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洛陽の巻・第二回:黄公覆、生まれ変わりて北郷に従うこと

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「糧食が足りない?」
 評議の間に集められた俺たちの前で深刻そうに発表した華琳の言葉に驚いて声をあげた途端、桂花の冷たい視線が飛んでくる。
「あんたってどこまで間抜けなの。食べるものくらいあるわよ。三国会談の宴席に出せるものが足りてないの。そんじょそこらの食材じゃ、華琳様のお顔に泥をぬることになるでしょ」
 ああ、そういうことか。
 あれ?
 たしか、三国の会談は何カ月も前に日時を設定されていて、各国の幹部の集まり具合もそれにあわせて調整されているはずだ。
 なぜ、それを十日前という今頃になって……。
 実際、もう孫呉勢は洛陽にいて、後は蜀の一行を待つだけだというのに。
「……なんで?」
「あんたのせいよっ」
 ええっ、俺のせいですか。
 いくら桂花が俺を敵視していても、それはさすがに……。
「いいえ、お兄さんの責任ですよー」
「ええ、一刀殿の引き起こしたことです」
 えええっ、三軍師そろって責められるの?
 さすがに意味がわからなくておろおろしていると、霞と秋蘭が口を開く。
「一刀が帰ってきてからこっち、宴会続きやったからなあ……」
「うむ。北郷の帰還を祝うのに、惜しみなく使いすぎたな」
 ああ、そういうことですか。
 それなら、まあ、俺のせいと言われても納得する。
「すいません。兄様が帰って来たとなったら、やっぱりいいものを食べてほしくって……」
「制限なく使えと命じたのは私よ。流琉のせいではないわ」
 縮こまる流琉と、それを慰める華琳。とはいえ、魏の覇王も今日は少々困惑気味のようだった。
 おそらく山海の珍味を取り揃えていたのだろう。正直、帰って来られた喜びのほうが大きくて、喰ったものがそんな大層なものだったなんて思いも寄らなかったのだが。
「しかし、酒のほうはどうなのだ?」
 春蘭が流琉に訊ねる。宴席関連の責任者は流琉なんだろうな、やっぱり。
 いや、そうじゃない。春蘭が酒を飲むのはちょっとまずいんじゃ……。
「お酒は、ほとんど予定通りです。今回は皆さま秘蔵のお酒を持ち寄られたようで、その、酒蔵からはあまり……」
「あー、まあ、酒飲みってのはそんなもんかもなあ。うちもとっとき中のとっとき出した口や」
 ああ、霞がもってきたあれはうまかったなあ。そこまで強くはなく、なんだか幸せになってくるようなまろやかさの……。俺はその味を思い出して、つい生唾を飲む。
「まあ、それは裏返せば、最高の酒は国の酒蔵にも入らないということなのだけれどね」
「後は、菓子等、日持ちがしないものも搬入がこれからですから大丈夫です」
「ということは、酒飲みと甘党は大丈夫ってことですねー」
「しかし、華琳様のような食い道楽の方々相手なら、流琉の料理の腕で充分な気もしますが」
「そうは言っても、礼儀というものがあるでしょう」
 そんな風に話は続いていく。要は、酒や菓子、普通の料理以外の最高級食材をどう手に入れるかという話にいきつくわけだ。
「そんなわけで、どうしたらいいか意見があるものはいる?」
 まずは、稟が眼鏡をあげるいつもの仕種で少し前に進み出る。
「洛陽にない素材でも、長安や許昌をあたってみるのはどうでしょうか」
「十日間で間に合うか? 私でもきびしいぞ」
 こう言ったのは春蘭。彼女がそう言うなら、よほどの者でなければ無理だろう。
「長安に関しては、神速の張遼将軍の出番でしょう。許昌、陳留に関しては旧領ということもあり道もよく整備されております。華琳様および両夏侯の将軍の伝を使っていただければなんとかなるでしょう。他の大都市はとても間に合いません」
「そうね、この際多少無駄になるのは覚悟でやる価値はあるかもね」
「長安まで往復するんはええけど、うち、食材の見分けなんか自信ないで。そんなええもん、食べたこともそうそうあらへんし……」
 霞はちょっともじもじしつつ声をあげる。
「そうねぇ……。目利き……流琉は、こちらにいてもらわないといけないし……。私は許昌のほうがある。ああ、そうだ、一刀」
 不意に声をかけられて、びっくりする。俺も目利きはできないぞ?
