第十六回:半途

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1.途次

 夕闇が近づこうとする時刻。
 見張りの兵士は、何者かが巻き上げる砂埃を視界の中に発見した。
 すわ左軍からの伝令かと思ったものの、方角が違う。
 南から来るということは、あるいは洛陽か、別の陣からの伝令かもしれない。そう考えた彼は、隊長にその旨を伝え、幾人かがさらに上役へと報せに走る。
 伝令ならば、馬の乗り換えも用意せねばならない。人々は一気に動き出していた。
 その中で、その場に残った最初の見張りと隊長が、近づいてくる砂埃の塊を観察して感想を漏らす。
「伝令にしては派手じゃないか?」
「ですね。最低でも十騎はいます」
「……おかしい。おい、お前。人を集めろ。什を三つだ」
「はっ」
 兵は走り出し、周囲にたむろっていた兵たちを集合させる。
 もし伝令だとしても十騎も来るとなれば特別なものだ。多人数で迎える方が非礼にあたらない。隊長はそう判断したのだった。
 三十人が集まり、少し陣地から進んでその馬たちと対した。武器は棍だけにしている。刃を見せて威嚇するのは相手が敵とわかってからでいい。
 騎馬は彼らと陣地に目を向けたらしく、少し速度を落としていた。
「そこを行かれるは(たれ)か!」
 兵が誰何する。だが、一群は止まることなく、逆に声をかけてきた。
「ここはなんの陣地だ?」
「北伐右軍、于将軍の陣だ」
「そうか」
 戦闘の騎兵が振り向いて何事か話をする。どうやら、隊列の中央に誰か居るようだ。小型の馬車のようなものが兵たちからも見えた。
「では、用はない」
 そのまま速度を上げようとする一団に、隊長は驚きつつ、配下に指示を下す。
「待て!」
 騎馬の前に、兵の群れが躍り出た。速度が落ちたいまなら、はね飛ばされることもない。
 それに驚いたのは馬のほうであった。騎兵たちはいらだたしげに手綱を引き、馬を制御する。
「道を遮るな! ここにおわすは蜀の大軍師、鳳士元様なるぞ!」
「なにを! ここは北伐陣地、偉そうに言われる筋合いはないわ! ともかく、将軍の目通りを得てから通ることだ。そうでなければ、通さぬぞ」
 おかしな一団を勝手に通すわけにはいかない。隊長は大きな馬に乗る兵を見上げながら、自分を励ますためにも声を張り上げた。
「あ、あの……」
 小さな声がおろおろとした風情で聞こえるが、状況は改善しない。馬上の兵たちは棍だけを持つ右軍の兵たちに、武器を抜くかどうか迷っているようだった。
「あれー? 雛里ちゃーん」
 明るい声がかかり、全員がその方向へ目をやる。そこにいたのは、露出度が高い割にかわいらしく見える鎧に身を包んだ沙和――この陣の責任者、于文則であった。
「やっほー」
 彼女は緊張感などまるでなく、一群の中央にいた大きな帽子の少女――雛里に手を振っていた。
「お、お久しぶりです……」
 そして、彼女も小さく言って手を振り返すのだった。

「隊長? あと百里くらい先だよ」
 ひとまず兵たちを解散させ、二人は陣の中を歩いて行く。
 周囲では鎧を鳴らして兵たちがあちらへこちらへと早足で歩いていた。
 沙和の言葉は、一刀の本陣までどれくらいか聞かれての答えである。
「百里……」
 雛里は大きな帽子を手で押さえながら、安堵の息を吐く。百里ならもうそれほど遠くない。距離はあるが目処はついたというところだった。
「まあ、ともかく、今日はここに泊まっていくといいの。天幕も用意するし」
「しかし……あと百里となれば、ここで……」
「んー。実はこれから三十里くらい先で一騒動起きる予定なの。だから、出来ればここにいてくれたほうが嬉しいかな?」
 沙和は申し訳なさそうに言った後で、少し青ざめた雛里の顔を覗き込んだ。
「それに、とーっても疲れてるみたい。もう夕方だし。馬も休ませた方が走るよ?」
「う……」
「なんだったら、明日、朝一で案内の兵もつけるのー」
 彼女の言うこともわかる。
 ついてきた兵たちも疲れているだろう。数時間睡眠を取ったところで、最終的にたどり着く時間に、それほど変わりはないだろう。日数のかかる話ではないのだ。
 雛里は少し考えた後で頷いて、沙和の好意を受け入れることにした。
「ところで、出陣前のような雰囲気ですが……」
 先ほどから兵士の動きが慌ただしいし、なにより、この空気は明らかに戦の直前のものだ。雛里は眉をひそめて訊ねた。
「うん、ちょっとねー。さっき言ったように、久しぶりに暴れるのー」
 沙和はなんでもないことのように言う。
 よく考えれば、彼女が普段着ではなく鎧を着けているのだから、もっと早く気づくべきだった。
 雛里は自分の判断力が落ちていることを改めて認識した。
「右軍は補給任務が主だったと思いましたが……」
「あははー。補給には補給の戦いがあるのー。じゃあ、ちょっと行ってくるねー。ついでに雛里ちゃんたちが来てるって伝令も出しとくからー」
 沙和は案内の女性兵に雛里のことを託し、兵たちの居る方へと立ち去っていく。しばらくすると、彼女の号令が離れてもなお大きく聞こえてきた。
「さー! いくのー、豚娘たち。お前たちのお仲間から金を巻き上げる山犬どもを震え上がらせてやるのー!」
「おーっ!」
 兵たちの雄叫びを背後に聞きながら、雛里は天幕へと案内されていく。
 その意識はもはや朦朧として、明日にはたどり着けるという希望と、寝床への欲望だけに支配されていた。

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