第十七回:戦雲

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2.使嗾

 江水と、その北方に位置する最大の支流、漢水との狭間の地。
 襄陽から少し南に下ったあたりを、兵の一団が行く。
 数は三百ほどか。騎馬も数十はいた。
 だが、なによりも目を惹くのは、兵の中央に位置する存在だった。
 その異様な物体こそ、小蓮が口にした『あれ』だ。
 全体として、それは底の浅い鍋をひっくり返したように見える。あるいは編み笠と言ってもいいかもしれない。
 ただし、その大きさの桁が違う。
 直径は馬を三頭も並べたほどだろうか。背も騎兵より高く、背部に煙突のようなものが五本広がっていたために、さらに大きく見えた。
 その煙突からは白い煙と、色のない湯気が立ちのぼっている。その熱のために、前方から見ると背後の景色が陽炎のように揺れていた。
 そして、なにより不思議なことは、それが馬が牽いているわけでもないのに動いている点であろう。
 馬に比べれば遥かに歩みはのろいが、たしかにそれは前に進んでいた。
 だが、ふとその動きが遅くなり、次いでがたがたと揺れ出した。兵がその異変に気づき、工兵が駆け寄ってくるが、ついには、湯気と煙がとんでもない勢いで各所から噴き出し、がたんという大きな音と共に停止してしまった。
 その途端、鍋の底の一部がばたんと音を立てて開き、蜂蜜のような色の頭が姿を覗かせる。さらに、開いた隙間にねじり込むように青い髪の女性も顔を出し、二人でけほけほと咳き込み始めた。
「けほっ、こほっ。また止まりおった!」
「止まるっ、ごほっ、のはまだしも、毎回、けほっ、煙を吐き出すのはきついですねー。ほら、外の空気を深呼吸しましょう、美羽様」
 怒ったように腕を突き上げるのは袁家の当主、美羽。それに同調するのはそのおつきの七乃だ。
 すーはー、と顔を大きく上げて深呼吸して呼吸を整える主従。それに対して周囲の兵は大わらわで彼女たちが乗っている車に集まってきていた。
「七乃ぉ。この『玄武くん五号』とやら、欠陥品なのではないか?」
 傾いて落ちそうになっている頭の上の宝冠を直しながら、美羽が泣きそうな顔で主張する。七乃のほうは落ち着いた様子で顎に指を当ててどこかあらぬ方を見ていた。
「まだ試験段階らしいですからねえ。こんなものじゃないですかねえ……」
「しかし、毎度毎度水を補給せんといかんし、方々から煙が漏れて止まるしで、いいことがないではないか」
 実際には漏れているのは蒸気が主で、それが動力となっている炉に逆流した場合、煙を噴出する結果になるのだが、そんなことが美羽にわかるはずもない。
「いやあ。試験ですから。まあ、とりあえずは馬に牽かせましょうか」
 兵が調整に動いているものの、どうもらちがあきそうにないのを見て取った七乃が、牽き馬を連れてくるよう指示を飛ばす。
「むう。もういっそ、最初から馬でひけばよいではないか」
 ぷりぷりと怒った様子の美羽が開いた扉のへりに上がって足をぶらぶらさせながら文句を言う。七乃は特に困った風もなくそれに応じた。
「でも、お嬢様が試験を引き受けたんですよ?」
「な!」
「引き受けましたよね?」
「……ま、まあ、妾に任せておけと言ったような気も、しないでもないような、そうでもないような……」
「でしょー? だから、しかたありませんよ。それに、見た目が派手で、蜀や呉の兵士さんたちには威圧感あるらしいですし」
 威圧感というよりは、わけのわからないものなので化け物扱いされているというほうが正しいのだが、文句を言う割にこの車から降りようとしない美羽に、そんなことを言えばさらにへそを曲げることがわかりきっている七乃はもちろん口にしない。
「むー」
「まあ、それよりも問題は、工兵の皆さんも、動く原理をよくわかっていなさそうなところですけれどね……」
 玄武くん五号の中には美羽と七乃の他に二人、操縦と炉の様子を見るための工兵が乗り込んでいる。
 この二人は真桜直属の人員で、どうやら詳しいところまで把握している様子だったが、それ以外の者はどこを補修すればよいかといったことは指示すればこなせても、なぜ動いているのかという根本的な仕組みを理解していないように見えた。
 もちろん、七乃とてわかっているわけではない。
 彼女にとっては、美羽が気に入っているらしい事実だけが大事なのであった。
 そして、頻繁に止まるのは、爆発したり、完全に壊れたりしないように安全策を取れと彼女が工兵に命じているからなのだ。
「なにか言うたかのー、七乃?」
「いえいえー。さ、馬につなぎましたよー。しゅっぱーつ」
「おー」
 そうして、彼女たちは賑やかに進んでいく。

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