第二十回:謝罪

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3.侵入

 眠りの中にあった一刀は、体にかかる重圧で意識を取り戻した。
「張々かー? もぐりこむのはいいけど乗っかるのは勘弁してくれよー」
「失敬な。私はあれほど重くありませんぞ」
 おやと目を開いてみれば、暗闇の中、紫に近い瞳と目があった。
 ずいぶんと距離が近い。
 誰かが彼の体の上にまたがった上に、上体を倒して顔を間近まで持ってきているのだ。
 その瞳と声、それに漂ってくる甘い香りに彼の意識にかかったかすみは一気に晴れ、そこにいるのが趙子龍、常山の昇り龍であることをはっきり認識する。
「どこから入って来たの?」
「もちろん、窓から。お邪魔でしたかな?」
 あの高さの窓からかよ! という驚きは内に隠し、一刀はにっこりと笑ってみせる。
「いやいや。子龍さんならいつでも大歓迎だ」
「ふふ。それは光栄な」
 こちらも艶然と笑い返し、しかし、彼女は顔を引き締めて彼を睨みつけた。
「けれど、いまはそのような戯れ言を聞きに来たのではありません」
「そうか。なに?」
「……ずいぶんと落ち着いておられますな」
 特に緊張した風もなく答えた彼の声が気にくわなかったのか、少し声を低めて女は言う。
 ゆったりとその指が彼の首筋にかかった。一刀はその動作がどうにもくすぐったかったが、さすがにここで動くようなことはしない。
「身に寸鉄も帯びてはおりませんが、この首くらいわけもないことはご存じかと思いますが?」
「まあね。ただなあ……」
「なんでしょう?」
「殺しに来たなら、華雄か猪々子に見つかってると思うんだよな」
 さらりと吐いた言葉に、ふうと嘆息して、彼女は体を起こす。ようやく闇に慣れてきた目で、一刀は彼女を見上げる。
 真夜中に女の子に腹の上に乗っかられて、これほどまでに色気がないというのもなんだかおかしな気分だな、などと彼が考えていると知ったら、はたして彼女はどう思ったろう。
「真意を伺いに参りました」
「なんのことだろう」
 そう返した途端、初めて彼は恐怖を感じた。背筋を悪寒が這いのぼる。
 だが、その強烈な気配は一瞬でなりをひそめ、彼女は固い声で彼に呼びかけた。
「御遣い殿」
「……子龍さん?」
「私がいなければ、ここにあなたはいない」
「え?」
「私が……稟や風と共にあったとはいえ、私が腕をふるわねば、貴殿の命はとうにないはず」
 それは紛れもない事実。この世界に初めて現れた北郷一刀を襲った悲劇から助け出したのは、他ならぬ彼女なのだから。
 だが。
「……子龍さん」
 硬い表情で一刀は呟く。それは隠しようのない驚愕に彩られていた。まさか彼女がそのことをこの場で言うとは思っても見なかったのだ。
「星、ですよ」
「え……」
「星。私の真名です。知っているでしょう」
 知ってはいる。
 しかし、預けられてもいない真名を思考に乗せるのは非礼にあたるからこれまでその名で彼女を認識してきたことはない。
 まさかここで真名を預けようとでもいうのか。あまりに予想とは違う言葉の連続で、一刀の意識は飽和しかける。
「いや……しかし……」
「先ほどのようなこと二度と言うつもりはない。いや、一度たりとて言うつもりはなかった」
 苦渋に満ちたその口調に、一刀はそれ以上なにも言えない。
「だから、北郷殿」
 彼女は一言一言はっきりと区切るように発音する。
「貸し借りで話すのがお嫌なら、我が真名にかけて真実を」
 じっと見つめ合う目と目。結局、一刀は頷いた。
「わかった」
 それから、軽く笑みを交えて続けた。
「話すから、座り直さないか?」
「いいでしょう」
 女の体が上から退く。それがなくなったことで、後に残った熱が感じられ、妙に名残惜しくも感じる。
 一刀は燭台に火を入れ、椅子を手で示して、彼女に座るよう促した。蜜蝋のかすかに甘い香りが部屋に漂う。
「ここの太守からもらった酒があるけど、飲むかい?」
「ええ。いただきましょう」
 そうして準備を整え、二人は酒杯を掲げて話を始める。
「ごめんな。嫌なこと言わせちゃって」
「いえ。私の推測が正しければ、今日はそちらのほうがお嫌なことを数々言ったはずですが」
