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洛陽の巻・第二回:黄公覆、生まれ変わりて北郷に従うこと

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 差し込む朝の光に目を覚ますと、俺と祭は二人で床に倒れ込むようにして眠っていた。
 部屋にはまだ濃密な男女の営みの香りが残っている。寝室で眠っている季衣が起きてきたらなにがあったかすぐに察するだろう。
 ……まあ、しかたないよな。季衣だって経験していることなわけだし。とはいえ、さすがに裸ではばつが悪いので服を整える。
 しかし、祭の服は俺が着せてもいいものだろうか?
 悩んでいると、目を覚ました祭とばっちり目が合った。
 こういう時、たいていは男の方が照れてしまうものだ。なぜか、女の子たちは照れずに笑顔で応えてくれる。たまに殴ったり蹴ったりするやつもいるけど。
 祭はゆったりとした笑みを浮かべてくれた。
「おはようございます」
「おはよう」
 ふと気づいて、水瓶から水をくみ、布を濡らして彼女に渡す。祭はそれで手早く体を拭って服を着始めた。
「旦那様、儂に旦那様のお仕事を手伝わせてくださいませ」
 着替えながらそう言われた。俺は水を飲んでいたところだったので、ぐいと口をぬぐって彼女に対する。
「んー、俺はかまわないけど、いいの?」
「はい、儂は旦那様のものじゃから」
 朝の光の中でそういうことを真っ正面から言われると、余計に照れる。俺は真っ赤になったであろう顔を否が応にも意識せざるをえない。
「う、うん。じゃあ、華琳と相談してみるよ」
 それから、俺は思わず笑みを浮かべた。
「なんじゃ、儂の顔なんぞをみてにやにやとなさって」
「いや、さっぱりした顔しているな、と思って」
「はい。なにしろ、いま、この朝生まれ変わったのですからな」
 祭はそう言うと、うれしそうに笑った。

 華琳に相談してみると、『仕事を手伝わせるのは問題ない。ただし、これまで通り、二人きりになるのは出来る限り避けるように』という言伝を後から稟が持ってきた。
 多少制限は緩和され、これまでのように季衣や流琉といった武将ではなく、普通の文官がいる場所での作業も出来ることになりはしたが……。冥琳から頼まれたことを考えると、あまりほうぼうに連れ歩くわけにもいかない。
 そんなわけで、今日は華雄の面倒を見るのにつきあってもらうことにした。やはり華雄も女性だし、女性にしか頼めないような身の回りのこともあるだろうから。
 身につけるもののたぐいとか。
 俺たちが部屋に入ると、目の高さに足の裏が見えた。驚いてその先をたどってみると、体を丸めた華雄将軍が天井にへばりついていた。
「なに……やっているの?」
「んー? ああ、お前か。ちょっと待て」
 丸まっていた体がじわじわと伸び、彼女の姿がようやく見えてくる。
 華雄将軍の腕は天井の梁にがっちりとつかまり、その上半身にむけて膝をつけるような形で体を中空に支えていたようだ。
 いまやその体は伸びきり、まっすぐにぶら下がる姿勢になっている。
「はっ」
 軽く声をかけて腕が離れ、華雄の体が落下する。すとんと垂直に落ちた体は揺れることもなくしっかりと床に立った。
「はー、大したものですな」
 微動だにしない着地姿勢に思わず声をあげる祭。華雄は祭をはじめて認めたのか、胡乱げに眺めている。ぱんぱんっ、と手をはたいて、彼女は寝台に腰掛ける。
「新しい女官か?」
「ああ、俺の仕事を手伝ってもらっているんだ」
「ふむ。しかし、そのような目隠しをしてよく見えるな」
 日が高いために祭は冥琳からもらった目隠しをしている。それを見とがめたのか、華雄は顎に手をあてて、何事か考えるようにしている。
「はい。明るい方が見えぬのです」
「ふむ」
「ところで、なにをやっていたんだ?」
 疑問を口にすると、少々機嫌が悪くなったのか、ふんと鼻を鳴らして、
「鍛練だ」
 と答えてきた。
「お前にいくら言っても鍛練の道具をくれぬからな。自分で工夫してみた」
「それで梁にぶらさがっていたのか……」
「うむ、体をひきあげるのと縮めることで腹に込める力を鍛えようと思ってな。得物をふるうにも芯が通っておるほうがよいに決まっているからな」
「ああ、その話なんだけど、屋内の練兵場を借りられることになったよ。刃物はもたせられないけどね」
 ぱあっと顔が明るくなる。本当にこの人はまっすぐでいい。
「おお、そうか。ありがたいな。棒をふるうだけでも充分だ」
「俺は相手にならないだろうし、一応監視しないといけないけど、一人稽古で大丈夫だろう?」
「ん? 相手はその女官でいいではないか」
 祭が置いた昼食の盆を手元に寄せながら、華雄が言う。俺はそれに面食らってしまう。
「え、それはだめだろう」
「その女、なにかやっているだろう? お前よりよほど強い」
 いつも通りがつがつと食事を摂りつつ言う彼女に対して祭は黙ったままだ。
「どれほどの強さかは知らぬが……。そも一目でわからぬというのが強い証拠だからな」
 祭を見上げる華雄の眼が鋭く光る。
 俺はその体からにじみ出る気迫に圧倒された。この世界の一流の武人たちがまとう威圧感は、俺のような人間には耐えがたいほどのものだ。
「祭は……」
 事情を説明しようとした俺の背を、そっと触る感触。
「やらせてくだされ、旦那様」
「いや、しかし……」
「儂はお役に立ちたいのです。旦那様がこの方の世話をされるならば、儂はそれをできる限りお手伝いするのが役目」
 真剣な声音に黙らされる。
 そこまで思い詰めることもないとは思うのだけれど、祭にとってはそれが自分で選び取ったことなのだろう。
「わかったよ。でも、華雄将軍は音に聞こえた武人だよ。くれぐれも気をつけて」
「私は捕虜だぞ。お前の大事な部下を傷つけるようなことはしないさ」
 莫迦にするな、といった表情の華雄。
「では、お相手つかまつろう、華雄殿。ただし、見ての通り、儂は眼を悪うしておる。真剣勝負は無理じゃぞ」
「ああ、鍛練だ。鍛練」