「心配しないでもあなたに行けとは言わないわよ。袁術を借りたいの」
「美羽を? あー、あいついいもの喰ってるからなあ」
 美羽は城で出る料理ですらたまに文句を言うくらいの美食家だ。多少お子さま味覚っぽいところもあるが、それは蜂蜜水を飲ませておけば機嫌がなおるという便利さも内包しているわけで。
「そうよ、あれは腐っても名家の出。珍しいものも見知っているし、あの軽さなら、前に乗せても走れるでしょう」
「んー、暴れられたらきついで……うち、まだ怪我しとるしなあ」
 まだ包帯のとれない腕をかばうようにして言う。
「あなたの隊を同時に出すから、帰りは袁術をそちらに預けて、霞は揃えられたものだけ持って帰って来てもらえばいいわ」
「まあ、単騎駆けなら間に合うやろな」
 霞と華琳の視線が俺の方に向かう。これは、美羽を説得しろってことだな。かなりの強行軍をさせるのはかわいそうだが、これも仕事だと思ってもらうしかない。
「ん、わかった、美羽と七乃さんを説得するのはまかせて」
「それと」俺の言葉を聞いて、華琳は霞に向き直る。「霞には絶影を与えるわ。今回の任務だけではなく、あなたのものにしていいから」
「ほ、ほんまか? よっしゃー、絶影で単騎駆けなら間違いないわ」
 絶影と言えば、俺でも知っている曹操の名馬だ。なんでも、走れば影を落とさないほど速いことから名づけられたとか。それほどの馬を与えられた霞は本当にうれしそうだ。
 うん。これは、なんとしてでも美羽にきちんと話を聞いてもらわないとな。
「さて、他の都市をあたるのはいいとして、これでも確実じゃないわ。なにか、他に案はない?」
 そうは言われても、案などすぐに思いつくものでもない。軍事や政治に関してはそれこそ大陸にならぶもののない面々なのだが、ことは料理なのだ。いや、これも外交の一部だから、政治ではあるんだけれど……。
 沈黙が続く中で、季衣が元気よく手をあげた。
「はい、華琳様。珍しいものっていうのなら、兄ちゃんの出番じゃないかな~?」
「一刀の?」
「うん、兄ちゃんの知ってる天の国の料理なら、呉や蜀の人は誰も知らないでしょ? だから、いまある食材で出来る兄ちゃんの国の料理を、流琉につくってもらえばいいんじゃないかな」
「どう? いける? 一刀」
「十……いや、五種類くらいなら……なんとかなる、かな」
 帰ってから、俺は、現代のことをかなり勉強しなおした。普段側にあったり、食べたり飲んだりしているものがどうやってできあがっているのか、どうやってつくるのか、説明できる程度には。
 霞のために、酒の作り方も勉強したからな。
 ただし、知識があるからといって技術が身につくわけでもない。そのあたりは、流琉と華琳の腕があれば何とかなる……ような気もする。
「わかったわ、十品。それでいいわ」
 なんか、大きなほうの数字に訂正されているんですけど……。まあ、しょうがないか。それだけ期待されていると思おう。
「よく思いついたわね、季衣」
「ありがとうございます」
 おほめの言葉をもらってうれしそうな季衣。春蘭がさらにその季衣の頭をなでてやる。
「えらいぞ、季衣」
「へへー」
「他にはない?……そう。じゃあ、とにかくこれでいきましょう。なにか思いついた者は、すぐに流琉か私に言うこと。それじゃ、春蘭と秋蘭は私といっしょに旧領に手をつける。桂花、その間のことはあなたにまかせるわ。適当に分担して」
「わかりました、華琳様」
「流琉は手に入れたいものを書き出して、その後は一刀から天の料理の話を聞いて。霞は隊の用意。流琉から書き付けをもらって、長安に向かいなさい。一刀は袁術を説得して、霞の下へやりなさい。いいわね」
