第二十一回:北限

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2.難民

 襄陽の水濠にへばりつくように、数十の家屋が建つ。
 いずれも日干し煉瓦を積んで建てられた簡易なつくりだ。
 濠に引き込んでいる漢水が軽く増水でもすれば、即座に流れ去って行ってしまうだろう。
 その家々の中心、本物の街ならば広場と呼ばれるだろう場所に、今日はいくつもの天幕が展開されていた。
 多くの天幕は入り口側の布をはねあげており、その天幕群の背後では大鍋がぐつぐつと煮られている。
「はいっ! おかゆのおかわりたくさんありますよー」
 具がたっぷり入った粥を、住人たちに振る舞っているのは、幾人かの女性を中心とした一団だ。
 彼女たちに粥を供給すべくせっせと働いている者たちはたいていが屈強な男たちで、統率の取れた動きをしている。
 鎧を着けいていないのが不思議なくらいだ。
「はい、おかわりですねー。うん、こっちのおかゆもっていってね。おさじはある? うん、じゃあねー」
 子供に空の器を差し出され、そんな応対をしているのは、桃色の髪と深い碧の瞳をした女性。
 てきぱきと粥を運びながら、たまに前掛けをひっかけたりしてわいわいとやっているが、けして大変そうな雰囲気はなく、ただただ楽しそうだ。
 その女性の前に、ぼろを深くかぶった人物がよろよろと近づいていく。この集落でも見ない顔なのか、それとも忌避される人間なのか、誰もそれに構おうとしない。女性はそれに気づくと、ぼろを着た人の元へ駆け寄っていった。
「大丈夫……? 私に掴まって?」
 そう言って体に手を添え、引き下ろされたぼろの中の顔を覗き込んだ途端、彼女の目と口はまん丸に開かれる。
「れん……!?」
「しっ」
 鋭い声と、腕を掴む指の力が、彼女の口を閉じさせた。彼女自身、慌てたように声を呑み込んでいる。
「少し落ち着いて話せないか?」
「あ……うん。紫苑さーん、天幕つかいますねー」
「はい、わかりました」
 優雅な仕草で答える女性にぺこりと頭を下げ、二人はあくまで歩くのが不自由な人間を支えるような仕草で天幕へと下がっていった。

