第十七回:戦雲

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1.庭園

「ふんふふーん、ふふふーん」
 鼻歌交じりに元気よく、一人の少女が道を歩く。
 時刻はそろそろ人々が昼食の用意をしようかと考え始める頃で、大通りには人が溢れている。その中でも、彼女の姿は殊に目立った。
 複雑に結った髪と、花のように広がる髪色に合わせた服。
 それを纏うのは淡い褐色の肌をしたかわいらしい少女……いや、女性と言うべきか。その印象は少女と大人の女性の間を行き来する。
 開けっぴろげに笑えば子供っぽさが溢れるものの、ふと見せる視線などはずいぶんと大人びていて、彼女がいままさに成熟した女性へと成長しつつあることを如実に示していた。
 そして、それは二つのことを見る人に思わせる。
 可憐な少女の快活さと、女性の漂うばかりの色香。見る人によって様々に姿を変えながら、彼女は人の目を惹きつける。
 さらにその傍らには白い毛皮に黒い縞の入った大きな虎を引き連れているときている。これで目立たない方がどうかしていた。
 だが、そんな際立って見える彼女とお供の白虎を、町の人々は恐れるでもなく敬遠するでもなく、親しげに話しかけているのだった。
「おう、お嬢ちゃん。今日もご機嫌だねぇ!」
「もっちろんだよ。おじさんも元気ー?」
 彼女も構えるでもなく、明るい笑みでそれらに答える。
 中には慣れていないのか、道を行く虎の姿に驚いて手近な屋台のおやじにまくし立てる者もいるのだが、たいていはなだめられるか相手にされないかで、納得しないまでも諦めてしまう。
 これは、こういうものなのだ、と。
 そうして、彼女は馴染みの商家からもう通例となった荷物とそりを受け取り、傍らの虎――周々の腹に帯をくくりつけて、それを引きずらせながら、さらに歩いて行く。
 午前中の仕事を終えたら、周々を連れて街の一角を訪れるのが、近頃の彼女――小蓮の日課になっているのだった。
 目指す先は、左将軍呂布が――華琳と一刀の手配りによって――漢朝から下賜された邸だ。
 近づけば、その邸はすぐにわかる。他の邸に比べて、極端に緑の濃度が濃いのだ。
 庭の一角に竹林がしつらえられているという段階を、とうに越えている。大木と言えるものはまだないものの、成長の早い竹が高く伸び、さらにその下には低木や草花があるだろうことが、外から見ても想像できる。
 いつ見ても森にしか見えないな、と小蓮は思うのだった。
 だが、けして破れ屋という印象はない。邸本体は外からは見えないものの、壁も門も手入れされているし、しっかりと管理された場所という印象があった。
 彼女はもう顔なじみの門衛に挨拶して邸に入り、周々に運ばせた荷物を解いていく。
「まったく雪蓮姉様も冥琳も、引き受けておいて、さっさと出かけちゃうんだから。ひどいと思わない? 周々」
 がう。
 同意するように一声吼える周々。
 小蓮は荷物を厨房に運び、代わりに、数種の肉と大豆を潰して混ぜたものを盆に山盛りにして現れる。それをいくつもの皿に小分けしていると、風に乗った香りをかぎつけたか、何頭もの犬たちが集まってきた。
 茶に黒に赤毛、様々な色と体格の犬たちが、興奮してじゃれつこうとしてくる。だが、小蓮は笑いながらひらひらと上手にそれらを避けて作業を続けた。
「こら、まだだってば」
 皿に盛られた自分たちの食餌に手を着けようとする犬の何匹かを押しとどめる。周々が警告するように一吼えすると、犬たちはしゅんとおとなしくなった。
「ありがと、周々」
 そうして全ての皿に盛りつける。その頃には、邸中の犬たちが集まってきていた。よくしつけられているのか、十匹近い犬たちは大声で吼える事はない。
「食べていいよ」
 小蓮が言うと、一斉に自分の皿にかぶりつく犬たち。喧嘩が起きないかひとしきり眺めてから、彼女は次の作業に移った。
 同じように肉類中心に皿に盛りつけ、犬たちが食餌している場所から少し離れたところに移動する。
「ごはんの時間だよー」
 ぱんぱんと手を叩き、周々が一声軽く唸ると、わらわらと竹と低木の間から、今度は猫たちが現れる。
 そんな風に彼女は邸の中の動物たちに次々給餌していった。
「ええと、あとは……。ああ、ひなたぼっこの最中ね」
 最後に残った大蜥蜴を探していた小蓮は、その対象が池の真ん中の岩の上で、なにか決然と空を眺めている様子なのを確認して、そう呟く。
 そもそも、他の連中と違って、蜥蜴と蛇は毎日食餌を摂るわけではなく数日に一度でいいらしいので、気が向かなさそうなら無理に食べさせる必要はない。
