第十六回:半途

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3.目覚め

 雛里がまず感じたのは、自分の体を押さえつける圧迫感だった。まだ半ば夢の中にある感覚のままもぞもぞと寝返りを打とうとして、それに気づく。
 動こうにも、腕はもちろん体幹も動きそうにない。
 目を開けてみれば、空が見えた。
 そして、それがわずかに揺れていることも認識される。
「……あれ?」
 周囲ではがたごとと音もしている。
 昨晩はたしか、沙和の陣にたどり着いて……。
 そこまで思い出したところで、自分が拘束されているらしきことに気づいた。
「え?」
 柔らかい毛布のようなもので、体中がくるまれている。
 まるで赤ん坊のおくるみのようだ。そして、それが縄でどこかに縛りつけられているようだった。
 そこまで確認したところで、彼女の視界の中に、一人の人物の顔が入ってくる。
「お。ようやく起きたか雛里」
 その赤毛の女性の顔には見覚えがある。
 ずいぶん昔からの――それこそ彼女が戦乱の世を憂い義勇軍に参加した頃からの――つきあいになる公孫伯珪その人だ。
「ぱ、白蓮さん? これは?」
「ちょっと待っててくれな。おい、止まれ。そうだな、ちょうどいい。少し早いが昼食にしよう」
「了解いたしました」
 優しい声で雛里に語りかけた後で白蓮が部下に指示すると、周囲で動きと声がいくつも起こり、彼女自身も大きな揺れとともに体が停止するのを感じた。それで彼女はなにかの荷台に乗せられて運ばれていたのだと気づいた。
「縛りつけてすまない。しかし、そうしないと落ちてしまうからなぁ」
 言いながら馬を下りて彼女の横に立った白蓮が手際よく拘束を解いていく。
 自由になった雛里は渡された沓を履き、傍らにあった愛用の帽子をかぶって、彼女に促されるままに荷台から降りた。
「あ、あの……」
「うん。ちゃんと説明するから、まずは、あそこにいこうか」
 指さす先には、胡床がいくつかと折りたたみ式の卓が広げられていた。その周囲では兵が調理を始めている。
 二人が胡床に座り向かいあう。白蓮は明るい笑顔を浮かべて雛里に語りかけた。
「よかったよ。昏睡とかじゃなくて」
 何を言われているのかよくわからない雛里としては首をひねる他ない。白蓮は一つ頷くと、秘密を打ち明けるように体を近づけてきた。
「雛里は一日半近く寝てたんだよ」
「ええっ」
 さすがにその言葉には驚かされる。
 雛里はそのまま、周囲の様子を窺い始める。
 と言っても周囲には兵しかいないのだが。それでも、彼女には見慣れた蜀の鎧を着た兵士たちが、白馬義従に混じって近くにいるのを見てほっとした。
「一日半って……あわわ。ど、どういうことでしょうか……!」
 その慌てように白蓮は苦笑いを浮かべて、手を雛里の肩に置いた。
「まあ、最初から説明するから」
「はい。お、お願いしましゅ」
 噛んでしまった。雛里は赤くなりながら白蓮の説明を待つ。
「ええと。まず、一昨日のことだ。雛里達が沙和の陣に着いたって連絡が来てな」
「一昨日……!?」
「そう一昨日。昨日じゃなくて」
「はあ……」
 一日半寝ていたという言葉を信じるならば、その通りなのだろう。
 雛里はようやくのように自分の身に起きたことを実感してきた。言われてみれば、普通の目覚めとは思えないくらい、体がだるい。
「それで、私が迎えに出たんだ。星と焔耶の二人はもっと先にいたし」
 おそらく、連絡を受けた本陣が気を遣って白蓮を出したのだろう。
 蜀の将はたしかに左軍にもいるが、兵は歩兵ばかりだ。白馬義従のような機動力のある兵のほうがいいと考えたに違いない。その上、白蓮は雛里とも長いつきあいで、以前は蜀に属していたのだから。
「で、右軍の陣に行ってみたけど、雛里は何度起こしてもまるで起きない。いや、起きたことはあるんだが、ほとんど寝ぼけていて会話が通じなかった」
「ご、ご迷惑を……」
「いやいや。でも、一刀殿に会うために急いでたって聞いたからさ。寝床ごと荷台に載せて移動してきたってわけだ」
 万が一、寝てるのが疲れだけじゃなくて病気だったりしても、本陣で治療を受ける方がいいと思ったしな、と彼女は続ける。
 そうして、雛里は自分が長時間眠りこけてしまっていたという事実と、それによって引き起こされる事に思い至り、顔を青ざめさせた。
「それで……その、北郷さんは……」
「ああ、一刀殿ならもう武威に入っているはずだ。私たちもそこに合流するよう言われてる」
「武威……」
 武威は涼州の中心都市の一つだ。
 かつて、漢の武帝が西方への進出を図った際に、武帝の威、ここに至れりという意味も込めて武威という都城を作り上げた。
 位置的には南北に長大な涼州の入り口と言っていいが、漢土の常識から言うと北の果てに近い場所でもある。
 距離にして、金城から約六百里。
 その距離と、北郷一刀の言質を取るまでの時間を計算し、雛里はようやく息を吐く。難しいが、不可能ではないはずだ、と彼女は思った。
 一日無駄にしてしまったが、それを取り戻すことは可能だ。伝令を自分より先行させることで、襄陽にいる朱里への連絡を速めることもできる。
「それで、雛里。体のほうはどうだ?」
「えと……。寝過ぎたせいか、少し、関節が痛いですけど……うん。はい、ちゃんと動けます」
 白蓮の言葉に、確認するように小さな体を動かす雛里。少々むくんでいる感はあったが、それも動けばなんとかなりそうだった。
「そうか、じゃあ、馬に乗れるか? ああ、それとも、持ってきた雛里の戦車を使うほうがいいか? 荷車に速度を合わせてたからちょっと遅めだったんだが、急ぐって言うしな」
「そうですね……。戦車に乗りますので、お願いします」
 その申し出に少し考えて、後者を選択する。馬に乗れないというわけではないが、ここまで来るのでかなり慣れたので戦車の方が楽だろう。
「それで……いつ頃、武威につくでしょう?」
「そうだな……今日の夕方には」
「夕方……。わかりました」
 言って立ち上がろうとする雛里を、白蓮が笑いながら止めた。
 そこに兵が調理を終えたのか、湯気の立つ深皿が持ってこられる。雛里は止める白蓮の手もさることながら、その皿から漂う、あたたかでいかにもおいしそうな肉と米の香りに注意を惹かれた。
 どうやら、細切りの肉と共に煮られた粥のようだ。
「そう慌てるな。兵にも馬にも水や食事が必要だし……なにより」
 くー。
 かわいらしい音が鳴る。
 それが自分のお腹の鳴らす音だと気づいた蜀の大軍師は顔を真っ赤にして両手をお腹にあてた。
「雛里もちゃんと食べないとな」
「あう……はい」
 からかうでもなく、あくまでも優しくそう勧められ、雛里は帽子のつばを引っ張って赤くなった顔を隠すしかないのであった。

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