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洛陽の巻・第三回:華雄、河岸に賊を討つこと

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「大変、大変だよ、兄ちゃん」
 ばたばたと駆け寄ってくる季衣。
 その後ろには兵士を一人連れていた。土埃にあちこちのすれた服。典型的な戦汚れだ。
 その姿を認めた途端、練兵場の中の空気が変わる。
「どうしたんだ、季衣」
「霞ちゃんが襲われたんだよ。兄ちゃん」
「なんだってっ」
 絶句する俺の後ろで、華雄が息を呑むのがわかった。
「詳しいことはこの人が。ほら、兄ちゃんにも話してあげて」
 連れの兵に促す季衣。兵士は身をかがめて礼を取ると俺たちに話しはじめる。
 彼の話をまとめるとこうだ。
 長安での用事が予想よりはやく終わった霞は、合流した部下の中から足のはやい五騎を連れて帰途についた。本隊は今回の会合に参加するために長安に来ていた武将たちと共に出立予定になっていたらしい。
 その帰途、洛陽まであとすこしというあたりで、野盗と見られる三〇〇ほどの手勢に襲われたのだという。さすがに多勢に無勢、しかも霞は腕を怪我していることもあって、連れの五騎を逃がすことしかできなかったようだ。彼はその五人のうちの一人で、急を知らせるために城に走ってきたわけだ。
 五人の内二人は道中脱落し、洛陽についたのは三人にすぎない。残る二人も、なんとかたどり着いているものの、息も絶え絶えだそうだ。
「本隊に合流できれば、三〇〇程度……」
 悔しげに漏らす彼を見ながら、俺の頭の中は霞のことでいっぱいだ。どうする。いま出られる部隊は……。
「それと、袁術殿が絶影を気に入られた様子で、帰りも御一緒に……」
「なっ、いまも二人乗りなのか?」
「はい……」
 それは、まずい。非常にまずい。
 霞一人ならば、あの馬の腕と機転で賊如きは振り切ってどこかに身を隠すこともできる――万全の体調なら一人残らずなぎ倒せる――かもしれないが、美羽を連れているとなるとそれは難しくなる。
 それにしても、なぜこの危急の折に季衣は俺のところにきたんだ? いくら華琳が忙しいからといって……。
 背中を嫌な汗が流れる。
「季衣。華琳は不在なのか?」
「うん。華琳様と春蘭さま、秋蘭さまは許昌からの荷を受け取りに行ってて、桂花は華琳様の代理で支城の見聞に行ってるし、凪ちゃんたちは三人で蜀の人たちを出迎えに行っちゃってる。流琉と風ちゃん、稟ちゃんは都にはいるはずなんだけど、街のどこにいるかはわからないんだよ」
 季衣の言葉に、俺は驚くしかない。
「じゃあ……」
「うん、いま城にいるのはボクと兄ちゃんだけ」
 なんてこった。
「じゃあ、兵は?」
「いま、張遼隊の残りに用意させてる。二五〇人くらいかな」
 兵が同意の印に頷く。彼は霞にも信用されている一人だろうから、部隊の情報は間違いないと見ていい。数は劣るものの正規軍と盗賊の群れでは勝負になるはずもないから、あとは、将がしっかり率いればなんの問題もない。
 そう、将がいれば、だが。
「ボクが出る?」
 いや、それはまずい。
 華琳の命がない限り、親衛隊は季衣と流琉以外が指揮してはいけないことになっているはずだ。なにかあった時には季衣がいたほうが間違いが無い。わざわざ確認を取るのは、季衣自身も出るべきではないとわかっている証拠だ。
「俺が出るしかないだろうな」
「でも……」
 不安がる季衣。それはそうだろう。俺だって華琳の下にいる重臣の中で一番与しやすい将が誰かと言われたら、俺自身を選ぶ。
