第二十一回:北限

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「華琳様、やつらが負けを認めて、祝いの酒宴を開こうと言ってきていますが」
 傷一つ負わずに見事勝ちを収めた春蘭は、青あざだらけになりつつも崩れ落ちずに終わった族長の肩をばんばんと叩いて健闘をたたえてから、華琳の元にやってきた。
 華琳は少し考えるような素振りをして、風と目配せしてから答える。
「いいんじゃない? うちの兵にもふるまってやりなさい。ただし、あまり濃い酒はだめよ」
「わかりました!」
 元気よく答える春蘭と、それに春蘭さまさすがですーとじゃれついている季衣を見ながら、立ち上がる華琳。それに風も続き、流琉も季衣を春蘭から引きはがしつつ続く。
「じゃあ、春蘭。支度と兵への手配りはあなたに任せるわ。なにしろ長を倒した英雄ですもの。それに、私たちはあまり最初からいないほうがいいでしょう。あちらはともかく、兵が畏縮するもの」
「はっ。……ええと、じゃあ、場が暖まったらお呼びすれば……?」
 華琳が最初から参加しないと聞いて肩を落とす春蘭だったが、これも役目と思ったかなんとか気を取り直して尋ねる。
「ええ、それでお願い。それまで風たちと天幕にいるから。ほら、流琉と季衣も来てちょうだい」
「はい。ほら、季衣」
「はーい」
 彼女たち四人はそうして観覧席よりさらに後方、親衛隊の兵に囲まれて立つ天幕へと入っていく。特に分厚い布が使われていて、昼間だというのに中は薄暗かった。
 流琉がぱたぱたと動きまわって灯火をつけ、四人は中央の卓に座る。
「さて、では、しばらく待つとしましょうか。誰かなにか報告することでもあったら、この機会に言っておいてちょうだい」
「はーい。では、風から。南の方から、色々と連絡が来てますですよー」
 良いながら、懐から書簡を取り出す風。華琳はそれにざっと目を通していたが、終わりに行き着く前にそれを卓に放り出した。
「どうやら一刀が騒がしくやっているようね」
 流琉が作り置きしておいたお菓子を、長櫃に入った箱から取り出していた季衣が、その言葉に反応する。
「兄ちゃんが? 兄ちゃんは涼州じゃないんですか?」
「あ、そうか。季衣は知らなかったっけ。兄様、荊州牧になったのよ」
「ふぇー」
 季衣の驚きの声がくぐもっているのは、すでに固く焼き締めたせんべいのようなものを頬張っているからだ。
 流琉は苦笑しつつ彼女の持つ箱を受け取り、飴を取り出すと風に渡し、自分も小さいのを手に取る。そのまま箱を前に出すと、華琳は砂糖菓子を一つ指でつまんで、口に放り込んだ。
「荊州での国境線を画定させるまで州牧をやらせてくれ、なんて頼んできたものだからね。全部任せると言いつけて来たのよ」
 そこで彼女は口中の菓子を舌で転がしながら小さく笑う。
「でも、まさか雪蓮と冥琳に加えて美羽と七乃まで送り込んで、大騒ぎを起こすとまでは思ってなかったけど」
 棒付きの飴をくわえていた風がちゅぽんとそれを口から出して、華琳の感想に対して指摘を行う。
「あれは華琳様のまねですよ」
「私の?」
「ええ。漢中でやったじゃないですか」
「……私は軍を動かしたりしていないわよ」
 漢中の所属を通達するときの駆け引きを拡大して行っているのだと指摘され、呆れたような顔で頭を振る華琳。それになんとも言えぬ笑みを浮かべて風は相変わらずの半眼で主を見つめ返す。
「そこがおにーさんのおにーさんたる所以でして。華琳様のお言葉なら言葉だけで威力がある。しかし、自分の言葉――北郷一刀の言葉では、なんの力もない。だから、せめて後押しにと雪蓮さんや軍を動かしてみる。そういったところでしょう」
 華琳はがり、と音を鳴らして菓子を噛み砕いた。
「……自分への過小評価もすぎると腹が立ってくるわね」
