第十六回:半途

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2.悋気

 本陣の中を、のっしのっしと大きな犬が歩く。
 垂れた耳や愛らしい顔を見るとかわいらしくも思うが、その大きさはかなりの威圧感がある。
 しかし、その上にちょこんと乗った小柄な少女と合わせて見れば、威圧感どころか愛嬌しか感じなくなるだろう。
 大型犬の張々にまたがるは、この左軍全体の軍師の一人、音々音。
 張々は彼女の言うままに本陣を進み、橇小屋の前までやってきた。もう一人の軍師である詠と、大将の一刀に確認することがあるため、ここを目指してきたのだ。
 だが、張々の背を降り、小屋の扉へ向かおうとすると、ねねの前にささっと黄金色の鎧をつけた影が回り込む。
「ねねちゃん、なにか用事?」
「詠とあのへっぽこ主に用事なのです」
 ねねはそう言って懐から書簡を取り出し、目の前の派手な鎧の女性――斗詩に示して見せた。その斗詩と似たような鎧を着た猪々子が横から現れて、ねねの背後の左手側を指さす。
「詠だったら、大天幕のほうにいるぜ」
「そうでしたか。……ん?」
 書簡をしまい、張々に戻りかけて、ねねはなにかひっかかるように振り向いた。斗詩の微笑んだ唇の端がひくひく動いて緊張を伝えている。
「詠は? では、へぼ主のほうは?」
「あー。うーんとね」
「アニキはこっち。でも、いまはだめ」
 なんだか曖昧なことを言おうとしている斗詩をよそに、親指を立てて背後の橇小屋を指さす猪々子。
 それを見て、斗詩が文ちゃあんと情けない声を絞り出した。
「なんでですか!」
「取り込み中なんだってば」
 しかたないなあ、とでも言いたげに猪々子は続ける。
 その立ち位置からして、小屋の扉はがっちり守られている。自分などではとてもくぐりぬけられそうにない。
 ねねは観察の結果、そう結論づけた。
「……女ですか」
「とにかく邪魔しちゃだめなんだよ。詠に確認して、しばらくしてから来ればいいだろ?」
 しれっと言う猪々子をしばらく睨みつけていたねねだったが、張々が心配そうに鳴くのと、斗詩がおろおろしているのを見て、大きく嘆息した。
「……わかったですよ。無理は言いません」
 後じさり、少し小屋から離れてみると、斗詩と猪々子は同じだけついてきた。
 ああ、やはり通さないように見張っているのだな。
 ねねは心の中だけで呟く。
「でも、実際の所どうなんですか?」
「ま、まあそうかな。霞さんと一緒だから、ほら、邪魔しちゃね」
 斗詩の言葉に、周りを見回してみれば、常はいるはずの母衣衆の姿も見えなかった。この二人が守るから、と場所をあけているのだろう。
「ふん、やっぱり。まったく戦場まで来てなにをやっているのやら」
「そうあしざまに言うものでもないと思うぜ?」
 猪々子は少し面白そうな笑みを浮かべながら、ねねの言葉につっこんでくる。
「戦場は気が昂ぶるからさ。それを解消させてあげるのも、大将の務めと言えば務めなんじゃない? ま、アニキはそんなこと考えてないだろうけど」
「し、しかしですね」
「くっついてきてる商人どもが、女連れてきてるの知ってるだろ? あれで遊ぶよか遥かにましだよ」
 さらに続けるのに、ぐっと詰まるねね。たしかに彼女が言うような事態よりはましだが、それにしても……。
「まあ、兵たちにも盛大にばれるようなら、私たちも止めるけど……ね」
 斗詩の言葉は、軍紀が乱れるようなことはないよう配慮している、ということだろう。
 このあたりも詠が手配しているのだろうか、とねねは少し思考を脇に逸らす。
「あー。ああ、そうか」
 不意に、猪々子が妙な声をあげる。手を打ちながら続けた言葉に、ねねはぽかんと口を開いて固まってしまった。
「もしかして、やきもちか?」
「ちょっと、文ちゃん」
「でも、嫉妬はやめといたほうがいいと思うなぁ。なんせアニキだし」
 苦笑を浮かべる猪々子の姿にようやくのように硬直が取れ、ねねは真っ赤になって反論を叫ぶ。
「と、妬心などないのです! 勝手にあいつに惚れていることにしないでほしいです!」
「なにも惚れてるとは言ってないんだけどなぁ」
「文ちゃん」
 たしなめるように言う斗詩の顔にも苦笑が刻まれている。その様子を見て、頭がくらくらする音々音であった。
 もはやまともに頭が動きそうにないので、自分への言葉はもう一切合切無視して、別の疑問を絞り出す。
「……お前たちも、その……。あれの女ではないのですか?」
「ん? そだよ」
 あっけらかんと言う猪々子。斗詩も顔を赤らめつつ小さく頷いていた。
 これは、本当に兵には見せられない光景だ。
 ねねの意識のうちの醒めた部分が囁いているが、そんなことに構っていられない。
「で、で、では、お前たちこそ妬くのではないのですか!?」
「そりゃあ……ないとは言わないけど」
「まあ、構ってもらえなくなったら怒るんじゃないかな?」