「びっくりしたー」
 天幕に入り、しっかりと入り口を閉じてから、桃香は振り返る。
 その視線の先では、ようやく纏っていたぼろを脱いだ呉王蓮華が、窮屈だったのか、伸びをするような姿勢を取っていた。
「すまんな。非公式な場で、いくつか話しておきたいことがあってな」
「うん」
 二人の女王は頷いて座り、真っ直ぐ相対する。蓮華は顔を傾けると外を見やるような仕草をした。
「炊き出しか」
「うん。ここの人達も、けっして飢えているわけじゃないんだけど……」
「あまりやりすぎると、華琳たちを刺激するぞ?」
 なにしろ、三国が中途半端にしか支配を及ぼしていない地域だ。
 名目上は漢の土地であるから、丞相たる華琳に率いられた魏が管理しており、この地に住む住人にも最低限の生活は保障しているのだ。
 あくまで最低限の。
「うん……。でも……」
 桃香は申し訳なさそうにうつむく。彼女としても他人の土地にそうそう干渉するつもりはないのだろうが、目の前で困っている人がいれば放ってはおけないというところだろう。
 そう蓮華は予想をつけていた。
 実際、今日の人々の集まり具合を見れば、腹をぺこぺこに減らしているということはなくとも、美味い食事を摂れるのは珍しいことのはずだ。
「いまはそれは置いておこう。さっきも言ったように、いくつか話がある」
「うん。私も蓮華ちゃんと……」
「最初に謝っておく」
 にこりと笑みを見せた桃香の言葉を遮って、軽く頭を下げる蓮華。その行為に驚いたか、桃香は言葉を引っ込めて彼女の行動を注視する。
「この一連のこと、おそらく私のせいだ」
「ええっ?」
「一刀と相談したのだ。呉の未来についてな。その中で、一刀は荊州問題こそ、呉が解決すべき問題だと言っていた。どうにかすると私に答えて、建業を去ったのだ」
 蓮華は肩をすくめてみせる。
「奴が心配するのもわからないではない。大規模な領土問題は、三国の中でもここだけだからな。我が孫呉に限らず、蜀にも魏にもこの問題は影響がある」
「でも……私、一刀さんが、こんな混乱を望んでいたとはとても……」
「私もそうは思わない。だが……。うん、そうだな」
 どう説明しようか、と蓮華は悩み、桃香に通じるであろう形を頭の中で作り上げる。
「いいか、桃香。黄巾の乱以来、馬騰、月、白蓮、姉様、華琳にお前、悪意で動いた群雄など一人もいない。ああ……うん、袁家の二人はこの際おいておいて、だ」
 あれらは善悪を超越して、なにも考えていないだけだからな、と蓮華はぶつぶつと呟く。
「今回の事とて、一刀の善意かもしれん。いや、十中八九そうだろう。あやつのことだから、なにか考えすぎて変な方向へつっぱしったのかもしれんしな。しかし、たとえその意図が善だろうが悪だろうが、起きるときには戦は起こる。お互い、それをさんざん経験してきたではないか?」
 沈黙。
 それは、彼女の言葉を認めたからではない。
 むしろ、認めたくないからだろうと蓮華は考えていた。
 蓮華自身、そんなことを認めたくはない。
「でも! 蓮華ちゃんだって、戦は起こしたくないでしょ?」
「当たり前だ」
 桃香の叫ぶような言葉に、蓮華は怒ったような口調で答える。
 もちろんだ。
 だからこそ、こうして訪ねてきてもいる。
 しかし、たとえば、桃香と自分、そして、一刀も含めた全員が戦を望んでいなかったとしても、起きるときには起きてしまう。それが戦乱というものだ。
「だが……桃香。それでも動かねばならぬ時はあるぞ」
「それは……そうだけど」
 二人ともどうしようもないことを言っているのはわかっている。国を代表していても、いや、だからこそ、止められないこともある。
 蓮華は頭を振って次に進んだ。あまり、長居するわけにもいかない。
「一つ忠告だ。私は雪蓮姉様とは血を分けた姉妹だが、あれを説得しきる自信はない。あの人の性格からして、一蹴してから話をはじめるつもりでも不思議はないからな。それを念頭において交渉に臨むほうがいいだろう」
「……そもそも交渉に出てきてくれないよ、雪蓮さん」
 苦笑いで返すのに、ため息を吐く。実を言えば、少しだけ期待していたのだ。蜀の側だけでも雪蓮と接触していてくれれば、と。
 しかし、それはないようだ。
 やはり、あちらは現時点ではまともにこちらと話し合うつもりがないのだろう。
「そうか。我が方もだ」
「あのさ。二人で……両方の国から申し入れてみるとかってのは?」
「うん。悪くない」
「よかったあ」
 桃香の提案は渡りに船だ。呉の側としてもなんらかの打開策が必要だったのだ。
 ただし、両国の王が連名で申し入れをした上でも無視されれば……。
 蓮華は最悪の予想を振り切って、喜んでいる桃香に声をかける。
「桃香」
「ん?」
「戦は起こしたくない。誰の益にもならん。そうだな?」
「うん、もちろん」
 真剣に頷く桃香に、蓮華は同じように熱心に対する。
 だが、それでも。彼女とこの目の前の女性とでは明らかに立場が違うのだ。
 守るべきは、国と民。
 同じもののはずなのに、二人は立場を異にする。
「我らはいい加減この問題を解決せねばならん」
 蓮華は、はっきりと言い切った。一人の人間としてではなく、呉の女王として。
「荊州をこのまま捨て置くも、戦に巻き込むも、誰の益にもならんのだ」
 そうやって続いた言葉を、果たして桃香は理解してくれたろうか。
 蓮華は隣国の王の顔を見つめながら、重責と不安がまとわりついてくることを意識せずにはいられないのだった。

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