第十九回:会談

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2.会談

「さて、此度は荊州についての話ということでいいのじゃろうか?」
 全員が揃い、皆の前に茶杯――二名ほど、酒杯であった――が置かれたところで、最年長者の祭が確かめるように言う。
 三人ずつが卓の両側で向かい合い、白蓮は両者に挟まれるように卓の横側に座っていた。
 実に居心地の悪そうな白馬長史である。
「ええ。そのとおりです」
 雛里が応じ、それに対して一刀が口を開こうとしたところで、詠が翡翠色の髪を揺らして割り込んだ。
「そ。じゃあ、最初から話をしましょうか。いいかしら?」
 皆が頷くのに、詠は言葉を続ける。
「まず、三国の大乱が終わった時点で、荊州の支配域は確定していなかった。蜀は二分の一を主張し、呉は三分の二を主張した。これはいい?」
「だいたいは……はい」
 そういえば、あの頃、詠たちはどこにいたんだろう、などと当時のことを思い出してみる白蓮。
 まだ二年半ほどなのにもうずいぶんと経った気がするのは、戦が終わったはずなのに色々とありすぎたからだろうか。
 彼女自身の立場も、ずいぶんと変わった。
 戦で追い出されたというわけでもないのに。
「その後、交渉に進展はなく、両者の主張が成されたままの状況で、こいつが荊州牧となった、と」
「州牧になったなど、聞かされておりませんでしたな?」
 星が口元を袖で隠しながら、一刀に流し目を送る。
 その隠された口元に笑みが浮かんでいるのは誰もが想像したろうが、それが普段通りの意味ありげなものなのか、それとも獰猛なそれか、長くつきあってきた白蓮でも見切ることが出来なかった。
「あんたたちは既に発った後のことだもの。こないだの叛乱の後の話よ」
「そうですか。それはしかたないとしても、州牧になってからの要求がいささかひどいと聞きましたが」
「いささかどころじゃないだろ!」
 思わず立ち上がろうとした焔耶を、星の腕が引きずり戻す。
「こいつは!」
 体勢を崩されながらも、憤然と一刀を指さす――雛里に言われて手甲は外していた――焔耶の姿を見ながら、詠はしかたないという様に肩をすくめた。
「荊州の統治を州牧に戻せ、と言ったんでしょ。それがなにかご不満?」
 さも当然のように言う詠に、驚きの表情を浮かべなかったのは、祭と一刀のみだった。
 聞いてはいたが本当に要求したのか。
 そう考えて、なにか胸のあたりがもぞもぞと気持ち悪くなっている自分に気づく白蓮。
 一刀の要求は、形式では正しいかもしれない。
 だが、無法ではなくとも、無道というものではないか。
「貴様、言うに事欠いて……。桃香様に賜ったご恩を忘れたか」
「はっ! あんたね、そんなこと言うけど」
 かみつくように言い合う二人を見て、さすがに嫌な汗をかく。白蓮は片手を真っ直ぐ出して、二人の間に置いた。
「ちょっと待った」
 二人を含めて、皆の視線が集まるのを確認して、白蓮は出来る限り早口で言葉を紡いだ。
 言い切る前に詠や焔耶に口を挟ませたくはなかった。
「さすがにそれは待った。落ち着いてくれ、頼むから。お互いそう挑発しないでくれ。いいか。焔耶だけじゃなく、星も雛里も聞いてほしい。私も、それに詠も、蜀を抜けて、それぞれの立場ってものがあるんだ。そこはわかってくれ。詠はわかってるんだろうから、わざわざ蜀の側を煽らないでくれよ」
「そ、そうですね。それぞれの立場がありますから、詠さんが蜀に味方するわけにはいかないわけで……その……」
 雛里がどう言葉にすればよいかわからない、というようにもどかしそうに言葉を発する。その懸命さに毒気を抜かれたか、焔耶も詠も前に傾けていた体を戻し、揃って息を吐いた。
「わかった」
 焔耶が言ってぱたぱたと手を振り、しばし沈黙が落ちた。それを破ったのは雛里の柔らかな声だった。
「あの……。たしかに、荊州牧であれば、形としては北郷さんの主張は正しいことになります。しかし、実質的には二国の支配がこれまで及んでいたこともありますし、いきなりそれをやれと言われても反発しか招きません。下手をすれば蜀も呉も兵を出す事態になりかねないでしょう。いえ、実際、いまもそういう動きをしていると思います」
「ほう、恫喝外交じゃな? なかなか脅しどころを心得ておる」
「ち、違います!」
 本気で感心されたような声音で言われ、雛里は慌てて否定する。
「し、しかしながら、たとえば呉が兵を出せば、北郷さんたち……いえ、雪蓮さんたちもそれに応じるでしょう。そうなれば、蜀も兵を出さざるを得ません。私たちをこれまで信じてくれた民を守るためにも」
 そこで彼女は小さく頭を振った。
「いえ、どちらが兵を出したとしても変わりはありませんね。もし荊州で争乱が起きれば、迷惑を被るのはその地の民であり、復興を遂げつつある彼の地は、かつての戦乱の時と同じように被害を受けるでしょう」
 雛里は足下に置いていた荷物に手を入れ、何枚かの束ねられた紙を出してくる。それを卓に置くと、詠が受け取ってぱらぱらと中身を確認し出した。
「そこに、現状、荊州で三勢力がぶつかり合った時の試算をまとめました。道中で行ったものですが、導出仮定もきちんと書いてありますので、後から確認して下さい」