 ましてやいまは気心の知れた連中もおらず、勝手の違う張遼隊を率いざるを得ないのだ。
「そんなに不安か?」
「……一年前の兄ちゃんなら、そんなことないってすぐ言えるんだけど、やっぱり、間があいてるでしょ? 兄ちゃん自身の力より、兵がどう思うかっていうのが……。張遼隊の古参は兄ちゃんが霞ちゃんの大事な人だって知ってるけど、この一年に入った人だっているし……」
 季衣の言うことにも一理ある。中心にいる将を信じられるかどうかで兵の強さは格段に変わる。
 将が平凡な能力でも、その命を忠実に果たす部下がいれば、その部隊は手強い。逆にいかに名将でも、命令に疑問を持つ兵を率いれば、どうしてもタイミングがずれたりして隙を生むものだ。
 現状では張遼隊を使うしかなく、ある程度の齟齬は生じざるを得ない。それを埋めるには武名か圧倒的な実力が必要となる。
 残念なことに俺にはそのどちらもないときている。
「しかたない、この際、副将を呉の誰かに頼むか……」
 いま、城には呉の名将が勢ぞろいしている。恥を承知で冥琳に頼み込んでみよう。周瑜の名なら納得しない者もいないだろう。
「私が出よう」
 その声に俺はとっさに反応できなかった。恐る恐る振り返ってみると、華雄が正面からこちらを睨むようにしていた。
「いかに危急の時とはいえ、呉の将が魏の兵を率いるだと? 馬鹿馬鹿しい。どこぞの軍が侵入したならともかく、賊如きにそのようなことをすれば、侮られるだけではすまんぞ。私に任せれば問題あるまい」
「でも、華雄、捕虜を使う方が……」
 俺の言葉を遮るように、華雄が手を振る。
「私は今をもって北郷一刀様に降る。これでよかろう。聞いたな、許緒よ。お前が証人だ」
「う、うん」
「……いいのか?」
 俺は一息ついてからそう訊ねた。まさか華雄が降るとは。
 しかも、俺に?
「問答している暇なぞないだろう。私はいまや北郷様の将だ。なにを躊躇う?」
 それに、と彼女は付け加えた。
「おそらく、文遠を襲っているのは、袁術たちが集めた賊の群れの生き残りだろう。元部下の阿呆どもの不始末。なんとかせねばなるまい」
 華雄と見つめ合う。短いつきあいだが、彼女が嘘をつくとは思えない。
 以前、彼女の口から聞いた言葉が思い出される。
『己が信じられると思えばそれは正しい答えなのだ』
 そうだ、俺は彼女を信じてる。
 ならば、それが正しいに違いない。
「よし。わかった。華雄、兵の準備を頼む」
「応っ。許緒、厩に案内してくれ」
「兄ちゃん?」
「うん、季衣、頼む」
 確認してくる季衣を安心させるように頷いてやる。二人は張遼隊の生き残りの兵士を連れて立ち去った。
 さて、俺も準備をしなければ。
「旦那様」
「あ、祭。祭は留守を……」
「儂も、連れていってくだされ」
 彼女の口から出た意外な言葉に、俺はぐうと変な声をあげてしまう。彼女の柔らかな手が俺の手をとり、優しく包み込むようにする。
「旦那様の盾となるくらいはこの老骨にもできましょう」
「……」
 否定の言葉を出そうとして、けれど手から伝わる体温と――かすかに感じる小さな震えにどうしても反論できず、ぱあくぱくと陸に打ち上げられた魚のように何度も口を開いては閉じる。
 ついに、俺はすべての言葉を呑み込んで、新たな言葉をつむいだ。
「わかった。でも、約束だ。死なないでくれ」
「はい。約束しましょう。旦那様のお許しなくば儂は死にませぬ」

「よし、みな揃ったな。
まずは張将軍とはぐれた場所まで向かう。そこにはもういないだろうが、痕跡をたどって将軍と賊を探す。探索はさきほど指示した通り、一五〇名の本隊と二五名ずつの探索隊四つだ。自分が所属する部署はわかってる?