「おう」
「了解や」
「御意」
 各員に指示を下す華琳。それぞれに答えた俺たちは、なすべきことをなそうと散り始めた。
 内容が料理の食材探しじゃ、ちょっと緊張感に欠ける気もするけど。

 意外なことにてこずったのは、美羽よりも七乃さんの方だった。
「お嬢さまと離れるなんていやですぅ~」
 ぷりぷりと怒って首をふる七乃さん。まあ、可愛らしいというかなんというか。これでも一応は名の知れた将軍なんだよなあ。
「離れるったって、すぐ追いかけるんだから……。霞が引き離すだろうけど、さほど時間差はできないって」
「張遼将軍に追いつけるわけないじゃないですかー」
 いや、だから、長安で追いつけるんだけど。
「しかたなかろ、七乃。一刀がこんなに頼んでおるのじゃし、長安に久しぶりに行ってみるのも悪ぅなかろー。そうじゃ、一刀、もちろん、帰って来たら蜂蜜水をたんまりくれるのじゃろう?」
「うん、それくらいはね」
「でも、お嬢様、張遼将軍ですよ。こわーいんですよ」
 その脅し文句に美羽は少し考えるようにうなってから、つっかえつっかえ言葉を紡ぎ出した。
「実を言うとの、七乃。この間、七乃が切りかかられてより、妾は孫策も怖うのうなったのじゃ」
 意外な言葉に、七乃さんも俺も黙ってしまう。
「恐ろしいのは……七乃がいなくなることじゃ」
 ほんにあの時は、七乃が切られてしまったと恐ろしかったのじゃ、と呟く美羽に、七乃さんは感動しているのか、わなわなと震えている。なんだかじんと心にくる。
「もちろん、伯符めは恐ろしい。魏の城内というに剣を抜くなど猛獣のごとき所業。じゃが、獣は避ければよいのじゃー。そうじゃの、七乃といっしょに逃げた山中の蜂のようなもの。巣に近づかねば寄っても来るまい。翻って、曹操や張遼は内の獣を飼い馴らしておる。あやつらはよほどのことがなければ、余人を害するようなことはせん」
 美羽は、そう言って、七乃さんに抱きつく。七乃さんはとても嬉しそうに、けれど、どこか複雑な顔でそれを抱きしめ返していた。
「じゃからの、七乃、安心せい」
 その言葉に、俺もすっかり安心していた。

「兄様、さっきの『ころっけ』とかいうお料理ですけど……」
「ああ、それなんだけど、よく考えると、じゃがいもがないんだよな」
「いも、ですか? 芋ならありますよ?」
「いや、それがちょっと違うんだよなあ。味はともかく、同じ食感が出せるかどうかが……」
 そんなわけで美羽を乗せた霞と、それを追って出発した七乃さんを見送った後、俺と流琉は二人で馬をならべて日が暮れかけた郊外の道を帰っていた。
 さすがに実際に絶影に乗せられると勝手が違ってか、美羽はほんの少々ぐずっていたが……。霞も面倒見が悪い方でもないし心配はしていない。
 道のまわりは屯田の畑が広がっているが、もうこの時間、畑に影はない。地平線まで茫々と続く風景を見渡していると、たしかに俺は帰って来たのだと感じる。元の世界ではありえない広さだ。
「ん?」
「兄様?」
 畑のひとつに、影があった。案山子などではない、動いている人影だ。
「いや、あそこに人が……監督官とかでもなさそうな……」
「なんだか耕してるようですね。でも、もう暗くなるのにおかしいですね」
 泥棒というわけでもなかろう。いまは収穫の時期ではないし……と悩みつつ、俺たちは畦道に馬を乗り入れ、その影に近づいていった。リズムよく振り上げられ、降ろされる鍬を見ると畑を耕しているようにしか見えないが、この時間にそれをする理由がわからない。
