第二十一回:北限

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1.儀礼

 大男の体が宙を飛ぶ。
 そんな光景は普通見られるものではない。
 周囲の人間は寸時呆気にとられ、そして、飛んでいた男がなんとか頭と背を守りながら大地に落ちて何回転かしたところで、ようやくわっと声をあげた。
 半数は歓声であり、半数は落胆の声であった。
 そんな両極端の声を上げる人々が作る円陣の中央では、いまさっき大男を投げ飛ばした小柄な少女が胸を張っている。
 とてもその体に怪力を隠しているとは思えない少女は、しかし、いまや地面で転がりつつ呻いている大男と先ほどまでがっぷり四つに組んでいたのだ。その態勢を力でねじ伏せて、さらに投げあげた彼女の腕っ節やいかに。
 赤毛を両側に高く結い上げたその少女は、控えていた別の少女と、手を音高く打ち合わせた後で下がっていく。
 今度は、前髪に大きな布飾りをつけた少女が別の男と対峙するようだった。
「さすがですねー。季衣ちゃん、流琉ちゃん。これで、ええと八人抜きですか」
 その様子を少し離れた場所に作られた一段高い観覧席から見ていた風が、そう評する。それに答えるのは隻眼で成り行きを見守っていた春蘭だ。
「あの背であの膂力だ。相手の体が大きいだけに、対処が難しいだろう」
「そなんですか?」
「ちょこまか動く季衣たちに、上から打ち下ろすのはなかなか難しい。だから捕まえてしまえと思うわけだが、なにしろはしっこいからな。まあ、捕まれば捕まったで、単純な力で圧倒することも可能だが……」
「はー、そういうものですかー」
 それまで部下の会話を黙って聞いていた華琳が、付け加えるように続ける。
「もちろん、季衣や流琉だからこそできることよ。相手の圧倒的に長い手足をさばいて、しかも力で負けないというのはね」
 それから彼女は横に座る男性に向けてちらと視線を送る。余裕の表情の彼女たちに比べ、男性やその背後に立つ数人の男女の顔は暗い。
 彼らは匈奴の一部族、その代表だ。
 華琳の横に座るのがその長。
 彼らの部族は、侵攻してきた華琳たちに対し、異例とも言える申し出をしてきた。降伏でも抗戦でもなく、いまこうしているようにお互いの代表の武を競って決着をつけようというのだ。
 彼らの部族は匈奴としても辺境の土地――もはや周囲には鮮卑が多い地域――に位置し、人数もそれほど多くない。
 戦ともなれば、大兵力の華琳達に抗するのは難しい。
 だが、地の利はあり、負けぬように持久戦で戦線を膠着させ、冬の到来を待つことも出来る。ただ、それをやればお互いにいらぬ損害を増やすだけであろう。
 だから、いっそ力自慢、腕自慢同士で競わせてみようというのだった。
 華琳はこれを受け入れた。
 進軍に影響を出さず早期に屈服させる自信はあったが、民を損なわせたくないという長の意向は彼女にとっても好ましいものだった。
 そして、十番勝負が始まったわけだが……。
 いま、試合場では流琉が相手の腕をねじり上げ、足で肩を押さえつけて、男の体を地面の上に釘付けにしているところだった。
 屈服の呻きが漏れ、勝負が終わる。
「さて、我が方の二人で九人を抜いたわけだけど、最後の一人は?」
 もはや勝敗は決まっている。しかし、最後までやらねば納得しないだろうと華琳は読んでいた。
 ある意味でこれは儀式だ。
 相手に気持ちよく降ってもらうためにも、鮮やかに勝ってやらねばならない。
 部族最高の猛者たちを、こちらも最大の戦力をもって攻略してこそ、負けた方の信頼も得られる。彼女はそう考えていた。
 匈奴側はしばらく小声で相談していたが、ついに族長が頷いて立ち上がった。歴戦の勇士なのか、腕にいくつか大きな傷痕が見えた。
「俺が出る」
 それを半ば予想していた華琳は満足そうに微笑んで、春蘭を指さした。
「では、こちらも最高の人材を出しましょう。魏の猛将夏侯惇、このあたりにもその名は聞こえているはずだけど?」
 指名された春蘭が立ち上がるのを見つめながら、族長は大きく頷いた。その顔が興奮のためか、獰猛な笑みに彩られていく。
「ああ、腕が鳴る。最後ということで一つ提案があるのだが」
「いいわよ」
「俺は力も自慢だが、武器を持っての戦いの方が得意だ。だから……」
「どう、春蘭?」
 族長の曖昧な仕草に、華琳は腕を組んで春蘭に目線をやる。彼女は華琳に向かってぐっと拳を握りしめて見せた。
「望むところです、華琳様。よかろう。お前の武芸と私の大剣。競ってみようではないか」
 族長と頷き合い、お互いの得物を持って試合場へ向かう二人。その背に、華琳は朗らかに声をかけた。
「お互い、余計な血は流さないようにね」
 と。

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