「その、雪蓮さんたちを動かすって……結構なこと、ですよね?」
 流琉が探るように問いかけるのを、風は褒めるように頷く。
「ですねー。そのあたり、おにーさんは大小、軽重の比較をうまくできていません。悪い癖です」
「ほうなの?」
「おにーさんの感覚だと、雪蓮さんや冥琳さんは自分を頼ってきてくれた仲間です。それが判断を鈍らせているのでしょうね。呉にも関わることだし頼んでみよう、となってしまうんです」
 風は妙にうまい一刀の声まねを交えつつ、せんべいの固さにさすがに苦戦している季衣に解説する。
「恋人、という点では、かえって突き放して見るように努めているようだけれど……。部下の扱いとしては落第もいいところね」
「あの……どういうことでしょう?」
「兄ちゃん、まずいんですか、華琳様?」
 流琉と季衣が顔を真っ赤にしたり青ざめさせたりしているのを見て、華琳は柔らかな笑みを浮かべてみせた。
「そこまで深刻な話ではないわよ。根深いとは言えるのだけれど」
 二人の心配顔が治まらないのを見て、彼女は自分の頬をなでながら、説明を試みる。
「いい? 一刀の下には多くの人材がいるわよね?」
「はい」
「彼らは様々な理由で一刀の下に来ているのだけれど、名目は彼の食客となっている。たしかにそれは各国に所属しているよりは緩やかな関係だけれど、あれが彼女らを保護している以上、それなりの代価――具体的な行動も要求されるわけ。白蓮なんかはともかく、麗羽や美羽は一刀の保護下から外れたら、どこもひきとってくれないわ。陰謀のよい標的ですもの」
「行動っていうと……」
「あ、そっか。軍に参加したり?」
 流琉が考え込み、季衣がぱっと思いついたことを口にする。
「そうね、それも一つ」
 戦に自分から参加したがる将もいるからそう見えないこともあるけどね、と華琳は苦笑する。
「ただし……そうね、名を捨てている雪蓮と冥琳、それに月はちょっと特殊な位置かしら。本来ならそこまで要求されないという意味ではね。でも、それ以外の面々は仲間であり、部下でもあるはずなのよ。ところが一刀は部下として見ていない。いえ、見ることが出来ていない」
「もちろん、軍の中では部下として扱いますが、それは一時的に集まってきた蜀の面々も同じ。つまり、形式的な部分であって、本質的ではないんですね」
「だから、一刀の言は基本的に主命ではなく、頼み事になるわけ」
「はぁ……。兄様ならそうかもしれませんね」
 いまひとつ呑み込めていない様子の二人に、華琳はしばしの間、風と顔を見合わせてから話し出した。
「命を下すというのはね、責任を取ると言うことなのよ。私はあなたたちに命令する。そこで行った行動は――それが良いことであれ指弾されるようなことであれ――最終的には私に跳ね返ってくる。そうでしょう?」
「もちろん、華琳様は命じたことの出来不出来で褒めたり注意したりしますが、それはあくまで内部のことで、外部から見れば、たとえば季衣ちゃんがやった軍事行動も流琉ちゃんがやった討伐も、華琳様が命じたこと、つまり華琳様の意思に基づく、というのに変わりはないのです。これはもちろん、華琳様を代行して風や稟ちゃん、桂花ちゃんが命じたとしても同じ事ですよー」
 華琳と風が問いかけるように見つめるのに、季衣と流琉は二人でそっくりな動きをして腕を組み、うーんと一つ唸った。
 かわいらしいですねぇ、と心の中で呟く風。
「はー……。なんとなくわかった気がする」
「兄様の場合、兄様だけの責と受け取られないということでしょうか?」
「頼み事となったら、引き受けた方にも多少の責任があることになるもの。まあ、実際は……」
「実際には、おにーさんの意思とみられるでしょう。各国で北郷一刀とその下にいる者たちについては――たとえ正体を隠していても――認知されていますから。ただ、自覚が足りないということです」