 シルエットからすると、どうやら女性のようで、その手に握る鍬は力強く土を掘り起こしている。
「おーい、そこの人」
 声をかけると、はっと顔をあげるものの影になって顔はわからない。彼女は、俺たちを認めると鍬を投げ捨て、がばと畑に平伏した。
「ああ、いやいや、そんなかしこまらなくて……」
 慌てて馬を下りようとすると、流琉が小さく、けれど鋭い声で俺を制した。
「兄様。だめです」
「え、でも……」
「兄様がおっしゃりたいことはわかります。でも、兄様もわたしも将なんです。そういった振る舞いはかえってあの人を戸惑わせたり怖がらせたりすることになります」
 だから、落ち着いてください、と流琉は俺の放した手綱を取りながら言った。馬を止め、二人で畦に立つ。平伏しつつも目でこちらを追っている雰囲気の女性を刺激しないようゆっくりと。
「ん……ありがとな、流琉」
 礼を言うと、照れているのか空の向こうの夕焼けと同じくらい真っ赤になる流琉。今日はわたしの護衛の番だし……とか、ごにょごにょ言った後で顔をひきしめ、畑で平伏し続ける女性に声をかけた。
「そこのお人、わたしたちは夕暮れも深いというに畑に人があったので近づいただけ。そのように警戒めさるな」
「はっ。申し訳ございませぬ」
 なかなか張りのある声が返ってくる。礼を示してはいても萎縮しているわけではなさそうだ。それにしても、この声はどこかで聞いたようなそうでないような……。
「ええと、なんで、こんな時間に畑を耕していたのかな」
「はっ。このわたくし、以前怪我をいたしまして、昼の光が眩しうてなりませぬ。その反動か夜目は利きます故、このような時間に仕事をさせていただいておるのです」
「そうなんだ、悪いことしたな」
 そこで言葉を切り、俺は流琉にむけて小声で話す。
「でも、一人きりというのは治安の面でもちょっとまずいよな。流琉、どうにかできないかな」
「そうですね、ここの監督官に話して、洛陽の中での仕事に割り振ってもらうのもいいかもしれません。夜番もありますし」
「うん、そうだね、ああ、そこの人、もう顔をあげてくれないかな。事情はわかったからさ」
 そう言っても、なかなか顔をあげず、ようやくおずおずとあげた顔に、安心させるために笑顔をむけようとして、俺は……いや、俺たちは固まらずにいられなかった。
 夕闇で見えにくくとも、額に大きく傷痕があっても、その顔は紛れもなく……。
「こ……黄蓋?」
 俺と流琉の声が期せずして唱和した。
「旦那様がたは、儂の事をご存じかっ?」
「なにをするつもりかっ」
 鬼気せまる表情でにじりよってくる黄蓋に、流琉が俺を護るように立ちふさがる。
「教えてくだされ、昔の儂は一体いかなる人間じゃったかを!」
 ばっと跳ね上がるようにして起き上がり、流琉の肩に両手をかけようとしたところで、逆に腕を掴まれ力任せに土の上につぶされる黄蓋。
「教えてくだされ、教えてくだされ!」
 涙を流さんばかりに懇願の声をもらす黄蓋の姿は、呉の歴戦の将とはとても思えないものだった。
 しかし、あれは、間違いなく黄蓋だ。
 あの時、そう、赤壁で秋蘭に討たれたはずの……。
「流琉、やめるんだ!」
「でも、兄様」
 それでも流琉は少し力を弱めてくれたのか、土の上でぐちゃぐちゃになった女性は抵抗して暴れるのを止め、ただ流琉にすがりつくような姿勢になった。
「あなたも落ち着いて。話をしたいならいくらでもするから、まずは暴れないと約束してくれないかな」