……うん、よし。
いいかい、くれぐれも今回の目的は張将軍救出にある。無用な戦いは避けてくれ」
 ずらりと揃った二五〇名あまりの張遼隊に指示を下す。俺の右には金剛爆斧を携えた華雄、左には盾を持つ祭の姿がある。いずれもすでに馬上にあり、準備万端整っていた。
「じゃあ、行こうか。先駆けは任せた、華雄」
「おうっ」
 十文字の旗をはためかせた華雄が馬首を巡らせ走り出すと、それに続いて張遼隊の兵士たちが矢のように駆け出す。少し離れたところで俺たちを見ている季衣に手をふると、自分もその濁流のような兵士の群れの中に身を躍らせた。
 霞、待っていろよ。助けてやるから。

 ともかく、時間が勝負だ。
 心の中で、はやく、ただ、ひたすらにはやく駆けることだけを思う。張遼隊は魏軍五〇万の中でも最速を誇る神速の部隊だ。臨時の将となった俺が足をひっぱったらたまったものじゃない。
 俺たちは街道をひた走る。普段行き交う旅人や隊商は、先触れの兵士に従って道の脇に固まっていた。
 俺たちを恐ろしげに見る人もいれば、たのしそうに手を振っている子供もいたりする。
「北郷様、あれを!」
 兵の指さす先には華雄と先駆けの一団が固まっていた。
 その足元にはなにかがある。だんだんとはっきり見えてくるそれは、いくつもの人馬の死体。
 無惨に切り殺され、あるいは骨を折られて変な形で大地にのびている死骸の山だ。
「くっ」
 冷静に考えれば、あの死体の中に霞や美羽がいるとは思えない。逆に霞にやられた賊の群れだろう。だが、それでも、体がかっと熱くなり、脳天には棒を差し込まれたかのように思考が鈍るのがわかる。
 違う、あれは霞でも美羽でもない。野盗たちの物言わぬ骸にすぎないのだ。
 自分に無理矢理のように言い聞かせても、馬を急かす行動を止められない。
「霞たちはっ」
 馬を下りて死体を検分していたらしい華雄に大声で怒鳴る。彼女はわずかに眉をあげて俺を見る。その小さな動作が暗に落ち着けと語りかけているようで、少し恥ずかしくなった。
「ここにはもういないな。血の乾き具合からして、しばらくはこのあたりで防いでいたのだろう。蹄で荒らされた跡からすると、集団は北へ向かっている。文遠も北へ逃げたと見るべきだろうな」
 北か……。南の山中に入られるよりは、ましと言えるだろうか。
 山の中は賊のテリトリーってこともありえるし、広々とした北に向かったのか、それとも賊をいなすのでしかたなくか……。考えても分かりはしないことなのだが、つい考えてしまう。
 馬上に戻った華雄は俺と共に遥か北方を見やる。そのどこかに霞の姿が見えるかのように。
「旦那様、では手筈通りに?」
「……うん、そうだね、探索しよう。本隊はこのまま北上する。この場には……一〇人を残せばいいかな。そのうち二人は洛陽に走ってくれ。残りは適宜連絡役に」
 俺の指示に従って探索の手が走る。残ったのは一五〇人あまり。これでも元々の報告通り野盗たちが三〇〇程度なら蹴散らせるはずだ。ましてや華雄の武勇も加われば。
 俺たちを含めた本隊は、これまでより慎重な速度で馬を走らせはじめた。それでも、普通の行軍速度よりはかなりはやい。馬を疲れさせないように意識しないとな……。
「襲ってきた賊は、本当に美羽や華雄のところの残党かな」
「わからん……が、洛陽近辺でまとまった数をつのれる賊はもうほとんどいないだろう」
「治安もかなりよいですしな。しかし、一度波ができますと、どこからか湧いて出るのが賊というもので……。儂も道中難儀いたしました」
「それよりも、だ」
 と、華雄は声を低めつつも強い口調で言う。
「見つけた後どうする? 文遠がうまいこと賊から離れているなら、賊を蹂躙してからやつを探せばよいが、文遠と袁術が賊の中で戦っていたりしたら、この隊の兵士は目色を変えるぞ」
「整然とした行動は無理じゃ、と?」
 祭の疑問に顎をぐっと引くことで応じる華雄。
「張遼がいるならともかく、救う相手はその張本人だからな」
 それを聞いて少し考える。
「……じゃあ、その場合は一度賊の群れを突破して霞のいる位置を確認した後は、反転せずその場で下馬。そこから霞たちのいる場所に防衛線をひく形でどうだろう?」
「ふむ……。では、鋒矢の陣で突撃し、後背の者たちが文遠の居場所を確認するということでいいか」
「うん、いいと思う」
 わかった、と頷いて華雄は兵士の中に混じっていく。指揮に慣れている人間に細かい指示をまかせられるのはありがたい。いくら勉強したとは言っても、実戦経験はそこまで多くもないからなあ……。
