第十五回:当惑

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4.支点

 冬陣の陣地の中、蜀の将軍たちに与えられた天幕の中で、二人の女性が向き合っていた。一人は地面に敷かれた毛氈に座り酒杯を傾ける星。もう一人は天幕の中央あたりに立つ焔耶だった。
「お前、あれを読んでいたのか?」
「あれ、というと?」
 不意に切り出す焔耶に視線を向けて、星は笑みを向ける。
 何度か毛氈を叩いて座れと示しているのだが、焔耶は一向に座ろうとしない。
「この間の処刑の件」
「ああ……。いや、まさか。あの方が手ずから行うなど読めるわけもないだろう」
 何度か頭を振って否定する。その後で彼女は笑みを深くした。
「ただ、どういう態度を見せるかは、知りたかったがな」
「軍令違反に対しては、妥当なところだが……。まさか自分で執行するとは思わなかったな」
 星が見つめる中、肩をすくめる焔耶。
「相変わらず、よくわからん男だ」
 それから彼女は座り込むと、星に酒杯を要求した。
 快く杯を渡して酒を注ぐ星。その動作が女性の焔耶から見ても艶めいているのは、これはもう天性の素質か、あるいは星のからかい癖か。
「あれは、あまり人を殺していないな?」
 しばらく酒を味わった後で、焔耶は確認するように問いかける。
 彼女をはじめ将軍たちは皆あの場で理解しただろうが、一刀の処刑の仕方はあまりなっているとは言い難かった。動かぬ相手であれならば、敵兵相手も想像がつく。
「そうだろうな。十人とは言わぬが、百にも満たないであろう。戦場(いくさば)でも本陣にいるのなら、その程度でも多い方だ」
「たしかに。だが、それがなぜ、と思うのだ。まさか血に酔う趣味があるわけでもあるまい」
「そうは見えなかったな。存外に意地はお悪いと見ているが、兵にあたる性質ではないな」
「ふうむ……」
 焔耶は酒杯を呷りながら、考え込む。
 軍規を徹底させるためにも、最初に発覚した軍令違反に対しては、断固たる処置が必要だった。その象徴とするためにも、高位の者による処刑は効果的ではあったろう。
 それはいい。彼女にも理解できる。しかし、それならば、処罰者の上位者である彼女や祭に任せてもよかったのではないか。なにも最上位の北郷が出てくる必要はない。
 実際、焔耶や祭はそうしてけじめをつけるつもりだったのだから。
 あるいは、あれは彼にとってもなにかのけじめだったのだろうか。しかし、そうだとしたら、あまりに泥臭い話だ。
 そういう将を戴いたことのない焔耶は、正直戸惑っていたのだった。
「まあ、ある意味で助かったではないか」
「なに?」
 にやにやと笑って語りかけてくる星に、嫌な予感がして眉を跳ね上げる焔耶。
「なにしろ、魏文長将軍の落ち込みようは凄まじいものでしたからなあ。まさか自分の兵があのような無様をするとは、と」
「な、何を言っている。いつワタシがそのような!」
「ああ、そうだったな。見せてはいなかったな、見せては」
 そう言って、からからと笑う星。
「ぐぐ……」
 焔耶は言い返そうとして、こいつに口で勝てるだろうかと心の中で算段する。
 少々、分が悪かった。
 ここは酒の上での話と流すのが得策だろう。
「まあ、いい。あれだけをとっても、まだよくわからんからな。指揮はそれなりだが、詠がしているのか、奴がしているのかもわからん」
 それよりもだ、と彼女は星に体を寄せて声をひそめた。
「本国からの伝令、少々滞りがちではないか?」
「うむ。どうも内容も支離滅裂だ」
 さすがに気になっていたのだろう。星もにやついていた表情を引き締めて、対応してくる。
「なにかあったのだろうか?」
「おそらくは。しかし、それがなんなのかさっぱりわからん。本国も動揺しているのだろうが……」
「桃香様はご無事だろうか?」