 華琳が肩をすくめて言葉を途切れさせるのを引き継いで、風が締めくくる。
「自覚……」
 かみしめるような沈黙がしばらく落ちた。風は舐めるのに飽きたのかがじがじと飴を噛み、華琳はもう一つ砂糖菓子をつまみとる。
「とはいえ、そこが一刀のいいところでもあるし、なんとも言えないわね。ある意味では悲劇……」
 そこまで言って、華琳は自分の言葉を否定するように首を振る。彼女は指に着いた砂糖のかけらをはたき落とすようにぱんぱんと手を打ち合わせ、それまでの空気を払いのけるような仕草をした。
「いえ、それをいま言ってもしかたないわ。ともかく、荊州のことは一刀に任せたことよ。最終的な結果が出るまでは連絡も不要、と桂花には伝えておきなさい」
「わかりましたー」
 それから、彼女は外からほんの少し漏れ伝わる喧騒に耳を澄まし、うん、と頷いた。
「そろそろいいわね、流琉と季衣は宴に行ってらっしゃい」
「え、あ。はい。わかりました」
「はーい、行って来まーす」
 二人は跳ねるように立ち上がり、うきうきと外へ出て行く。やはり、宴ともなれば嬉しいのだろう。季衣はお腹一杯食べられるのを期待しているのだろうけれど。

「ここまでは順調すぎるほど順調だったけれど、やはり、ここからは侵攻経路が限られるか」
 二人が出て行った後、地図に指を走らせていた華琳は結論づけるようにそう言った。
「水が足りないですからねー。水のある地帯を進まないといけません。しかしながら、相手の各部族も同じように水と草を求めて特定の地域にいるわけですから、そこを進むのが効率がいいことになりますかねー」
 これまで進んできた地帯は黄河が北方へ大きく曲がった、いわゆる大屈曲部分の内側やその周辺だった。
 そのため、草原とはいっても土壌に十分な水気がある。いわば遊牧と定住農耕の混在した地域だったのだ。
 しかし、これより先、農耕は不可能となる。
 そこは、見慣れた木々のない、草と低木だけが広がる世界。
 草原、高原、沙漠が入り交じる不毛地帯だ――少なくとも魏の母体である農耕民にとっては。
 逆に遊牧民にとって、それこそが母なる大地の風景。
 大軍を移動させるなら、点在する川――それは地下にある場合も多い――や湖といったものを渡り歩いていくしかない。そんな土地。
「こちらも読めるけれど、相手にもこちらの動きを読まれることになるわね」
「しばらくは全軍まとまって動くしかありませんねー」
「いえ、これからずっとよ」
 風の推測を楽観的だ、と華琳は切り捨てる。
 三十万を一挙に動かすのは至難の業だが、これからの道のりで兵を分けた場合、合流できるまでの期間が大幅に伸びてしまう。
 時間の損失と危険性を増す策をとるよりは、一体で動く方が良いとの判断だろう。
「今後、軍を分けることはしない。偵察も兵を増やしましょう」
「了解ですー。慎重に越したことはないですね。異境の地ですから」
 華琳は頷いて、しかし、それだけでは足りないとでも言うように真剣な顔で声をひそめた。
「ええ。それと……」
「華琳様ー」
 天幕の外から明るく大きな声が響き、二人の会話は途切れた。二人はびっくりしたように顔を見合わせ、揃って笑みを浮かべる。その間も、外からは春蘭の声が何度も呼びかけてきていた。
「さて、いまは宴に行きましょうか。人死にも出さずに済んだのですもの」
「はいー」
 いつものとおり眠そうにも平静にも聞こえる声で答えてから、風はふと思う。
 はて、華琳様は何を仰るおつもりだったんでしょうね。
 しかし、彼女が見上げる横顔は満足と喜びを示す表情に満ちていて、風の心に浮かんだ問いには答えてくれそうにないのだった。

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