第十八回:出陣

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3.荊州

 騎馬の一団が、街道を行く。
 そのいずれもが武装しており、しかも、そのことを少しも隠そうとしていない。まるで威嚇するように武器を構えて道を進む集団の中央に、一人の女性の姿があった。
 赤基調の服を身に纏い、きまじめな顔で周囲を見回しながら進むその人物こそ、孫仲謀、この地を治める呉王であった。
 だが、いまや、ここは呉であって呉でない。彼女たちすら警戒を強めて進まねばならない地域なのだ。
 州牧である北郷一刀から返還を要求された荊州の領土を馬で歩きながら、彼女は首をひねっていた。
「明命?」
「はっ」
 呼ぶと、すぐに馬を横に並べてくるのは長い黒髪を垂らした少女。親衛隊長の一人でもある明命だ。
「どうして、あちらの田は手入れがされていないのかしら?」
 彼女の言うとおり、街道の右手、つまり西側の田畑は荒れ放題だった。雑草が大きく成長したその場所は、しばらく人の手が入っていないと見るからにわかる。東側の田は既に収穫が終わったのだろう。稲が刈り取られ、綺麗になっているのとは大きな落差だった。
「あー……。えーっと……」
 言いにくそうに口ごもる明命をよそに、蓮華は観察を続ける。
 見れば、だいぶ先まで荒れた土地が続いていた。
 ただ、開拓されたことがないというのではなく、明らかに以前は人の手で整えられ、畦もつくられていたらしいのが草に埋もれながらも見て取れる。
「土地が悪かったのかしら? 人手が足りないの?」
「いえ……。あそこは、その、境界地帯なのです」
「境界地帯?」
「はい。蜀と呉、二国のどちらもが領有を主張している地域でして……。そこにいると二重に税が取られると、人が逃げてしまったそうで……」
 明命の言葉を理解して、蓮華の顔に朱がさす。明らかにそれは怒気を含んでいた。
「そのようなこと、誰が許した!」
「いえ、誰も。我々はもちろん、蜀もそんなことはしません。しかし、市井の人間にそれをわかれというのは……。私もこのあたりに直に見に来て初めて知りました」
 申し訳なさそうに身を縮める明命を見ている内に怒りが萎えたのか、蓮華は興奮して早くなっていた息を整え、小さく嘆息した。
「そう……」
 荒れ果てた田の残骸を見つめながら、彼女は愁いに満ちた顔で頷くしかないのだった。

 砦に王が入るだけで、呉の兵は沸き立った。そんな兵たちに軽く手を振って答え、彼女は明命を引き連れて砦の中心部に用意された部屋に向かう。
 そこには片眼鏡の少女が跪いて待ち構えていた。
「久しぶりね、亞莎」
「はい。お久しぶりです」
 蓮華は言って亞莎を立たせるが、彼女は恐縮してその袖を上げて顔を隠す。
「私の力が至らないばかりに、蓮華様までお呼びだてすることになって……」
「あなたのせいじゃないわ。なにしろ袁術だもの」
 蓮華は南海覇王を腰から外して座り、二人の部下に話しかける。
「それで、その……なんだっけ、煙を吐く車はもう来ないの?」
「はい。夏口に兵を進めた時点で、袁術たちの活動はなりをひそめました」
「蓮華様や蜀の中枢を引きずり出すことが目的だったのだと思います。しかしながら、未だに滅入っている前線の兵も多数おります」
 亞莎は少し首を傾げて、言葉を続ける。
「蜀の兵も同様だと思われます。古くからの兵には、そもそも徐州を追われたことを思い出す者もいるようで」
「ああ、そういえば……。まったくたまらんな」
 蓮華は困ったように額に手を当てて顔を振る。
「それと、先ほど入ってきた情報が」
 亞莎が口にした報せを聞き、蓮華はがたんと椅子を鳴らして立ち上がる。
「襄陽に桃香が入っただと?」
「はい。軍を連れず、同行するのは供回りの者数十名のみとか。基本的に、襄陽の出入りは制限されているわけではないので……」
 軍を引き連れて襄陽を陥落させたということではないと聞き、安堵の息を吐いて蓮華は座り直す。
 だが、それはなんの安堵だったろう。
 蜀に荊州問題の主導権を握られなかったことへか。あるいは、姉たちが敗れたわけではないということへのそれか。
「それで、既に姉様と会談を?」
「いいえ。雪蓮さまは沈黙を保っているようです。冥琳さmが相手をしているのか、あるいは実質的には門前払いか。そのあたりは探りきれておりません」
「ふうむ……」
 腕を組み、自分の腕にとんとんと指を当てる蓮華。
「すると、蜀はまだ漢中に兵を?」
「はい。荊州に展開させているのは一万ほどです。大半は漢中に置いて圧力をかけているものと。我が方が動けば、また別かもしれませんが……」
 明命が答えたとおり、蜀軍は王たる桃香と共に荊州入りした一万足らずの兵を除いては漢中に兵を残していた。
 漢水を下っていつでも襄陽を襲える態勢ではあるが、まだ実際にそれを行うという局面には至っていない。
 それは呉も同じ事で、呉の水軍の大半は思春の指揮の下、未だ夏口にあった。蓮華と共にやってきた親衛部隊が襄陽近くに停泊してはいるが、今日明日にも戦に突入するという状況ではない。
「さらに、黄漢升が蜀の陣に姿を見せました」
「呼び寄せられたか、駆けつけたか……」
 蓮華は眉間に皺を寄せてその報告も合わせて吟味する。やはり戦は近い。しかし、それをどうにかしようと桃香も自分も動いている。
 だが、はたしてどう決着するものかは現時点では見えてこない。それが、蓮華にはもどかしくてたまらなかった。だが、焦ってもしかたないことはたしかだ。
「いずれにせよ、役者が揃いつつあると見るべきかな」
「どういたしましょう。やはり、夏口より船団を呼び寄せましょうか」
「いや……」
 蓮華は亞莎の問いかけに、首を横に振る。それから、先ほどから考えていたことを形にして告げた。
 自分で言ってみてからはじめて、ああ、そうだったな、と思えるようなことだった。
「予定を変えよう。周辺の砦をいくつかまわり、民や兵に姿を見せると共に、周囲の状況をよく観察することとしよう」
「みな喜びましょう。士気もあがります」
「戦うにしても地勢を知るのは大事ですしね」
 主の意見に賛同し、早速、連絡と護衛の計画を立て始める二人を見ながら、蓮華は一人呟く。
「それだけじゃないのだけれど……ね」
 だが、その声は誰にも聞かれることはなかった。