「はい、旦那様。もう暴れませぬ。ですから、どうか儂の事を教えてくだされ。どうか、どうか……」
 その後、騒ぎを聞きつけたのだろう、慌てて駆けつけてきた監督官から黄蓋――らしき女性の身柄を引き受け、洛陽へ先に遣いをやってもらったりしてから、俺たちは、再び都城への帰途についたのだった。

「あの黄蓋が生きていたですって?」
 華琳の執務室には、俺と華琳、それに風と稟の四人だけがいた。桂花は忙しくしているらしい。華琳が食材調達に注力している分しょうがないのだろうな。
「少なくとも俺と流琉は黄蓋だと見たよ」
「というと、確証はないのですか? 他人の空似ということもありえると?」
 稟はそう言っていながら自分でもあまりその可能性はないと思っているらしく、あくまで念のためという雰囲気で訊いてきた。
 おそらく、彼女たちの頭脳の中では、俺が見つけてきた女性が黄蓋ではないという可能性よりも、死んだはずの黄蓋であるとしたら、いま洛陽にあらわれるのはなにが目的なのか、ということに意識が移っているのだろう。
「ああ、これもおそらくだけど、彼女、記憶を無くしている。額にも傷があったし」
 俺は、自分の頭のあたりを指さして傷痕の大きさを説明する。
「記憶を無くしていたとしたら、戦後、呉に戻らなかった理由はつきますねー。とはいえ、いきなり見つかるというのも……」
 そこまで言って、風はなにか気づいたかのように俺の顔をじっと見た。
 え、なに?
「くー」
 って寝るのかよっ。
「……おぉっ」
 思わずつっこみを入れると、いつもの通り目を覚ます。なんだかこれも帰って来たという気にさせる一つだなあ。
「いやあ、風は見つけたのがお兄さんというのはわからなくもないなあと思いましてね」
「そうね、一刀だものね」
「一刀殿ですからね」
 うんうん、と頷く一同。いや、俺のせいなの?
「それはともかく、呉がしかけた策謀という線はありませんか」
「どうですかねー。もちろん、色々やりようはありますが、苦肉の策で魏に偽降させた黄蓋さんをもう一度策につかうというのは、ちょっとー」
「しかし、だからこそ効果があると考えたかもしれません。取引材料にはなりえます」
「いえいえー、稟ちゃん、心情的な問題ですよー。孫呉のみなさんはあれで情に篤すぎるところがありますから。周瑜さんや陸遜さんが苦渋の決断を下しても、それを他の人たちが支持してくれないと大変ですー」
「それはわかります……。諸葛亮の手というのは?」
「記憶を無くしてるという前提で、ですが、朱里(しゅり)ちゃんなら外交関係をこじれさせるのに魏に放り込むくらいはやりかねませんねー。ただ、そうなると、どこで黄蓋さんを見つけたのかという疑問がやはり生じますねー」
「それに、そもそも確実性が薄い……か。他に生かしようがあるものをわざわざ使うまでもないですからね」
 軍師の二人の議論は続く。とても口がはさめない俺は会話を聞いているしかない。この二人の会話は、テンポがよくて聞いていて気持ちいいのだが、たいていの場合、内容が物騒なのが難点だ。
「いずれにせよ、本人の話を聞いてみないといけないわね。一刀、彼女はいまどうしてるの?」
「流琉と季衣が、湯浴みをさせているはずだよ」
 泥で衣服がひどいことになっていたのもあるが、武器を隠し持っていないか調べるのにちょうどいいのだそうな。もちろん、俺はその場にいられるはずもなくこうして報告に来ているわけだ。
 しかし、湯浴みとなるとあの胸が出るのか。あの胸はすごいよな、呉のメンバーは大きい人が多いけどその中でもかなりなものだ。それに比べると魏は比較的……。