 ふと祭をみると、目隠しの向こうの彼女はなんだか妙な顔をしていた。
「ん、どうしたの?」
「いえ……。疑問も持たず馬を走らせてきましたが、儂はどうやって馬を駆る術を憶えたのじゃろうと」
 確かに祭の馬に乗る姿は様になっている。もちろん、彼女は俺なんかと比べ物にならないくらいの経験を持つ武将、黄蓋なのだから当然のことではあるのだが、いま俺の横にいる祭にとって、それは別人が経験した出来事なのだ。
「まあ、乗れるものはありがたく乗っておくのがよいのでしょうな」
 なにごとか言う前に、祭はそう言って笑みを見せた。真剣に悩んでいたというよりは、違和感をどうやって納得するかということだったのだろう。
「俺は、こっちに来た時、馬に乗れなくてさ……」
 昔の出来事をひとくさり話し終えるまで、祭は淡く笑みを浮かべながら聞いてくれていた。

 そうこうしている内に、すっと華雄の馬が俺の横に並ぶ。
「先発の班から伝言で、砂ぼこりが見られ、多くの声といななきが聞こえるそうだ。人馬の群れが争っているな。あの丘の向こうだ」
 華雄が指さす先にはこんもりとした丘がある。よく見れば、丘のてっぺんあたりに魏の鎧をつけた兵士が一人、地に伏せて丘の向こうを見張っている。見つけた班の一人が残って様子を見ているのだろう。
 ということは、あの丘を越えればすぐに敵が見えるということだ。
 そして、丘までは、もう数分もかかるまい。
「……うちが最初に見つけちゃったか」
 探索隊が見つけたならもちろん本隊に伝えるのが第一で、その後部隊を集結させることになる。ただ、本隊が見つけるとなると判断が難しい。このまま戦闘に入るか、適当なところで部隊を集めるか……。
「どうする? 探索の連中を呼び戻すか」
 俺は、空を見上げた。まだ夕暮れの朱はさしていないが、日は落ちかけている。
「いや……霞の無事を確保するのが先だ。最悪、逃げるだけならなんとでもなるだろう」
「では、突撃だな?」
 華雄の問いに、迷いを振り切るように力強く言う。
「ああ、速度をあげよう」
 佩剣をぎゅっと握る。
 すうと大きく息を吸う。
 傍らの祭と華雄に目をやり、軽く頷きを交わした。
「みんな、聞いてくれ!」
 精一杯の声で叫ぶと、兵士たちが耳をそばだてるのがわかる。
「この先で戦闘が行われているらしい。おそらく、霞たちだろう」
 わあっ、とわきたつ兵士たちが収まるのを一拍待つ。
「大事なのは、張将軍と袁術を救い出すことだ。賊の群れなんて、後からいくらでも踏みつぶせる。隊長を襲いやがって、と憤る気持ちはわかる。だけど、いまはそれを抑えてほしい。
 いいか、繰り返すよ。大事なのは張遼、それと同乗している袁術だ。賊を斬るよりも、彼女たちの居場所を探すんだ。
 さあ、みんなで彼女たちを迎えに行こう。全隊、駈歩(かけあし)!」
 俺の声を聞いた途端、周囲の馬群は大幅にスピードを上げ、それに連れて、鋒矢の陣――つまり矢印型に整列していく。俺と祭は矢印の軸の部分に同調し、華雄は矢の先頭へと移動していく。
 そのまま丘を登り切り、視界が開けた時、そこに見えたのは予想通り、争う人の群れだった。ただし、数は思っていたより多い。
 三〇〇と聞いていたはずだが、見る限りは八〇〇以上いた。
 しかも……。
「仲間割れか?」
 まちまちの格好で賊丸出しの連中が、それぞれに争っている。霞を取り囲んで一丸となっているようにはとても見えない。
 その時、群れの中で、なにかが中空へ跳ね上がるのが見えた。それは、紛れもなく人の体躯だった。斬撃か打突の勢いで吹き飛んだものらしい。
 そんなことができるのは……。
 よし、と肚を決める。
 人数は予想外だが、張遼隊の鋒矢だ。突破できないわけがない。
 馬の足並みが下りにかかるのを感じながら叫ぶ。
「華雄、突撃だっ」
 華雄はこちらを振り返り、横顔だけで、にやりと笑いかけてきた。
「ゆくぞ、突撃ぃいいいいいい!」
 華雄が十文字の旗を振り立てて、突撃を開始する。
 遅れじと続くきらめく槍をならべた兵士たち。その様は、まさに銀のうろこをきらめかせる竜のようにも見えたに違いない。
 俺自身も佩いていた剣を抜く。横で祭が大盾を担ぐように構えなおすのが見えた。
「祭。約束、憶えているね」
「はい。旦那様もお気をつけあれ」
「ああ、俺も死にたくないからね、さ、行こう」
 俺たちはそれ以上言葉を交わすことなく、ひたすら駆けに駆けた。

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