「たしかに。でも、一刀さんって、忙しいくせに一日で何人もの女の子としっかり過ごしていたりするから……」
 眉間に皺を寄せて、真面目に考察している風情の斗詩に、ねねはさらに意識をかき混ぜられる気分だった。
 お前の女というのはみんなこんななのですか!
 思わず想像の中の一刀を怒鳴りつけるねねだった。
「そ。文句言おうにもなあ。まあ、独り占め、いや、あたいたち二人と姫で三人占め? したいなあ、と思うこともないではないけどねぇ」
「やだあ。文ちゃん」
 二人はねねの疑問から、会話を広げていってしまう。その仲むつまじい様子に、ねねは言葉を挟めない。
「不満は……ないということですか」
 しばらくの後、会話の接ぎ穂を狙って、ねねは尋ねてみた。
「不満? あー、うーん。いまはないかな?」
「あたいも」
「まあ、あったとしても、別に、ねえ?」
 きゃらきゃらと笑いあう二人を見ていると、なんだか意地悪な気分になってくる。嫉妬というなら、その様子にこそねねは嫉妬したのかもしれない。
「それは、あいつと自分たちとの立場があるからですか?」
 だから、その言葉は、半ば皮肉のようなものだった。しかし、実際に疑問に思っていたこともたしかだ。詠たちまで一刀の女となっていることに、彼女は密かに疑問を持っていたから。
 だが、その言葉は、あまりに無神経に過ぎた。
「うわ、やば」
 斗詩の顔に広がった満面の笑みを見て、猪々子が思わず小声で漏らす。その声は不幸にもねねには届かなかった。
「ねえ、ねねちゃんは恋さんのこと大好きだよね?」
 にっこりと笑って尋ねかけてくる言葉は、あまりに当然のことで、ねねはようやく普段の意識に戻って胸を張る。
 もちろん、この世で恋殿を一番大好きなのは自分なのだ。
「当たり前なのです!」
「それは助けられたから? 恋さんが強いから? 恋さんが優しいから? 恋さんに恩義があるから?」
「あ、えっと……」
 彼女の問いかけはあまりに早口で、あまりに鋭く、しかし、その表情は張り付いたように笑いの形をしている。
 その三日月のような笑顔に不気味さと恐怖をようやく感じても、もはや逃げることはできなかった。
「斗詩」
 猪々子の言葉を聞いているのかいないのか、斗詩の質問はとどまるところを知らない。
「そういうのが全部無くなったら、恋さんのこと好きじゃなくなるの? 恋さんじゃなくても助けられたらそれでいいの? 恋さんと同じくらい強くて、優しくて恩義がある人がいたら、そっちはどうなるの?」
「あ、え、あ、あの」
「斗詩!」
 猪々子が斗詩の肩を後ろから掴む。ねねに向かって覆い被さるように身をかがめていた斗詩が、その動作に驚いたように動きを止める。
「あ……」
 その顔が一瞬で青ざめた。その視線の先には目尻に涙をためたねねの顔。
「あ、あの、えと、ねねは……ねねは……」
「あー、えーと、音々音。ちょっとごめんな。ほら、斗詩」
 猪々子が言って、斗詩の体を起こす。顔を白くした斗詩は言葉が出ないのか、口をぱくぱく動かしていた。
「んー」
 頭をがしがし掻いて、猪々子はねねと斗詩と両方を見やる。
「こういう時アニキがいるといいんだけどなあ」
 彼女は小さくため息を吐いて、呟く。
「ほら、二人とも!」
 猪々子は二人の頭を後ろから押して、下げさせようとする。その意図を悟った二人は猪々子の手よりも早く頭を下げた
「ご、ごめんなさい。ねねちゃん」
「こ、こっちこそ変なことを言ったです。ごめんです」
 そうして、二人は顔をあげる。二人ともまだぎこちなかったが、ねねの涙はひっこんで、斗詩の顔色は少しは良くなっていた。
「ほら、ねね。詠に用事だろ? あたいが大天幕まで送っていくよ」
「あ、ありがとうです。その……またです」
「うん、またね」
 張々にまたがって小さく手を振るねねに、斗詩は大きく手を振り返す。
 彼女はねねが三度振り返ってもまだ手を振ってくれていて、ねねも猪々子も笑顔を浮かべずにはいられなかった。
「一つ言っておくですが」
 大天幕の側まで来ると、張々の上から、ねねは横を歩く猪々子に声をかける。
「ねねはあいつのことなんかこれっぽっちも思っていないですよ。そこははっきりしておくですよ」
 小さな胸を張って、堂々と言う姿に、猪々子も天幕の入り口まで来たところではっきりと頷いた。
「はは、わかったよ」
「わかればいいですよ」
 言ってねねは張々を降り、天幕に入っていく。その様子を確認してから、踵を返し、猪々子は呟く。
「ふーん。気づいていないんだなあ」
 だが、もちろん、猪々子はねねが一刀のことを――へぼ主でもへっぽこでも――呼ぶ時に浮かべる表情が、彼女が恋の名前を出す時とうり二つなことを、指摘するような野暮な女ではないのだった。

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