第十七回:戦雲

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3.刀

 明命が泣きつきたがった相手である雪蓮は、各地から寄せられる苦情の書簡を流し読んではぽいぽいと火の中にくべている最中であった。
 まだ暖を取る季節ではないが、書簡の処理のためにわざわざつけたのか、その執務室には火が入れられている。
「いやあ、やっぱり嫌がらせには袁術ちゃんね」
 それを咎めるでもなく見つめているのは、雪蓮のそれと対になるようにも見える黒い仮面を被った女性――雪蓮の永遠の盟友、冥琳だ。
「……ひどい評価だ」
「えー。だって、挑発って意味ではかなり効果を上げてると思うけどー?」
「私は効能を否定してはいないぞ。それに、実に適切な評価だ。ただ、ひどいというのもそれと並立するというだけのことよ」
 ぶーたれる雪蓮に、意地悪な笑みを見せる冥琳。
「もー」
 雪蓮も笑い、さらに書簡を火にくべる速度が上がる。
「ところで雪蓮」
「なあに?」
「その腰のもの、少々見覚えがあるのだが……どこから持ってきた」
 冥琳の指さす先には、大きな刀がある。形だけなら、思春の使う大刀鈴音によく似ている。
 いや、その姿はさらに荒々しい。蛮刀と言われるようなものであった。
「ああ、これ。母様の。国を出る時、ちょっとね」
 名を古錠刀。若き日の孫堅が佩いていたという刀だ。それを聞いて冥琳が困ったように仮面を押さえてうつむく。
「やっぱりか……。いいか、お前、それは呉の財産だぞ」
「えー。でも、これ使ってた時って、まだ母様旗揚げしてなかったし。蓮華には南海覇王があるんだからいいじゃない」
 すらり、と抜き放って見せる雪蓮。
 抜いてみれば、荒々しい印象はまがまがしさに変じる。鋭く研がれた刃先はわずかに波打ち、鍔元にはのこぎり状の刃すら刻まれている。
「それに、これを見て意気阻喪する呉の兵なんてもういないわよ。覚えてるのは、……そうね、祭を別にしたら粋怜(すいれい)くらいでしょ」
 粋怜とは、孫家に長く仕える宿将程普――字は徳謀――の真名である。
 いまは交州の押さえとして派遣されているため、中央とは長く離れている人物であった。
「そういう問題では……」
「だいたい、これは、王者の剣じゃないしね」
 波打つ刀身で切り裂けば、真っ直ぐに斬った時よりさらに筋肉や血管を痛めつける。人を殺傷することを突き詰めた、それ以外に使いようのない刀。のこぎり状の部分に至っては、首を切り落とすためのものだ。
 それは一人の武将という立場を離れ、一勢力を率いる英傑とならんとしていた頃の孫堅には、もはや不要のものだったのだろう。だから、宝物庫の奥に封じ込めた。
 蓮華や小蓮は、この刀の名前は知っていても、その姿は知らない。知る必要がない。
「でも、ちょっと柄が短いのよね。両手で持てるよう、革巻きで伸ばそうかしら?」
 軽く振ってみてから言う雪蓮の顔を見て、冥琳は用意していた小言を全て呑み込んだ。その表情自体は軽いものながら、冥琳はその奥にある意志の強さをよく知っていた。
 けして、それが曲がらないことも。
「……まあ、いまはいい。後で話そう」
「はいはい」
 まるで意に介していないような返事に、小さくため息を吐きつつも柔らかな苦笑を浮かべ、彼女は雪蓮が燃やそうとしていた竹簡のうちいくつかを取り上げた。
「あの二人の活躍で、呉、蜀ともに現場では苛立ちが募っている。上にももちろん報告が上がっていることだろう」
「そ。でも、民への影響は?」
「そのあたりは、張三姉妹のがんばりに期待したいな」
 数え役萬☆姉妹は北伐の期間中、各地を巡って慰撫公演を行っている。
 荊州ではさらにその公演日程を増やし、襄陽、江陵、白帝城、夏口をぐるりと回る予定となっていた。
 緊迫する情勢は、市井の者にもなんとなしに伝わる。それを鎮めるためにも彼女たちの活動は重要であった。
 雪蓮は一つ頷いて、残っていた書簡を全て火に投げ入れてから、冥琳に向き直った。
「で、各軍の様子は?」
「動員はかけているものの、明確な動きはない。まだまだだな。蜀の密偵は多く入ってきているがな」
「ふぅん。明命の部下は?」
 蜀だけを強調した言にひっかかったか、雪蓮が問いかける。冥琳はこれには苦り切った口調で答えた。
「入っているだろうな。だが、ほんのわずかな手がかりしか見つかっておらん。こればかりはさすがと言うしかない」
「諜報では呉がぬきんでてる、か。まあ、自領の豪族どもを見張らなきゃいけないし、仕方ないんだけどね」
「それはどうかな。たしかに言う通り、自領での活動が精鋭を鍛え上げることになっているとは思うが、過大評価はよくない。我々は魏の三軍師直属の密偵たちを使えるわけではないからな」
 魏の最精鋭がどれほどか彼女たちすら知らないのだ、という意味を言外に匂わせる冥琳。雪蓮はこくりと頷いた。
「それもそうか。でも、いずれにせよ、軍は動いていないのね。準備はどの程度かしら?」
「先ほども言った通り、動員はかけているようだ。それと」
 彼女は懐から、紙の包みを取り出し、それを開く。そこには木の削りかすのようなものがいくつも入っていた。
「漢水を木くずが流れてきている。おそらく、漢中で造船を行っているのだろう。急造とはいえ、兵を運ぶだけなら十分だからな」
 雪蓮は丸まった削りかすを手にとって、びよんびよんと伸ばしたり縮めたりしてみる。
「蜀の造船技術ってどの程度だっけ。うちらがいたからだいぶ進んだ?」
「そうだな……。呉と比べるのは厳しいが、それほどひどくはない。赤壁の時点でもたどり着くのは問題なかったわけだから」
「そっか、じゃあ、期日には間に合うよう兵を送れるってわけか」
 冥琳は頷いて木くずを全て火に投じる。二人はしばらく、火の中で舞うように燃え上がる木くずを眺めていた。
「しかし……。もし、動かなかった場合どうする?」
「動かない?」
 はっ、と彼女は大きな笑い声を上げる。
 冥琳、冥琳、冥琳、と雪蓮は友の名を立て続けに呼んだ。
「ありえないわよ。領土をかすめ取られそうになるのに動かないなんてね」
 そして、ふるふると首を振り、彼女は言い切るのだった。
「そんな者を、王とは呼ばないのよ」

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