「かなわないな、まったく」
 一刀は苦笑しつつ酒を口に含む。ぱかぱかと空けていく女に比べて、彼は既に白蓮と痛飲していたため、それほど飲むつもりもなかった。
「それでね、子龍さん」
「星、と言いましたが」
「いや、聞いてくれ。真名をもらうなら、これから話すことを話して、その上でもらいたい。はっきり言おう。恩義も感じている。真名をもらうことも嬉しい。でも、それらを取引に使うのはやめたい。どうだろう?」
 機嫌を伺うように言う彼に、彼女はふっと爽やかな笑みを浮かべた。
「わかりました。では、この場では、いままで通りに」
「ああ」
 あからさまにほっとした顔でそう言って、彼は話を続けようとした。だが、その眼前に、押しとどめるような格好で掌が広げられる。
「……その前に」
「え? どうしたの?」
 一刀が事態を把握する前に、彼女は扉に走っていた。その分厚い鉄の扉を難なく開き、その影にいた人物を部屋に引きずり込む。
「いずれの御仁か知らぬが……と、これは?」
 その掴んだ相手を見て、星はわけがわからない、というような表情を浮かべる。それは、彼女がよく見知った顔だった。
「……焔耶?」
 黒髪に一部だけ白く色の抜けたその頭は、紛れもなく魏文長。だが、その体は彼女の腕の中でまるで動こうとしない。
「あれ、文長さんも来てたの」
「い、いえ。これは私とは別で……焔耶、お前、なにを硬直している?」
「こ、こ、こいつが……」
 細い震えた声が、彼女の口から漏れる。そのかすれ声に彼女の姿を見てみれば、黒い上着にぬいぐるみのような小型犬がじゃれついていた。まるで彼女の服に絡まっているようにも見えた。
「おや、セキト」
 一刀が近づいて、わふわふと裾を甘噛みしているセキトを抱き取る。
「恋があっちにいるからさ。俺の見張りに置いていってくれるんだよ」
 途端に力が抜け、へなへなと床に座り込む焔耶。その様子に一刀は、あれ? と疑問を持つ。
「もしかして……犬、苦手なの?」
「ば、ば、馬鹿を言うな。このワタシがけだものごとき!」
 顔を真っ赤にして抗弁する焔耶の側に、セキトを近づけてみる一刀。
 セキトは嬉しそうにわんと鳴いた。
「うわあっ」
 顔を青ざめさせて立ち上がり、部屋の奥に逃げ込む焔耶。その様子を見て、一刀は納得したように頷く。
「苦手なんだ」
「卑怯だぞ、貴様」
「お二人とも、掛け合いもそれくらいに」
 はぁと疲れたように息を吐き、星は扉を閉め直して元の位置に戻る。
「焔耶。お前、なにをしに来た」
「なんと言えばいいのかわからんが……だいたい、お前こそ、なんでここに?」
 椅子を用意され、焔耶も座り込む。なぜか彼女に寄っていきたがるセキトは、一刀が膝の上に抱いていることにした。
 それはそれでお気に入りの場所なセキトであった。
「真意を問いにな」
「真意? ああ、そういうことか。そうか、そうか。貴様、なにか隠していたのか」
 星の言葉に、焔耶はなにか霧が晴れたとでも言うように明るい顔を見せた。
「おや。焔耶の見立ては違うのか」
「ん? ワタシか。ワタシは、なんとなくもやもやと納得できなかったから、それを質しに来ただけだ。そうか、ふむ。このもやもやは隠し事のせいか?」
「ははっ」
 星と一刀は焔耶の言葉に呆気にとられたような顔をしていたが、いち早く立ち直った星が笑い声を上げ、次いで隣に座る彼女の肩を何度か叩いた。
「いや、焔耶。お前は本当に大した奴だ」
「……厭味か?」
「馬鹿を言うな。私は本気だ」
 そう言われてもいまひとつ本気なのかどうか疑うような瞳で見つめる焔耶。一方で、一刀は苦り切った笑みを浮かべていた。
「参ったなあ。二人共に見抜かれてるとはね」
「そう気に病むものではありません。雛里――我らが可愛い軍師殿など、いまもどう次の提案をしようかと頭を悩ませているのですぞ」
「それも申し訳ないが……。そうだな、じゃあ、話を始めようか」
 北郷一刀は大きく息を吸い直し、彼の話を待っている二人の女性に対して言葉を紡ぎ始めるのだった。

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