「一刀」
 ぎゅん、と意識が収束する。首になにかがあたっている感触。
 か、華琳さん、なんだかこれ、冷たくて痛そうなんですけど……。
「いま、なにか失礼なこと考えなかったかしら」
「い、いやいや。なんのことかなー」
「桂花ちゃんがいなくてよかったですねえ、お兄さん」
 言いつつも風の目が冷たい。いや、稟も含めてみなさんすごい目で睨んでいらっしゃいますね。
「ま、いいわ。一刀、黄蓋はしばしあなたに任せることにしましょう。呉の人間に知らせるかどうかは、話を一通り聞いたあとで検討する事とする」
「ああ、わかった」
「ただし」
 刃を下げて、華琳は強い瞳で俺を見つめた。
「黄蓋と会うときは、一対一は避ける事。また、黄蓋を部屋に下げる時も誰かを監視におくこと。そうね……、しばらくは私は手配なんかで外に出られないし、季衣を貸すからずっと側に置いておきなさい。どうせ流琉は料理のことであなたのところに入り浸りになるだろうし、ちょうどいいわ」
「念には念を入れておくべきですね」
「そこまで心配することはないと思うけど……。まあ、話を聞いてみるよ」
 二人の言を受けて、俺は首肯する。その後しばし雑談をしていると、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「華琳様、流琉です。よろしいでしょうか」
「お入りなさい、流琉」
 華琳の招きに応じて、流琉が入ってきた。黄蓋さんといっしょに湯を浴びていたのか、湿った髪と赤くなった頬がかわいらしい。
「兄様からすでにお聞きと思いますが、黄蓋と思われる女性といっしょに湯に入ってきました。あれは……たしかに武将の体だと思います」
「そう。流琉がそう見るのならば、ほぼ確実ね」
「はい。それと、頭の他に、胸に大きな傷痕があります。おそらく秋蘭さまの矢を受けた時のものじゃないでしょうか。他にもそれと同時期、あるいはそれ以降に負ったであろう傷や火傷がありましたから、たぶん、船が焼け落ちたおりに……」
 流琉の報告を受けて、軍師たちは再び活発に議論を交わし始める。それを横目に聞きつつ、華琳は俺にむけて言う。
「一刀。黄蓋に対しては素直に応対しなさい。隠し事をしても誰にも益はないわ」
「ん? まあ、俺にはそれくらいしかできないからなあ」
 その言葉に、華琳はふっと笑みを浮かべた。なんとも透明で複雑な笑みだった。こういう顔を浮かべるくせに、中身はとてもさびしがり屋で甘えん坊だったりするあたり、曹孟徳という人間はつくづく一筋縄ではいかない相手だと思う。
「そうね、それが一刀だものね」
 そうして、俺たちはそれぞれの任務に戻っていくのだった。

「兄様、あとで試作品を持っていきますから、お部屋にいてくださいね」
 そんな言葉を残して厨房に消えていった流琉の背中にエールを送ってから部屋に戻る。
「あ、兄ちゃん、お帰りー」
「こ、これは、お帰りなさいませ」
 元気な声で出迎えてくれる季衣と、あわてて立ち上がり礼をしようとする黄蓋さん。座ってください、という風に手を振って自分も卓についた。
 うーん。やっぱりどこから見ても黄蓋さんだよなあ。流れるような銀髪に、鍛え抜かれたのがよくわかる体躯。いまは女官の服を借りているのかサイズがあってなくて、余計胸が強調されている様がなんとも色っぽい。
 ただ、赤壁の折にはあった険のある表情はいまは無い。気迫、というのだろうか、そういうものも感じられないのは、やはり記憶がないからだろうか。その代わりにやわらかな顔つきが目立っている気がする。