「朝廷工作は不発ですか……」
 襄陽の城内で、少女は困ったように顔をゆがめた。可憐と表現するのがふさわしい少女こそ、蜀の大軍師諸葛亮。
 そして、その横にいるのは主たる桃香と、昨日荊州入りした紫苑だ。
「ええ、そうなの。彼らはどう転ぼうと自分たちの益になると思っているようで」
「朝廷の人に有利なの?」
「そう……ですね。そう見ることも出来ます。たとえば、荊州がこのまま争乱に陥ったとします。その場合、蜀、呉はもちろんですが、荊州牧たる北郷一刀は一番の非難の的となります。これは魏の覇王曹孟德とその盟友北郷の力を削ることに繋がります」
 疑問に対して答える朱里に、桃香が不意に強い口調で叫び、手を振り上げた。
「戦にはしないよ!」
「桃香様、あくまで仮定の話ですから」
「はい。それに私たちの考えじゃなくて、朝廷の廷臣の思考をたどっているだけですから……」
「あ、そうだね。ごめん。続けて続けて」
 桃香はいきなりの激発に自分でも驚いたのか、力を抜いて照れたような笑みを見せる。
「また、もしここで我々が兵を退き、最初の宣言通り荊州が漢朝の手に戻った場合、荊州牧の地位はかなり重要なものとなります。北郷さんから奪い取るにせよ、与え続けるにせよ、魏に対して恩を売ったり、あるいは他の者に影響力を及ぼしたり出来るわけです」
「はぁ~」
 朱里の解説に、桃香は口を大きく開けて感心する。
「そんなところ……だと思いますが、どうですか。紫苑さん」
「ええ、おおむね朱里ちゃんの言うとおりね。付け加えるならば、ここで三国の争乱が起きて、三国が疲弊することも期待しているみたい。まあ、そこまで意地の悪い人は少ないにしても」
 いつもは穏やかな表情に、さすがに疲れたような色をにじませて発言する紫苑。疲れはけしてここまで馬を飛ばしてきたからではないだろう。
 朱里は確信していた。
「うぅーん」
「まあ、朝廷にしてみれば、ここで余計なことをして華琳さんの不興を買うより、事態の推移を見て、一番いいところで手を出したいというところでしょう。我々に力を貸すというのは少々難しいでしょうね」
 難しい表情をして考え込んでいる桃香を見て、これ以上のことはいまは必要ないだろう、と判断する朱里。
 彼女は話を変えるべく紫苑に話しかけた。
「ところで紫苑さん」
「はい?」
「荊州にも詳しい紫苑さんが駆けつけてくれたのはありがたいのですが、桔梗さんも来たがったんじゃありませんか?」
 洛陽に派遣されている蜀の人間は二人。
 紫苑と桔梗だ。
 どちらも芯は激情家だが、静かに内に秘める紫苑に対して、桔梗は表現も激しい。こんな事態ともなれば一番に駆けつけたがるはずだった。
「ええ、もちろん。ただ、両方とも洛陽から消えるとなれば、さすがに魏側の機嫌を損ねるだろうということで、桔梗と勝負いたしましたの」
「へえ。紫苑さんが勝ったの?」
「ええ。遠当て勝負で、わたくしが勝ちました」
 桔梗も紫苑も弓を得意とする。遠当てでそんなに簡単に決着がつくとも思えない。
 朱里が不思議に思っていると、紫苑は悠然と笑って説明を続けた。
「桔梗ったら、子を産んで胸が大きくなっているのを忘れているなんて。自滅ですわね」
「……さらに、おおきく……」
 あの胸が。
 こぼれおちそうなほどのまん丸なあの胸が。
 どれだけ大きくなれば気が済むんですか!
 朱里は思わず心の中で叫んでいた。
 蜀の大軍師に強烈な打撃を与えたその会話は、だが、急に終わりを告げる。
 さんざん彼女たちを待たせていた州牧側の人間が、ついに面会に応じると、使いをよこしたのだった。
 そして――。
「で、なんじゃと?」
 緩く渦を巻く金髪を揺らして問いかける美羽に、蜀の人間はなんと言っていいのかわからない。
「あの、しぇ……いえ、孫さんか、せめて周さんは……?」
 ようやくのように切り出す朱里の言葉を、美羽の横に立った七乃がにこにこと笑って、一言の下に切り捨てた。
「お忙しいそうですよ?」
「あ、ああ、そ、そうですか……」
「妾たちでは不満かや?」
「いえ、そういうわけでは……」
 不満です。とは口が裂けても言えない蜀の面々であった。