 詠が最後まで確認してから、それを一刀に差し出す。一刀は丹念に紙をめくり、そこに書かれている内容を読み始めた。
「直接的な会戦で死ぬ数はそれほど多くはないでしょう。しかし、それによって荒らされた田畑から人が逃げ、その人々が食べられずに死んでしまうことは考えられます。益州、豫州、揚州などの近くに逃げ込んで、その地の治安が悪化することも考慮しなければいけませんし……」
「でも」
 読み込んでいる一刀に語りかける雛里を遮って、詠が小首を傾げながら呟く。そのあどけない仕草に、白蓮はそら恐ろしいものを感じた。
「それって、蜀や呉が兵を退けばよいだけのことじゃない?」
 聞いた途端、雛里の顔から血の気が引く。
 同じ軍師同士、彼女たちは相手がどれだけ深く物事を理解しているか、身にしみてわかっているはず。その前提をまるでなにも知らぬ様にひっくり返されれば、いかに不世出の大軍師とて動揺するだろう。
「そんな……詠さんだって、わかっているはずです!」
「雛里、激するな」
 甲高い声で叫ぶ雛里に耳打ちする星。焔耶は怒り心頭に発してかえって醒めきったのか、ぎりぎりと奥歯を鳴らしながらも動こうとしない。
「では、こちらから聞くがな、黄蓋殿。呉は兵を退くと思われるか?」
 まだ何か言いたそうな雛里を身振りで抑え、今度は星が切り込んでいく。あえて、黄蓋と呼んだのは、呉に所属していた人間としての意を強調したのか。
「ありえんな」
 即答だった。
 鬼の仮面を被った女性は、楽しそうに笑みを浮かべつつ、星へ返答する。
「呉は尚武の気風。己の権益を侵されて、ただ黙っておるなど出来るわけがない。ましてや、孫家の気性を考えればの。権殿は姉妹の中ではおとなしそうに見えるが、あれで気骨は他の二人に負けぬからのう」
 そこで腕を組み、一つ唸る祭。
「じゃがのう。漢朝を主と仰いでいる以上、州牧の意思をまるで無視するわけにもいくまい?」
「それは……」
「要は、領土全てを返還するのに替えて、何を出せるかじゃ。そうは思わぬか、鳳雛」
 これは手をさしのべているのだろうか。祭が雛里に向ける温かな視線に、白蓮はそう考えずにはいられない。そして、雛里自身もそれを感じ取っていたようだった。
「こちらとしても譲歩案はあります」
 彼女はぴんと背筋を伸ばし、紙面から顔をあげた一刀を真っ直ぐ見つめた。
「荊州において蜀に納められる税の内、五分の一を州側に上納します」
 はたして、それほどの案を出す権限を与えられてきたのだろうか、と白蓮は疑問に思うが、桃香のことだ、もしうまくいけばさかのぼってでもそういうことにしてしまうだろう。
「それと、州治である襄陽の周辺は州牧の直轄地としてそちらがお好きにしていただければ……」
 傍で聞いている白蓮にしてみても、魅力的な案だった。州牧側は最重要の都市の一つを手に入れ、なにもせずとも税が入ってくる。それでも荊州を戦渦に巻き込むよりはましだと雛里は考えたのだろうし、それくらいせねば最悪の事態を回避できないと踏んだのだろう。
「しかし、蜀側だけでは片手落ちじゃな。呉はどうする? 穏あたりと話は済んでおるのか?」
 祭のもっともな問いかけに、雛里はしっかりと胸を張って、言葉を押し出す。
「わた、私が説得してみせます!」
 その必死な様子に、白蓮はついに我慢の限界を超えてしまった。
「つまり、荊州全土の五分の一の税が州の財源として使えるようになるわけだ」
 雛里の提案をまとめて繰り返す。
「徴税からなにから蜀と呉がやってくれて、一刀殿はなにもしなくとも税を受け取ることが出来るんだ。それで治水工事やら色々出来る。なにも土地がなくとも……な?」
 本当に雛里や朱里が呉を説得できるかどうかは、白蓮としては確信を持てなかった。だが、やると言っている以上、それをないがしろにも出来ない。
 だから、彼女はなだめるような口調でそう言う。州牧としての一刀の行動には賛同できなかったが、それについて諫言するのは戦の可能性を除いてからの話だと、彼女は判断していた。
「と、ともかくさ、一刀殿のほうは一度要求を引っ込めて、それから話し合うのはどうだろうな? 北でも南でも戦をするなんてたまったもんじゃないだろ?」
 六対の視線が集まって、少々緊張を感じながら、白蓮はそう尋ねかけた。
 それに誰かが反応しようとする前に、一刀が手をあげた。その行動に詠が鼻白み、祭と目線を交わし合っているのが視界の隅に見えた。
「別に戦をしたいわけじゃない」

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第十九回:会談」への2件のフィードバック

  1. [第十九回:会談]1.武威の地の文にて。
    {際はそう応じてから、雛里が馬を下りるのを手伝う。}“祭”とすべき箇所が“際”になっています。

    貧乏クジを引いてこその白蓮ですよね。

    •  ありがとうございます。直しておきました。

       白蓮さんは、常識人すぎて……w
       一人、主を守ろうと気遣いした結果が、この巻き込まれ具合。実にかわいいですw

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