「兄ちゃん、ボク、お腹すいたよー。どっか食べに行くー?」
「いや、流琉があとで俺の教えた料理を持ってくるって言っていたから、みんなで食べような。たぶん、試行錯誤して量も増えているだろうし」
 わーい、と諸手をあげて喜ぶ季衣とは対照的に黄蓋さんは少々戸惑い気味のようだった。なにか言いたそうにしているので顔を覗き込んでみると、おずおずと口を開く。
「皆、というのは儂も入っておるのじゃろうか、旦那様」
「そりゃ、もちろんだよ。お客さんだもの」
「し、しかし、このようなお城に招かれ、湯を使わせてもらったのみならず、飯まで馳走になるなど、儂はどうしてよいやら……」
 いや、お客さんだし、そもそも黄蓋さんの身分は呉の武将なのだから、と言いかけて俺はちょっと躊躇う。いきなりそんなことを言って混乱させてしまうのは悪い気がした。
「しかたないよ、兄ちゃん。突然お城の生活に慣れろと言われても大変なんだよ」
「うーん。俺はこっちの生活というと、華琳の城中心だからなあ」
「そうだよねぇ。兄ちゃんはしかたないか。でも、屯田での生活からお城じゃあ、やっぱりびっくりするよー」
 季衣は農村生活から華琳に拾われて城にあがったから、そのあたり親近感があるのかもしれない。
「そのあたりはおいおい慣れてもらうしかないだろうなあ。ところで、黄蓋さん」
 声をかけても、黄蓋さんはきょろきょろと部屋の中をみまわすばかりだ。記憶を失っているのなら、たしかに珍しい光景なのだろう。
「黄蓋さん? 兄ちゃんが呼んでるよ」
「それは、わ、儂のことじゃろうか」
 季衣が黄蓋さんの服の裾をひっぱって、ようやく反応する。そうか、名前も憶えてないんだな。
「そうですよ、黄蓋さん。黄蓋、それがあなたの名前だよ。字はたしか公覆」
「こう、がい……こうふく……」
 噛みしめるように呟く。しばらくの間、何度も繰り返す彼女をそっとしておいた。
 自分が誰なのか知りたいと思う気持ちもあれば、それを恐ろしいと思う気持ちもあるはずだ。急がせる必要もない。
「だめじゃ……。思い出せん」
 苦しそうに吐き捨てる。そこに拭いきれない悲嘆があった。
「俺たちが知っている限りは話すから、ゆっくり思い出せばいいよ」
「しかし……」
 その時、俺は黄蓋さんが目を細めているのに気がついた。
「黄蓋さん、もしかして眩しい?」
 額の怪我は記憶だけじゃなく目もおかしくしてしまっているようだから、この程度の灯でも眩しく感じてしまうのかもしれない。
「その、少々……」
「そうだよー、兄ちゃんの部屋はいつも明るすぎるよー」
「そうはいっても、本を読む必要もあるからなあ」
 正直、スイッチを押せば煌々と光がきらめく生活になれた身からすると、これでもまだ暗く感じる。それはしかたないところなのだが、こちらで生まれ育ち、さらに勇名を馳せた武将たち――俺からすれば超人の域だ――には、これでも明るすぎるくらいなのだという。
「じゃあ、季衣、そっちの灯を絞ってくれるか、俺は入り口のほうを少し落としてみるから。黄蓋さん、ちょうどいいくらいになったら言ってね」
「はい。わかりもうした」
 おれたちは手分けして、灯を絞っていく。そもそも、これだけの灯を用意してもらえているだけでも破格の待遇なんだよな。
 季衣たちの部屋は携帯用の灯火しかないらしいし。なにかあれば、それを持って外に出られるという意味では、備えが行き届いているのは間違いないのだが。
 そんなことを考えていると、視界の隅が急に明るくなった。
「うわっ」
 季衣の手元から、ボッという音と共に高く火が燃え上がる。
