に近づいてゆく。
「味方にもわからんほどの混乱は、好都合やなっ」
 見慣れた部下たちの姿に安堵する一方で一刀の無事を祈りながら。


  1. 孫堅の真名に関しては、Basesonの恋姫†英雄譚を参考にしています。 

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