 鍛練じゃなかったのかよ!
 祭の目に考慮して窓を閉め切り、薄暗闇に沈む練兵場で相対する二人の殺気に呑まれながら、俺は心の中で叫んでいた。
 かたや白木の棒を構えた華雄。かたや両手に短い木刀のようなものを構える祭。
 対してからこの方、動きがあったのは、華雄の届かぬとわかっている大きな一振りと、それに微動だにしなかった祭の笑みだけ。
 だが、俺は汗をだらだらと流していた。二人の間に渦巻くものにあてられているようで、さっきから体の震えが止まらない。
「お前、名は?」
「知らぬ。旦那様につけていただいた真名は、祭。なれど、昔は黄蓋と呼ばれておったとかいう話じゃ」
「なるほどな。どこかで見た顔だと思ったのはそのせいか。珍妙な目隠しのせいで確信は持てなかったが……」
 華雄が納得するように言うと、薄い布の向こうで祭の目がすっと細くなった気がした。
「おや、昔の儂を知っておられたか」
「いや、直に打ち合ったことは……。どうだったか。忘れたな。昔のことだ」
「ならば気にすまい」
「うむ」
 そんなやりとりを経て、二人の雰囲気が明らかに変わった。
 華雄が棒を握る手からは余計な力が抜け、祭の立ち姿に芯が通る。それまで二人がまとっていた気迫が、勢いはそのままに、なにか透明な雰囲気へと変化していた。
「はぁあああああ」
 予備動作の見えない鋭い打ち込みを、祭が刀を交差させて受けとめる。
「はいっ、はいっ、はいいいいっ」
 華雄は構わず棒をひき、何度も打ち込んでくる。
 上下左右、四方から襲ってくる打ち込みを、あるいは受け止め、あるいはいなす。一歩も動かぬ祭のまわりで、華雄は踊るように打ち込み続ける。
 数えるのもばからしいくらいの打ち込みを行う華雄と、そのほとんどの衝撃を受け流している祭に感嘆を憶える。さすがに、いくつかは肌をかすったりしているようだけれど……。
 目で追うのも一苦労だ。
 でも、なんだか……。祭は戸惑っているようにも見える。
「お前、手を抜いてるのか?」
 飛びすさって距離をとった華雄が、怒るでもない口調で不思議そうに訊ねる。
 俺が見て取った祭の戸惑いを彼女も感じ取っていたのか。ならば、なにかがあるのは間違いないようだ。
「いや、それが儂にもようわからんのじゃ。体が勝手に動いているようでもあり、そうでないようでもあり」
「なんだそれは」
「なんじゃろうのう。こうして打ち合うておると、肚のうちよりなにかがわきあがってくるような心地がするが……」
 嘆息する祭を、華雄はじっと見つめていたが、不意にこの場には似つかわしくない自然な微笑みを浮かべた。
「そうだな、言葉にできるものでもあるまいよ」
 微笑みは大きくなり、獰猛な笑みがその顔に刻まれる。華雄は体をねじるようにして、棒を右下段に構えた。
「本気で行くぞ」
 祭は答えない。そのかわり、左手に握っていた木刀を投げ捨て、右手にあった木刀を両手で握りなおした。
 その切っ先は、まっすぐに華雄の顔にむけられている。
 どちらが発したのか判然としない裂帛の気合いが練兵場を震わせる。
 打ち込みの瞬間は、俺には見て取れなかった。
 ただ、屈んだ祭の頭の上を颶風が過ぎ去り、華雄の脇腹をなにかがかすめていったのだけがわかった。
 左に棒を振り上げた華雄と、腕を前に突き出しきった祭は、からみあうようにして動きを止めている。間合いはほぼないに等しい。いま、二人が得物をふり合えば、お互いを巻き添えにして大きな打撃を喰らうだろう。
「ふむ」
「ふん」
 息を吐く二人。そのまますたすたと別れ、二人は向き合う。
 さっきまで打ち合っていた相手の顔を見つめていた華雄が、俺の方に向き直って何事か口を開こうとした時、季衣が練兵場へ走り込んできたのだった。

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洛陽の巻・第二回:黄公覆、生まれ変わりて北郷に従うこと」への2件のフィードバック

  1. 赤壁の戦いにて苦肉の策に掛かった振りをして返り討ちにした黄蓋が、
    記憶喪失状態だけど生き延びてました・・・と言うお話ですけど、
    魏軍も呉軍も「死亡確認!」だと思っていたと言うのに、
    戦場にゴッドヴェイドーの医師達が従軍してた訳でも無いのに、
    本当にどうやって命を繋ぎ止めていたんでしょうなぁ?

    •  祭さんに関しては孫堅様が、地獄の鬼をだまくらかして、命の蝋燭を継ぎ足したんじゃないでしょうか。
       いや、結構まじめにそんな感じではないかと……w

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