 がちゃりと音を鳴らして手甲を引き寄せる焔耶を、さすがに苦笑で迎える星。
「落ち着け。さすがに王や成都に危難があるとなれば、最初に呼び戻されるであろうよ。そうでなくとも帰還してもいいように準備しろくらいの意は伝えてくるはずだ。この様子だと我らは蚊帳の外でも構わないようだからな。いずれ中央との関係かなにかだろう」
「ふうむ。……成都の面子で済むことか?」
「さて、それが読み切れないな」
 星は言葉を切って、腕を組む。
「きなくさくはあるが、それが危険だと思うほどではない。自分でも勘は鋭いと自負しているのだがな……」
「ううむ……。たしかに即座に戦の気配を感じるほどではないな」
「もう少し様子を見るしかあるまい。いざとなれば、紫苑たちからもなにかあるだろう」
「そうだな」
 そこで話題は一段落する。二人は酒を酌み交わし、これまでの戦闘を思い返して戦術の点検を行ったりした。
 そのうち、ふと星がどこか遠い目をし出した。こやつ、かなりの勢いで飲んでいるが、もしや酔ったのではなかろうな、と焔耶は疑いつつ彼女を横目で眺める。白い肌に、たしかに朱は差しているが……。
「一つ、私が不安なのはな、焔耶」
「ん?」
「我ら蜀が後手後手に回っていることだ」
「なに?」
 一体何を言い出したのか、寸刻、焔耶には理解が及ばなかった。だが、しばしの後、彼女が蜀の置かれている全般的な状況について語り出したのだと了解する。
「北伐にしろ、なんにしろ、いまの流れは、蜀が作ったものではない。もちろん、先の大乱より、主導するのが勝者たる魏であるのはしかたないが、それにしても、我らの存在感がないとは思わぬか」
「まあ……そうだな。ワタシたちとしては、この北伐で手柄をたてることが少しは役に立つとは思うが……」
「少しは、な。だが、大枠を作っているのは我らではない」
 その通りだ、と思う。
 きっと、桃香様が考えれば、このような動きは起きていまい。
 正直、焔耶には蜀の大徳と呼ばれる女性が目指す理想は壮大すぎて理解しづらかった。だが、本人のすばらしさを考えれば、その目指すものが間違っているはずがない。
 そして、桃香であれば北伐などということはしなかったであろうことくらいは理解出来る。
「私はな、焔耶。我らがかわいい軍師殿たちは、なにか大事な事実に注目し損ねているように思うのだ」
「……そうは言うが、何にだ?」
 星の言うことは感覚としては受け入れられるが、では、具体的に何を、と言われると彼女の思考を離れてしまう。そのあたりは自分の担当ではないと思っている焔耶である。
「わからん」
「それではしかたないではないか」
 小さく嘆息する焔耶を、星はじっと見つめてきた。大きな瞳が彼女をしっかと見据えている。
「な、なんだ?」
 星は奇妙に優しい表情で口を開く。
「焔耶が言うようにな、御大将殿の為人を見るというのも、一つの手ではないかと思っているよ」
「あん?」
「その、わからん何かを見つけるための手立てとして、さ」
 焔耶にはどうもわからなかった。
 北郷一刀が、蜀、ひいては桃香様の敵であるかどうかを見極めるのは大事なことだ。ただ、それが、蜀の立場を引き上げることとどう関係があるというのか。
「お前、酔ってないか? どうも飛躍しているようだぞ」
「そう聞こえるか? ふむ、そうか……」
 星は否定するでもなく、さらに杯を重ねる。だから、その後に続いた言葉を、焔耶はろくに聞いていなかった。
「相手を騙しきるような策は下品。相手が悟ろうがどうしようが、どうにも手を打てない、そんな策こそが上品と聞くが、さて……。どこが、いや、誰が、軸なのか……」
 星の呟きは吐息に混じるように、誰にも聞き取られることなく、消えていった。

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