「ちょっと様子みるかな」
 彼女は少し考えて、邸に戻って剣を手に取り、池の畔に陣取ってそれを振り始める。
 姉から習った剣の型を毎日忘れないように繰り返しているためか、その動作は流れるようだ。だが、大きな動きでもないのに小蓮の額には汗が浮かび、集中のためか、唇は強く引き結ばれている。
 八つの型を十度ずつ確認するように行った後で、それぞれの型を崩れないようにしながらつなげていく。最後までいったら、最初から。
 そうして繰り返す度に動きを速めていく。少しでも速く、ほんのわずかでも時間を縮めて。
 いつしか剣先は見えなくなるほどの速度となり、空気を切り裂く音は後を引く音から破裂音へ。
 その様子を周々は黙って見ていたが、ふと何かの気配を感じたように首をひねる。その視線の先で指を口にあてているのはふんわりと柔らかな印象の女性、月だ。
 周々はわかったとでもいうように首を動かし、月がその横に来るのを許す。一頭と一人は、そのまま沈黙を保ち、小蓮の稽古を見つめていた。
 ぱあんっ。
 最後に何かが爆発したような音を残し、小蓮の動きは止まる。肩で息をしていた彼女が、人の気配にようやく気づいた。
「ん?……ああ、月ー」
 きっと走った視線が、相手の姿を認めた途端に和らいだ。
「こんにちは、小蓮ちゃん」
「やほー」
 二人は挨拶を交わし、月が布を差し出す。嬉しそうに受け取って汗を拭いていく小蓮。
「相変わらずすごいね」
「まだまだだよー」
 二人は笑みを浮かべながら言い合い、小蓮が大蜥蜴には食餌させていないことを告げる。
「ごめんね。みんなのごはん、私一人じゃなかなかできなくて」
 すまなさそうに頭を下げる月。
「いいよー。姉様からも頼まれてるしね。姉の不始末は妹がなんとかしないとー」
 ぱたぱたと手を振る小蓮。
 実際、小蓮が手伝っているのは材料を受け取るのと、昼のごはんだけだ。
 犬や猫、その他多くの動物たちそれぞれのために肉や野菜を調理しているのは月だし、一日二食が必要な種の朝ご飯は月が担当している。それでも月としてはかなり助かっていた。
「あの、でもいいの? なんだか呉の人も蜀の人もぴりぴりしてるけど……」
 小蓮自身も忙しいのではないか、と月は指摘する。だが、彼女はその質問に、あっけらかんと答えた。
「ああ、気にしない気にしない。シャオには関係ないもん」
「……ないの?」
 困ったような表情になる月に、小蓮は笑みをたたえたまま、だが、その視線に力を込めて口を開く。
「もちろん、荊州自体は気になるよ」
 剣を鞘に収め、二人で竹が日を遮っている場所に座り込む。ふと池を眺めやると、大蜥蜴は相変わらず空を見上げていたが、いつの間にか向きを変えていた。
「ただ、雪蓮姉様と一刀がやってることだし、なにかあると思うんだよね。もし、姉様がちょっと突っ走っちゃっても冥琳がいるし。悪いことになるわけ無いもん」
 そう言い切る小蓮に、月は優しい笑みを浮かべる。
「……信じてるんだ」
「うん。それに……」
 勢い込んで頷いた後で、彼女は少し顔をしかめる。
「あの二人まで関わってるとなると……ほら、あんまり……さ。友達としては面白いんだけどねー」
「あ、あはは……」
 名前が出ずとも、誰のことか察した――察してしまった月は、引きつった笑みを浮かべて、ごまかすように声を出すことしかできない。
「そういえば、冥琳たちはついた頃かな?」
「冥琳さんたちはゆっくりだから、今頃かも。あちらのお二人はもうしばらく前? あれも持って行きましたし」
「まあ、冥琳の馬車には大小もいるしねー。でもさー。あれ、大丈夫なの? 真桜の工房で何度か爆発してたけど」
 小蓮が心配そうに尋ねるのに、小首を傾げ、頬に指をあてて考える月。光に溶けるような髪の様子に、こういう薄い色の髪もいいなー、と観察していたりする呉の姫君。
「……爆発はいつものことらしいですけど?」
「い、いつもかー」
 そういえば、建業の大使館でも、絶対に近づいちゃいけないと言われていた部屋があったなあ、と思い出す小蓮。死者が出たとは聞かないし、大丈夫なのだろう、きっと。
「でも、さすがに今回は失敗だと思うけどなあ」
「そ、そうでしょうか?」
「そうだよー。だって……お湯を沸かして進む車なんて……」
 言ってから、姉様達は信じてるけど、真桜の兵器とあの二人はどうなのかなあ、と自問する小蓮であった。

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