 会談は――相手に話す気がないのだから当然のことだが――なんの実りもなく終わり、桃香たちはとぼとぼと城を後にした。
 その途中、蜀の王は気になるものを目にした。
 それは、襄陽の外壁の周囲に掘られた濠に寄りそうにして建つ家の群れ。
 明らかに都市の中の家よりは簡易なものだが、日干し煉瓦で立てられているのだろう、それなりに人は暮らせそうな家屋群だった。
「ねえ……朱里ちゃん。あそこは?」
「え?」
 なにか考え事をしていたらしい朱里は尋ねかけられて、驚いたように桃香を見上げ、その指が差す先を見て頷いた。
「あ。あれですか。難民街です」
「以前ならともかく、今時分?」
 戦乱の時期、あるいは黄巾の一味が溢れていた頃。人々は戦を避け、盗賊の群れを避けて、難民となった。
 しかし、魏、呉、蜀の三強が確立した時点で、人々は元の土地に戻るか、流れ着いた先で土地をもらうようになり、三国平定がなった時点では、難民はほとんど姿を消していたはずだった。
「えっと。その、このあたりは蜀にも呉にも属していないので……」
「国の力で元の土地に戻されたり、新しい土地を与えられたりしていないのね。桃香様、早速彼らにも……」
「いえ。違います、紫苑さん。土地はあるんです」
 施策が行き届いていないと思い込み、桃香に進言しようとしていた紫苑を、朱里が手を振って止める。
「え?」
「襄陽は間接的に魏の支配を受けていましたから、魏が手配りして、彼らに土地を与えました。しかし、ここの人たちは移り住もうとしなかったんです。さすがに魏としても強制的に移住させるわけにもいかず……」
 朱里は少々言いにくそうにしながら、桃香たちに説明する。
「えっと、なんで?」
「その……新しい土地というのが、蜀にも呉にも属していない荊州の土地だったので、どちらにも庇護を得られないだろうと考えたんだろうと思います」
「そんな……」
「結局、ここの人たちは、襄陽のこぼれ仕事をもらってくるか、魏から定期的に配給される食料で暮らしています」
 痛ましげに言う朱里に、もはや桃香は何も答えない。
 蜀の王たる彼女は、その家々と、その間をぼろに近い服を着て歩く人々を、無言でじっと見つめていた。

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第十八回:出陣」への1件のフィードバック

  1. 冥琳さmが相手をしているのか→冥琳さまが相手をしているのか

    お暇なときに修正お願いしますm(_ _)m

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