「季衣!?」
「ごめん、兄ちゃん!」
「怪我はっ?」
「大丈夫、すぐ消すから!」
 慌ててがちゃがちゃと手元を操作する季衣。俺も駆け寄ろうとして――。
「ヒッ」
 息を飲む音が、やけに大きく部屋に響く。
「黄蓋さん?」
「ひゅっ、ふぅっ」
 苦しげに息を吸う音が続く。吐く音はなく、黄蓋さんの顔が見る間に青ざめ、白くなっていく。誰かに急にひっぱられたかのように体がぐらぐらとゆれ、椅子から転げ落ちそうになる。
「黄蓋さんっ」
 なんとか彼女を抱き留めるものの、震えは止まらず、まともに息もできていない。
「ひ、ひゅっ、かっ、くっ、ひゅああああああああああああああ」
 俺の腕の中で、豊満な体が暴れまくる。女性特有のやわらかさより、ぐんにゃりとした肉の重みが恐怖を抱かせる。
「兄ちゃん!」
 火の勢いは多少衰えたものの、まだ季衣の持つ灯火は燃え上がっている。それを放り投げんばかりにして俺の下へ来ようとしている季衣をなんとか押しとどめる。
「季衣、来るなっ。それより、はやく火を!」
「わかった!」
 さらに操作する季衣。空気か油の供給がなくなったのだろう。季衣の手元で火は急速に勢いを減らし、消えていった。
「あああああああああああああああ」
 前後にがくんがくんと揺れる頭が目茶苦茶にぶつかってくる。だが、痛みを感じている余裕なんてない。俺は、力の限り彼女の体をかき抱いた。
「大丈夫、もう火は消えたよ。黄蓋さん、大丈夫、大丈夫」
「くはぁあああ」
 黄蓋さんの腕が、俺にしがみつき、ぎゅうぎゅうと絞る。なにかにすがっていないとつらいのだろう。俺はそれをなんとか受け止めるが、さすがに少々手に負えなくて、どすんと床にしりもちをついた。
 そのはずみでしがみついていた腕が離れ、赤ん坊のように縮こまって体全体で丸まるようになる。ちょうど、俺の胸と膝の上にのっかっている形だ。さきほどまでの悲鳴とは違う嗚咽が、彼女の喉からもれ続ける。
「季衣、は、怪我は……ない?」
 少し息を切らせて訊く。季衣はぺたんと俺の横に座り込み、心配そうに見上げてきた。
「うん、ボクは大丈夫。でも……」
「黄蓋さんも俺も大丈夫だよ。落ち着くまで待ってあげないとね」
 俺はゆっくりと、震える黄蓋さんの背中をなでてやる。もう一方の手を季衣のほうにのばすと、怒られると思ったのか、びくっ、と震えた。その頭を驚かさないように静かになでてやった。
「気をつけないとだめだぞ」
「ごめんね」
「ん」
 結局、彼女は、悲鳴と物音に衛兵たちが押っ取り刀で乗り込んできても、泣きじゃくり、嗚咽を漏らし続けていた。

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洛陽の巻・第二回:黄公覆、生まれ変わりて北郷に従うこと」への2件のフィードバック

  1. 赤壁の戦いにて苦肉の策に掛かった振りをして返り討ちにした黄蓋が、
    記憶喪失状態だけど生き延びてました・・・と言うお話ですけど、
    魏軍も呉軍も「死亡確認!」だと思っていたと言うのに、
    戦場にゴッドヴェイドーの医師達が従軍してた訳でも無いのに、
    本当にどうやって命を繋ぎ止めていたんでしょうなぁ?

    •  祭さんに関しては孫堅様が、地獄の鬼をだまくらかして、命の蝋燭を継ぎ足したんじゃないでしょうか。
       いや、結構まじめにそんな感じではないかと……w

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